安倍普三内閣官房長官の魂のルーツの一人は、聖徳太子だった!
気になる人物の前世を探る! (前世探査ノートより抜粋)
第三回 ポスト小泉の一人 安倍普三 内閣官房長官の魂のルーツは?
いつものように入浴して体を清め、部屋に香を焚き、遠戚頭巾を被り、心が落ち着いたところで、安倍普三氏の生年月日と氏名、出生地、顔写真の四つのデータを脳に強くインプットして瞑想。
ほどなくして幽体離脱後、時空を遡って安倍氏の前世探査に旅立つ。
4次元の世界を経て、光の世界に乱舞する無数の泡状の魂に、安倍氏につながる魂ひたすら念を送る。ほどなくして目の前に幾つもの泡状の魂たちが私の周りに現れた。
その一つひとつに私の魂を同化してみた。
いずれもスーッと同化でき、すべて安倍氏につながりのあることが分かり、間違いないことが確認できた。
次は、それらの魂が実際に肉体を纏っていた歴史の真っ只中に跳び、本人たちと会ってこなければならない。そのための了解を魂たちから得て、古今東西の歴史に飛翔!
すべて探査し終えて、覚醒してみると45分ほど経っていた。
判明した結果は、安倍氏は数え切れない生まれ変わりに於いて、歴史に名を残した人物が、魂のルーツ6名、その魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂(人物)が12名、そして安倍氏の魂とダイレクトにつながる魂のルーツが3人の計21名が判明したのであるが、こんなにたくさんの人物が判明するのは極めて稀なことであり、過去にあまり例がないので驚いた。
安倍氏はそれら21名からそれぞれの生き方や才能、気質の影響を受け継いでおり、それに先祖やご両親から受け継いだ遺伝子が交じり合って、安倍氏という一人の人格を形成している。
安倍普三氏の魂のルーツ
・聖徳太子
・天智天皇
・法然
・足利尊氏
・阿野廉子
・淀君
魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂
・A・ショーペン・ハウアー
・ローランド・ヒル
・宮沢賢治
・御木本幸吉
・メアリ2世
・伊東玄朴・
・伊東万作
・ヨハン・H・レストック
・水野忠邦
・アーネスト・F・レロノサ
・マリア・Aゲーニヒスマルク
・アーネスト・F・レロノサ
安倍氏とダイレクトにつながる魂のルーツ
・カルル5世
・吉川広家
・宇野浩二
日本以外で輪廻転生した国
・ドイツ2回、イギリス2回、スペイン、イングランド、アメリカ2回、ロシア、ローマの7カ国。
安倍普三氏は、魂のルーツに超ビッグな聖徳太子をはじめ、それぞれの魂から生き方や才能、気質など良い影響を受け継いでおり、外相になれば大いに手腕を発揮できるし、いずれは日本国の首相となる暗示である。
では、判明した21名について簡単に紹介していこう。
◆魂のルーツ◆ 其の1
【聖徳太子】 574年~626年 多くの伝説に彩られた飛鳥時代の偉大なる哲人政治家。
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(魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:1名)
【A・ショーペン・ハウアー】 1788年~1860年 ドイツの思想界を代表する大哲学者。
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安倍普三氏
〓安部氏の系列魂〓:2名
〔H・G・ウェルズ〕 1866年~1946年 “世界国家”構想を提唱したイギリスの思想家にして、『宇宙戦争』『タイムマシン』で知られる小説家&科学評論家。
〔ジュリオ・ゴンザレス〕 1895年~1952年 スペインの画家で彫刻家。
◆魂のルーツ◆ 其の2
【天智天皇】 626年~671年 政治に行政にあくなき執念と行力を発揮した天皇。
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(魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:2名)
【ローランド・ヒル】 1795年~1879年 イギリスの郵便制度創設者。
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【宮沢賢治】 1896年~1833年 『雨ニモマケズ』の詩人で『銀河鉄道の夜』の童話作家。
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安倍普三氏
◆魂のルーツ◆ 其の3
【法然】 1133年~1212年 念仏だけで十分という教えを説いた浄土宗の開祖。
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(魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:1名)
【御木本幸吉】 1858年~1954年 真珠王の名称を受けた実業家。
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安倍普三氏
◆魂のルーツ◆ 其の4
【足利尊氏】 1305年~1358年
天皇に反逆し武家政治を再興した室町幕府初代将軍。
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魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:3名
【メアリ2世】 1662年~1694年 国民と夫のウィリアム3世に愛されたイングランド&スコットランド女王。
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【伊東玄朴】 1800年~1871年
種痘館の設置に尽力した幕末期の蘭方医。
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【伊東万作】 1900年~1946年
伊丹十三の父で映画監督。
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安倍普三氏
◆魂のルーツ◆ 其の5
【阿野廉子】 1311年~1359年 後醍醐天皇とともに数奇な運命を送った才色兼備の后。
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(魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:3名)
【ヨハン・H・レストック】 1692年~1767年
ロシア女帝エリザヴェータの愛人で勢力を振るった。
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【水野忠邦】 1794年~1851年 老中として天保の改革を行ったが失敗。
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【アーネスト・F・レロノサ】 1853年~1908年
日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史学者。
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安倍普三氏
◆魂のルーツ◆ 其の6
【淀君】 1567年~1615年 父母を死に追いやった秀吉の側室となった運命の女。
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(魂のルーツに至るまでの過程で登場する遍歴の魂:2名)
【マリア・Aゲーニヒスマルク】 1662年~1728年 容姿の美しさと教養を持って知られるドイツの伯爵夫人。
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【アーネスト・F・レロノサ】 1853年~1908年 アメリカの哲学者であるとともに浮世絵や日本画の復興に尽くし、日本文化の紹介に努めた日本美術研究家。(既出)
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安倍普三氏
〓安倍氏の系列魂〓:2名
〔成島柳北〕 1837年~1884年 漢詩人&随筆家で、のちに新聞を武器に自由民権を主張し政府を攻撃したジャーナリスト。
〔大隈重信〕 1838年~1922年 立憲改進党の結成や最初の政党内閣を組織した政治家で、のちの早稲田大学を創立。
安倍普三とダイレクトに結びつく魂のルーツ:3名
【カルル5世】1558年没 神聖ローマ帝国皇帝。
【吉川広家】 1625年没 戦国から江戸初期の武将で岩国藩祖。
【宇野浩二】1961年没 文学の鬼才と称された小説家。
オリエンタル銀河占星術で看る 「 如何なる星の下に・・・・」
如何なる星の下に・・・・・・〈オリエンタル銀河占星術〉
S・K様(男命)
19××(昭和×6)年××月××日
午後9時46分生まれ
あなたの宿命星は、蝎座のυ(ユープシロン)星のレサート星です。
レサートとは、アラビア語のアル・ラサー(蝎の針)からきた名で、S字状をした蝎座の尾の部分にあって、レスートともいいます。日本では「おとどい星」(兄弟の意味)といっています。
7月の中旬から下旬の夕方の南の地平線の近くに見える、蝎座の蝎の尾にある毒針の部分の星です。
【生涯運】
地味でよく働き、黙々とマイペースで目標を追っていきます。真面目で勤勉ですから生涯、衣食住に困ることはありません。善・悪両道に進む者もいる星ですが、いずれにしてもこの宿命星生まれは波乱の多い人生です。しかし、独立精神の強い星ですから、善意に事を進め、大きな組織でコツコツと働けば晩年は吉運に恵まれます。
【性 格】
気性は激しく、自分の信念、目標に向かって全精力を傾けます。素朴で飾りっ気がなく、お世辞もいえませんが、無口でよく働きます。根は真面目で親切ですが、自分の好きなことへの熱中度と、執念は高く、狙った獲物は逃しません。
頑固でぶっきら棒、偏屈でさえあり、ちょっと得体の知れない面もあります。
【健康運】
体形はガッシリしていて、丈夫で強い体力を持っています。あまり病気をしないので、突然の病気や事故などに対する抵抗力がないために、過信のあまりとんでもない結果を招くこともあります。
エネルギッシュによく働き、よく食べよく飲みますので、不摂生をしがちです。長命の相ですが、中年過ぎにポックリ病に襲われることもあります。
病気は脳、血管、心臓の循環器系、肥満からくる糖尿病に注意が必要です。
【仕事運】
元来、無口で無愛想な社交性の足りない人が多い星ですから、真面目にコツコツと地味に自分の好きなことに打ち込むのがベストです。
① 警察官、自衛官、レスキュー
②電子工学系のエンジニア、情報処理産業、技術者、建築や土木関係の設計士、造園業
③陶器、漆器、染物などの職人
④趣味を兼ねての古美術品、骨董品、刀剣類を扱うのも幸運を呼びます。
【金銭運】
実力もありよく働くゆえ、その働きに応じて着々と金を貯めるので、そこそこの財運はあります。
生涯、小金や衣食住には困らないのですが、自信過剰から独断的になりやすく、考えすぎと一人よがりのため墓穴を掘り、地位も財産もなくしてしまう可能性を内包しています。
また、狙ったものにこだわるあまり、高尚な趣味にのめり込んで、金をつぎ込んでしまうことも考えられますので要注意です。
一般的に地味で人付き合いもあまりよくないほうですから、無駄遣いもしないかわりに、大きな富を築くことはありません。
【愛情・結婚】
この宿命星の生まれは、愛情の表現があまり上手ではありません。無口でどこか野暮ったいタイプが多く、自分から「好きだ」とか「愛してる」などとはどうしても口に出していえず、相手にもどかしさを与えます。しかし、心の中は優しいロマンチックな気持ちでいっぱいです。
心に思った相手をとことん追い求め、孤独で少し偏屈な面もありますが、一筋が誠意となり最後は相手に通じます。真面目でテレ屋なので派手な浮気はできません。
結婚は比較的晩婚型ですが、結婚すればとても家庭的になります。
【セックス】
理知的で情感より理性の強い生まれですから、セックスをプレイや遊びとして考えることができません。しかし、本来セックスが嫌いなタイプではなく、その真面目そうな態度と苦みばしった渋さは、女性の魅力をそそります。
シンボルは勃起しない状態でも普通以上で、精力は強いでしょう。オーソドックスな性交を好み、体位も数少ないほうですが、時間は長く持つようです。 以上
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち
N・K様(女性)の魂のルーツは、ルネ・デカルトだった!
- ブライアン・L. ワイス, Brian L. Weiss, 山川 紘矢, 山川 亜希子
- 魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅
新・自分発見の旅・・・『秘術・前世探査開運法』
自分の魂のルーツを知り、今後の“生き方の道標”として活かす話題の開運法!
N・K様(女性) 〓有料鑑定分〓
1952(昭和27)年××月××日 東京都M区生まれ
はじめに
イスラエルに古くから伝わる白魔術の『秘術・前世探査開運法』を或るサイトで公開し、会員の方々を看て差し上げたところ、好評で「小説や映画などで何となく気になっていた人物だったが、魂のつながりがあると分かって納得した」「或る特定の国に強い憧れを持っていたが、自分がその時代に生きていたことが前世探査で分かり、是非、旅行してみたい」「一度も行ったことがない土地なのに、何となく惹かれていたが、やはりと思った」等々、前世探査の素晴らしさに驚かれ、好評でした。
この『秘術・前世探査開運法』は、私が産経新聞に在籍した折のこと、昭和56年に広島大学学歯学部の松島竜太郎名誉教授を取材したのが縁となり、以後お付き合いいただくことができたのですが、教授のライフワークである運命占術をはじめ、この『秘術・前世探査開運法』と『秘伝・折り紙によるダビデの星開運祈願法』『秘教・霊との対話』などを一子相伝の形で授けていただき、厳しい修行の末に会得したものです。
前世探査は、生年月日と名前、出身地(顔写真があれば更に良い)を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱後、時空を遡って、依頼者に成り代わって、依頼者の魂とつながりのある歴史上の人物を探査してくるものです。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。その生まれ変わりの度に、特定の人物から強い影響を受けたり、その人物自身だったり、または身内や親戚、一族であったり、主従・家臣の関係、また友達であったり同じ目的を持って行動したとか、人様々です。言葉を換えて言えば、あなたは、それらの人物の分魂であるわけです。
この分魂について少し解説しますと、樹木に譬えることができます。N・K様の場合、魂のルーツに当たる幹が1本あり、それぞれの幹から枝が伸びていますが、これが1本で遍歴の過程で登場する魂に当たり、これらとは別にN・K様の魂にダイレクトに結びつく魂のルーツが二つあります。
ところで枝からは沢山の葉っぱが生えていますが、この葉っぱが分魂ということです。ですから、この世にはN・K様と同じ魂のルーツを持つ人が沢山います。ただし、人それぞれ生年月日も名前も出身地も違いますので、当然、樹木の種類も本数も違います。また、同じ誕生月日であっても、生まれた年も関係してきますので、判明する魂のルーツも遍歴の過程で登場する魂、ダイレクトにつながる魂の数も違ってきます。
よく、生年月日が違うのに、魂のルーツの中に自分と同じ人がいるのは何故か?との問い合わせがありますが、複雑に絡み合っていますので、時々、何人か判明する魂のルーツの中には、一人か二人ほど同じ魂のルーツが登場することも少なくありません。ただし、同じ魂のルーツを持っている場合は、親近感を持ったり、気心が合い、付き合えば終生の友となります。 念のため、書き添えておきますが、判明した人物とどんな関係(本人なのか身内なのか、主従の関係か、友人か仲間であったのか)にあったのかは申し上げることはできません。もしそのことを明かすと、神界の掟を破ったことになり、次からは4次元の世界には出入りできても、5次元の神界ではシャットアウトされてしまいます。
今、流行のエンターテイメント系の前世占いは、ハッキリ言って、前世とは何ら関係のない人物の名を挙げていますが、この『秘術・前世探査開運法』はそれらの占いとは根本的に違い、実際に魂を跳ばして探し出すものですから、探査した私自身には依頼者と判明した人物の間柄や関係は判っていても、それをむやみに明かすことは出来ないのです。 尚、誰でも歴史上の人物の魂とつながっており、生き方や才能、気質、性格などを受け継ぎ、それにご両親の遺伝子が一つに融合し、依頼者の人格を形づくっているのです。
ところで、この『秘術・前世探査開運法』は、ご自分の魂のルーツをお知りになられただけでは、あまり意味がありません。一般的に占いがそうであるように一喜一憂してそれで終わりというのでは、折角の素晴らしいこの開運法をミスミス無駄にすることになります。 ほとんどの人たちは、ご自分の前世を知る機会がありません。N・K様は幸運にも、私を通じて幸せに導いてくれる開運法を手に入れられたのですから、ご自分の魂のルーツが誰であるかをお知りになられた以上、すぐにでも人物像を熟知するためにも、人物の伝記や物語、小説などの書籍を買い求められて繰り返し精読に努めてくださるようお願いします。そして、本を開かなくても人物の生涯をすぐ思い出せるようになった時点から、不思議なことですが霊験が発動して、自分一人では解決困難な問題や悩みが生じた時に、解決の糸口となるヒントや啓示が得られ、また、N・K様の守護もしていただけるようになります。
話は変わりますが、四柱推命術で依頼者の運命分析をすると、命式にはいろいろな吉星や凶星が表出されます。それに加え、吉凶神殺の運命因子には、当然、良い作用をするものもあれば悪い作用をするものもあります。その悪い運命因子を少しでも小さくし、反対に、良い運命因子を伸ばしていく優れた開運方法の一つとして、古今東西に「前世探査開運法」があり、その幾つかを挙げてみますと、インドに伝わるものや中国の道教によるもの、またエジプトやギリシャに伝わるもの、そして私の会得したイスラエルに古くから伝わる白魔術の『秘術・前世探査開運法』等々があります。
巷間に流布している開運法は数え切れない程たくさんありますが、ほとんどは高額なお金がかかりますし、かといって、効果の程は疑わしいものも結構あります。その点、前世探査開運法は本屋さんで買う書籍代ぐらいで済み、精読を繰り返すことにより、不思議にも霊験が発動して幸せの方向に導いてくれますし、守護していただける、勝れた開運法ともいえるものです。
この『秘術・前世探査開運法』は、冒頭にも述べましたように、私が昭和56年に広島大学学歯学部の松島竜太郎名誉教授とお会いしたのが縁となり、教授の教導のもとに幾度もの断食や滝行の厳しい修行の末、会得できたものです。いわば、教授のライフワークである運命占術をはじめ、この『秘儀・前世探査開運法』と『秘伝・折り紙によるダビデの星開運祈願法』『秘教・霊との対話』などを一子相伝の形で授けていただいたのです。
前世探査の方法は、先ず、入浴して部屋にお香を焚き、β波からα波になった(心が落ち着いた状態)てなったところで、依頼者の生年月日と名前、出身地(顔写真があれば更に良い)を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱後、時空を遡って、依頼者に成り代わって、依頼者の魂とつながりのある歴史上の人物を探査するものです。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。誰でも数え切れない生まれ変わりを経験していますが、そのほとんどが名もない一庶民で生を終えていますが、時折、歴史上に名を成す特定の人物と接点を持ったり関わり合いを持ったりして、それらの人物から強い影響を受けます。それは、その人物の身内や親戚、一族であったり、主従・家臣の関係、また友達であったり同じ目的を持って行動したとか、場合によっては本人自身のこともあり、人様々です。ですから言葉を換えて言えば、あなたは、それらの人物の分身であり分魂であるわけです。
前置きが長くなりましたが、お待ちかねのN・K様の前世探査に入ることにしましょう。N・K様は、どの時代に誰の魂とつながっているのでしょう。また、それらの人物からどんな生き方や才能、気質などの影響を受けているのでしょうか。
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いつものように、ひと風呂浴びて体をきれいにしたところで香を焚き、心が落ち着いたところで生年月日と名前、顔写真をしっかりと脳にインプットし瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり、時空を遡ってN・K様の魂のルーツである、歴史上の人物探査の旅に出発!
