ボーダーレスの世界でどう生きていくか | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

世の中の流れはジャンルレスですが、ジャンルやカテゴリーと共にアイデンティティを形成する人もいるのです。例えば、邦楽ロックというジャンルと共に成長してきた人がいる。毎年、ロックインジャパンフェスやカウントダウンジャパンフェスで邦楽ロックバンドのパフォーマンスを観て、歓喜する人々。しかし、洋楽やアイドルは聴かない。

あるジャンルへの愛着が他のジャンルへのヘイトに結びつかない限り、そのジャンルに固執することは悪いことではない。ただ、他のジャンルに見向きもしないというのは、寂しいと言う人がいるのも理解できる。

今は、前述したフェスにも、ロックバンドだけではなく、アイドルも出演する時代。また、ロックというジャンルを飛び越え、他のジャンルを取り込むバンドも昔からいるし、流れは加速している。ジャンルの壁を超えて交流が起こる時代だ。


グローバル化やリベラリズムの浸透により、人の属性もどんどんボーダーレス化している。国籍やジェンダーはボーダーレス化している属性の代表例。祖国を去り、新たな国籍になる人も増えているし、「男らしさ」「女らしさ」の概念も崩れてきている。

しかし、ここでアイデンティティの危機が起こる。例えば、移民の流入によって、文化の衝突が起こる。また、「男らしく」「女らしく」生きてきた人はボーダーレスへの変化を受け入れられないし、男性らしさや女性らしさの喪失は一つのアイデンティティを失うということだ。

今の世の中の流れは、境界を強化する流れと弱体化させる流れの二つに分類できる。ネット右翼は「日本人」というアイデンティティに固執し、血統の境界を強化しようとする。世界各国で移民排斥を謳った右翼政党が台頭している。しかし、その一方でEUの活動のように、国の境界の壁を減らしていこうとする動きもある。

境界を強化しても、弱体化させても良いのだが、境界間の交流や境界を飛び越える動きは活発になってほしいと願う。相互理解が大切だ。マジョリティがマイノリティを理解しようと努めるのも大切。そして、努力しても分かり合えないと悟った時には、相互不干渉の原則も重要だ。

RADWIMPSの「HINOMARU」も何も問題はないと以前に書いた(「【炎上】RADWIMPS「HINOMARU」を全力で擁護する」 )。日本という国を愛して、その愛を歌うことは、他国へのヘイトに繋がらなければ何の問題もない。

しかし、境界の内側を愛することは、容易に境界の外側へのヘイトに結びつく。それだけは避けなければいけない。

「人種のサラダボウル」という言葉がある。良い言葉だと思う。この言葉のように、様々なジャンル、カテゴリー、属性が寄り添い、美味しいサラダになる。そのような世界になるように、人々は生きていくべきだ。だが、「人種のるつぼ」のように、一つの属性に個性を統一するようなことはあってはならない。


僕は境界線上で生きている。僕は性自認が男でも女でもないXジェンダーだ。また、僕の抱えている病気である統合失調症は正気と狂気の狭間にいる病気だ。それに、政治思想も右派と左派の折衷が良いと思っている。まさに、自分自身がボーダーレスなのだ。

だからこそ、アンビバレント(両義的)な表現に惹かれる。前述したRADWIMPSにしたって、僕が最も好きなバンドである神聖かまってちゃんやうみのてにしたって、正常と異常、愛とヘイトなど、両極の感情を歌うアーティストだ。

僕は境界のこちら側とあちら側を結ぶ活動がしたい。ここで言う「結ぶ」とは、交流などにより相互の分断をなくし、それぞれがバラバラのままで、一つの世界として統合するということ。この『とかげ日記』や 自作小説『星に帰る?』 は、そのための作品でもある。アーティストとリスナーを結ぶ、ジェンダー間を結ぶ、正気と狂気を結ぶ、愛とヘイトを結ぶ活動をこれからも行っていきたい。

「アーティストとリスナーを結ぶ」ために、レビューがある。アーティスト、リスナー、その間を取り持つ人間の三画関係が上手く相互作用すれば、音楽の文化はもっと面白くなる。そして、この三者間の垣根はだんだんなくなってきていると思う。ネットの発達により、発信することが容易になり、リスナーがアーティストになれたり、レビュアーになれたりする時代なのだ。

「ジェンダー間を結ぶ」とは、男女間の性差別をなくしたり、あらゆるジェンダーが相互理解しながら暮らしていけるようにしたりすることだ。

「正気と狂気を結ぶ」とは、狂気があっても一人の人間として、または一つの世界として、凛として存在できるようにするということだ。僕は世の中や自分の中にある狂気に勝ちたい。そして、家族や友人への愛が僕らを狂気から救ってくれるということを確信している。

この記事 「リスト係さんを見ていると暴言って面白いと思う」は、愛とヘイトを結ぶ活動だよね。差別的だったり、故意に人を傷つけるような表現だったりしなければ、「嫌いだ」という感情も、外に出していいんだよ。今の世の中は、ヘイトを口に出す人と出さない人で分断が起こっている。その分断を減らしていきたい。そして、ヘイトを尊重した上で、愛のある言葉を紡いでいきたい。

また、この記事「Xジェンダーの可能性と大森靖子『ドグマ・マグマ』の歌詞解釈」は、境界線によってカテゴライズされる人々は一人一人から成り立っているから、バラバラのままで愛し合おうということを言っている。これも、境界のこちら側とあちら側を結ぶ活動だ。

こうやって、世の中の結び目のほつれや歪みを癒していきたいのです。とかげ日記読者の皆さんには、僕の闘いを見守っていただけると嬉しいです。