【King Gnu】オルタナティブロックなのにJ-POPという魅惑的な矛盾 | とかげ日記

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King GnuはオルタナティブロックなのにJ-POPであるという魅惑的な矛盾をはらんだバンドです。

今日の記事は中高生や音楽用語に初めて触れる方には少し難しい文章も含みますが、頑張ってついてきてくださると嬉しいです。

オルタナティブロックという言葉を初めて知った方のために、wikiから引用しますね。

「オルタナティヴ・ロック(Alternative Rock)は、ロックの一ジャンルである。日本ではオルタナティヴ、オルタナと略称されることが多い。オルタナティヴ(Alternative)とは、「もうひとつの選択、代わりとなる、代替手段」という意味の英語の形容詞。大手レコード会社主導の商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、時代の流れに捕われない普遍的な価値を求める精神や、アンダーグラウンドの精神を持つ音楽シーンのことである。

僕は大ざっぱにメジャーなロックの音楽性やアティチュードではないオルタナティブ(もう一つの選択肢)なロックと解釈しています。狭義のオルタナシーン独特の音楽性もあるけれども、そういった解釈でも問題ないのではないでしょうか。

日本のオルタナティブロックについては、南田勝也・著『オルタナティブロックの社会学』(花伝社,2014.3.)に詳しいです。

この本からちょっと引用してみましょう。

「1997年を始点とする日本のオルタナティブロックの成り立ちをややドラマチックに記述したわけだが、しかし、これらの動向は、全体的な音楽シーンにおいて革命的なモニュメントとして記銘されたわけではない。むしろ、静かにはじまり静かに展開していったといえる。Jポップというメインカルチャーではなく、1980年代までのロックが目指したカウンターカルチャーでもなく、オルタナティブカルチャーとして代替的に歩んでいく道程だ。

 三つの動向すべてに共通していたのは、洋楽のオルタナティブロックに接近しようとする心性である。英米のインディサウンドそのものの97世代、英語詞で歌いアメリカのメロコアシーンと連携したエアジャム勢、イギリスのフェスティバルを範として始まったフジロック。担い手としての日本のミュージシャンたちは、洋楽的要素を取り込んで歌モノ文化を創り上げたJ-POPよりも、もっと洋楽的エッセンスをストレートに反映して発信している。」(p.191.)

この本では、日本のオルタナティブロックが始まった年を1997年としています。この意見に僕も同意します。「洋楽的エッセンスをストレートに反映」した邦楽が作られたのは、 くるり、スーパーカー、ナンバーガール、中村一義など が登場し始めた1997年からですね。その以前にも渋谷系など例外がありますが、渋谷系はオルタナティブなカルチャーではありますが、ピチカート・ファイブ、オリジナル・ラブ、小沢健二などJ-POP(あるいはポップス)の文脈で捉えられることも多いですからね。

多くの人がKing Gnuが売れた理由を説明できない理由は、King Gnuがオルタナティブロックの志向を持ったバンドだからです。日本のオルタナティブロックでこんなにバカ売れした例は過去にないでしょう。 (海外だとニルヴァーナなどがいますが。) オルタナティブロックの自由独立の精神を持って彗星のごとく現れたバンドがKing Gnuです。

彼らが「トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル」と称する自らの音楽性は、洋楽のあらゆるジャンルのエッセンスを汲み取っています。狭義のミクスチャーロックはラップがあるロックのことですが、King Gnuはロックやヒップホップだけではなく、R&B、クラシック、ファンク、ラテンなどあらゆるジャンルを取り込んだ音楽を作っています。これは、日本のオルタナティブロックの定義である洋楽的エッセンスをストレートに反映したロックの文脈に沿っています。

しかし、こんなに売れ(メインストリームな音楽であることの現れ)、音楽性も歌謡曲の要素があると、J-POPとも定義できます。彼らは「同世代の他のバンドは洋楽を目指し、俺達は邦楽をやる。そこが違う」とインタビューで答えています。

ただし、オルタナティブ的な精神も持っていると僕は思っています。彼らは音楽番組に出る際、通常のアーティストが行っている当て振りではなく、生で演奏することにこだわっています。そういった彼らの姿勢は、非常に音楽的だと僕は思います。彼らの音楽自体も、歌モノとしてだけではなく、音楽的なこだわりを非常に感じます。上述のフジロックに2017年から2年連続で出場していることも、音楽的にオルタナティブロックであることの証左でしょう。King Gnuは音楽的にも姿勢的にも、オルタナティブロックバンドが持つ精神性を備えています。

レビューでも書きましたが、以上のことから、King Gnuはメインストリームな音楽であることを意識するJ-POPでありつつ、オルタナティブロックであるという魅惑的な矛盾をはらんだ新しい存在です。J-POP(歌謡曲)と洋楽のそれぞれのエッセンスをこんなに高い次元で融合したという点で、日本の邦楽史に残る存在となるでしょう。

かつて、「アイドルなのか。 ロックなのか。 どうでもいい。」というキャッチコピーを掲げたflumpoolというバンドがいましたが、それに倣って言うのなら、「メインストリームなのか。オルタナティブなのか。どちらも意識する。」ですね。King Gnuのメンバーはこんなカッコ悪いキャッチコピーは使わないけど。それどころか、King Gnuは自分たちの音楽のことをオルタナティブロックでもあると思ってさえいないかもしれない。

「白黒で単純に割り切れやしないよ/人はいつだって曖昧な生き物でしょう」(「どろん」)

上記の歌詞がKing Gnuの音楽性についても言えますね。J-POPを目指しつつ、背景にはオルタナティブロックがある存在。そんな両義性が僕が彼らの音楽にハマった理由の一つです。



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