・・・・・・
4次元を過ぎて、やがて5次元の魂の世界へ飛翔し、N・K様の魂を探し当て同化し、次に、夫々の魂が肉体を纏っていた時代や古今東西の歴史の真只中に魂を跳ばし、本人であることの確認作業・・・。
全部の人物を探し終えて、ホッとしたところで急に意識が薄れ、直後に覚醒!
時計を見ると、瞑想から覚醒まで約30分ばかり経過していた。
気力・体力を使い果たし、相当のエネルギーを消耗したので一眠りしたいところだが、忘れないうちに速記文字で「前世手控えノート」に書き留めていく。
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今まで、長年に亘り、数え切れないほどの方の前世探査をしてきましたが、N・K様の場合は、生まれ変わり(輪廻転生)の回数が少なく、魂のルーツは一人で、その魂のルーツに至る過程で登場する人物は一人のみ。ただ、N・K様の魂にダイレクトに結びつく魂のルーツが2人いましたので、計4人となります。
以上が前世を探る様子です。では、判明した結果をお教えしましょう。
N・K様の魂のルーツ
【ルネ・デカルト】 1596年~1650年
名言『我思う故に我あり』で知られる近世哲学の父。
『方法序説』のなかに有名な「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)」の言葉を残した近世合理主義哲学の始祖で“近世哲学の父”といわれるデカルト。
精神の問題と肉体の問題を切り離した新しい思想態度と体系を確立し、以後の哲学に大きな影響を与えた。彼はまた幾何学に代数的方法を適用した数学者として知られ、物理学・解剖学にも大きな功績を残した自然科学者である。
デカルトはフランスのトゥレーヌ州ラ・エーの貴族の家に生まれた。イエズス会の学院で論理学・形而上学・自然科学などスコラ的教育を受け、大学では法律学・医学を学んだ。
論理の確実性と明証性のゆえに数学をもっとも好んだという。いろいろな学問に数学の分析的方法を用いることを思いたち「11月10日驚くべき学の基礎を発見」と記した。
ヨーロッパ各地に遊学し、光学などを研究。オランダで『宇宙論』を執筆したが、ガリレイの断罪問題が起こり公刊を断念。のちに『方法序説』を始めとする『第一哲学省察』『哲学原理』『情念論』などお刊行した。その間に神学者たちとの多くの論争を経験。
晩年クリスティーナ女王に招かれてスウェーデンに渡り、同地で没した。
魂のルーツに至る遍歴の過程で登場する魂:1人
【トマス・エディソン】1847年~1931年
蓄音機・活動写真の発明のほか、特許は1300種を持つアメリカの発明家。正規の学校教育を受けなかったが旺盛な知識欲を生かし、電信・電話の改良、蓄音機・白熱電灯・活動写真の発明など1300を超える発明特許で“発明王”と呼ばれた。
※トマス・エディソンは、N・K様の魂と直接につながり、魂のルーツであるルネ・デカルトにたどり着きます。つまり、N・K様の魂→トマス・エディソンの魂→魂のルーツであるルネ・デカルトとなります。
N・K様の系列魂:6人
ルネ・デカルトを魂のルーツとする歴史上の人物たち
・バーナード・ショウ 人生のための劇を目指しイギリス近代劇を確立した劇作家にして、社会主義運動に参加したノーベル文学賞作家。
・巌谷小波 創作童話第一号『黄金丸』以来、数百篇の童話を作り、国内外でのおとぎ話の口演や芝居を創始した児童文学の先駆者。
・トーマス・マン 『ヴェニスに死す』『魔の山』などの傑作を次々に発表し、第二次大戦中は民族・宗教・政治の相違を超えたヒューマニズムに基づく平和十字運動に携わったノーベル文学賞作家。
・坂口安吾 『堕落論』『白痴』で文壇の寵児となり、文明批評・歴史評論・歴史小説・探偵小説など各方面で活躍した。
・折口信夫 『民族芸術』を創刊した民俗学者で、歌人。
・牧口常三郎 創価教育学会(現・創価学会)を創立した初代会長。
・ボーヴォアール 「人は女に生まれない。女になるのだ」という名言で知られる“実存主義の女王”。
◆デカルトを魂のルーツとする人物には、思索と実践の人が多い。
N・K様の魂とダイレクトに結びつく歴史上の魂のルーツ:2人
【小早川 秀秋】 1582(天正10)年~1602(慶長7)年
関が原の闘いで徳川大勝利の一因をつくった戦国武将。
関が原の役では、初め西軍に属して松尾山に布陣したが、戦い半ばで東軍に内応、その功によって備前、備中、美作50万石に封じられた。安土桃山時代の大名。秀吉の妻である北政所の甥。はじめ秀吉の養子となり、金吾中納言と呼ばれるようになる。
文禄2年、小早川隆景の養子となって筑前、筑後、肥後で23万余石を領しm筑前名島を居城とした。
慶長2年には、総帥として朝鮮に渡海、みずから陣頭に立って敵を討った。この軽挙を秀吉に叱責され北ノ荘12万石に減封を言い渡されたが、徳川家康の奔走で実行されずに済む。
慶長5年9月15日、美濃国(岐阜県)関が原を囲んで、石田三成率いる西軍と徳川家康の東軍が、おのおの大軍を備えて対峙していた。
そのころ、松尾山に陣を敷く金吾中納言秀秋が徳川方に通じているとの噂が流れ西軍の中は動揺した。これを耳にした大谷刑部吉継は、病のため目が不自由になっていたにもかかわらず、秀秋のもとに駆けつけた。吉継は秀秋の手をしっかりとらえて、「何と情けなき金後殿のお心かな、太閤のご恩を忘れ、幼君を裏切ろうとは、かくなる上は貴殿と差し違えて死ぬべし」と涙を流した。秀秋は「なんの大恩を忘れる筈もない。とかく戦には流言飛語がつきものよ」と動じず、その上「もし、お疑いとあらば起請文を差し出すべし」と、熊野権現の午王札の裏に『如何なる野心も抱き候わず・・・』の神文・血判をし、吉継に渡した。吉継はようやく納得し、起請文を持ち帰って三成方の諸将に示した。ところがいざ合戦となるや、秀秋は、吉継が守る北国側の藤川台を真っ先に攻め立て、吉継は守りきれず自刃した。秀秋の裏切りで東軍は大勝利をおさめた。
この功で秀秋は備前・備中・美作(ともに岡山県)50万石を領したが、嗣子がないため改易になった。世の人々はこれを「大谷刑部の怨念」と噂した。 (関が原軍記より)
【フィリップ・F・シーボルト】 1796年~1866年
江戸後期に来日し、高野長英ら多くの俊才を育てたドイツの医師。
文政6年、オランダ政府より日本研究の依頼を受け、商館付医官として来日。翌年長崎郊外に鳴滝塾を設け、初めて臨床講義を行う。楠本タキを娶り娘イネをもうけた。文政11年、日本地図持ち出し(シーボルト事件)で翌年国外に追放される。安政5年再び来日。シーボルト事件の連座→天文方高橋作左衛門、眼科医土生玄碩、門下の高良斎、二宮敬作ら。 以上
追記 : 今後、外国旅行を計画されるのでしたら、N・K様の魂のルーツのフランスや、ドイツ、それにアメリカをお勧めします。この3カ国はN・K様の魂の故郷であり、いずれの地に降り立っても、何となく懐かしさを覚え、熱いものが込み上げてきて思わず一筋の涙が頬を伝うでしょう。
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私を通じて、N・K様は魂のルーツを知ることができました。ほとんどの人は自分の魂のルーツが誰であるか知る機会もありません。魂が肉体から離脱して、時空を遡って過去や未来を覗いてくることの出来る特殊な能力を持った人間は、日本では極く僅かです。
前世を看ることができるという霊能者や霊媒師は沢山いますが、ほとんどが5万とか10万とかのお金を要求します。しかし、こうした高額なお金を要求する霊能・霊媒師の場合は、神界の世界まで到達することはムリです。4次元の世界には行けても5次元の入り口でシャットアウトされます。折角、特殊な能力を持っているにも関わらず、金儲けの手段にしているケースがあまりにも多いからです。
私の場合は、あくまでもその人の幸せへ導くためのお手伝いとの気持ちでやっておりますので、お金が目的ではありません。一応、技術料・手間代として最低限の1万円は頂戴しておりますが、その人の暮らしが逼迫していると分かった時は、お金は一切戴いておりません。こうしたことも神界に入ることが許されているのだと思います。
ところで、検索サイトで「前世探査」とか「魂のルーツ」、「パール・やまぐち」、「やまんち」、「折り紙によるダビデの星」など、どれでもいいですから入力してみてください。実に多くのブログサイトやホームページ、掲示板に前世を看て差し上げた方々の結果が表示されます。
占いと違い、前世探査に入る場合、体調や気分の良い日でないと、瞑想してもうまく幽体離脱できません。やり方は、先ず入浴して体を清め、部屋にお香を焚いて心を静め、依頼者の生年月日や氏名、出身地などのデータを脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり異次元の世界へ。そして時空を遡って5次元の世界へ飛翔し、見渡す限り光の世界に乱舞する(半透明で泡状。一つひとつの球体に魂が入っている)魂に、依頼者のデータを元に思念を送ります。すると、幾つかの魂が感応し、瞬時に目の前に現れますので、間違いないか一応、同化してみるのです。私の魂が相手の魂にスーっと同化できれば、それが依頼者の魂のルーツであると確証できるのです。常識的に考えれば、「何をバカな! 」と思われますが、私たちの世界と5次元の世界は全く違いますので、一般の人には到底、理解不能です。
普通、瞑想してから覚醒まで約40分前後。覚醒した後、判明した人物たちをノートに控えていきます。一休みしたところで、今度は人物像を詳しく知るために「人物辞典」などで確かめて、ワープロもしくはパソコンに入力していくのですが、8000字から1万字にものぼる長文ですから、大変な作業であることはご理解いただけることと思います。
もう一度、申し添えておきますが、前世探査を好き好んでやっている訳ではありません。相当な時間を取られますし、覚醒後はどっと疲れが出ますからね。 しかもノートに書き留めたり、それを整理して今度はパソコンに打ち込まなければなりませんので、一人の方の前世探査に費やす時間は長時間に亘ります。でも、私のこうした行為が少しでも人々の“生き方の道標”となり、お役に立てるならお金に換えられない喜びです。
ところで私は、アメリカの眠れる預言者として有名なエドガー・ケーシーを尊敬しています。ケーシーは退行催眠で、依頼を受けた人物の過去生を看たり、体の中に入って、いろいろな症状を見つけて処方箋などをアドバイスしていますが、その的確さはどんな高名な医師も太刀打ちできず、皆、驚嘆しています。
また、エディソン(エジソン)が霊界とのコンタクトが出来るラジオを作ったのは有名な話ですが、現在の量子力学の世界では、霊について徐々に解明されつつあり、また、世界の多くの医師や精神科医、学者、深層心理学者などが輪廻転生の研究で、その現場からの臨床報告を次々発表しておられますので、私としては非常に喜ばしく思っています。
N・K様は私を通じて、“人生の杖”、“生き方の道しるべ”ともなるべき宝を手に入れたのです。是非、判明した上記の各人物像を熟知するよう努めてください。 他の人が読むのと違って何倍もの共鳴・共感を覚えるでしょう。 精読を繰り返し熟読玩味して本なしでも各々の人物像の細部まで思い浮かべることができるようになった時点から、不思議なことですが霊験が働いて、以後のN・K様の人生をあらゆるトラブルや災難から護ってもらうことができますし、いろいろな難題が襲ってきても啓示や閃き、解決の糸口などを得ることができ苦境から抜け出すことができます。
尚、科学的見地から生まれ変わりや前世を分かりやすく説いた、飯田史彦福島大学経済学部教授著『生きがいの創造』シリーズをご覧になることをお奨めします。『生きがいの創造』『生きがいのマネージメント』『生きがいの価値』『生きがいの教室』など何冊も刊行されていますし、最新刊の『生きがいの本質』(PHP出版)もお奨めです。この最新本には著者の肉声のCDも付いています。
以上
平成17年11月3日
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち
これが、四柱推命術で読み解く N・K様の運命鑑定だ!
