レイ達の乗った列車はブラン駅に到着し、荷物を持った乗客が次々とホームへ降りていく。列車の長旅を惜しむ声、ひどい目にあったと嘆く声――様々な声と次の列車の発車を告げるアナウンスが混ざり合う中、レイとクラウ、そしてアークは別れの挨拶をしていた。
「さっきはあんたのおかげで助かったよ」
「いえ、それは僕の台詞です。本当にありがとうございました。それにしても――」どこかまだ少年らしさを残す笑顔の中、眼鏡レンズの奥の目が鋭さをみせた。「レイさんがあの有名な銀髪鬼さんだということは分かりましたが、クラウさん、あなたのその力は一体……」
「それは……」クラウは俯いていた。
クラウが何故呪文を詠唱せずに魔術を操ることができたのか、レイも気にしていないわけではなかった。しかし――。
アークは肩の力を抜くように一つ息を吐くと、先程までの笑顔に戻った。「失礼しました。何でも知りたがるのは職業病なんです。ですがクラウさん。あまり人前で魔術を使わない方がいいですよ。あなたのその力を悪用しようという人達はたくさんいるはずですから」
「……うん、ありがとう」クラウは顔を上げた。
「あんたはどうすんだ?」
「飛行艦に乗ってイクシオラに帰ります。でもまだ出発時刻まで時間があるので、この街にいる知合いのところへ行くことにします。お2人はどうするんですか?」
予定などなかった。とりあえずノワールから離れようとして終着駅に来たにすぎない。クラウは一緒にバウンティーハンター稼業をしていくつもりなのかもしれないが、今更誰かとコンビを組むつもりはなかったし、その相手が少女となれば尚更だ。レイが「特に決めちゃいないさ」と言うと、「そうですか」との返事が返ってきた。
そして、アークは、「もしダーナに来るようなときには、大学に遊びに来て下さいね」と言うと、床に置いていた大きめのトランクを持ってその場を後にしていった。
駅舎を出て眼前に広がったのはノワールと全く異なる光景。工場ばかりで家屋の壁も排煙で黒ずんでいたノワールとは逆に、燦々と降り注ぐ太陽の光をいっぱいに反射させる白を基調とした建造物が立ち並ぶ≪商業都市ブラン≫は、別名≪光の街≫と呼ばれている。
今でこそ世界中の企業が集まる世界経済の中心地だが、元々は錬金術の研究都市であった。魔術と科学の融合によって誕生した錬金術の影響は今でもブランに色濃く残っており、街並みは中世期と現代の建造美を融合させた独特の雰囲気を醸し出している。小型のアニマドライブによって動く自動車が走る道路は丁寧に舗装されており、その脇を歩く人々の背筋が伸びた様は気品の高さを表している。
クラウにとっては何もかもが初めての光景であり、心の言葉が思わずこぼれてしまったかのように「すごい……」と呟いたのが聞こえた。
「レイはこの街の事、知ってるんだよね?」
バンドール一の大都市ともなれば、それだけ犯罪者――ウォンテッドも増えるということ。何度も訪れているし、ウォンテッドを捕まえようとするうちに裏道まで知り尽くすことになった。それ以前にも、まだJUSTICEのNo・Ⅴだった頃、任務で頻繁に訪れもしていた。
「まぁ、それなりにな」
はっきり「詳しい」と言わなかったのは、嘘はつけないと分かった上で、クラウの次の言葉におおよその見当がついていたからだった。
「じゃあ、案内して!」
やっぱり……レイは途端に煙たそうな顔をし、「長旅で疲れてんだ。んな面倒臭ぇことしてられっかよ」と冷たく突き放した。
クラウは口を尖らせて言った。「せっかく来たんだもん、色々なとこ連れてってよ。ね、お願い! どうかこの田舎娘めに都会というものを教えて下さいませ」おどけた口調で両手を両膝に添え、深々とお辞儀をしてみせる。
