一燈照隅 | 暮らしの中の陽明学

一燈照隅

事に臨むの始め多く困苦をなめて、
能(よ)くこれを成就す。自然の道なり。
( 中略 )
況や人心を正して天下を治むるの道
此の困苦を経ずしてよくなることあらんや。
多く困を経たるを上手と云い、
少く困経たるを下手と云ふ。
この如く寒苦を経ずして、
外面より上手と見ゆるは、
下々の諺にいふ大名芸といふもの也。
大名歴々は、たとへば、馬をなせども
善く馴れたる馬をえらび、
上手が下乗りをしてなさせ奉れば、
下々の名人の乗よりも早く見事に見ゆれども、
上かんの悪馬なと引き付けて自由にし玉ふは、
一生ならねば、馳馬の用はなきなり。
諸事此の類なり。



江戸時代の儒学者、三輪執斎の『周易進講手記』の中で、水雷屯(すいらいちゅん)について説明した言葉です。(中略)の部分は、下記のような事が書かれていますが、原文が長いと読みにくくなるので略しました。

弓の冬稽古の時も、寒中に早起きして肩肌脱いで練習し、歌を学ぶのも寒中に外に出て、寒気を犯して謳う。これは、誰もがすることで珍しいことではない。一芸にしてこの様であるのだから、況や人心を正して天下を治める道がこの困苦を経ずして良くなることがあるだろうか。


◆徒然日記
 文中に出てくる「大名芸」とは、「殿様芸」とも言われ、実際には役に立たないことを意味しています。三輪執斎は、馬を例に取り、大名が馬を上手に乗りこなしているのは、真の上手が馬を調教し、下乗りをして、奉納しているのだ。と記しています。

 大名芸というのは、庶民が大名を茶化して使った言葉ですが、私は、この文を読んで別の見方をしました。調教師が自分の愛情を込めて馴らした馬を奉ずる事ができるのは、それだけその大名に人徳があるからなのだと思うのです。

 大名は、世の中が良くなるように一心不乱に徳を磨き、調教師は、少しでも良い馬が奉納出来るように全力で取り組むというそれぞれの分に応じた生みの苦しみが新しい世界を生み出すのではないかと思うのです。

 新型コロナの感染問題が厳しい局面を迎えている昨今、医療従事者の使命感が医療崩壊を防ぎ、介護福祉業界従事者のお陰で高齢者や障がい者が護られ、流通業界の従事者のお陰で生活物資が滞る事なく供給されています。政府からのマスク支給、10万円の支給など有りますが、少しでも世の中が良くなる為には、分に応じて自分に何ができるかという視点も忘れてはいけないと思います。