N・K様(女性)〓有料鑑定分〓
生年月日:1952(昭和27)年××月××日 土曜日
出生地:東京都M区生れ(東経139°24′)
節入日:8日17時33分
旧暦:××月××日
27宿:氐宿生まれ
宿命星:天秤座のα星ズベン・エル・ゲヌビ(別名 キッファ・アウストラリス)
受胎年月日:1952年××月××日
宿妊年:辰→奇魂
宿妊月:丑1月→荒魂
宿妊日:奇魂 (27日 和魂)
運命数:27→9(平成17年運気:他運数8・自運数3)
生年霊座数:8
九宮紫白盤:生年→三碧木性、生月→六白金性、生日→六白金性。
【推 命 式】
年柱 29 壬水辰土 戊 正官 偏官 衰○8p(冠帯◎10p) 空亡
〓冲〓
月柱 47庚金戌土 丁 正財 比肩 養○6p(墓△5p) 魁罡
日柱 34丁火酉金 辛 ―― 偏財 長生◎9p(死●2p) 天官・福星・文昌貴人 咸池
胎月:辛丑
空亡(算命術では天冲殺という):辰・巳の年月日。この命式では年柱が空亡されている。
三災八難の年:
・入る厄→寅年
・座る厄→卯年
・出る厄→辰年
参考:四柱の意味
年柱 → 人生の根となり祖父母の座。祖先、主人、目上。初年期。境遇、親の恩恵。
月柱 → 人生の幹として父母の座。兄弟姉妹、友人、同僚。青年期。運勢。
日柱 → 我が身の人生の座で、人生の花。自分。夫・妻。壮年期。結婚生活。
時柱 → 我が身のお子供の座となり、人生の実。子・孫、召使、部下。幼年期と晩年期。経済面、健康面。
【鑑定データ】其の1
五行の数(生時不明につき三柱のみ)
木0
火1(日主)
土2
金2
水1
〈エネルギー指数〉
木 5
火 12 日主:朱雀型
土 6
金 10
水 8
【鑑定データ】其の2
調候用神:甲
喜神:庚・戊
開運干:丙
元命:比肩
日干「丁」と月支「戌」の関係は弱
吉の五行:木と火 凶の五行:金と土
【大運表】逆旋3年3ケ月 ( 立運迄:3歳3ケ月)
親 運 生まれた時~ 3歳3ヶ月 庚戌 正財・ 胎 ▲ 3p
第一運 3歳4ヶ月~13歳3ヶ月 己酉 食神・長生◎ 9p 西方金局
第二運 13歳4ヶ月~23歳3ヶ月 戊申 傷官・沐浴▲ 7p
第三運 23歳4ヶ月~33歳3ヶ月 丁未 比肩・冠帯◎10p
第四運 33歳4ヶ月~43歳3ヶ月 丙午 劫財・建禄◎11p 南方火局
第五運 43歳4ヶ月~53歳3ヶ月 乙巳 偏印・帝旺◎12p
第六運 53歳4ヶ月~63歳3ヶ月 甲辰 印綬・ 衰 ○ 8p
第七運 63歳4ヶ月~73歳3ヶ月 癸卯 偏官・ 病 ▲ 4p 東方木局
第九運 73歳4ヶ月~83歳3ヶ月 壬寅 正官・ 死 ● 2p
第十運 83歳4ヶ月~93歳3ヶ月 辛丑 偏財・ 墓 △ 5p
第十一運 93歳4ヶ月~ 庚子 正財・ 絶 ● 1p 北方水局
〓日主「丁」と十干対照 変通星〓
偏印と印綬は日干「丁」を生じる星で、力を与えるので日干にはプラス。
・甲 印綬〇(印星)偏印の兄弟星。実母、名声、芸術、信用、自己中心、
・乙 偏印×(印星)食神を剋す。義母、孤独、技術、学芸、機敏、
比肩と劫財は日干「丁」と同じ星で、日干の力となり日干「丁」にはプラス。
・丙 劫財×(自星)比肩の兄弟星で財星を剋す。義兄弟、自分本位、
・丁 比肩△(自星)財星を剋す。自分自身、身内、同僚、独立、競争
食神と傷官は日干「丁」が生ずる星であるが、一面では日干の力を泄らす星。
日干の精気がもらされるので、相手には良いが、日干にとってはマイナス。
・戊 傷官×(泄星)食神の兄弟星で正官を剋す。失権、衝突、学芸、
・己 食神〇(泄星)女命にとって子供の星。食禄、財産、寿命、技術、
偏財と正財は日干「丁」から剋される星。日干が剋しにいき、日干も弱まる。財は相手を剋さないとできない。
・庚 正財〇(財星)偏財の兄弟星。身につく財、父、妻、慎重、商工業、
・辛 偏財〇(財星)男命では女性の星。金銭(流通する財)、父、母、商業、
偏官と正官は日干「丁」を剋す星。日干を剋してその力を弱めるのでマイナス。官の勤めは自分を剋され、苦労してはじめて昇進の途が開かれる。
・壬 正官〇(官星)偏官の兄弟星。職業、相続、夫、
・癸 偏官×(官星)比肩(自分)を剋し、七殺ともいう。男命にとっては子供の星。敵、職業、勤め人、夫、
〈変通星の吉星と凶星の関係〉
吉星は剋をきらい、凶星は剋を喜ぶ。
× 比肩→偏財 〇 偏官→比肩
× 偏印→食神 〇 偏財→偏印
× 劫財→正財 〇 食神→偏官
× 正財→印綬 〇 印綬→傷官
× 傷官→正官 〇 正官→劫財
〓日主丁と十二支対照 誘導十二運星〓
日干から四柱の十二支に対してどんな力をあらわすか、その根の深さを見るためのもので、変通星と関連して宿命や性格の強弱を見る。
子の年・月・日 絶● 1p 後世 旅立 死 四衰(弱勢)× 破門天
肉体が滅して無となる。業績も忘れられる。しかし、その霊魂は新しい生命に入り、生まれ変わる。極衰、浮沈、断絶、破産。
丑の年・月・日 墓△ 5p 後世 入墓 死 四平(小勢)△ 大墓殺
土に還る。「庫」ともいい、落日残照の様子。貯蓄、保守的、孤独、離家。
寅の年・月・日 死● 2p 後世 死者 死 四衰(弱勢)× 亡命殺
身体の活動停止。次代の子が代わって活動する。制止、静止、不決断。
卯の年・月・日 病▲ 4p 現世 病人 休 (弱勢)× 凶
病弱となる。世代交代、温情、内向、衰退。
辰の年・月・日 衰○ 8p 現世 老人 休 (小勢)△ 空亡
気力・体力が衰える。温厚、妥協、不安定。
巳の年・月・日 帝旺◎12p 現世 頭領 旺 (強勢)◎ 真空亡
成功して人生の頂上へ。独立、頭領、浪費。
午の年・月・日 建禄◎11p 現世 壮年 旺 (強勢)◎
成人となり食禄につく。穏健、発展、財運。
未の年・月・日 冠帯◎10p 現世 青年 旺 (中勢)〇
元服して世に出る。名誉、成功、向上心。
申の年・月・日 沐浴▲ 7p 現世 子供 相 (弱勢)×
裸になる。産湯を使う。不安定、色情。
酉の年・月・日 長生◎ 9p 現世 赤子 相 (中勢)〇
人が生まれた時。発展、福寿、
戌の年・月・日 養○ 6p 前世 胎児 囚 (小勢)△
母体に養われる。発展、養子、分家、色情。
亥の年・月・日 胎▲ 3p 前世 受胎 囚 (小勢)△
霊魂は再び体内に入り、新しい生命が宿る。光明、変転、希望、進展。
【N・K様の今後10年間の運勢】
大運 乙巳 偏印・帝旺
年運 平成17年 22乙酉 偏印・長生◎ 9p 運勢天気図:晴れ
→ 自分を無理に主張しすぎ、思わぬ大波にさらわれてしまう運気です。もともと私たちの力や人気は、自分の力でなく人々に支えられ、波に乗るなら波に乗っているわけですから、それを忘れると、身内から警告されたり裏切られたりしても仕方ありません。
時代の変化や大衆の好みなどという、逆らえない大波にうまく対抗していくためには、できるだけ多くの人の協力が必要です。それなのにこの星廻りになると、人はどうしても自分を出しすぎ、この大波にさらわれる危険を冒してしまうのです。
尚、学術・技術の世界では、努力の成果が上がる年です。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成18年 23丙戌 劫財・ 養 ○ 6p 天徳貴人 運勢天気図:曇り
→ 一言で言えば、身内や親しい者が分裂する運気です。家庭内では夫婦間に危機がおとずれ、恋愛関係も、相手の側にもっといい人が現れて、壊れやすい雲気です。いわゆるフラれたという状態になるわけですが、こちらの落ち度というよりは、相手方の事情によるものなので、なんとも手の打ちようがありません。
これは仕事面でも同様で、親しい取引先の経営不振が原因となり、こちらが経済的にピンチに陥ったり、仲間割れが生じたりします。
夫婦、恋人、親しい仲間といった、自分のもっとも身近な足元から分裂が始まるので、その結果はジリ貧です。自分一人であがいてみても仕方ないので、しばらく静観するしかありません。ただ、この年は天徳貴人という吉神が巡ってきますので、上記のような凶作用の働きをある程度はおさえてくれ、反対に吉運を得ることができますので、頑張ることです。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成19年 24丁亥 比肩・ 胎 ▲ 3p 運勢天気図:曇り
→ 珍しいもの、新しいものにツイていて、そうした新しいもので勝負できる運気です。
職業、環境が一変しやすく、極端な場合は、長く続いた家業まで変えてしまうこともありますが、それだけに仕事のうえでは、企画、製品、商法に新機軸も生まれやすく、成功に結びつきます。
思い切って、奇抜なスタイルやファッションで飾ってみるのもいいでしょう。これまで予想もしなかった宇宙人のような人と出会って、恋をしたり結婚したりすることになるかもしれません。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成20年 25戊子 傷官・ 絶 ● 1p 運勢天気図:どしゃ降り
→ 嵐の海に、岸を離れて流されてしまった船のような運気です。助けを求めて岸に近づくと、かえって岸壁に船を衝突させて、木っ端微塵にしかねません。岸の仲間たちも、もう助け船を出すのは無理になり、孤立と不安の航海になります。
仕事でも人間関係でも、時々ふっと救われるかのような灯台の光が見えますが、また見えなくなってしまいます。こういう運気の中では、気を落ち着けて時の過ぎるのを待つか、いっそのこと近い岸は諦めて、遠い新天地を求めて、舵を切りなおすかです。いずれにせよ、こうした試練を頭を低くして未来につなぐ気持ちになれば、いずれ大きな漁場を発見し、大きな収穫をあげることができます。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成21年 26己丑 食神・ 墓 △ 5p 運勢天気図:雨降り
スパイラル波動期間(吉凶に関わらず、注目に値する出来事が起こる注目の時)
→ 倉庫にはいっぱいに物がつまっているのに、それを開ける鍵を持った人が眠っていて開けられないという運気です。
仕事で言えば、せっかく惜しい才能を持っていながら、覇気がなくてその才能を生かせない、平凡な生活に安住して、活気がないということになります。あなた自身が一歩踏み出して、鍵で扉を開けないことにはどうしょうもありません。
夫がいれば、夫に対する欲求不満になってあらわれます。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成22年 27庚寅 正財・ 死 ● 2p 運勢天気図:どしゃ降り
スパイラル波動期間(吉凶に関わらず、注目に値する出来事が起こる注目の時)
→ 自分をとり囲む環境・状況が極端から極端へ大きく波動し、それに翻弄される運気です。気を緩めていると、急に緊張させられ、逆に緊張していると、いつまでも間のびして弛んだ空気が漂っているといった具合です。
仕事も財運も、いい時と悪い時の差がありすぎ、心の休まるヒマがありません。男女関係もバラツキが多く、相性のうえでも当たり外れが極端なので、ここでも緊張を強いられます。
この運気に翻弄されるのを少しでも防ぐには、やはり波動のリズムをあらかじめ知って、海岸の波にあわせて乗るように、ある程度波に乗ることです。緊張の時は緊張し、弛緩のときは弛緩すればいいのです。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成23年 28辛卯 偏財・ 病 ▲ 4p 運勢天気図:曇り
天徳合 スパイラル波動期間(吉凶に関わらず、注目に値する出来事が起こる注目の時)
→ 仕事に好不調の波が大きく、とくに目下や部下のために心身ともに酷使する運気です。
目下や部下が転職を考えたり、上役に不満を抱いたりするのを放ってはおけません。
仕事が不調なときほど、部下たちは不平を抱きやすく、そのためにさらに仕事が順調にいかなくなるのです。
部下以外の身内・家族、それかあなた自身も病床につく恐れがあります。
家計のやりくみに悩んだり、身内の世話で心身ともに疲れることも起こります。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成24年 29壬辰 正官・ 衰 ○ 8p 空亡年 運勢天気図:曇り
→ 活力・財力が少しづつ減っていくのを食い止める力をもっているのが、この運気です。
これまで現状に満足し、長い間ほったらかしにしておいたものは、当然時代遅れになったり故障したりします。しかし、やり直し、つくり直せば、かなり元に復せるのです。
盛りを過ぎた衰え気味の運気も、相応しい相手を選ぶことで元に復せます。
あれやこれやで、とにかく気力さえ持ち直せば、生活はまた拡大・充実します。
この年は、目下の男性か活力の弱い男性と結びつく暗示があります。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成25年 30癸巳 偏官・帝旺◎12p 空亡年 運勢天気図:晴れ
→ 実力は十分にあるのですが、新しい環境に馴染まず、あるいはライバルのために実力が十分に発揮できなくなる運気です。
よく、前の部署で能力を発揮して活躍していた社員が、新しい部署へ移った途端、鳴かず飛ばずになる、そんな時期です。仕事内容がそれほど変わったわけではないのにこうなるのは、まさにこの運気のせいです。
大運 甲辰 印綬・衰
年運 平成26年 31甲午 印綬・建禄◎11p 運勢天気図:晴れ
→ 堅実な仕事だけが脚光を浴びる運気で、インチキや悪は、陽の光に焼かれて追い払われてしまいます。一見派手に見える仕事のなかには、時々インチキまがいのものがありますが、そうしたものはいくら美味しい話を仕掛けてきても、この運気のもとでは決して魅力的には見えず、むしろ正体が見えてくるものです。
大切な取引は、この運気の力を借りるといいかもしれません。インチキ業者は、仕事や生活の場を無理に広げようとすると崩れます。むしろ正しいことも、もっと積み上げられる時期なのです。
【鑑 定】 運勢傾向・性格・気質
優しさと明るさが表面に現れません。落ち着いて見えるというよりも、暗い印象のほうが時として現れやすいようです。内面では妙な自信があり、人の意見に耳を貸さないこともあります。用心深く努力を重ねることは良いことですが、頑固で疑り深い面は欠点です。
自分を殺して殻に閉じ篭りやすい面もあるようですが、何の役にも立ちません。あなたが持っている明朗さを、地味でもいいですから、もっと表面化させることです。
優しさも心の底に持っているだけでは、誰にも解かりません。他人に解からない美徳は、あなたの場合は無意味です。優しい言葉遣い、明朗な振る舞い。多様性溢れる才能、それらを社会のために活かす努力をするべきです。
色彩感覚の素晴らしさ、繊細な神経、芸術家肌の性状、あなたが発揮しなければならない美点は多いのです。それらを今の社会は、世界は待っています。毎日の自省の中で、あなたの美点を自分の心に刻み込むことです。あなたの微笑を、社会に向けた時から、社会もあなたに微笑みます。
金銭面ではトラブルが比較的多いようです。財に関しての計画性に欠けるからです。こまめなあなたですが、肝心なところで大事なことを漏らしてしまうようです。活きたお金の貯蓄の仕方と使い方を学ばなければなりません。そこから財運は開けてきます。
もともと明朗、快活なさっぱりとした湿り気のない性格の上に、打てば響くという人の良さがありますが、世間の風評にはほとんど無頓着です。
虚飾のない素朴さで、あっさりした嫌味のない性格で、反体制にまわるほどの気概を抱いているわけではありませんが、社会や周囲におもねるふうでもなく、頭でいろいろ考える前に行動に出るタイプです。
周囲の誰にでも、当たり障りのない交際を基本とし、常識や権威を尊重し、誠実でコツコツと働き、オーソドックスを好みます。
もともと人の和を重視し、幅広い理解力と融通性を持った人柄ですが、やや律儀に過ぎるようです。人前をよくしたり、はったりをきかせるような押しの強さは感じられません。
責任感が強く、他人の面倒もよくみますので、一定社会の中では、大黒柱的な存在として頼りにされます。さっぱりとした性格だけに友人層も広いでしょう。
適職;呉服洋品関係、ブティック、寝具店、貴金属、花屋、画商、ブックストアー、保険や化粧品のセールスマン、コンパニオン、牧場などに向いています。
病質:(1)呼吸器系統、心臓、血圧関連、神経過敏によるノイローゼ。 (2)動脈硬化、脳軟化症、小腸、皮膚病。
開運色:青、緑、赤、橙、紫、藍色系統。
開運石:赤いルビー。
開運場所:太陽の眩しい場所、そのイメージ。森林、牧場、緑の豊かな場所。 以上
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち
K・T様の魂のルーツの一人は、聖徳太子だった!
歴史上の人物から魂のルーツを探る! 『秘術・前世探査開運法』
☆“魂のルーツから生き方や才能・気質を知り、人生の道標として活かす、イスラエルに古くから伝わる秘儀!
K・T様(女命) 〓有料鑑定分〓
19××(昭和××)年××月××日生まれ
出生地:山口県。顔写真有り。
はじめに
私は、今まで20幾つものものホームページや掲示板に書き込みをしておりました。その中の或るサイトで、『秘術・前世探査開運法』を幾人かの方を対象に、看てあげましたらところ、半分ぐらいの方は半信半疑のようでしたが、そのような方々でも折角だからということで、前世探査で判明した人物について書かれた書籍を歴史小説を読むような軽い気持ちで読み始めたところ、皆さん、今まで経験したことがないほど共鳴・共感し、夢中になって読み耽ったそうです。以後は繰り返し精読したり、主な箇所はノートや手帳に書き写されたりして、人物像を細部までしっかりと覚えられた、とのコメントをメールでいただきました。しかも、私のアドバイスの通りに、毎夜、就寝前にその人物をイメージし、心の中で静かに語りかけたり悩みや困りごとの解決のヒントを得たいと念じたら、不思議なことに啓示を得られたり、日中、フッと解決の糸口となるヒントや閃きを得られた、という嬉しいメールを何通もいただいたのです。
尚、書き写すということは、何を覚えるにしても大変に効果のあることで、それだけ覚えるのが早くなります。私の場合は、昔、早稲田式速記の講座を取り寄せて、新聞や雑誌、本などを速記で書き写し、それを日本語に清書して間違いがないか原文と照らし合わせておりましたので、書き写すということは時間はかかりますが、何度も繰り返して暗記するよりも、記憶する手段としては最も効果があると思っています。これは、私が昔から実践していることで、例えば、歴史を覚えるにしても、只単に歴史の年号を記憶するだけに止まらず、人物像をしっかりと記憶するためにも要所々々は書きとめていくことですね。是非とも、魂に繋がりのある人物をお知りになられたら書籍を購入され、精読と書き写すということを実行していただきたいと思います。
さて、K・T様がどんな歴史上の人物から影響を受けて此の世に生まれてこられたのでしょうか。
いつものように、ひと風呂浴びて体をきれいにしたところで香を焚き、心が落ち着いたところで、K・T様の生年月日とお名前をしっかりと脳にインプットし瞑想し、過去に遡って小林周子様の魂のルーツである歴史上の人物探査に。ほどなくして幽体離脱!
