新海誠監督映画『天気の子』感想&レビュー(ネタバレ) | とかげ日記

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僕は知っている。"セカイ系"と呼ばれ、批判されてきた作品にも見るべきものがあり、語られるべきメッセージがあったことを。人と世界の間に社会がないという批判を受けていた"セカイ系"作品にも、実は社会が描かれ、主人公たちはその社会で暮らしているということを。

本作『天気の子』もセカイ系に括られる作品だろう。ヒロインの少女の生き方が日本というセカイに影響する。その影響先が天気というのが、この作品のミソだ。天気という誰にも身近なものがテーマだからこそ、この作品は誰に対しても開かれている。

以下はネタバレになるので、未見の方は読まないでほしい。






主人公たちの下した決断が世界の天気を変えてしまう。「青空よりも、俺は陽菜がいい!」という主人公のエゴが世界に今も雨を降らし続けている。物語の中盤まで、天気を晴れにして喜ぶ人たちがいることで、天気が晴れることの素晴らしさを感じていた主人公たちが、終盤で青空を捨てる。そして、陽菜は人柱として天で生きることではなく、この世界で生きることを選ぶ。

生きるというエゴに勝る正義や公があるかということを、この作品は叩きつけてくる。主人公たちは、正義の象徴である警察にも歯向かう。これらの描写の仕方は、賛否が分かれるところだろう。分別のある"良識派"の大人には受け入れられない人もいると思う。だが、主人公たちは果敢に決断する。

「一緒に逃げよう!」ーー。主人公たちの行動の理由が分からないと感想を書いていた方もいたが、映画の中でそれは自由と生存のためだと説明がなされている。しかし、論理的ではなく、どこまでも直感的に動く主人公たちに眉をひそめる観客もいるかもしれない。そこに、もっと僕らは自由に生きて良いんだよという新海誠監督のメッセージを感じる。

そして、エンドロールで流れるRADWIMPSの『大丈夫』。この歌は主人公たちの決断をそれで大丈夫だよと力強く後押しする。


僕はこの映画に感激した。『君の名は。』では主人公の一途な恋心と純真さは、落ちる隕石から村を救ったが、本作『天気の子』では同じ恋心と純真さが世界の在り方を変えてしまう。

自分の世界を生きるために他人の世界を台無しにしてしまってよいのか? 答えの出ない疑問だ。だが、その疑問は、「他人の世界のために、自分の世界を諦めてしまってよいのか?」と置き換えることもできる。

この映画は「自分のために願って」とその疑問に答える。誰かがそばにいてくれるのなら、そう願うことができるという答え方が素敵だ。RADWIMPSが歌うとおり、愛にできることはまだあるのだ。周りの大人である夏美も須賀さんも主人公たちの決断を最後には後押しする。


女子大生の夏美の描き方は、男性たちの欲望が反映されているという気はした。だが、健全なお色気の範囲内であると思う。女性の描写に男性たちの欲望が反映されていることに怒っている方たちがいるが、そういった方が目指す性欲という"汚れ"や"ばい菌"を滅菌し抗菌した綺麗な世の中では、人々が恋に落ちたり、子供をもうけたりすることも無くなるだろう。

大人の男性である須賀さんが魅力的だ。エヴァの加地さんに通じるような酸いも甘いも噛み分ける"大人"の男性。だが、彼も家出少年である主人公を雇い、法に触れている。主人公の家出の意思を尊重したり、須賀さん自身も主人公を雇うことで家出の決意を後押しするなど、一般に言われるような正義よりも、その人の下した決断を重視するという映画の姿勢がここにも見て取れる。


その須賀さんのセリフ「世界なんてさーーどうせもともと狂ってんだから」。映画の言うとおり、この世界は最初から狂っている。その混沌とした世界では、自分の下した決断が重要になる。

様々な正義が錯綜する中で、どれだけその決断のことを自分自身が信じられるのか。主人公たちのまっすぐな決断の仕方は、観る者に勇気を与えるはずだ。そして、人が人のことを真摯に思う時、その決断は悲劇的な運命を変えうることを、僕はこの映画から確かに教わった。

映像美とメッセージが詰まった一時間半、RADWIMPSの音楽と共に僕の心はずっと共振していた。


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