RADWIMPS『Xと○と罪と』感想&レビュー(2013年)【過去記事再録】 | とかげ日記

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メンバーそれぞれが音楽制作ソフトであるプロツールスを導入・使用。前作までよりも、より自由な曲の作りになっている。バンドサウンドは一体感を増しているが、サウンドの全体的な方向性は、前作までとそれほど変わらない。

もっと音楽的な評価を得るためには、このあたりで、音楽性をがらりと変えた「問題作」と呼ばれるアルバムを作ってもよい気がした。Mr.Childrenでいうなら『深海』、スピッツでいうなら『ハヤブサ』にあたる、音楽的な懐の深い問題作を出してもよかったのではないか。グランジなRADWIMPS、エレクトロニカ色の強いRADWIMPS、新鮮なコンセプト下にあるコンセプトアルバムなど、聴いてみたいRADWIMPSを挙げれば枚挙に暇がない。

だが、今まで出したどのアルバムよりも『×と○と罪と』は情報量が多いといえるだろう。CDの容量ギリギリの15曲のどの曲にも、選び抜かれた言葉とサウンドがぎっしり詰まっている。「実況中継」のカオスぶりなど、言葉とサウンドを浴びるように聴いていると、全く飽きることのないアルバムだ。

ミックス、サウンドの処理もいつものRADWIMPS。音をもっと深くダイレクトに響かせてほしいといつも思うが、この線の細い音が繊細な世界観の曲にも合うのだろう。

サウンドに乗る歌詞は相変わらず聞き取りやすい。BUMP OF CHICKENと比較されることの多いRADWIMPSだが、音楽性に共通点はあまり見いだせないが、歌詞が聞き取りやすく、歌詞を聞いて情景をぱっと連想しやすいところは共通するだろう。両バンド共に歌詞を大切にするバンドである。この系譜は邦楽ロックの世界に脈々と受け継がれ、現在の最右翼はamazarashiだろう。

ラップを織り交ぜる歌詞の譜割り・リズム感も独特だ。スピッツの草野マサムネも評価していたが、2000年代以降の新しい世代の譜割り・リズム感だろう。日本語ロックの一つの発明と言ってもいいのではないか。

『×と○と罪と』の歌詞の内容は、「僕」「君」「神(絶対的な存在)」のトライアングルが何かを信じ切っているかのように強化されている。「僕」は「君」を愛し、憎み、「僕」は「神」と対等に話をし、「君」は「神」のようである。間に社会がない、密室の愛憎劇により、嫌悪感を覚える人もいれば、「君」に歌われた歌を自分に歌われた歌のように感じ、より親密にRADWIMPSの音楽を感じることのできる人もいるだろう。極端な後者は、RADWIMPSを神格化する。そういった一人一人のリスナーにRADWIMPSの音楽は、神の音楽のように鳴り響く。RADWIMPSの音楽は、大切なことだけでできているからだ。

社会を嫌悪し、復讐しようとする神聖かまってちゃんと、個人個人と「僕」と「君」が大切なのだから間に社会は要らないとするRADWIMPS。社会が縮小していく現代の世相も表しているかもしれない。

これまで、安定した善意と愛で構成されてきた「僕と君」の密室に不安定要素がもたらされているのも『×と○と罪と』の大きな特徴だ。不安定にしても、リスナーとこれまで築いてきた強固な信頼関係は崩れないとの判断だろう。「いえない」の愛するがゆえに永遠を欲するがゆえに秘められた殺意、「五月の蠅」のあふれ出して止まらない憎悪。しかし、誰にも言えない感情、ネガティヴな感情を出し切った今、野田洋次郎の紡ぐ言葉はとても素直に率直に聞こえる。そして、愛にあふれた歌、例えば「ブレス」は、醜さの反対にある尊いもの、美しいものとしてこの胸に迫る。

親しみを感じる歌では、うららかな気持ちを緩やかなラップに込めた温かなサウンドで、RADWIMPSをより身近に感じることができる。友情を歌った「リユニオン」や仮想の我が子のことを歌った「Tummy」がそうだ。RADWIMPSは半径2mの出来事と自分から遠く離れた世界のことを対等に歌うことのできるアーティストだが、これらの歌は半径2mの幸福で満たされている。

収録されなかったシングル(『シュプレヒコール』)もあるが、「ドリーマーズ・ハイ」が収録されて嬉しい。「ドリーマーズ・ハイ」の系統の曲に最もRADWIMPSの可能性を感じる。「有心論」や「ジェニファー山田さん」にも見られる、人間性を武器に無謀にも世界に突っ込んでいく歌。がむしゃらさと引き換えに半径2mから世界を見通せる視野の広さを得た今のRADWIMPSは「有心論」の頃とは違うが、それでもこの曲からは、人間性で世界の不可能性に挑戦していることを感じ取れて幸せな気持ちになる。もっとこういう曲を増やしてほしい。

RADWIMPSは心のアーティストだ。聴く人の心に確実に働きかける。心の表面をなぞるアーティストが多い中、カジュアルな着こなしの難しくない易しい言葉で、RADWIMPSは心の深くを潜っていく。それが嫌な人はアンチになるし、RADWIMPSの曲を遠ざけるだろう。最後の曲「針と棘」はファルセットの優しい声と童謡のようなメロディのサビが心に染みいる、ラストを飾るのにふさわしい曲。この曲を聴いて、自分も針と棘を抜かれたようだ。優しい気持ちで親しい人に会いに行きたくなる。

そして、RADWIMPSは人との繋がりを歌うアーティストだ。キザな(だけど真っすぐな)言葉で言ってしまえば、RADWIMPSは「愛」を歌うアーティストなのだ。歌詞に「神」という言葉が出てくるのは、人々に最も愛され、人々を分け隔てなく愛する存在が神であるはずだからだ。中村一義は「神」と自分自身を同一視する(誰だって神だと言う)が、野田さんは「神」と対等な人物として自分を描く。「神」と対等な特別な自分は、リスナーの一人一人にも愛を与えることができるという表現の方法だ。そしてその実、ボーカルの野田さんは誰よりも愛されたいと望んでいるのだろう。

本作のもう一つのタイトル案に『生まれてこなければ死ななくて済んだのに』という案があったという。死にたくないと願うのはRADWIMPSが愛を知っているからだ。物事に「×」と「○」をつけながら、いつもそこにあるのは愛なのだ。RADWIMPSが求めているものも手放したくないものも愛なのだ。全15曲は様々な愛の形を見せる。愛は殺意も憎悪も祝福し、生きることを肯定していく。生きる上で僕らが背負う罪は、罰(×)を与えながらも、愛の下で間に○の花が咲く。『×と○と罪と』の愛が多くの人に届いてくれたら嬉しい。







(この記事は、発売当時にアップしてその後に削除したものを復元して公開しています。)