時空を遡って四次元・五次元の異次元の世界にタイムワープし、また歴史の真っ只中に魂を跳ばし探査を続けたところ、K・T様の魂のルーツと遍歴の過程で登場する魂、それに系列魂を探し当てることができました。覚醒して時計を見ると瞑想に入ってから40分程を経過していました。
魂のルーツや遍歴に至る過程で登場する魂の数は、人によって違いがあり、少ない人で7人、多い人になると18人前後は判明します。
探査の数が多いほど覚醒後の疲労感が大きくなり、一眠りしたいところですが、忘れないうちに速記で書き留めることに。
その結果、K・T様は魂のルーツが4人、ダイレクトに繋がる人物が2人、遍歴の過程で登場する人物が9人の計15人でした。
K・T様は15人の歴史上の人物の分魂・分身にあたり、夫々の人物から生き方や気質、才能、性格などの影響を受け継いでいることになります。それらの人物とご両親から受け継いだ遺伝子が一つになってK・T様の人格を形成しているということです。
ここで分魂や系列魂、兄弟・姉妹魂について、ちょっと説明しておきます。人は誰でも神の分け御霊であり仏性を備えていますが、この分け御霊と似たようなものであると思ってください。樹木で喩えますと、幹に幾つもの枝が伸び、枝には葉っぱがつき実が生っていますね。それと同じことで、K・T様の場合は、幹が4本(魂のルーツ)あり、その幹から沢山の枝が伸びています。世間には、K・T様と同じ魂のルーツを持つ人がたくさんいますが、枝が違えば分魂・分身ではなく、系列の魂ということになります。枝には多くの葉っぱが付いていますが、その葉っぱの一枚がK・T様であり、同じ枝の葉っぱが兄弟・姉妹魂ということになります。
この枝が遍歴の過程で登場する魂(人物)にあたります。
また、4本の幹とは別に、K・T様様は2本の幹(ダイレクトにつながる魂)があるということです。これらの幹や枝を大きくし、きれいな葉っぱをつけ実を実らせるのは、ひとえに土壌の良し悪しにかかっています。ここで言う土壌とは、K・T様の日々の生活態度や言動、表情、思考・感情、努力、それに食事の摂取等を指し、これらにより、幹や枝への養分の供給が変わってくるということです。
人は皆、夫々、7人から18人前後の歴史上の人物から分魂を受け継ぎ、生き方や才能、気質などの影響を受けていますが、それを大きく花開かせるのも蕾みのままで終わらせるのも、K・T様の日頃の努力や周囲に与える顔の表情、言動、思考・感情、食事の仕方でK・T様の人生模様を作り出していきます。
K・T様がどのような宿命を持って此の世に生まれてきているかは、K・T様の出生地(東経・緯度)と生年月日、それに名前の3つで看ることができます。それと言いますのも、生年月日時には、K・T様が生まれる前に、自分の守護天使と相談して作成した“人生の青写真”が織り込まれていますので、出生地と生年月日と名前の3つを総合的に看ていくと、炙り出しのように小林周子様の運命因子が次々と浮かび上がってくるのです。
運命因子には、当然、良い作用をするものもあれば悪い作用をするものもあります。その悪い運命因子を少しでも小さくし、反対に、良い運命因子を伸ばしていく優れた開運方法として、前世を手がかりとした『秘術・前世探査開運法』が役に立つのです。
では、以下に前世探査で判明した人物についてお教えしますが、その人物について書かれた書籍を購入していただき、毎日、時間を割いては精読して人物像の細かいところまで熟知してください。つまり、その人物については俗に言う“オタク”的と云われるぐらいに、その人物のことなら何でも熟知するほどまでになっていただかないと、ただ単に人物の名前を知っただけでは意味がありません。“人生の杖”として、また、より良い人生に向かうための開運法ですので、実行していただいてこそ、或る日を境に霊験が得られ、啓示が得られるのです。また、事故や災難から守護していただける素晴らしい人生の羅針盤ともなる秘術です。
☆K・T様の魂のルーツ:4人
・斉藤道三
斉藤道三に至る遍歴の過程で登場する魂:2人
→ 鹿持雅澄 1791年~1858年 万葉集の研究に努め、皇朝学を唱えた江戸後期の国学者で歌人。
→ 戸坂 潤 1900年~1945年 日本マルクス主義思想の第一人者。
・織田信長
織田信長に至る遍歴の過程で登場する魂:2人
→ マルキド・サド 1740年~1814年 サディズムの名称を生んだフランスの作家で、生涯の大半を牢獄で過ごした。
→ ジョゼ・マンモル 1818年~1871年 『アマーリア』を書いたアルゼンチンの小説家で詩人。
・聖徳太子
聖徳太子に至る遍歴で登場する魂:4人
→ シャルル7世 1403年~1461年 王権の確立に努めたフランス王。
→ アンソニー・シャフツベリ 1621年~1683年 王政復古に尽くしたイギリスの政治家。
→ ジョン・フィッチ 1743年~1798年 アメリカの蒸気船の発明家。
→ <b>ヘルマン・ヘッセ</b> 1877年~1962年 小説『車輪の下』のスイスの作家でノーベル文学賞を受賞。
・セルバンテス
セルバンテスに至る遍歴の過程で登場する魂
→ルギエーロ・レオンカヴァロ 1857年~1919年 当時の自然主義を反映する歌劇様式ヴェリスモの代表作『道化師』をつくったイタリアの歌劇作曲家。
☆K・T様とダイレクトにつながる魂のルーツ:2人
茶屋小四郎
岡田寒泉
☆K・T様の日本以外の輪廻転生先:6ヶ国
フランス2、アルゼンチン、イギリス、アメリカ、スイス、イタリア。
魂のルーツ 其の1
【斉藤道三】 1494年~1556年
油売りから独力で国盗りを成し遂げた“美濃の蝮”と称された人物。
斎藤道三は、京都妙覚寺に入門し、“知恵第一の法連坊”とうたわれながらも油売り商人に身を転じ、さらに美濃(岐阜県)守護土岐氏の家臣となります。
目的達成のためには手段を選ばず、下克上を繰り返して成り上がり、遂には美濃国の乗っ取りに成功した一代の梟雄でした。
一代の梟雄となった斎藤道三。しかし、仁義なき非情な性格や狙った獲物は逃さず確実に射止めることから“美濃の蝮”の悪名が付けられ、長良川の合戦でわが子義竜に討たれて戦死するその生涯はまさに壮烈そのものでした。
司馬遼太郎の小説『国盗り物語』の主人公として知られ、また、NHKの大河ドラマや松平健主演でもドラマ化され好評でした。
『信長公記』にあるエピソードは有名で、それには、道三の娘の帰蝶が、当時“尾張の大うつけ”と噂されていた織田信長に嫁いで5年目のこと、どんな男か知っておきたいと申しでて道三が対面した際、信長の隠された彼の非凡さを見抜き「わが子たちはやがて信長の軍門にくだるだろう」とあります。
道三の死、そして義竜の後を継いだ竜興を滅ぼすことによって信長の美濃進出が可能となり、天下盗りの夢が広がっていったのでした。
この斉藤道三の魂を受け継いでいる人には、覇権を称えた人物が数多く出ています。フランス皇帝のナポレオン三世、ルーマニア王のカロル一世、立憲政友会総裁で内閣総理大臣になり、5.15事件で殺害された犬養毅、ナチス総統のアドルフ・ヒトラー、アメリカ大統領のリチャード・ニクソン等々。
上に挙げた錚々たる顔ぶれの人物とは類魂となりますので、彼らの書籍も併せてご覧になることをお奨めします。特に、注目すべき類魂であるヒトラーの『我が闘争』は、一度は目を通していただければ、共感・共鳴を覚えることでしょう。
下級税関吏の子として生まれ、少年時代に両親を失い、肉体労働やペンキ工などで生計を立てたのち軍隊に入り、第一次世界大戦後、めきめき頭角をあらわし、ナチスの党首から首相・総統となってドイツに独裁政治を敷き、第二次世界大戦を引き起こし、一時はヨーロッパ大陸に君臨した男。彼の人生は道三に勝るとも劣らない壮烈さに満ちております。
魂のルーツ 其の2
【織田信長】 1534年~1582年
猛然と天下布武への道を突き進んだ稀代の天才風雲児!
自らを神と号したカリスマ性を持ち、中世的権威をことごとく破壊した革命児、合理主義に徹したリアリストといわれ、時代を見通す先見力で近世の扉を開いた天才的武将・織田信長。
尾張(愛知県)の小大名が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破り、将軍足利義昭を追放、比叡山を焼き討ち、一向一揆を平定、武田氏を滅ぼし、猛然と天下布武への道を突き進み、すべてを手中にしようとした矢先、家臣明智光秀の反逆により京都本能寺であっけない最期を迎えた。時に49歳。彼が好んだ幸若舞『敦盛』の詞「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢幻のごとくなり」のように。
青年時代は奇行がはなはだしいエピソードが伝えられているが、信長は新しいタイプの武将であり、偉大な政治家であった。常備軍の創設、日本で初めて鉄砲を大量導入するとともに、長篠の戦いにおける三段式装填法や馬防柵の画期的アイデア、商工業の繁栄と流通を妨げる関所の撤廃や道幅を決め並木を植えた道路整備、楽市の設置や座の廃止など、彼以前の武将には考えもつかないユニークな施策がいくつもみられる。独裁者で、敵に対して徹底的な攻撃を行った。
魂のルーツ 其の3
【聖徳太子】 574年~622年
多くの伝説に彩られた飛鳥時代の偉大なる哲人政治家。
用明天皇の皇子で,母が宮中の馬小屋の前に来たとき生まれたとつたえられ,厩戸皇子とよばれた。593年,20歳でおばの推古天皇の摂政(天皇の代理)となり,大臣の蘇我馬子*と協調しながら政治を行った。太子の願いは,豪族たちの争いをやめさせて天皇中心の強力な国家をつくることにあり,冠位十二階*を定めて有能な人材を役人に登用したり(603年),十七条の憲法*で豪族や役人の心がまえを説いた(604年)。また,小野妹子を遣隋使*として中国につかわし(607年),隋と対等の国交を開き,大陸の文化や制度を移入した。
太子はまた,仏教を深く信仰し,これを日本でもさかんにしようとして,594年に仏教興隆の詔(みことのり)を出した。そして,四天王寺*や法隆寺*をたてる一方,経典を研究し,「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書をあらわした。太子の仏教奨励策の結果,都のあった飛鳥地方(奈良盆地の南部)を中心に,すぐれた仏教文化がさかえた。 → 飛鳥文化
魂のルーツ 其の4
【セルバンテス】
奴隷生活や投獄など人生の辛酸を舐めた大文豪。
1547年、ミゲル・セルバンテスはマドリッドの北東にあるアルカラ・デ・エナーレスという大学街に生まれました。父親は外科医。しかし耳が聞こえず、更には正式な免状を持たない、そんな絵に描いたような喜劇役者っぷりな医師だったので、当然のごとくセルバンテス一家は貧乏でしたので、患者を求めて、各村々を転々とする、そんな生活を送っていたのです。
そんな訳でセルバンテス、正規の教育は殆ど受けてません。しかし幼少の頃から、字が書いてあるモノなら道端に落ちている紙切れでさえ、必ず拾って読む程の読書家だったと言われています。
どんな経緯があったのかは分かりませんが、69年に人文学者ロペス・デ・オーヨスが編集したフェリ~ペ2世の王妃追悼の散文集には、セルバンテスの3編の詩が収められています。
1569年、セルバンテスはトあるツテを頼って、栄華咲き誇るルネッサンス文化真っ只中のロ~マに渡りました。暫くの間はアックワブィブァ枢機卿の侍僕などをして食いつないでいたようです。しかし血気盛んな若者故に、大きな大志を抱いてイタリア軍に志願入隊します。セルバンテス22歳の春でした。
1571年、史上三大海戦の1つでもあるレパントの海戦で、セルバンテスはトルコ軍を相手に勇敢に戦い、地中海におけるイスラム勢力撃退に貢献する大勝利の立役者となりました。しかしその海戦で胸と左腕を火縄銃で撃たれ、
胸の傷はかろうじて癒えたものの左腕は硬直し、彼の言葉を借りるなら、
「右手の名誉をあげるために」彼の左手は生涯きかないモノとなりました。
それでも彼は軍人として生きる事を誇りとし、諦めず、再び戦場へと舞い戻りました。
そんなセルバンテスの戦功は認められ、彼は一躍時の人、英雄となりました。
1575年に同じイタリア軍に居た弟のロドリゴと一緒にナポリからガレ~艦ソルにのって、故郷スペインへ錦を飾る旅に出た時、彼の勇敢を称えに称えた
王弟の提督ドン・フワン・デ・アウステゥリアの感謝状、推薦状を手にしていた程です。つまり英雄として故郷スペインにおけるセルバンテスの栄華は約束されていたのです。ところが、スペインの大地を目前にして、セルバンテスの乗った船はトルコ小艦隊に遭遇してしまいます。小競り合いの後、彼等は捕虜としてアルジェリアの首都アルジェに送られてしまいました。そんな逆境の中でも、セルバンテスの反骨精神、不屈の闘志は衰えを知らず、他の囚人を煽っては脱出を試みます。
1580年には当時ちょうどアルジェに居た母国バレンシア商人達に、60人を乗せる事が出来る小艦を用意させ4回目の脱走を試みます。しかし寸での所で裏切り者に密告され失敗してしまいます。そんなこんなで死刑の危機にも瀕しますが、常に仲間をかばうその豪胆さが、敵にさえも敬服の念を抱かせ、辛うじて生き延びるコトが出来たのです。身代金による解放のチャンスも、
スペインに妻と子供を残してきた弟に譲っています。
セルバンテスにとって、そもそもの不運は、彼が所持していた推薦状でした。
これは帰国後の宮廷での地位を約束するモノではあったのだけれど、捕らわれの身となってしまった今では、ただタダ身代金を吊り上げる為の紙切れでしか無かったのです。セルバンテスはスペイン国王に身代金を払ってくれるように再三手紙を出します。しかし全くナシのツブテ。スペイン国王に限らず、都合の悪い時には無視するのが正式な国王のあり方です。
どこまでも反抗的な彼は、両手足を鎖に繋がれ、ついにはトルコへ送られる手筈が整えられました。そうなれば2度と帰れないのは誰の目にも明らかです。
極限まで追い詰めらた英雄セルバンテスを救ったのは、国王では無く、彼の貧しい家族と修道士達でした。家族が3000エスクードを用意し、不足分の2000エスクードを修道士達がアルジェに居たキリスト教徒の商人の間を駈けずり回って用意しました。
1580年9月、晴れて自由の身となってスペインのバレンシア地方にあるデニア港に降り立ったセルバンテスは33歳。11年振りの故郷で、彼が一番に悟った現実は、英雄だった彼の名は忘れ去られ、英雄としての人生も又、終わりを告げていた事でした。学歴も無く、一文無しとなった過去の英雄は、ゼロからの再出発を余儀なくされます。当時の国王であるフェリーペ2世の秘書宛に、過去の戦功に相応しい報酬や、アメリカ新大陸での就職を再三願い出ますが、ただタダ冷たくあしらわれるのみ。文筆で身を立てる事を志し、戯曲を書いてみるのですが失敗に終わります。
ある女優と不倫関係に陥り、女の子を産ませた後、何事も無かったかのように別の女性、カタリーナ・デ・パラシオスと結婚します。1584年、セルバンテスは37歳、花嫁は19歳でした。花嫁の持参金で生活が小康を得たのもつかの間、セルバンテス一家はどうしようも無い貧困に喘ぎます。初めての小説『La Galatea』を、1336レアルで売りますが評判はサッパリ。
日々悪化して行く経済状態は、この文豪をとんでもない職に付かせます。イギリスの艦隊と戦うスペイン無敵艦隊への食料調達係りです。それがどんな仕事かと言えば、国王の名の元に、度重なる増税と、飢饉によって飢えに苦しむ人々の微々たる食料までをも取り上げるコトでした。教会所有の穀物までも差し押さえねばならなかった為、報復としてセルバンテスは教会からの全面的な追放を言い渡されています。
1588年に無敵艦隊が敗れ、この忌まわしい仕事を失うと、次ぎにあり付いた仕事は滞納した税金を徴収するコトでした。徴税吏に身を落とし、アンダルシアの野を歩きまわる屈辱の人生です。どの仕事も人々の恨みを買うモノですから、彼と家族は村八分にされ、道を歩けば石を投げられ...。更には無実の罪で、(公金を預けておいた銀行家が失踪した為)牢獄にも入れられました。かのドフトエフスキーもそうですが、牢獄と言う場所からは数々の名作が生まれています。セルバンテスも又、彼の言う「あらゆる不便が幅を効かせ、あらゆる侘しい物音の棲家である牢獄」で名作『ドン・キホーテ』を生み出しています。Sevillaの牢獄であっただろうと言われています。
セルバンテスの家族構成ですが、妻と娘、そして姉とその私生児、更には妹。
見事なまでの女所帯です。故に文豪の再三のピンチにお金を調達する事が出来たのだ、と考えられています。何を言いたいのか分かって下さいましたか?
