神聖かまってちゃん『ツン×デレ』感想&レビュー | とかげ日記

とかげ日記

【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。
X(旧ツイッター)ID : @yoyo0616

ツン×デレツン×デレ
3,132円
Amazon





●10周年!
曖昧に主張するシンセの音色に象徴されるホーリーな浮遊感が魅力だった前作から一転、鮮やかに振り切れた曲が並んでいる。

この流れは『つまんね』『みんな死ね』から『8月32日へ』への流れを僕に彷彿とさせる。ローテクニックでジャンクだった『つまんね』『みんな死ね』から一転してハイファイ・ハイテクニックで鮮やかに振り切れた『8月32日へ』をリリースした時の流れと近いものを感じたのだ。チャートでもっとも好アクションだった『8月32日へ』を本作で超えたい思いもあるのかもしれない。

『ツンxデレ』の魅力は、その鮮やかさにある。アルバムを通して歳を取ったことによる生き辛さ(レコード会社に反発したり、感受性がなくなってきたと嘆いたり)が歌われているが、それにも負けない音楽の鮮やかさがある。音楽の中で神聖かまってちゃんは自由なのだ。

たとえば、リード曲の#1「33才の夏休み」。良い意味での違和感を曲に忍ばせていた神聖かまってちゃんが、違和感の少ない王道の曲を作っていることにぼくは驚いた。夏休みのように煌めくギターの音は鮮やかでずっと浸っていたくなる。

#3「8月の駅」#7「決戦の日」#8「ラムネボーイ」も「33才の夏休み」と同じ路線で、ややアップテンポの鮮やかな夏の歌。#9「26才の夏休み」も夏の歌で、セカオワのFukaseに「の子は夏の歌を作るのが上手い」と言われた才能が活きている。

神聖かまってちゃんは鮮やかな「いま、ここ」を切り取る。彼らの音楽を聴いていて思うのは、彼らは「ここではないどこかへ」逃げるのではなく、「いま、ここ」で戦っている音楽を鳴らしているということ。ライブハウスで、インターネットの画面越しで彼らは戦っている。

「33才の夏休み」でタイトルに「夏休み」という逃避の言葉が使われているけど、彼らが「消えていこう」と願うその行き先は「水色の街中」なんだよね。街の外ではなく「街中」というのがポイント。夏休みが終われば、「カンカンと枯れ」ながらも「街中」という社会において戦おうとする彼らがそこにいる。そして、「逃げたら次があるさ」と歌われる「決戦の日」の歌詞からは、逃げつつも戦おう(=生きよう)とする意思が垣間見れる。


僕はツイッター上である人から、「よーよーさんは満たされない者の叫びみたいな音楽が好きなのだろう」と言われたが、そうなのかもしれない。神聖かまってちゃんは10周年を迎えてある程度満たされているはずなのに、その音楽からは飢餓感を感じずにはいられない。そして、その音楽は僕の心にジャストでフィットする。

ヘビーメタル的意匠のサウンドが新鮮な#2「塔を登るネコ」では、「ねこラジ」の音源が出てから8年たっても塔を登り続けるかまってちゃんがいる。この上昇意欲! 上昇意欲は絶えずある飢餓感につながっていく。

飢餓感とユーモアの感情を下地にして、アヴァンギャルドな音楽性をJ-POPに落とし込むセンスはさすがだ。前衛になりすぎず(本作を買うとついてくるタワレコの特典CDは前衛的だったが)、ポップなロックソングを歌ってくれる。デビュー当時よりメインストリームのJ-POP曲のフォーマットに近づきつつも、変わり続ける中で変わらない点はここにあると思う。

リーガルリリーのたかはしほのかの歌声が持つ浮遊感を上手く活かした#4「秋空サイダー feat.たかはしほのか」にも音楽的挑戦が見られるし、#5「犯罪者予備君」ではストーカーを曲の主題に据えるという冒険をしている。神聖かまってちゃんの音楽的挑戦と冒険には果てがなく、それは彼らが常に上昇意欲を持っているからだと思う。


の子がマイフェイバリットに挙げるのは、ザ・スミスやニルヴァーナではなく、クイーンやディープパープルということも神聖かまってちゃんを捉える際に大切な視座を与えてくれる。時にシリアスでありつつも、人を楽しませることを忘れていないのだ。

10周年の節目に出した10曲のそれぞれに、とても楽しんでいる僕がいる。神聖かまってちゃん、いつもありがとう! の子は「ありがとうはまだ言うな」なんて言いそうだけどね。の子はあくまで「僕自身をワクワクさせたいんだ」(#10「大阪駅」)というスタンスだからね。僕は彼らのそんなところが好きなのです。