神聖かまってちゃん「知恵ちゃんの聖書」と傷つきやすさの音楽 | とかげ日記

とかげ日記

【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。




【の子の宅録MV】神聖かまってちゃん「知恵ちゃんの聖書」(2011年)

「知恵ちゃんの聖書」歌詞

●歌詞にこめられた意味とは

この曲は「知恵ちゃん」という一人の女の子に仮象された傷つきやすさに捧げられた曲だと思う。

タイトルの「聖書」や歌詞中に出てくる「布教活動」という言葉からもイメージが広がるようなホーリーな雰囲気の曲になっている。しかし、「聖書」や「布教活動」といった宗教そのものに対する憧れまたはアレルギーは、この曲を作った"の子"の言いたかったことではないと感じる。「布教活動」することによってハブられる知恵ちゃん。みんなからハブられて嫌われても、知恵ちゃんには知恵と優しさがあるのだと勇気づけること。生き方も勉強であるくらい真面目に過ぎる知恵ちゃんのその生き方を肯定してあげること。それこそが"の子"の言いたかったことではないか。

邦楽ロックやJ-POPと呼ばれるジャンルの音楽で、人間の知恵(知性)を褒めたたえる曲は稀有なのではないだろうか。あるいは、「君は知恵溢れる人だから」という励ましは、これまでどのような曲にも見られなかったものではないか。サウンドの感触といい、歌詞といい、神聖かまってちゃんでしか作れない個性のものだと思っている。

「あそこから落ちたらば/傷つくもんだと思います」とは歌詞の前半にある団地から人が飛び降りたことを受けて言っているのだろう。その飛び降りで人が亡くなったのか否かは歌詞からは読み取れないが、団地から落ちたという事実自体に優しい知恵ちゃんは傷ついたのだと考えられる。団地から落ちたあの人のために何か私にできたことはなかったのかな、とまで考えていたかもしれない。しかし、何もできることはなかったと悟り、泣いていたのかもしれない。「頭いいからね知恵ちゃんは/考えすぎてしまうんだ」という歌詞からはそういった想像が次々に膨らんでいく。

「みんなから嫌われて/傷つくもんだと思います/優しさをあげれるような/優しい人でいなさいな」というラインは、僕が神聖かまってちゃんで五指に入る好きな歌詞の一つだ。優しい人はその純粋さゆえ、周りから煙たがられることも多いし、ちょっとしたことで傷つくことも多い。「優しさをあげれるような優しい人」とは素晴らしい表現だ。嫌われても優しさをあげれる人になれ。この歌詞は今も僕の行動方針の一つになっている。僕は優しくないけど優しくありたいと思っているし、生き方を勉強と捉えるくらい真面目だし、知恵ちゃんに共感するところが多い。

そう、知恵ちゃんに共感し、同化しすぎることによって、の子のMV発表以来、この曲のことしか考えられない状態になってしまった。寝ても覚めても知恵ちゃんの聖書。日常生活に支障をきたすくらい、異常にのめり込んでしまった。それを反省し、その後は音楽作品や文化芸術とはある程度の距離感を取って接しようと肝に銘じた。同化と客観のせめぎ合いこそが、批評のスリルに繋がるのだとも思っている。

神聖かまってちゃんの音楽は、傷つきやすさに捧げられる音楽でもある。特に初期はその傾向が強かった。僕らが何かに傷つく時、そのそばで願いのように神聖かまってちゃんの音楽は鳴っている。知恵ちゃんにとっての聖書である「勇気」を持つことを"の子"の音楽はどんな音楽よりも実践している。勇気があれば、いくら傷ついてもロックンロールできるから。神聖かまってちゃんの勇気が多くの人に届いてほしい。その勇気は人から嫌われてもいいんだよ、自分のやりたいことをやりなよと教えてくれる。


👇こちらの記事もどうぞ👇
神聖かまってちゃん『児童カルテ』感想&レビュー
神聖かまってちゃん『ツン×デレ』感想&レビュー
『とかげ日記』の神聖かまってちゃん記事一覧(現在26件あります)