つまりそんな訳なので、ご近所の評判も大変悪く、警察のお世話になるコトも多かったようです。
セルバンテスが57歳の時(1605年)、マドリッドでドン・キホーテ第一部が出版されました。主人公が織り成す、そのいかにもスペイン的な誇大妄想的ファンタジーは、当時悲惨なまでにドン底な生活を送っていた人々の現実逃避に役立ちました。出版以前からこの物語の評判はとても高く、各地で版を重ねます。この年のValladolid市のカーニバルでは、小説の主人公であるドン・キホーテとサンチョに仮装した人達が、既に見うけられたとも言われています。
1606年に宮廷がValladolidからMadridへ移転したのに合わせて、妖しいセルバンテス一家もMadridへ移りました。彼のドン・キホーテは売れに売れ、大ベストセラーとなっていたのにも係わらず、セルバンテスは相変わらず貧乏でした。物語の版権を2000レアルで売ってしまったからです。2000レアルって、どれ位の金額だか分かりますか? 同じ頃セルバンテスの妹が、愛人から手切れ金として受け取ったお金が3000レアルです。
懲りない男セルバンテスは、そんな貴重な2000レアルを元手に、一攫千金を狙って賭博場に通います。何処までも運の無い男は、すっからかんになります。ドン・キホーテの贋作が現れた為、抵抗の意味でセルバンテスは第2部執筆のピッチを上げます。そして1615年、10年の歳月をかけた偉大な作品、ドン・キホーテが完成しました。既にこの時、彼の物語は英・仏訳され、各国の多くの人々から賞賛され、更には各国の作家達に大きな影響を与え、つまりセルバンテス、英雄再び、ってな感じでしょうか。けれども、だから、本当に何処までも運の無い男は、そんな事実を夢にさえ見るコトも無く、最後の最後まで極貧のまま、1616年4月23日、その波瀾に飛んだ人生の幕を閉じました。死因は水腫か糖尿病だったと言われています。
K・T様の魂とダイレクトにつながる魂のルーツ:2人
【茶屋小四郎】 1627年没
徳川家康の命で紀州藩の呉服商を務めた人物。
朱印船貿易で知られる茶屋家中島氏の系譜は、江戸時代、家督相続の際幕府に提出されていた「由緒書」に記されている。その系譜は明治時代に入ってからは戸籍制度に受け継がれ、教育学博士中島恒雄は茶屋四郎次郎清延17代の直孫となっている(由緒書は、中島家に現在も秘蔵されている)。
近世の初期、豪商として活躍した茶屋家中島氏は、中世の武士小笠原(おがさわら)源氏(げんじ)の末流で、茶屋四郎次郎清延の祖父宗延の代に、山城の国(くに)中島の地を領して中島姓を称し、のちに京都に住み、武士であると同時に呉服商になった。なお、茶屋家の屋号は、将軍足利義輝がしばしば茶屋四郎次郎明延の自宅を訪れ、茶の接待を受けたことにちなむとされている。近世初頭に茶屋家は京都を中心に相当の経済力を基盤にもち、後藤・角倉とともに京都の三長者として栄えるようになった。茶屋家の祖とされる茶屋四郎次郎清延は徳川家康との個人的な関係を深め、徳川家康の御用商人として活躍し、さらに三代茶屋四郎次郎清次からは朱印船貿易家としても知られるようになる。江戸時代を通じて茶屋家は公儀(こうぎ)呉服師(ごふくし)として将軍家の御用をつとめるが、京都を本家に、名古屋と和歌山にも分家し、それぞれ尾州・紀州の徳川家の御用もつとめた。
なお、茶屋家は法華(ほっけ)宗徒(しゅうと)としても京都町衆のなかで重要な位置を占めていた。
茶屋家と徳川家康の関係は清延、清忠、清次の茶屋家三代にわたっている。家康との関連は永禄年間に始まるとされている。天正10年(1582)、家康が京都に上洛(じょうらく)した時、茶屋四郎次郎清延の自宅がその宿舎になっており、同年に本能寺の変が起こると、迅速な対応で、堺を見物して帰路の徳川家康に急を報じ、徳川家康生涯の危機と言われる「伊賀越え」の成功に重要な役割を果たす。少人数の武装のない家康一行が、当時「所所山賊共蜂起」と言われた伊賀路を無事越えて、愛知県の岡崎城に帰城できたのは、一行を先導した茶屋四郎次郎清延の働きがあったからに他ならない。
天正14年、徳川家康と豊臣秀吉との和睦(わぼく)により、徳川家康が京都に上洛するようになると、百足屋町新町にあった茶屋四郎次郎清延が宿所とされ、豊臣秀吉もひそかにここを訪れている。その後茶屋四郎次郎清延は、家康・秀吉両者の間の内使をつとめることとなった。また、茶屋四郎次郎清延は上方の動静を探り、家康の対朝廷工作でも大きな役割を果たした。天正16年ごろから一時は近江の家康所領の代官をつとめたほか、徳川家康の関東移封後には江戸の町割りにも関与した。
二代茶屋四郎次郎清忠は京都にて町方の元締として京都所司代板倉勝重からも重用され、徳川家康のもとで上方町人の把握につとめた。三代茶屋四郎次郎清次は慶長12年(1607)、長谷川左兵衛の長崎奉行就任にともない、長崎奉行所で外国貿易管理、キリシタン吟味などで活躍し、豊臣家との戦争である大阪の陣には家康の軍需物資の調達にもつとめた。同17年、家康の特許で朱印船貿易を始め、安南国ベトナムに派船して家康時代の国際化の一翼を担った。
関ヶ原合戦で徳川家康の天下統一が実現されると、家康は慶長6年(1601)から平和な通商貿易政策をとり、南方渡航の私貿易船を自己の統制下におく朱印制度を創設した。海外渡航許可の朱印状を受けた者のみが貿易に従事する朱印船貿易は、茶屋家などの特権的な商人の手に移った。貿易地は台湾・フィリピン・ベトナム・カンボジア・タイなど東南アジアの各地に及んだ。
茶屋家の朱印船貿易は、三代茶屋四郎次郎清次が慶長17年(1612)、安南国ベトナムあての朱印状を家康より交付されたことに始まる。また、清次は元和6年(1620)にも徳川秀忠よりベトナムあての朱印状を交付されており、以後茶屋家では五代目延宗に至るまで代々朱印船貿易を行い、計11回ベトナムに朱印船を派遣した。また、茶屋の京都本家から分家した尾州(名古屋)茶屋新四郎家も朱印船貿易に従事したことで知られている。
京都を拠点とした茶屋四郎次郎家は清延のあと、慶長19年(1614)、茶屋四郎次郎清次が長崎から徳川家康のもとに戻り、再び側近として仕えると、茶屋新四郎長吉(ながよし)は家康の命によって尾張(名古屋)の徳川義直につけられ、義直の側近をつとめるようになる。また、大阪冬の陣で和睦の内使後藤庄三郎光次添えとして活躍した清延四男の茶屋小四郎宗清は元和元年(1615)、紀伊の徳川頼宣につけられ、呉服御用をつとめるようになる。
ここに茶屋家は、京都本家の茶屋四郎次郎家のほかに、尾張の新四郎家と紀伊の小四郎家に分家する。尾張・紀伊の分家では尾張徳川家、紀伊徳川家の各御用をつとめたほか、本家同様に江戸にも屋敷をもち公儀呉服師として将軍側近御用などもつとめた。
特に尾州(名古屋)の茶屋新四郎長吉は、当時茶屋一統の有能なリーダー格であり、尾張名古屋の徳川家の側近御用商として、名古屋市に本拠をおき、城下名古屋市を中心に多角経営を行った。公儀呉服所や朱印船貿易に加え、なかでも有名なのは鎖国後の新田開発で、現在も名古屋市港区内に茶屋新田・後新田という地名が残っており、その功績の偉大さが伺える。学校法人茶屋四郎次郎記念学園名古屋福祉保育柔整専門学校は、茶屋中島家の偉業を後世に残すために、代々の尾州茶屋家の屋敷後に建てられた。
【岡田寒泉】 1816年没
寛政の改革で老中松平定信に登用され朱子学の振興に貢献した儒学者。
岡田寒泉は江戸のひとで、寛政の三博士といわれた大儒学者でしたが、寛政六年(一七九四)五十五歳で代官として常陸の国に赴任しました。寒泉が治めた地区は現在の谷和原村を始め七郡一八二ヶ村に及びました。まず、領内の開墾につとめ農民の生活の向上に、風俗の粛正や勤倹貯蓄・人口増殖を奨励しました。当時全国の農村で行われていた間引きを禁じ、育児を奨めるため、幕府に願い出で産児養育料一千両の支給を受け長子には米五升、二子には一斗、三子には二斗の手当を与えました。その恩恵で成長した子供は千数百人にも及びます。しかし、寒泉は寛容の半面、休耕田を耕し、飢饉に備えて米を備蓄させ厳正に年貢を取り立てることも怠らなかったようです。寒泉は生神様としてあがめられ、文化七年(1810)筑波郡谷和原村下小目の小貝川堤防下に村民の手によって生祠が建てられました。寒泉は文化十三年(1816)に七十歳で亡くなったそうです。
18世紀末、朱子学再興の気運があり、これに乗じ松平定信は、朱子学者柴野栗山・岡田寒泉を聖堂付きの儒者として登用し、1790年に、朱子学を正学とし、聖堂で朱子学以外の学問を禁止した。続いて聖堂が充実され、1797年には林家の家塾と切り離し、幕府直轄の教育機関とし、人材登用を目指して幕臣に朱子学を奨励しました。諸藩でも、これ以降幕府にならい藩校の新設が相次いだのです。備前岡山藩の藩校花畠教場などの例外を除き、多くの藩校はこの時期に設立されたものであり、そこで朱子学を中心とした教育が行われることになりました。
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以上ですが、如何でしたか?
K・T様の魂のルーツと遍歴の過程で登場する魂、それに、ダイレクトにつながる魂たちの人物像について、詳しくは図書館を利用して人物事典などでお調べいただくか、古書店や古本屋でお探しください。大概の古書店には月刊誌「歴史読本」という雑誌のバックナンバーが揃えてあり、日本史に登場する数多くの人物が詳しく載っています。
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私が産経新聞在籍時代に、広島大学歯学部の松島竜太郎名誉教授(既に故人)から、一子相伝の形で伝授されたのは、イスラエルに古くから伝わる白魔術の『折り紙によるダビデの星開運祈願法』と『秘術・前世探査開運法』、それに、亡くなられた方の霊を呼び出しての『霊との対話』ですが、この前世探査の方法にはこの他にも、エジプトやギリシャのものもあります。これらは、皆、秘術で日本でも会得している人は僅かしかいません。
松島竜太郎名誉教授は、ご自宅で運命学教室を開講して、毎週多くの受講生に占術や輪廻転生などを教えておられましたので、全国の広大歯学部出身の歯科医の先生方の中には運命占術とか輪廻転生(生まれ変わり)に強い関心を持っておられたり、研究を続けておられる先生方が沢山おられますが、秘術・秘伝については門外不出として何方にも教えられることがなかったのです。
私の場合は、取材が縁でお付き合いいただくようになり、本格的な運命占術や輪廻転生、宇宙の深遠なるしくみなどと共に、秘術・秘伝の手ほどきを受ける栄誉に恵まれたのですが、松島教授と波長がピッタリ合い、しかも幾つかの条件を全て満たしていることなどをクリアしたのでした。
その条件の幾つかを挙げますと、
◆3歳の時に京都から広島に移り住んだその3ヶ月後に被爆し、大量の放射能を浴びたこと、
◆廃墟と化したヒロシマの阿鼻叫喚の地獄の惨状を目の当たりにし、無数の黒焦げの死体や苦悶に呻き、息絶えた遺体などを見たこと、
◆終戦後、乞食と変わらない程のどん底の暮らしを10年ほど経験したこと、
◆幾度もの死の危機に直面しながら、その都度、天佑が働いて掬われたこと、
◆その度に死への恐れが薄らいでいき、最終的に死を超越でき、目に見えない存在に導かれ生かされていることを自覚できたこと、
◆それまでの人生が過酷であったこと、
◆それまでの人生で、社会に貢献することが一度もなかったので、せめて自分の死後ぐらいは少しでもお返ししたいと思い立ち、医学生の解剖実習に供するため、昭和56年に広島大学白菊会に献体の手続きを済ませたこと、
◆目に見えない存在から生かされていることを実感し、感謝の気持ちで過ごしていたこと、
◆子供の時から、樹木の枝を折ったり小さな生き物や虫などの殺生は一切しなかったこと、
◆何事も相手の立場になって考えることが出来たこと、
等々でした。
不幸中の幸い、というべきか、私は何の因果か京都に生まれながら広島に来て被爆し、黒い雨と言われる放射能を大量に浴びております。戦後、10年もの長き乞食同然のどん底の生活もしておりますし、幾度も死の危機に瀕しておりますので、波乱万丈であったことが、秘術・秘伝を受けるに値すると思われたのです。
話が逸れてしまいましたが、これらの秘術を使って、自分の魂のルーツを知ることにより、それを人生の杖として、また、幸せに向う人生の羅針盤として役に立ってくれますが、知っただけでは白魔術の不思議な霊験はありません。
自分の魂のルーツである歴史上の人物について、その人物について書かれてある物語や伝記、人物録等をしっかりと頭に叩き込み、本がなくても細かなところまで思い出すことが出来るようになってこそ、或る日を起点として霊験が発動し、たとえ苦難や試練が幾たび降りかかってこようと、解決の糸口となるヒントや啓示を得られたり、守護もしていただけるようになります。
以上のことをよくご理解しておいてください。
尚、科学的見地から“生まれ変わり”“前世”などを分かりやすく説いた、飯田史彦福島大学経済学部教授著『生きがいの創造』シリーズをご覧になることをお奨めします。「経済学」や「企業論」の著書を沢山出しておられ、経済界からの講演で引っ張りだこですが、こういった“生まれ変わり”などの講演も精力的にこなしておられます。彼の生きがいシリーズに『生きがいのマネージメント』『生きがいの人生論』『生きがいの教室』など何冊も刊行されていますが、最新刊の『生きがいの本質』(PHP出版)もお読みになってください。この最新本には著者の肉声のCDも付いています。
以上、K・T様のこれからの人生を一層よりよいものにするたに、その手がかりをお教えしました。後は、K・T様の実行あるのみです。お分かりいただけましたでしょうか?
