初めてアメンバー記事にしようか一瞬考えました。ちょっと昼間にアップしにくい内容なので、書いていたまま夜中に更新します。
こんばんは
男心、夫心の答え合わせのカウンセラー
梶ヶ谷ようめいです
最近過去記事を読んでくださってる人が増えて来ているようで、過去の記事に「いいね!」がつくことがたびたび出てきました。
で、どんな記事だったかなあと思って自分も読んでみると、いやあよくここまで書いたなってものもかなりある。
以前にも書いていることだし
カウンセリングやお茶会でもセッ、クスの悩みやセックスレスの相談に乗ることもあるから、自分の過去を話すことがあるのだけど
昨日のセミナーでも話しているし
最近続けて話す機会が増えてきたから
あらためて少しだけ書いてみる
8年の婚姻期間でセッ、クス回数2回
セッ、クスを拒否されていた側
二行で表すなら
自分の過去の経験である。
この状況をセックスレスと呼ぶのかは正直未だにわからない。
まあお茶でも飲みながら…
1回目の結婚生活の話である。
最初は結婚してから約一年後
子供を作る目的で行為を求められたのがきっかけ。「◯歳で子どもがいる予定だった。できないなら離婚する」…子どもはまだいい…そう反対意見を持っていたが、撤回して自分は意見を飲んだ。
2回目はそれから約2年後。そのころの自分は仕事でも家庭でも疲弊し、どこにも居場所がなく、うつ病の診断を受ける直前の頃だった。性欲が全くなくなっていることに男性として怖さを感じてた。
そんなおり
スキンシップも当然全くなく、会話もギスギスしていたにも関わらず、「◯歳までに2人目がいるはずだった。できないなら離婚する」自分は最後まで断る気力はもうなく、ただただそれに義務的に応じた。
性欲もなく、相手に愛情を感じていないにも関わらず行為ができてしまう自分。そこに大きな絶望感も感じた。
そして、結果として自分には二人の子どもがいる。
こんな書き方をすると、まるで不幸話のようだけど、そんなことはない。
確かに2人目ができた時、うつ病の診断が出て、生活はままならなくなり、妻は子供を連れて実家へ出て行き、持ち家の売却、職場からの叱責、退職勧告…最終的には休職に免れたけど、もう生き地獄だった。子どもの存在を疎ましいと思ったことも過去には何度もあった。
だけど
子どもたちからもらった幸せは計り知れないのも事実だし、たくさんのいいこともあった。今では子どもたちはかけがえのない存在だと思っている。
ただね。
結婚や子どもについて
セッ、クスもそう。
それをするのが当たり前
していてこそ幸せ
いることイコール幸せ
その価値観のまま
そこを一番にして生きてしまうと
その異常なまでの特別視を、特別視と気づかずに当たり前だと思い込んでいると
大切なものを見失ってしまう気がしてならない
本来たしかに
結婚も、子どもを授かって育てていくことも
幸せであることに違いないとは思うけど
それが
幸せとイコールになってしまうと
それがないと幸せではないってなってしまうと
幸せであるはずのことが
悩みの種になり
不幸の火種にもなりうる
これはやっぱり悲しすぎる
語弊があることを承知で表現するけど、
男性はセッ、クスに愛情は必ずしも必須ではない。
それがなくても可能だ。
…ここでいうセッ、クスは挿入と射精を意味している。
挿入と射精だけなら
愛情がなくても可能だ。
だから、女性が愛情を確かめるためだったり、2人の愛の結晶が子どもの存在だと信じ込んでセッ、クスを求めること、それがないと愛していないと思うことは…
残念ながらとても矛盾していると言わざるを得ない。
セ、クスがある=愛がある
セ、クスがない=愛がない
ではない。
結婚
子ども
セッ、クス
もしも
これがあなたが男性やパートナーとの関係において本当に求めている幸せではないのだとしたら
あなたにとっての幸せってなんだと思いますか?
そんなことを一度真剣に考えてみてもいいのかなって思います。
今日もお読みいただきありがとうございました!
ここでもそんなお話もできるかなあ(^^)
8月9日(木)
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※男性のセッ、クスに関する記述は医学的な裏付けをとっているわけではありません。あくまでようめいが自身の体験から感じている個人的意見です。参考としてお読みいただければ幸いです。