昭和惜別
後れても後れてもまた君たちに
誓いしことをわれ忘れめや
高杉晋作が安政の大獄で刑死した恩師の吉田松陰や禁門の変などで戦士した同志たちを偲んで詠んだ詩です。山口県下関市にある桜山神社は、桜山招魂場と言われており、高杉晋作や白石正一郎の発議により、元治元年(1864)に創られました。日本で初めて創られた招魂社で、靖国神社のモデルともなった社殿です。
◆徒然日記
「忘れめや」というお言葉を詠まれた昭和天皇御製の詩歌があります。
『昭和惜別の賦』 昭和天皇御製
忘れめや 忘れめや 忘れめや
戦(いくさ)の庭に たふれしは
暮しささへし をのこなりしを
ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ
たちなほる見えて うれしかり
たちなほる見えて うれしかり
あかげらの 叩く音する あさまだき
音 たえてさびし うつりしならむ
音 たえてさびし うつりしならむ
ステレオ
けだし言(ことば)は心の声なり。
ゆえに心あって言に発し、
言によってその心を知る。
中江藤樹の『孝経啓蒙』の言葉です。声というのは、息です。体内でわき起こった息が声帯に当たって振動させることで声になります。では、息はどの様に発っするのかと言えば、脳幹の指令を自律神経が伝えることで発します。つい最近の研究で、呼吸器官が呼吸のリズムを発動する直前に脳幹の延髄に呼吸と全く同じリズムのシグナルが出ている事が発見されています。では、脳幹はそのリズムの根拠をどこに置いて判断しているのでしょうか?
人間の呼吸のリズムは、一分間に15回〜20回です。実はこのリズムは、海に起こる波のリズムとほぼ同じです。海の波は、地殻の振動、気圧の変化など様々な要因で起こりますが、大きな要因としては、海面を打つ風の力です。地球上で大気の流動が波のリズムをつくるように、人も気の胎動により息のリズムが決まるのです。極端な表現になるかも知れませんが、良知の周波数を受信すれば、良知の息となり、声となるのです。
と感じるものの、如何せん、周波数がなかなか合わない「おんぼろラジヲ」をどうしたものか?
◆ 徒然日記
お亡くなりになった有名人のご遺族に取材をする記者が、「今の気持ちをお聞かせください」という紋切り型の質問をする光景をテレビやネットで目にされた方も多いと思います。その言葉には、遺族を労る「気」などさらさら無く、注目を浴びるリアクションを映像に収めたいだけという意図がありありとして分かります。視聴者の中には、こうした無神経な記者の素行に眉をひそめている人も多いのではないかと思います。画一化された紋切り型の質問というものには、心がこもっていない、つまり、良知が発言されていないと思うのです。
倉本聰さんの脚本によるテレビドラマに『北の国から』というものがありました。数あるシリーズの中で女優の中嶋朋子さんが子役として重要な役割を演じるドラマの撮影がありました。クランクアップの後、番宣の為、倉本聰さんと当時まだ子供だった中嶋朋子さんが全国を縦断するような形で記者の取材を受けることになりました。倉本聰さんの回想によると、どの記者も紋切り型の質問ばかりで、後半の方になると「また、同じ質問か?」と辟易とされていたそうです。そんな時、金沢のMROラジオ番組の取材を受けることになり、倉本さんは、どうせまた同じ質問だろうと半ば投げ槍な気持ちになられていたそうです。取材は、屋外で行われ、音響担当のスタッフがマイクを設定し終わり、いよいよラジオ番組の収録が始まろうという時、番組のプロデューサーが倉本さんと中嶋朋子さんに声をかけました。
「では、〇〇分後に戻ってきますので、それまで自由に話してください」
そう言ってプロデューサーと番組スタッフは皆いなくなったそうです。つまりそのプロデューサーは、番組の進行を自然に任せた訳です。番組では、紋切り型のインタビューからは引け出せない貴重な話がいっぱい収録できたことは言うまでもありません。
一燈照隅
能(よ)くこれを成就す。自然の道なり。
( 中略 )
況や人心を正して天下を治むるの道
多く困を経たるを上手と云い、
少く困経たるを下手と云ふ。
この如く寒苦を経ずして、
外面より上手と見ゆるは、
下々の諺にいふ大名芸といふもの也。
大名歴々は、たとへば、馬をなせども
善く馴れたる馬をえらび、
上手が下乗りをしてなさせ奉れば、
下々の名人の乗よりも早く見事に見ゆれども、
上かんの悪馬なと引き付けて自由にし玉ふは、
一生ならねば、馳馬の用はなきなり。
諸事此の類なり。
江戸時代の儒学者、三輪執斎の『周易進講手記』の中で、水雷屯(すいらいちゅん)について説明した言葉です。(中略)の部分は、下記のような事が書かれていますが、原文が長いと読みにくくなるので略しました。
弓の冬稽古の時も、寒中に早起きして肩肌脱いで練習し、歌を学ぶのも寒中に外に出て、寒気を犯して謳う。これは、誰もがすることで珍しいことではない。一芸にしてこの様であるのだから、況や人心を正して天下を治める道がこの困苦を経ずして良くなることがあるだろうか。
止於至善
人惟(た)だ至善の吾が心に在るを知らずして之を其の外に求め、以て事事物物皆な定理ありと為し、而して至善を事事物物の中に求む。これを以て支離決裂、錯雑紛紜(ふんうん)して、一定の向有るを知る莫し。今 既に至善の吾が心に在りて外求を仮(か)らざるを知れば、則ち志は定向有りて、支離決裂、錯雑紛紜の憂い無し。
支離決裂、錯雑紛紜の憂い無ければ、則ち心妄りに動かずして能く静かなり。
心妄りに動かずして能く静かなれば、則ち其の日用の間従容閒暇(しょうようかんか)にして能く安し。
能く安ければ則ち凡そ一念の発、一事の感、それ至善と為すやそれ至善に非ざるや、吾が心の良知自ずから以て之を詳審精察する有りて能く慮(おもんぱか)る。
能く慮れば、則ち之を択(えら)びて精ならざる無く、之に処して当たらざる無し。而して至善是(ここ)に於いてか得(う)可し。
『王陽明集』の言葉です。ある弟子が『大学』にある次の言葉の解釈を求められて答えたものです。
「止まるを知りて后(のち)に定まるあり、定まりて后に能く静かなり、静かにして后に能く安し、安くして后に能く慮り、慮りて后に能く得」
◆徒然日記
コロナウイルスの正確な情報を得ることは大切なことです。しかし、様々な情報が飛び交っていて、その一つ一つの情報を追っていると何が真実なのか分らなくなってしまいます。得られた情報を自分の心がどう受け止めたかという視点も必要です。
天人合一Ⅴ
程子謂ふ。「人心は即ち人欲、道心は即ち天理」と。