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち
幽体離脱後、時空を遡ってI・S様の魂のルーツを探る!
魂のルーツを知り、人生の道標として活かす『秘術・前世探査開運法』
I・S様(有料鑑定依頼者)
19××(昭和××)年××月××日 午前××時××分 出身地:A県K市。
ネットの全国占術師紹介サイトの「占いタウン」で私のことをお知りになられた方々より、私の会得した『秘術・前世探査開運法』に関心を持たれ、依頼に応じて前世を探査しておりますが、ほとんどの方より「歴史小説や映画などで主人公に共鳴・共感を覚え惹かれたが、自分と魂でつながっていたと知って一層の親近感を持った」「何となく気になっていた人物だったが、魂のつながりがあると分かってビックリしたが、納得した」「或る特定の国に強い憧れを持っていたが、自分がその時代に生きていたことが前世探査で分かり、是非、旅行してみたい」「一度も行ったことがない土地なのに、何となく懐かしさを感じたり無性に惹かれていたが、やはりと思った」等々、前世探査の素晴らしさに驚かれています。
この『秘術・前世探査開運法』は、私が昭和56年に、広島大学歯学部の松島竜太郎名誉教授とお会いしたのがご縁となり、教授のライフワークである各種の運命占術をはじめ、秘術・秘伝などの教導を受け、幾度もの断食や滝行などの厳しい修行の末に会得したものです。
この『秘術・前世探査開運法』は、イスラエルに古くから伝わる人を幸福に導く白魔術のひとつで、生年月日と名前と出生地を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり、時空を遡って、本人に成り代わって魂のつながりのある歴史上の人物を探査していく秘術です。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。その生まれ変わりの度に、特定の人物から強い影響を受けたり、その人物自身だったり、または家族や親戚、一族であったり、家臣・主従の関係だったり、もしくは同じ目的を持って共に行動した仲間や同士であったりと様々です。
<u>誰でも10数人の歴史上の人物の魂とつながっていて、それらの人物から“生き方”や才能、気質・性格などを受け継ぎ、それに両親から受け継いだ遺伝子が交じり合って、“I・S様”という人格を形成</u>しています。
では、I・S様は歴史上の誰々の魂とつながっているのでしょうか? また、それらの人物からどんな生き方や才能、気質などの影響を受けているのでしょうか。
例によって、沐浴斎戒後、部屋に香を焚き、心が落ち着いたところでI・S様の誕生月日と本名、出生地、顔写真を脳に強くインプットして瞑想。ほどなく幽体離脱して4次元の世界に。ここから時空を遡り、I・S様に成り代わって「新自分発見の旅」にタイムスリップ!
一時、辺り一面が靄に包まれていたが、徐々に靄が消えていき、三次元の世界とは比べようもない風景が目の前に展開する。見慣れている光景だが、しばし空中に静止したまま眺める。美しい山や川、野原・・・。
向こうには点々と家も見え、その近くでは、家人たちが何事かしている。そーっと近寄ってみると、大人も子供もきれいなオーラに包まれて、楽しそうな表情だ。また、あちこちで馬や羊たちがのんびりと草を食んでいる。
とても懐かしく、心の故郷に戻った気分だ。庭の周りの色とりどりのきれいな花に、ちっちゃな妖精たちが飛び回ったり戯れている。こっちの気配を感じて振り向いた。にっこりと微笑んでくれた。
樹木も青々と繁り何の実か知らないが可愛い実を沢山つけている。爽やかな風に乗ってどこからか讃歌が聴こえてきた。いつもの如く生命の息吹が感じられ、なにもかもが素晴らしい光景だ。
今、地球では人間たちの無分別と我欲のために各地で環境破壊が進み、生態系も狂ってきているのに、ここは何もかもが光り輝いている世界だ。
ひと時、あちこちを飛び回っていたが、ここはまだ4次元と5次元の世界だ。まだ時空を遡らなければならない。もう一度、I・S様のことを念じながら、上へ上へと飛翔し5次元の世界に入った。
徐々に辺りの光景が変わっていき、光に包まれてきた。その光の中で乱舞するかのようなシャボン玉のような泡か透明の風船のようなものが一杯浮遊しているが、その中に魂が入っているのだ。
妙なる光景と言うか、見ていると、中に入っている一つひとつの魂が人の姿に変わったり、また魂に戻ったりしている。いつ見ても不思議な光景である。この無数の泡の中をひたすら飛翔していくと辺り一面が光の海の中に。
と、遥か向こうの方に、眩いばかりの光球から放射状の光が放たれている。この光景は表現のしようがない素晴らしい光景だ。 その光と共に無数の泡が四方に散っている。もうこれ以上は近寄れない。引き返して泡が少しまばらになった辺りを浮遊してみた。
I・S様に意識を集中して、泡(魂)に呼びかけてみた。肉体を伴っていたら、それこそ永久に探し当てることは出来ないが、肉体を脱ぎ捨て今は魂だけの存在なので、無数の魂が入っている一つひとつの泡の中の魂に思念を送り、I・S様とつながりのある魂たちと感応するのはたやすいことだ。
しばらくすると感応しはじめた。呼びかけに応えてくれたのだ。それもあちこちから心に感応してくる。感応してくるそれぞれの魂に向って、I・S様の情報を元に繋がりがあるか問いかけてみた。
すると、目の前には計20を越える泡(魂)が現れた。そして、それぞれの魂からI・S様と繋がりのあることが確認できた。
各々の魂が歴史上の人物の誰であるかは判ったが、これで終りではないのだ。今から、それらの魂が地球に生を享けていた国や時代にタイムワープして、魂のルーツ探しをすることの了解を得たのである。
実際に肉体を纏っていた時代にタイムワープして、彼らを探して肉体の中に入り込んで、最終確認しなければならない。本人たちに会ったとしても肉体を纏っているので、本人たちには私の魂が既に彼らの魂と会ってきたことは知る由もない。
一つひとつの魂に心を集中してタイムワープした。そして、一人ひとりの魂に会い、魂に同化してきた。その結果、各々、I・S様の魂のルーツ、遍歴で登場する人物の魂、それにI・S様の魂にダイレクトに結びつく魂のルーツであることが間違いでないことが確認できた。
これらの魂は、I・S様の数え切れない生まれ変わりの過程の中で、歴史に名を留めた魂の分魂であり分身であるのだ。また、幾つかの国に生を享けていることも判明したのである。
瞑想から覚めて時計を見ると、50分余りを要していた。ドッと疲れが出たが、まだ横になるわけにはいかない。探査してきた結果を忘れないうちに速記文字で書きとめていく。
では、I・S様の前世探査で判明した結果を詳細をお教えしましょう。
◆I・S様の魂のルーツ◆7人
毛利元就、徳川家康、淀君、千姫、エリーザベト(ドイツ)、平時子、法然。
◆遍歴に至る過程で登場する魂◆13人
毛利元就 → シモン・マイル(ドイツ)、福田徳三。
徳川家康 → C・サン・レオン(フランス)、福田徳三。
淀君 → 直接の魂のルーツとなり、遍歴の魂はなし。
千姫 → 黒川良安、エルマー・R・ライス(アメリカ)。
エリーザベト → ジョースト・Vフォンデル(オランダ)、カーロイ・キシュファルヂディ(ハンガリー)、V・A・マリー・ルイーズ(イギリス)。
平時子 → ゲオルジウス・アグリコラ(ドイツ)、V・マリー・ルイーズ(イギリス)。
法然 → 隆尭、グスタフ・フローベル(フランス)。
I・S様とダイレクトに結びつく魂のルーツ:2人
徳川家綱、オージン・H・ポール・ゴーギャン(フランス)。
〓日本以外での生まれ変わり〓6ヶ国。
フランス(3)、イギリス(2)、ドイツ(2)、アメリカ、オランダ、ハンガリー。
今後、海外旅行を考えておられる場合は、上記の6ヶ国を計画されることをお勧めします。特に、フランスやイギリス、ドイツに旅行されると、魂の故郷に戻った感慨を覚え、涙が頬を伝わることでしょう。
I・S様の魂のルーツ 其の1
【毛利元就】1497年~1571年
数多くの戦いを勝ち抜き、中国地方の覇王となった謀略の将。
安芸国(広島県)の地頭から一代にして才覚と槍一筋で成り上がり、謀略の限りを尽くし、中国地方の覇王となった毛利元就。乱世の常として謀に明け暮れた生涯であり、その才能は戦国の群雄の中でも群を抜いていた。
正直者の長男・隆元に対して「はかりごとの多きは勝ち少なきは負けると兵書にあるとおり、ひとえにひとえに武略・計略・調略が必要である」と諭している。それゆえ日常生活に於いても苦労人特有の用心深さがある。
祖父・父・兄が酒の害により早死にしたことで酒を飲まず、平素から食養生に心掛け、そのために体質強健・精力旺盛で、当時としては長寿といえる75歳まで生きられたのだ。
子孫繁栄を願った彼は、戦国武将としては品行方正に近く、また家族にも恵まれた。隆元・元春・隆景は特に優秀な息子で、この3人を病床の枕元に呼び、三本の矢を取り揃え「これを一本づつ折れば、わけなく折れるが、一束にして、一気に折ろうとしても、容易に折れるものではない。だから、おまえたちも、一味同心の思いをなせば、他から討ち破られるおそれもあるまい」と兄弟の結束を遺言した。「三本の訓」のエピソードは有名。連歌や和歌に優れ、文才もあった。
◆毛利元就に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【シモン・マイル】1763年~1845年
ドイツ生まれの歌劇作曲者で、グランド・オペラの先駆者。
【福田徳三】1874年~1930年
社会政策学派の見地に立った経済学者で、日本の経済学の開拓者。
◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ 赤木敬一郎 1939年~1961年
和製ジェームズ・ディーンといわれた映画俳優。
I・S様の魂のルーツ 其の2
【徳川家康】1542年~1616年
忍耐を糧に長期安定政権をつくり上げた非凡な政治家。
織田信長・豊臣秀吉の天下統一事業を完成し、周到な人心掌握力と長年培った軍事力と経済力をバックに、約260年にわたる長期安定政権の基盤を一代にして築き上げた江戸幕府初代将軍・徳川家康。その非凡な政治手腕は、企業経営の手本といわれる。
戦国争乱の世に生まれ、8歳で父を失い、幼少の頃から14年間の人質生活を送り、信長の圧力により長男が自害させられ、豊臣政権下の大名として59歳まで過ごした家康の人生。それは長い苦労と忍従に耐えながらの歩みでり、遺訓として伝わる「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず」の言葉そのものであった。
織田信長と結んで三河国を平定し、信長の没後、秀吉を押し立てながら天下統一に強力。忍耐の肝要さを学んだ家康は、ひたすら時期を待った。秀吉が死してその時がやってきた。天下分け目の関ヶ原の戦いに西軍を破り、征夷大将軍となって江戸に幕府を解説。さらに時期を待ち、十二分な策謀をめぐらし、大阪の陣で豊臣氏を滅亡させる。
死去一年前には武家諸法度を手始めとする新しい国づくり政策をあらゆる分野にわたって推進し、幕藩体制の基礎をつくり上げていた。
◆徳川家康に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【C・サン・レオン】1821年~1870年
フランスの舞踊家で『泉』『コッペリア』の振付師として有名。
【福田徳三】1874年~1930年
社会政策学派の見地に立った経済学者で、日本の経済学の開拓者。
◆I・S様の系列の魂◆
→ジョージ・R・マイノット 1885年~1950年
悪性貧血の研究でノーベル生理・医学賞を受賞したアメリカの医学者。
I・S様の魂のルーツ 其の3
【淀君】1567年~1615年
父母を死に追いやった秀吉の側室となった女性
天下人豊臣秀吉の愛妾として大阪城で権勢を誇った淀君こと茶々は、近江(滋賀県)小谷城主浅井長政を父に、織田信長の妹お市の方を母として5人兄妹の長女として生まれた。
戦国一の美女といわれた母によく似て美しく、父にことのほか可愛がられたという。ところが7歳のとき暗雲が漂い始める。父が伯父信長と戦争を起こして敗死。家族もろとも織田家に引き取られるが、今度は伯父が本能寺の変で自害。運命はさらに激しく揺れ動く。
新しい義父となった柴田勝家が秀吉と戦って敗れ、母お市の方も自害。哀しき女の性か運命か、茶々はその後父母の仇として憎んでも憎みきれない秀吉の側室として聚楽台・淀城で過ごすことになる。しかし、嫡子秀頼を産むと伏見城に移り住み、その権勢は秀吉の正室北政所を凌ぐ程であった。
秀吉亡き後も豊臣家の嫡子の生母として大阪城に君臨したが、徳川家康の懐柔政策により豊臣家の家臣は分裂させられ、関ヶ原の戦いが起こり敗北。そして大阪冬の陣を経て、夏の陣。誇り高い淀君は徳川への屈服を拒み続け、溺愛した秀頼とともに大阪城の猛火の中で壮絶な死を遂げる。
◆淀君の場合は、遍歴に至る過程で登場する魂はなく、I・S様と直接につながっています。父の財産と意志を継いで、オベリスク(方尖塔)の復興や大学の設置に巨額を投じた実業家ウィリアム・H・ヴァンダビルト、戦争負傷者の惨状を目撃し、その救済事業にあたるとともに『ソルフェリーノの思い出』を著して世論の支持を受け国際赤十字社を創立したアンリ・デユナン、早稲田大学を創立した政治家の大隈重信、日本美術の独自性を再評価し啓蒙と復興に尽くすとともに、東京美術学校創立に参加したアーネスト・F・フェロノサ等々、淀君を魂のルーツとする人たちには平和運動や教育・文化の向上に尽力した偉人がいる。
美女といわれた淀君の魂のルーツを持つ人たちには、ザクセン選挙侯アウグスト2世の愛人で美貌と教養を兼ね備え、“2世紀にわたり最も有名な婦人”と称されたマリア・A・ケーニヒスマルク、“ザ・ルック”と呼ばれた独特な上目使いとクールなセックス・アピールで注目を浴びた女優ローレン・バコール、服飾デザイナーの稲葉賀恵、女優の多岐川裕美、鷲尾いさ子ら。国民的人気女性としては、インド共和国初代首相ネールの娘でのちに首相となったインディラ・ガンジー、歌謡界の女王美空ひばり、漫画「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこがいる。
I・S様の魂のルーツ 其の4
【千姫】1597年~1666年
数多くのスキャンダルが伝えられる徳川家康の孫娘。
徳川家康の孫、2代将軍秀忠の長女(母は浅井長政の3女・達姫で淀君の末娘)、豊臣秀頼の妻、3代将軍家光の姉・・・今ふうにいえばプリンセス、スーパートップ・レディーの身でありながら、わがまま・裏切り者・淫乱女などスキャンダラスな伝説が伝わる千姫。
後世、歌舞伎や講談に脚色された「吉田御殿」で乱行の限りを尽くしては相手を殺したという俗説の事実はなく、実際は忠刻との間に生まれた娘を育て、貞淑な女性として世を送った。
政略結婚により数え年7歳という幼少の身で、4歳年上の秀頼に嫁いだ千姫。大阪夏の陣により大阪城が落城する直前、夫とその母淀君の助命のため城を脱出したが、交渉は不成功に終わり2人は自害して果てる。
秀頼と千姫との間には子供はなかったが、側室成田氏の間には一男一女がいた。男子は処刑されたが、女子は千姫の養女として男子禁制の尼寺に入れられた。
この女性がのちの東慶寺20世の天秀院である。千姫は翌年に播磨姫路城主・本多忠政の長男忠刻と再婚し、一男一女をもうけた。忠刻没後、髪をおろして天樹院と名乗り、江戸に戻り竹橋御殿に住み、3代将軍徳川家光の姉として大奥などにも勢力をふるったという。
◆千姫に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【黒川良安】1817年~1890年
幕末から明治にかけてオランダ医学を学んだ医者。
【エルマー・R・ライス】1892年~1967年
『街の風景』でピュリッツァー賞を受けたアメリカの劇作家。
◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ 伊達公子 1970年~
女子プロテニスプレーヤー。
I・S様の魂のルーツ 其の5
【エリーザべト】1207年~1231年
