【評価を覆します】King Gnuの音楽に負けた | とかげ日記

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King Gnu『CEREMONY』感想&レビュー【最強の音楽は弱さを認めない】

アルバムを最初に聴いた時と評価が覆る時は、僕はほとんどないから、最初に3回ループした後の感想を『とかげ日記』には書いているけど(上記リンク先のレビューもそう)、King Gnuだけは違った。

これから、前回レビューの際の評価を覆す文章を書く。そのことによって、自分への信頼を失ってもいい。ブレていると言われようが、今の自分に正直な文章を書きたい。

レビューを書いてから気になって何度も聴いているうちに、彼らの音楽の中毒になってしまったのだ。レビューで書いたような強靭なメロディとリズムが癖になってしまい、頭から離れない。

『CEREMONY』を聴いた時、前作と比べ、作品が"表現"になっていると感じた。感情の主張が息づいていると思った。でも、そこで見えてきた彼らの人間性はすごくイヤな奴だった。「人生にガードレールは無いよな/手元が狂ったらコースアウト/真っ逆さま落ちていったら/すぐにバケモノ扱いだ」(「どろん」)とか、社会と他人を信頼していない歌詞に憤ったりもした。

しかし、何度も聴いているうちに、初めは拒否反応を示していた歌詞も、この時代のリアルを描写しているんだなって腑に落ちた。この世知辛い時代に生きる一人の人間のリアルが『CEREMONY』には詰まっている。

僕はレビューの時に、現状の社会は「誰だって生きているだけで認められる社会」ではないことを書いた。だが、「Teenager Forever」の「明日を信じてみたいの/微かな自分を/愛せなかったとしても」という歌詞に、そんな社会でも明日を信じてみようとする彼らのリアルな心情である"微かな希望"を感じたのだ。

本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある

「壇上」の上記の歌詞に、強がりではない彼らの本音をそこに見る。ソングライターの常田さんは、この曲だけは自分のみで歌いたかったのだろう。彼の飾らない本音が愚直に歌われている。

紅白出場を果たして"何もかも"を手に入れた彼らが「壇上」で吐露する今の気持ち。「目に見えるものなんて/世界のほんの一部でしかないんだ/今ならそう思えるよ」というのなら、今なら彼らの人間性を信じてみても良いと思えるのだ。

レビューで書いたように、彼らの音楽は新しい。彼らの音楽の新しさに拒否反応を示していた僕は、何度も聴くうちにアレルギーが消えたようだ。革新性とポップを同時に鳴らした彼らの音楽は、間違いなく2020年代の邦楽史に残る傑作になると思う。

Score 9.0/10.0