皆さまお元気ですね?
ルシファーザルッチナントカです。
◆近況について
冥界のほうはそこそこすごく忙しい日々を送っておりまして、どうにかだんだんと周囲の目も変わってきて信用はされてきたけど信頼はされてないしされてもまだ困るな、みたいな状況です。まだまだこれからですね。
そういえば、ついに健康診断で肝臓が要精密検査のレベルに来てしまったので、11月から完全に禁酒生活を送っております。
そろそろいいんじゃねえかと思って病院に行って相談しまして、すげえ嫌いな採血をしまして、結果がどうやらよくわからない感じだったようでもう一回採血して、その結果を聞きにまた1週間くらい空けて病院に行ったんですが、要は原因がわからないそうです。
そして、実は数値も年齢や生活習慣からすると妙だな?という感じではあるものの、今すぐどうこうなってしまうような数値では全くないらしく、「まあ大したことないですね、このままお酒やめといて来年くらいにまた来てください」と言われ、
はああああああ?!!!!大したことねえってどういうことだよ!!!!なんでそんなもっと悪くないとダメみたいな言い方すんの?!!!!
と思ったりもしたんですが、次ライブ活動を再開したときまで禁酒してたら次飲む酒がめちゃくちゃ美味い可能性を感じて、そのままお酒を絶っています。
ちなみにカフェインやタバコは辞めるの無理だなと思ってるんですが、アルコールは無くても意外といけるんだなと思ってます。ライブがないとアルコールがあるような場所にもほとんど行かないんだな自分、とも思いました。
もうひとつは、最近のノンアルコールビールってすごいおいしくなったんですね。仕方ないので箱買いしてしまいました。
ただ、アルコールが無いせいか若干寝付きが悪くなったような気もしなくもないし、次ライブしたときに体力が下がってるのもまずいなと思うのもあって、人生で初めてダンベルを買って筋トレしてみたりしています。
ムキムキになるつもりはないんですけど、何もしないとどんどん堕天使からトドになっていくような気がしたので、普通にイケメンだなと思われるレベルをキープしないとなと思っています。
🦭
そしたらなんとなく腕とかタイトになってきた気がするので、飽きるまで禁酒と筋トレを続けてみようと思っています。
◆気を失ったつけもの
壊れるほど愛したとして1/3も伝わればいいほうだと思うんですが、最近気づいた自分の思考の癖として、「伝わらないのは伝える側の責任である」というのがすごくあるんだなと思いました。
これ、世間の大多数の感覚とはズレてると思ってます。だいたい伝達ミスとか情報ロスがあると「言ったじゃん!」とか「あんなに言ったのに!」などと、伝える側が相手を責めるシーンのほうがよく見ると思うんですね。受け手側のリテラシーがないのが悪い、という考え方。
ぼくはあまりそう思っていなくて、「情報を伝えたい」と思ったらめちゃくちゃ細かく説明しちゃうし、伝わらなかったら「伝えられてなくてごめん」と思うんです。そもそもこのブログが毎回長文になるのもそういった性分をよく表してると思います。
そう書くとなんとなく良い人じゃんって感じるかもしれないし、ぼくも良い人と思われたいからそうしてるフシも多分にあるのだけど、実はタチが悪くて、「こいつには伝わらないな」と思ったら最初から何も言わなかったりするんです。
SNSだったら、きっと誰かしらには伝わるだろうという希望的観測もできるのですが、ことクローズドなコミュニケーションの中だとそもそも伝えることを諦めてしまいがちです。
しかし、伝えることをサボったことでトラブルになりそうになると、相手に向けた怒りが芽生えてしまうんですよ。「お前には伝わらないと思ってたのに知りたがるな」だったり「お前に解るように説明するのすげえ大変なんだけど」みたいな理不尽な怒り。相手からすると、何急に怒ってんだこいつ、となりますよね。
あと、自分が認識してなかったことについて、人から「言ったじゃん!」的なことを言われると同様に腹が立つんですよ。「お前は俺にそれだけで伝わってると思ってたわけ?」とか「お前がうまく伝えられてなかっただけなのに、なぜ俺を責めるんだ?」とか、とんでもなく自己中な怒り。
つまり、伝わらなかった原因を、伝える側の怠慢にあると考えてしまってるわけです。
しかし、幸いにもそう自覚できているので、そのように考える自分のことなんて誰にも伝わらないだろうし、それこそ相手はそんな情報求めてないだろうし、それをも伝えられない自分の怠慢だよなあ、とも思うので、素直に謝ることができます。
だからぼくは、自覚することこそが知性だと思います。
自覚ってすげえ難しいし恥ずかしいんだけど、ひとつでも多くの自覚を得たいなと思います。
一説によると、「悟り」とは「普通なら失ってから気がつくものを、失う前に気づくこと」だといいます。ぼくはこれ本当にそうだよなと納得しています。
よくないところは誰にだってあるので、それを前提としつつ自覚的であれば、何かを失う前に対処できることが結構あるんじゃないかなって思います。
◆すげえ重い相談コーナー