優しさたたえる伝説“薔薇の奇蹟”が残る薄命の聖女。
フランツ・リスト作曲のオラトリオ「聖エリザベトの物語」で知られるドイツの聖女エリーザベト。同名が多く、約六年間住んでいた場所から“チューリンゲンのエリーザベト”といわれる。
彼女は、ハンガリー王エンドレ二世の王女で、五歳のときチューリンゲンのヘルマン伯の子ルードヴィヒと婚約を交わし、ヴァルトブルグで教育を受けたのち1221年結婚。ところが幸せもつかの間、夫の十字軍参加、そして1227年に戦没すると同時にチューリンゲンから追放されてしまう二重の悲劇に見舞われる。
彼女は夫の遺体とともにマルブルグに帰り、フランチェスコ派第3団に属し、自らフランシスコ施療院を当地に悦立。病人の救済活動を行うなど、慈善と祈りに捧げた敬虔な生活を送った。あまりにも短く儚い生涯であったが、彼女の優しさをたたえる伝説“薔薇の奇蹟”が残っている。
その慈愛に満ちた生活は広く国民の尊敬を受け、彼女の死から4年後、グレゴリウス9世により聖徒に列せられ、またドイツ騎士団により聖エリザベト教会堂が設立された。以後、多くの婦人団体、修道院、諸々の施設の保護聖人とされている。
◆エリーザベトに至る遍歴の過程で登場する魂◆
【ジョースト・V・フォンデル】1587年~1679年
オランダ文学の17世紀黄金時代を代表する詩人で劇作家。
【カーロイ・キシュファルディ】1788年~1830年
戯曲『ハンガリーのタタール人』で成功し、近代ハンガリー劇の創始者といわれる作家。
【V・A・マリー・ルイーズ】1840年~1901年
ヴィクトリア女王の長女。
◆I・S様の系列の魂◆
→ 調所広郷 1776年~1848年
急迫した薩摩藩の財政改革を担当し、成果をあげた家老。
→ 木村芥舟 1830年~1901年
日本初の太平洋横断に成功した咸臨丸の司令官。
→ 山田五十鈴 1917年~
映画ととに多くの舞台をこなし『たぬき』『愛染めの高尾』で芸術祭大賞を受けた女優。
◆I・S様の兄弟・姉妹魂◆
→ さくらももこ 1965年~
アニメも大ヒット『ちびまるこちゃん』の漫画家。
I・S様の魂のルーツ 其の6
【平 時子】
武家政治を創始した平清盛の妻で、のちに出家して従二位に叙せられたことから「二位の妻」とも言われていた時子。平時信の娘で、清盛に嫁いで宗盛お・知盛・重衡・徳子を生む。
保元・平治の乱で清盛が勝って武士団の棟梁となり、妹の滋子が後白河天皇の皇后(建春門院)に、娘の徳子(建礼門院)が高倉天皇皇后になったこともあり、彼女と子供たちも平氏一門の中心となる。
「平氏に非らざる者は人に非ず」と豪語されたほどの平氏全盛時代であった。しかし、このことが反対勢力を増やし、源氏の嫡流・源頼朝が平氏打倒の烽火を挙げる。一旦は退けたものの、頼朝は鎌倉に政庁を設立。そんな最中、清盛が病死。
時子は宗盛と共に平氏の肝っ玉母さんとして一門を率いたが、宗盛は優柔不断な性格で統率力もなかった。頼朝の弟・源義経の軍によって一ノ谷・屋島ノ浦と敗戦を重ね、遂に命運を賭けた壇ノ浦の合戦の火蓋が切って落とされた。次々に倒れていく平氏の軍。
覚悟を決めた彼女は孫の安徳天皇を胸に抱き、2ヶ所を帯で結びつけて「吾は女なりとも敵の手にはかかるまじ」と海へ身を投げた。時に、1185年3月24日であった。富と権力を握りながらも清盛の死後、たった4年でここに平氏は滅亡する。
◆平時子に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【ゲオルジウス・アグリコラ】 1494年~1555年
近代産業の隆盛に大きな影響を与えたドイツの鉱山学者&冶金学者。
【V・マリー・ルイーズ】 1840年~1901年
イギリスのヴィクトリア女王の長女。
I・S様の魂のルーツ 其の7
【法然】 1133年~1212年
念仏だけで十分という教えを説いた浄土宗の開祖。
源平争乱の血生臭い時代に、専修念仏の道を説いて人々の魂を救済した浄土宗の開祖・法然。彼は美作国久米郡稲岡荘(岡山県)押領使・漆間時国を父に生まれたが、或る日、邸宅が夜襲を受けて一家離散し、菩提寺に入った。
13歳のとき比叡山に上り源光に師事し源空と称したが、叡空のもとに遁世し、房号を法然とする。その後南都に遊学し諸々とともに南都浄土教を学び、専修念仏に帰して浄土宗の教義を確立する。これまで修行の一部だった念仏だけで一宗をたて、それだけで十分な教えとしたのは彼が初めてであった。
時あたかも藤原氏の勢力が衰え武士がこれにとって変わろうとする変革期。この新宗派に帰依するものは多く、摂政九条兼実さえも帰依した。その九条兼実の要請で『選択本願念仏集』を著して専修念仏の教理を説き、浄土宗は全国的にあらゆる階層に広まった。
旧仏教教壇の弾圧が強まり、弟子の女犯を理由に念仏停止の宣下がなされ土佐へ流罪となる。4年後許されて京都大谷の禅房(のちの知恩院)に戻り、翌年没。『法然上人臨終行儀』によると、ある僧が「極楽へは往生し給ふべしや」と彼に問うと「我はもと極楽にありし身なれば、さこそあらむすめ」と答えたという。
◆法然に至る遍歴の過程で登場する魂◆
【隆尭】1369年~1449年
念仏8万4千遍を日課とした室町期の僧侶。
【グスタフ・フローベール】1821年~1880年
『ボヴァリー夫人』で近代写実小小説の典型を確立したフランスの作家。
◆I・S様の系列の魂◆
→ ニコライ・M・カラムジン 1766年~1826年
大著『ロシア帝国史』を執筆した歴史家。
→ マリー・ルイーズ 1791年~1847年
ナポレオン1世の2番目の后。
→ 福沢諭吉 1834年~1901年
『西洋事情』『学問のすすめ』が有名な啓蒙思想家で慶応義塾大学創設。
I・S様とダイレクトにつながる魂のルーツ:2人
【徳川家綱】 寛永18年~延宝8年(1680年 40歳で没)
文治政治を行い、幕藩体制の確立を成就した江戸幕府4代将軍。父・徳川家光、母・増山正利姉・楽の方(宝樹院)。妻・伏見宮顕子(高厳院)。幼名:竹千代。厳有院。右大臣。
家光の死によって11歳の年に将軍となったが、病がちで性質も温柔であったため、30年にわたる在職期間はのぼ重臣が補佐して政治を行った。時に由比正雪の乱などが起こったがよくこれを処理した。晩年、「下馬将軍」酒井忠清を寵用してからは幕政は次第に弛緩の色を見せはじめた。
【オージン・H・ポール・ゴーギャン】
1848年~1903年 フランスの画家。
タヒチを描いたことで知られる画家ポール・ゴーギャンがパリのノートル=ダム・ド・ロレット街に生まれた。この年フランスは2月革命の動乱の中にありました。12月にはナポレオン3世が大統領に就任。共和派のジャーナリストであったポールの父は迫害を避けるためペルーに渡る(父は途中で死亡)。ポールは7歳の時までこの南米の地で過ごすことになり、このことが彼の後の生き方に大きな影響を与える。
1855年祖父の死亡に伴い帰国、オルレアンの叔父のもとで中学・高校を卒業。その後水夫になって南米航路に乗船。この頃母を亡くした。その後兵役を経て、株式の仕事に従事、人に勧められて23歳頃から絵を描き始めた。28歳の時にサロンに初入選。その後次第に印象派に傾倒していき、自らも描くと同時にコレクションも始める。
1882年金融恐慌があり、ゴーギャンは株式の仕事を断念。画家として独立しようとして妻の実家のあるコペンハーゲンに移るがが、開いた個展は散々。その後今までのコレクションを切り売りして生活する羽目になる。
1885年ゴーギャンは妻の実家の人々とあまり行っていなかったこともあり、息子だけを連れてパリに戻る。しかし苦しい生活は相変わらずであcつた。
1888年にはゴッホとともにアルルで生活するが、ゴッホの耳切事件の後、別れてパリに戻る。そしてさらなる迷いの時期を経て、1891年、突如としてタヒチに渡る。
この南太平洋の島で、ゴーギャンは現地の13歳の少女を愛人にして、傷心のまま制作を続ける。
彼はこの南洋の文化が気に入るが、やはりお金の問題で行き詰まってしまい、そこでいったん1893年帰国。しかし何らかの事情が好転する筈もなく、解決を見いだせないまま1895年再びタヒチへ。そして今度は14歳の少女を新しい愛人にして暮らし始めた。
ゴーギャンはこのタヒチにもだんだん西洋文化が流入してくることを嫌い、更に1901年タヒチから1500km北東のヒヴァ・オア島に移る。
ここが彼の最期の地になり、生活苦の中、現地の人たちともいさかいを起こしたりしつつ、1903年5月8日死去し、現地で埋葬された。
彼は株式マン時代、趣味で絵を描くことで幸福な生活を送っていたが、画家一本になってからは、とにかく不遇な暮らしをしており、本人も心の迷宮に迷い込んだまま、どうにもそこから抜け出すことができなかった。そんな中、心の奥底から絞り出すようにして描いた不朽の名作が『我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?』(1897)となった。
彼はこの直前に自殺を決意、翌年には一度自殺未遂を起こしおり、画面は暗く、彼の苦悩がそのまま叩きつけられているかのようだ。仏像のような青い像、林檎のような果実をもぎる人、食べる人、寝ている子供と女たち、頬杖をつく老婆、とかげを踏む鳥・・・・・、 深すぎて理解できる人は少ないかも知れない。
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以上ですが如何でしたか?
魂のルーツとダイレクトに結びつく魂のルーツ、それに、遍歴に至る過程で登場する魂の順番で、彼らの人物像や伝記、作品、小説等をネットで検索したり、図書館でお調べになり、書店で関連書籍を買い求め、本なしでもしっかりと人物像や生涯が思い出せるまでに精読し熟知してください。そのうちにいつの日か、魂のルーツたちが未だ眠っているあなたの才能を開花させる手助けをしてくれますし、今後のあなたの守護の役目を担ってくれるようになります。
I・S様がどのような宿命を持って此の世に生まれてきているかは、あなたの出生地(東経・緯度)と生年月日(時)、それに名前の3つで看ることが出来ます。生年月日時には、あなたが生まれる前に、ご自分の守護天使と相談して作成した“人生の青写真”が織り込まれていますので、生年月日と出生地、名前の3つを総合的に看ていくと、炙り出しのようにI・S様の運命因子が次々と浮かび上がってくるのです。
運命因子には、当然、良い作用をするものもあれば悪い作用をするものもあります。その悪い運命因子を少しでも小さくし、反対に、良い運命因子を伸ばしていく優れた開運方法の一つとして、この前世を手がかりとした開運法はお金も本代ぐらいで済み、しかも霊験も大きいものがあります。
ついでに書き添えておきますと、前世探査には幾つかの方法があります。
私が産経新聞在籍時代に、広島大学歯学部の松島竜太郎名誉教授(既に故人)から、一子相伝の形で伝授されたのは、イスラエルに古くから伝わる白魔術の『折り紙によるダビデの星開運祈願法』と、同じくイスラエルに伝わるこの『秘術・前世探査開運法』、それに、亡くなられた方の身内や先祖の霊を降ろしての『秘儀・霊との対話』などですが、前世探査の方法にはこの他にも、エジプトやギリシャのものもあります。これらは、皆、秘術・秘儀で日本でも会得している人は僅かしかいません。
広大歯学部の松島竜太郎名誉教授は、ライフワークである運命占術を毎週日曜日にご自宅の広間で運命学教室を開講しておられました。毎週多くの受講生(約30名)に占術や輪廻転生などを教えておられましたので、全国の広大歯学部出身の歯科医の先生方の中には、結構、運命占術とか輪廻転生(生まれ変わり)に強い関心を持っておられたり、研究を続けておられますが、秘術・秘伝については門外不出として何方にも教えられることがなかったのです。
私の場合は、取材が縁でお付き合いいただくようになり、本格的な運命占術や輪廻転生、宇宙の深遠なるしくみなどと共に、秘術・秘伝の手ほどきを受ける幸運に恵まれたのですが、松島教授と波長がピッタリ合い、しかも私が幾つかの条件を全て満たしていることなどが伝授に値する唯一の人間としてクリアしたのでしょう。
その条件の幾つかを挙げますと、
→原爆被爆者で大量の放射能を浴びながらも奇跡的に生きていること、
→幾たびもの死の危機に直面しながら、その都度、天佑が働き生かされていること、
→そのために死への恐れが薄れ、死を超越できたこと、
→それまでの人生が過酷であったこと、
→目に見えない存在から生かされていることに感謝の気持ちがあること、
→子供の時から草花を引っこ抜いたり、小動物の殺生は一切しなかったこと、
→魚釣りは嫌いなこと、
→何事も相手の立場になって考えることが出来ること
等々が、教授のお眼鏡に適ったことでした。
私は何の因果か京都に生まれながら広島に来て被爆し、黒い雨と言われる放射能を大量に浴びております。戦後、10年もの長きにわたり乞食同然のどん底の生活もしておりますし、幾度も死の危機に瀕しておりますので、波乱万丈であったことが、秘術・秘伝を受けるに値すると思われたのです。
話が逸れてしまいましたが、これらの秘術を使って、自分の魂のルーツを知ることにより、それを人生の杖として、また、幸せに向う人生の羅針盤として役に立ってくれますが、知っただけでは白魔術の不思議な霊験はありません。
ご自分の魂のルーツや遍歴の過程で登場する人物について書かれてある小説や物語、伝記、人物録にしっかりと目を通して、本がなくても細かなところまで思い出すことが出来るようになってこそ、或る日を境として不思議なことですが霊験が発動し、あなたを守護してくれるようになります。以上のことをよくご理解しておいてください。
尚、これを機会に、生まれ変わりや輪廻転生、催眠療法関連の書籍が沢山出回ってていますので、理解を深めるためにもお読みになることをお奨めします。 以上
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち
身数秘易によるK・T様の来年(平成18年)の運勢 其の3
身数秘易によるK・T様の来年(平成18年)の運勢
生年 5戊5 5戌 5
生月 5戊5 9午 7
生日 5癸6 4亥 6
太歳 7丙7 5戌 5
22 ―23 23―23
∟45 」 ∟46 」
45÷8=5・・・5→巽・風
46÷8=5・・・6→坎・水 本卦:風水換
この卦は、追い風に帆を張った形象であり、また草木に春風が吹く形象である。
この卦を得たならば、今までの困難な問題が解消されて、だんだん希望が湧きつつある前触れである。
この卦は船出には絶好のチャンスである。すべてが成就、悩みが消散する暗示あり。
永い間の希望ごとが、叶えられるとき。また、遠方との取引、遠方への往来などの意がある。
ただし、この卦には散らばる、散り乱れるという意味や混乱や損失の意もあるので、確固たる信念を持ち、努力を惜しんではいけない。そうでなければ、せっかくの幸運が失敗に転落するおそれがある。また、思わぬ災難や不意の災いなども内包しているので、注意。
力量を思い切り発揮する時なのだ。めでたいことにも欠点の一つや二つはあるもの。あなたを妬む人に用心すること。
順風に帆を張って舟が進むように、万事が順調に運ぶ。
古きを捨て新しきに従えば、初めは損をするが最後には得をする。
魚が変身して龍になるゆえ官職に就く。
めでたいことにも欠点の一つや二つはあるもの。あなたを妬む人に用心すること。
願い事:人の助けがあり、遅まきながらでも叶えられる。
<a href="http://www11.bestblogrank.zmapple.com/cgi-bin/7/ranklink.cgi?id=ys716nih" target="blank"> <img src="http://www11.bestblogrank.zmapple.com/7/img/88x31.gif" border=0></a>
K・T様の運命方程式 今後5年間の運勢 (鑑定ノートより) 其の2
【今後5年間の運勢傾向】
平成17年 22乙酉 食神 病 ▲ 4p 運勢天気:曇り
→ 来年の2月3日の節分までは、なかなか思うようにははかどりませんが、そんな中にも、やっと前途に光が見えてくる運気です。
