原著の「こうして医者は嘘をつく」によれば、以下のように述べられています。
新しい医学がめざしているのは、政治的立場の違いを超えた生命の本質である。それがQOLということになるが、そうなると新しい医学も宗教的要素をもつことになる。
現代医学は生と死、生命の意味といった問題を扱い、それ自体が宗教となった。そのおぞましい実態の原因は、薬品や医療機器といった生命のないものに基づいて教義をつくり上げたことにある。不幸なことに、現代医学は偶像を崇拝する宗教になりはてたのだ。
さらに現代医学は、人生の諸問題を扱う伝統的宗教を排撃してきた。だが、新しい医学にとって、これは二度と繰り返してはならない過ちである。
私は本書の中で、現代医学教を全身全霊で排撃してきた。では、現代医学に代わる新しい医学とは、どのような医学だろうか。それをこれから説明しよう。
まず、医療現場から悪い医者を一人残らず追い出し、新しい任務を遂行するのにふさわしい医者を養成することが重要だ。
信仰は宗教にとって最優先される課題だから、新しい医学にも信仰が欠かせない。だが、新しい医学では医者、薬品、医療機器、医療技術をあがめない。信仰の対象は生命そのものだ。
新しい医学は生命に敬意を払い、生命を慈しむことによって現代医学を打破することを使命とする。しかし、患者と伝統的宗教のあいたに割って入るようなことはしない。
価値観とは、物事の根本的な善悪を判断する規範意識である。それはどんな人にとっても不可欠だ。とくに価値観などないと言う人ですら、価値観が不要という価値観をもって生きている。誰もが価値観から逃れて生きていくことはできない。
そこに宗教が求められる素地がある。宗教はさまざまな価値を順序づけ、複数の選択肢があるときに選ぶべき行ないを指し示す。だが、現代医学は従来の価値観を破壊した。
現代医学は人々にこう呼びかける。
「人はもはや従来の価値観にとらわれる必要はない。生活習慣が原因で病気になろうと、現代医学はそれを治すことができる。善悪の判断を迫る道徳から人々を解放しよう。その代わり、現代医学の価値観をひたすらあがめなさい」
だが、人間である以上、生物学の法則を避けて通ることはできない。生物学の法則とは、自然の摂理のことだ。生物学こそが、新しい医学の価値観の核心である。
このように「新しい医学」とは生物学に根ざすべきとされ、これが自然の摂理とされます。
このように考えるなら、臨床頭痛学も生物学の法則に従って構築されなくてはなりません。
生命の根源となるのは、私達の細胞のなかにある小器官のミトコンドリアにあります。
こうしたことから、臨床頭痛学はミトコンドリアとの関連から考えなくてはなりません。
ここでいう、臨床頭痛学とは、脳の中に異常のない慢性頭痛を論じる学問のことをさしています。ということは、現在のように脳のなかに異常のない一次性頭痛と脳のなかに異常のある二次性頭痛を混在させ、とくに一次性頭痛を二次性頭痛の観点から論じること自体問題があると言わざるを得ません。
さらに、トリプタン製薬メーカーおよびトリプタン御用学者の作成した国際頭痛分類第3版を頭痛診療および頭痛研究の教義・教典として臨床頭痛学は論じてはならないということです。
国際頭痛分類第3版を遵守することによる弊害は、これまでも諄い程再三再四述べてきたことであり、ここでは述べないことにします。
詳細は、以下をご覧下さい。
片頭痛治療のてびき 前編
http://taku1902.jp/sub510.pdf
慢性頭痛 治療の考え方・進め方 後編
http://taku1902.jp/sub511.pdf
「これでよいのか 片頭痛医療」 改訂版
http://taku1902.jp/sub512.pdf