多くの人々が行き交う大都会の駅前で、大の大人が女の子に頭を下げさせている。通り過ぎる人々の視線が矢のように突き刺さるのを感じた。息が詰まる。
「……ったく、分かったよ、案内すりゃいいんだろ、案内すりゃ!」
完全な敗北だった。
ブランの中心は繁華街となっており、最も人の集まる場所である。アパレルショップが軒を連ねるエリアには国内最先端のファッションが集まり、その華やかな空間の中では道路に面したウインドウに瞳を輝かせている女性もまた一様に輝いて見える。自然の森に手を加えて造られた公園では、気分をリフレッシュさせたい人々が森林浴をしていたり、ジョギングをして汗を流していたり、器用にジャグリングをする大道芸人に向けて拍手を贈っていたり。世界中の動物が集められた動物園は恋人達や子供連れの家族の憩いの場となっている。
しかし、ブランを観光するに当たって絶対に外すことのできない場所が1か所だけある。それは、何といっても≪ブランタワー≫だ。かつてバンドールが市民革命に成功した際にそれを記念して建てられたこの塔は、全高324メートルにも及び、世界一高い鉄塔としてブランのみならずバンドールの象徴となっている。高さ273メートルにある最上階は展望デッキとなっていて、そこから見る夕陽はブランの美しいキャンバスに柔らかい朱色の水彩絵の具を塗る。巷では、ここで女を口説き落とせない男とは結婚してはならないとまで言われている。レイにそのような意図は全くなかったが。
デッキに到着するやいなや、クラウは柵に身を乗り出すようにして光の街に魅入られていた。南から吹く暖かい風が心地よい。
「やっぱりレイと一緒に来てよかった! わたし、ナーシサスとノワール以外に出たことがなかったから、ずっと色んな世界を観たくて」
クラウは娘の力の危険性を認識していた母親の言いつけを守り続けていた。それが彼女の好奇心を縛り続けていたが、ソウルギアとレイが良くも悪くも解き放った。
「……教えてくれないか? 何でお前が契約石も呪文詠唱もなしに魔術を使えるのか、ソウルギアの奴が言っていた≪ラ・ピュセル≫ってのは何なのか」
つい先程まで暖かかった風が冷たく感じられた。クラウはレイの方に振り向いてその瞳を見るなり、すぐに茜色の空に視線を戻した。
「分からないんだ、ホントに。生まれた頃からこうだったから。天冥術なんて知らなかった時から、怪我した人を助けたいって思ったら治せるようになってて……お母さんからは人前で使っちゃいけないって言われてたけど、怪我した人を放っておけなくて使ってた」
ひとつ確信できたのは、この女が≪アニマ保有者≫であるということ。今この世界で自己の身体にアニマを持つ人間は、≪ソラシス≫と≪ディクシス≫だけだ。しかし、ラグナロク終結後、彼らはレイ達≪アルシス≫との交流を完全に断ち、それぞれが≪神海≫と≪失われた大陸≫と呼ばれる地域に閉じこもったきり出てこない。だいいち、ソラシスやディクシスとアルシスとでは耳の形状が異なるし、彼らの背中には互いに異なる翼が生えている。クラウがソラシスでもディクシスでもないことは誰の目にも明らかだ。そうすると、考えられるのは、クラウがかつてアニマを手に入れ自らを≪グロウシス≫と呼んで区別していたアルシスの生き残りだということか。
「他人を助けようとするのは偉いが、お前の母親やアークが言うとおりだ。世界中の誰もがナーシサスの住人みたいんじゃない。ソウルギアだって――」
「それでも――」クラウの目は真っ直ぐレイの目を見ていた。「それでも、助けたいって思うんだよ……」
風がクラウの柔らかな髪をなびかせるのを見た。肩にかかるくらいの長さをもった栗色の髪が、夕陽に染まって赤みがかっている。その姿に≪あいつ≫の姿が重なった。かつて守ると誓った≪あいつ≫の姿に――。
「この気持ちだけは忘れたくない……」
つづく