仕事に迷いが出てきて、心身が疲れ、追い討ちをかけるように、身内に病人が出たり、財政に波があったりして、神経質になります。しかし、そうした状態にじっと耐えているとサンタクロースもやってきます。仕事の行き詰まりを救ってくれそうな新企画の話や、資金援助の申し出があったりするでしょう。
6152005→19→10→1 1種運※―7流運▲ 変化 弱い波動3p
2005年の誕生日の6月15日から来年の誕生日までの一年間は、新しい9年サイクルの始まりの年です。これまで延び延びになっていた事柄や決着の着かなかった事、決断を保留にしていた事などは思い切って変化させた方が良いでしょう。この時期はご自身の個性を主張すべきです。また、いろいろな変化の起こる時期です。
新しいアイデアをいろいろ生み出し、新しい計画を立てて実行に着手できる年です。
将来へ向けての土台や基礎を築くためにはもっとも大切な時期で、この時期にスタートさせた計画や事業は、以後、9年間にわたって継続する可能性を持っていますし、パーソナル・パワーが一段と備わります。
ご自分の意思とは関わりなしに、いろいろな変化が起こります。今まで経験したことのないことも、この時期には経験することになります。
古いものとの別れ、新しいものと出会う時期です。新しい人と友達になったり、今までまったく関心のなかったことにも関心を持たなければなりません。ご自分ではそのつもりでなくても、自然とそうなってしまいます。
この時期(本年の誕生日から来年の誕生日まで)には幾人かの人との別れがあるかも知れません。特に面倒をみてくれた人とか、親しい人と別れなければならなかったことがあるでしょう。
人の注目を浴びることも多く、そのため、プレッシャーを感じることもありますが、頑張ればやり遂げることができます。
今まであまり関心のなかった分野に目を向けて、教養や知識を積む時であり、また、精神的な事柄に関して縁が出てくるでしょう。教養を身につけ、精神面を充実させるための勉強や修行に当てるとよく、こういった努力は、近い将来必ず役に立ちます。
この時期における霊的進化のポイントは、強い意志と独立心を養うことです。強い目標達成への信念を養ってください。もう一つは、精神的な洞察力を養うことです。直感的な閃きを磨き、物事の真実の姿が見極められるようにしてください。
尚、病気になる心配がありますので注意してください。また、知り合いの人に不幸があるかも知れません。
平成18年 23丙戌 正財 衰 ○ 8p 運勢天気:曇り
→ 来年の節分までの運勢傾向は、盛りを過ぎて、活力・財力が少しづつ減っていくのを食い止める力を持っているのが、この運気です。これまで現状に満足し、長い間ほったらかしにしておいたものは、当然時代遅れになったり故障したりします。しかし、やり直し、作り直せば、かなり元に復します。
あれやこれやで、兎に角、気力さえ持ち直せば、仕事も生活もまた拡大・充実します。
6152006→20→2 2芽運▲―8幹運◎ 転換 転換12p
→ この年の誕生日から翌年の誕生日までの運勢は、自分を前面に押し出すことを控えて、向こうからやってくるチャンスを待った方が良い時期です。他の人々と共に協力し合って動くのに良い時で、そのための忍耐力、協調性、社交性、そつのなさなどが要求される時期です。仲間や同僚の考えを積極的に取り入れ、自分の力だけで物事を推し進めようとしたり、自分の考えを他人に押し付けたりするのは避けるべきです。
新しい友人を得たり、パートナーに出合ったり、賛同者を得るなどの面で数々のチャンスがあるでしょう。
昨年の誕生日以降に計画し着手した事柄の小さな結果がはっきりと出てきます。さらに現実化していくために、広く情報を集め、いろいろな関係を育てておくことは賢明です。
ただし、物事の進行を強引に進めるのは避けましょう。かえって障害にぶつかり、結果が遅れる危険性があるからです。この時期に集めた情報や知識は、次の時期「3」の社会における自己表現への助けになります。
この時期の霊的修行のポイントは、偏見を捨てて、現実をしっかりと認識し、精神的な平静さを養うことです。
→ 努力の実る良い時期。実力発揮の時、仕事面で成功します。
困難や苦労もあるでしょうが、頑張ればそれなりの成果が得られます。不可能を可能にしてしまうことさえあるでしょう。公私共に非常に充実し、忙しくなります。
仕事面では中心的存在となって活躍し、大きな成功を収めるでしょう。周囲から注目を浴び、名声が高まり、経済的にも豊かになってきます。
ただ、「出る杭は打たれる」で、足を引っ張る人も現れそう。人間関係では余計な摩擦を起こさないことが大切です。
平成19年 24丁亥 偏財 帝旺◎12p スパイラル波動期間(要注目年)
運勢天気:快晴
→ 翌年の節分までは、事業・仕事の大波が押し寄せ、良くも悪くもその波に押し流されがちな運気です。仕事の鬼にならなければ捌き切れないほどの仕事量ですが、こなせば大きな身入りになります。
勝負は勝ちやすい運気ですが、夢中になっている間に、家庭のことが疎かになるでしょう。
大きな仕事や事業などで多忙な毎日、そのため、どうしてもムリをしがちです。仕事をたくさん受け入れるのは良いのですが、それでご自分を見失わないように注意することが必要です。
6152007→21→3 3葉運○―9土運◎ 新生 強い波動30p
→ 2007年の誕生日から翌年の誕生日までの運勢
キーワードは社会活動。この時期は社会生活における活動が強調されます。社会や仲間との関わりの中で自己表現を存分に楽しむ時期です。そのような生活を通して、仕事や人間関係はダイナミックに発展していきます。創造性、想像力、芸術的才能など、自己表現に関する能力は活発になるか、あるいはこれからの才能が磨かれます。また、多くの人々の前で講演したり、著作活動にも良い時期です。
あらゆる面で楽しい時期になるはずで、友人関係、仕事関係でもラッキーです。また、新しいプランを実現に移すには最高の年です。家庭内に少し変化があるでしょう。
この時期は、あらゆることが表面的で「広く浅く」ですが、これを利用して幅広い知識や経験を身に付けと良いでしょう。
この時期における霊的進化のポイントは、無私の愛の実践や、エゴを消すことです。他人のためにいかに奉仕できるかで、霊的進化は促進されます。
平成20年 25戊子 正官 建禄◎11p 空亡 スパイラル波動期間(要注目年)
運勢天気:晴れ 翌年の節分までの運気は、労苦が実を結び、信用を得て新しい何かに着手し、未来を祝福されて仕事も大きく伸びていきます。少しくらいの障害は、かえって大成への踏み台になります。家庭も安泰で夫婦生活も充実します。
6152008→22→4 4根運●―1種運※ 開花 強い波動30p
この2008年6月15日から翌年の誕生日までの運勢傾向のキーワードはハードワーク。
「3」のラッキーな時期に続くこの時期は一転して、休みなく働くハードな時期となります。この時期の成功はラッキーな要因によるのではなく、ハードワークと堅実に実務をこなしていくことによって得られます。仕事や職魚に関する事柄には、注意深く対処する必要があります。さもないとせっかくのチャンスを逃す結果になります。
すべての事柄は、きちんと整理し、システム化し、細かい点まで注意しなければなりません。健康や家族の健康にも細心の注意を払うことです。
財産や金銭の運用にも関して責任を引き受けなければならなかったり、また盗難や、取引上の損失などにも注意です。
この時期は、もし細心の注意を払わないと、何かを失う羽目になり、それによって困難を味わうことになるからです。自ら堅実に働くことによってのみ、この時期の問題は無事解決できます。
この時期における霊的進化のポイントは、忍耐力を養うことです。今の苦労は、次から訪れる盛運期に於いて、大いに報われることになります。
なお、副次的運気は、1種運※ですので、一身上に何らかの変化があります。
平成21年 26己丑 偏官 冠帯◎10p 空亡
スパイラル波動期間(要注目年)
運勢天気:晴れ 独立の旗を掲げる再起の運気です。旗揚げ前は、じっと我慢して力を蓄えますから、そうした力のタメがきいて、旗揚げ後は、地位・名誉がぐんと上がり、新たなボス的存在に変わる可能性があります。
6152009→23→5 5花運○―2芽運▲ 反発 転換15p
2009年の誕生日から翌年の誕生日までの運勢のキーワードは、変化と自由です。
→ 雪が解けて春になるように、運勢が上昇します。そのために変動がありますが、これは良くなるための一時的な混乱に過ぎません。環境が変わったり、旅行したり、そうかと思えば友人との離別もありますが、新たな出会いもあり、環境や人間関係が一新されるでしょう。ちょっとしたハプニングもあって、悪くなるように見えますが、後には必ず良い結果となるので、心配はいりません。後半になれば、変動もおさまって穏やかになってくるでしょう。
新しい環境で新鮮な気持ちに溢れ、健康になり、気力も充実してきます。新たな可能性が開け、周囲が活気づいてきます。この時期には将来へのステップとなるようなチャンスが訪れますので、全身をアンテナにして情報を集め、機会を逃さないようにすることが大切です。
この時期に於ける霊的進化のポイントは、機敏さを養うことです。過ぎ去る物事に執着せず、新たな状況にうまく適応させることが求められます。
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K・T様の運命方程式(鑑定ノートより) 其の1
如何なる星の下に・・・・・・・・人間周期律〈運命方程式〉
K・T様
19××(昭和××年)月×月××日生まれ N県出身
節入り:6日14時13分。
旧暦:4月28日。
宿命星:牡牛座のα星アルデバラン。
受胎年月日:昭和××年×月××日。
【推命式】
生年)35戊土 戌土 正官 墓 辛 偏印 衰○8p
半会(火局)
生月)55戊土 午火 正官 帝旺 丙 正財 絶●1p
生日)60癸水 亥水 ― ― 甲 傷官 帝旺◎12p
空亡:子:丑。
大運:逆旋3年運。
調候用神:庚
喜神:辛、壬・癸。
【吉凶神殺】
生年:華蓋 孤辰
生月:天官貴人
生日:天徳貴人 劫殺 寡宿 病符
【天命判定看法】
戌→天芸星(天煉星)、午(辰)→天謀星(天奮星)、亥(巳)天文星(天止星)。
明朗快活であらゆる駆け引きに長じ、物事を成功させる運を持っています。
天芸星と天謀星の組み合わせは中吉の運ですが、天文星の助けがありますので、その才能と実行力が調和して大成します。
【タイプ】陽天星の生まれ
謙虚で素直、出しゃばらず、卑屈にならず、自分を抑制することの出来るバランス感覚の持ち主です。上司から注意を受けても決して根に持たず、言ってもらって有難いと考える心の純真さを持っています。
根が真面目なため規則正しい生活となり、待ち合わせの時間に遅れたり、人から借りたお金を返さないなどということはあり得ません。
社会のルールを守れない人を見ると、どうしてそんな簡単なことが守れないのかと憤る強い正義感を持っています。
友人といくら親しくなっても、ベタベタシタ付き合いはせず、常に一定の間隔を保っています。相手から見ると、簡単には腹のうちを見せない人という印象を持つことがありますが、別に腹黒いわけでなく、「親しきなかにも礼儀あり」という言葉を実践しているに過ぎません。本物の淑女と呼ぶに相応しい女性です。
服装はあまり派手なものは好みでなく、いつも清潔で清楚、爽やかな印象を人に与えます。しかし、明るくユーモアがあり、楽しい分時期を持っていて、多くの人から好かれるので、いつも賑やかなことが好きな人と思いきや、孤独でじっとものを考え自分一人の世界に浸っていることも好きな、少し躁鬱的なところも持ち合わせています。
男性との付き合いは一歩づつ深まっていくという感じで、一度に燃え上がるということは少ないようです。下品な野暮天は好みの対象でなく、押しが強く精力的な、社会の一線で活躍している紳士を好みます。
昔の女性の美徳といわれた、たしなみのある控え目の女性らしさをさりげなく演出できる能力を持っているので、妻となれば、さりげなく夫を立て、ムリすることなく夫に合わせることができます。
また感情が穏やかで考え方も片寄っていないため、簡単に怒り出すこともなければ、ヒステリーにもならないので、伴侶にするならこれ以上性格の良いタイプを探すのあ難しいと男性に言わしめる女性です。
【九宮紫白盤】
九宮:生年 → 六白金性、生月 → 一白水性、生日 → 九紫火性。
命宮:坎宮、身宮:坤宮。
【凶の年】
大 凶 晦気流年:15戊寅の年
中 凶 伏吟:54丁巳の年、 6己巳の年。
小 凶 反吟:60 癸亥の年。
やや凶 天比地冲:30癸巳の年。
リック(征ちゃん)さんの魂のルーツの一人は織田信長だった!
歴史上の人物から魂のルーツを探り、生き方の道標として活かす・・・・
『秘術・前世探査開運法』
リック(征ちゃん)さんの魂のルーツ 其の1
リックさんにはエコーでもmixi でも、マイページによく訪問いただいたり、お友達を紹介いただいたりして、日頃からお世話になっていますので、感謝の気持ちを込めて、魂のルーツの2回目をお教えすることにしました。
リックさんは人相学的にも良い相をしておられ、また、聡明さが感じられる好印象を受けます。運命的にも、いずれ、マルチに才能を発揮し、経営者としての素質も持ち合わせていますので、企業家として成功が約束されています。将来、大きく伸びる人物です。
【織田信長】 1534年~1582年
猛然と天下布武への道を突き進んだ稀代の天才風雲児!
自らを神と号したカリスマ性を持ち、中世的権威をことごとく破壊した革命児、合理主義に徹したリアリストといわれ、時代を見通す先見力で近世の扉を開いた天才的武将・織田信長。
尾張(愛知県)の小大名が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破り、将軍足利義昭を追放、比叡山を焼き討ち、一向一揆を平定、武田氏を滅ぼし、猛然と天下布武への道を突き進み、すべてを手中にしようとした矢先、家臣明智光秀の反逆により京都本能寺であっけない最期を迎えた。時に49歳。彼が好んだ幸若舞『敦盛』の詞「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢幻のごとくなり」のように。
青年時代は奇行がはなはだしいエピソードが伝えられているが、信長は新しいタイプの武将であり、偉大な政治家であった。常備軍の創設、日本で初めて鉄砲を大量導入するとともに、長篠の戦いにおける三段式装填法や馬防柵の画期的アイデア、商工業の繁栄と流通を妨げる関所の撤廃や道幅を決め並木を植えた道路整備、楽市の設置や座の廃止など、彼以前の武将には考えもつかないユニークな施策がいくつもみられる。独裁者で、敵に対して徹底的な攻撃を行った。
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信長のスケールはあまりにも大きすぎるのか魂のルーツはさまざまな枝分かれをみせる。
権威主義への反抗者としては、生涯のおよそ半分を獄中で過ごし、のちに“サディズム”の名称を生んだ近代的無神論作家マルキ・ド・サド、妥協を許さない小説『ダーバーヴィル家のテス』や『薄命のジュード』を発表して当時世間から激しい非難を受けたトーマス・ハーディ。逆に反近代主義宣誓を聖職者に命令したピウス10世がいる。
カリスマ性でいえば、日本映画界の巨匠で“映画の鬼”といわれ、公私とも修羅の道を生きた溝口健二、イラン革命の最高指導者ホメイニはそのものズバリである。
常にあくなき挑戦を続け娯楽の王国を築き上げたウォルト・ディズニーもいる。
天才肌の人物では“打撃の神様”で巨人V9監督の川上哲治、7つの投手記録を持ち一時期“金田天皇”といわれた金田正一、版画・小説・映画・陶芸をこなすマルチ天才人の池田満寿夫。最年少で横綱記録を持つ北の潮もこの中にいる。
俳優では今は亡き名優ジャン・ギャバンをはじめ、北大路欣也、田村正和、山崎努、マイケル・ダグラスらもそうだ。
作家では大西巨人、小田実、連城三紀彦ら、F1レーサーのアラン・ピロストも信長が魂のルーツだ。
多忙な日々が続いていますが、一段落したらまた次の人物をお教えしますので、それまでは織田信長に関する書籍を熟読するようにしてください。
占術師&開運アドバイザー パール・やまぐち