これは重いですね。東映メタルヒーローシリーズの「特警ウィンスペクター」のエンディングテーマによると、命の重さは地球の重さに等しい値だそうなので、どのくらい重いかというと地球くらいの重さです。
超いい歌だよなコレ。
地球がどれくらい重いのか、Googleで検索しました。
文系なので全くわからないんですが、なななんと約6ロナグラムなんだそうです。
まあロナグラムって聞いたこともない単位なんで全くわかりませんが。
つまり、そんな聞いたこともないような重さを質問者様1人で抱えられるはずがないんです。耐えられないのは当然です。
だって、「死にたい」と言われるたびに"6ロナグラム支えてくれない?"と言われるのと同じストレスがかかるわけです。
そもそも、だれもが自分の6ロナグラムを抱えるので精一杯の世界に我々は生きています。
「友達」や「家族」なら愛や絆でもって互いに支え合うこともできるかもしれませんが、敢えて「知人」という書き方をされているところからして、そこまでの関係値の相手ではないんだろうなと拝察します。
ここから、質問者様の幸福度を最大化することを目的とした場合、ぼくが導き出す正解は、「関係を断つ」になります。
しかし、それができないお優しい方だからこそ困ってらっしゃるのだと思います。
ぼくだったらどうするかを考えると、そのまま説明すると思います。
あなたが辛い思いをしているのは自分なりに理解しているけれど、あなたの命を一人で支えられるだけの余裕はなくて、このままだとあなたとの関係を断たざるをえなくなってしまう。でもそれは望んでいないので、命の話はしないでほしい。命の話は、専門家(もしいれば友達や家族)にしてほしい。
みたいな。
冷たいと思うかもしれませんが、精神障害ってうつることもあるわけで。
風邪ひいたらマスクしろっていう世の中で、なぜ精神障害ではそういった防御が薄情者のように扱われるのか甚だ疑問ですよね。
風邪でいうと、「風邪ひいたの?じゃあ絶交だ!」は薄情だと思うんですが、「風邪ひいたの?大変だね。あたたかくしてゆっくり休んでね。でも、私は私で明日も仕事だから、うつらないようにマスクしてね。」はそんなに薄情なこと言ってるわけじゃないと思うんですよね。
果てにその方が本当に命を絶ったとしたら、それは治療が功を奏さなかった結果でしかないと思うので、少なくともあなたのせいではないと思います。
なかなか、解決は難しい内容だと思いますが、なんとなく気持ちが軽くなることを切に願っております。
◆この世界は終わってる
1999年に世界が滅亡すると本気で思っていた族の末裔であるぼくですが、ここ何年かで、もうとっくの昔に世界そのものは終わっていて、救いようは無いんだなと思っています。
ぼくは、子供の頃からつい最近まで、いつか世界中の人々が全員幸せになる日がくると思っていました。今でもそれを願っていますが、まあどう考えても無理だろうなと思います。
最近、ニュースなんかYouTubeでテレビ局が編集したやつをぼーっと見てるわけですが、ミニマムでもマキシマムでもほんっとに気が滅入るニュースばかりです。まあリスペクトしてやまない方々の訃報も立て続けにあったり、日照時間が減ってきて冬季うつに入ってるのかもしれませんが、差し引いてもこの世界は終わっています。
差別も貧困も病気もなくならないと思います。
誰かの幸せは誰かの不幸といつもどこかでトレードオフです。
そういう想いを曲にして、歌にして、ロックンロールと名付けてステージで演奏し、誰かが目と耳を貸してくださることで、どうにかこうにか発散できていたわけですが、今はそれもできない。
くっそおおおおおお!!!!
なんて思って見上げた空は、こんなにも晴れていました。
すんごい青!
夜になったら、月が眩しいくらいでした。
世界は終わっています。
でも、そんな世界でも、そこにぼくらが生きて観測している限り、美しい瞬間も訪れる。
普遍的な、恒久的なものが得られなくとも、ただその瞬間の美しさを見出すことは、まだできるんだなと思いました。
そしたら、高校生のときに自分で書いたこの歌を思い出しました。
このトラック自体はもっと後に再録したものですし、それでも今聴いたら諸々稚拙だなとも思うものの、「そこに生きるぼくらがどんなに醜くとも 光はまだ朝露の中に光る」なんて、よく17才そこらのパンク少年が思いついたなと感心してしまいますね。
あれから649年くらい経って、色々なものを見て考えてきたぶん、色々なものを忘れて見えなくもなってるんだなあとしみじみ思いました。
この歌で、17歳のぼくは大人の汚なさを頑張って糾弾してたりもするんですが、まさしくぼくは、あの頃の基準からすると汚い大人になってしまったのかもしれません。
(でもそこそこイケメンだからええがね。)
なんて思ってたら、掲題のKISSの名曲がシャッフルで流れてきたわけですが、ぼくは神がロックンロールを与えたのではないと思いました。
ぼくらがロックンロールを掴みにゆきたい気持ちになりました。
おやすみなさい。
明日!hayaaanよろしくね!!!!
(共演者の方々も知ってる人が多いぞ!いいな!)