街に汚れたと君は言うけど 今も透き通る涙がある | 君を殺しても

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THE NOSTRADAMNZ Lucci

こんにちは、ルシファーです。

今年くらいから色々あってみるみる太ってきたので、
いよいよ危機感がやばくてダイエットとかしたりしてます。
とりあえずめっちゃなわとびしてみたんですが普通に歩けないくらいの筋肉痛に見舞われたりしながらも、微妙に効果を感じたりすると嬉しいものですね。


で、ぼくはシンエヴァンゲリオンとシンウルトラマンの公開をすごく楽しみにしていて、より楽しめるように関連するであろう作品群を見返してみたりしています。


せっかくなのでオススメを紹介したいと思います。


◾️ウルトラマンが泣いている


まさかの書籍ですね。

これが、めっちゃ面白い本なので騙されたと思って読んでいただきたい。

早い話が「しくじり先生」の円谷プロ版書籍だと思っていただければ。


ぼくは一時期、円谷プロダクションのコーポレートサイトの求人のコーナーをブックマークして毎日チェックしていました。

しかし何度F5キーを連打しようとも「現在募集はありません」しか表示されなかったし、挙句に求人コーナー自体がなくなって絶望したことがありますね。

現在も主題歌の依頼や敵役チョイ役での出演依頼をお待ちしております。


で、この本は、創始者にして特撮の神様と呼ばれた円谷英二さんの、お孫さんにあたる円谷英明さんによる著書です。


かように、円谷プロは創業から2005年頃までの長きに渡って同族経営だったのですが、現在は円谷一族は追放されています。

それもそのはず、その経営実態はあまりにも杜撰で、大学のサークルの経理ですらもう少しちゃんとしてるんじゃないかと思うレベルです。

また、その内情はドロドロもドロドロで、他社との関係値なども含めて、まるで昼ドラかというような状況で。


とはいえ、英明さんの目線からしか書かれていないので、実際のところどうなのかはわからないけれど、少なくとも知ってる歴史や作風とは符号するというか「だからああなったのか!」みたいなことはたくさん書いてありました。


中には、目を覆いたくなるというか、純粋に楽しんでいた子供の目線と、それを今日も忘れずに大きなおともだちとしてコンテンツを享受しているおじさん目線で、悲しくなってしまうエピソードもそこかしこにありました。


特に興味深かったのは、仮面ライダーや戦隊ヒーローやガンダムなど、ライバルとなるコンテンツとどこで差がついたのか、というあたり。

これらの中ではウルトラシリーズがダントツで10年ほど先に世に出ていたのだけれど、後発のライバルたちに押されないよう、というか、あやかろうとするようなかたちで、主体的ではなく相対的に作風に変化を加えてしまった結果、軸がブレブレになってしまい、子供たちにも大きなおともだちにも受け入れ難い中途半端なものになってしまっていった、というのは、確かにそうだったかもしれないと思ったり。


例えばガンダムなら、ずっとGガンダムのような作風が続いたら、いつしか初期作品のガンプラも今ほど売れなくなってしまうでしょうね。

あれが王道ではなく飛び道具だと周知されているからこそ、Gガンダムもオリジナルも現行作品も受け入れられるわけで。


そのへん、スターウォーズやドラゴンボールにも重ねられることな気がします。


置いといて、総じて思ったのは、お金と権力の怖さですね。

一族のどの方々も、創始者のことは尊敬していたんだなあということや、何にせよ子供たちが楽しんでくれるようにどうにかこうにか悪戦苦闘していることは、根底にはあるのだけれど、どうにもこうにもお金と権力の荒波の中で、見えるものが見えなくなってしまい、はたまた見えないものが見えたりしてしまううちに、本質が何かわからなくなってしまうのだと思います。


ぼくが1番すきなウルトラマングレートにまつわる裏事情も、なかなか切なかったりしましたね。


でも、コンテンツそのものに罪はなく、それを楽しみにしていた子供たちとヒーローの関係性もまた、そうしたドロドロまみれの世界の中でも、ひとひらの純粋として今も継続していることが、コンテンツビジネスにおいて何よりも尊く、何よりも大事なのだとぼくは思います。


あとは、それでもウルトラシリーズが今日もあることはデザインの力が非常に大きい、というかほぼ全てなのではないかとぼくは思ってます。

スターウォーズもそうなのだけど。

逆に、シンプルでシャープで洗練された、普遍的で完成されたデザインを最初の最初で提示されてしまっているわけだから、後続シリーズがデザインに困るのも無理もないというか。

そのへんも、仮面ライダーと差が出た一因であると個人的には思います。


そんな、初期ウルトラシリーズのデザインを手掛けていたのが成田亨さんという方です。


ウルトラマン、ウルトラセブンだけでなく、バルタン星人やゼットンやケムール人やダダといった、今日にも残っているデザインは彼が作ったものです。




しかし驚いたことに、成田さんが残したデザイン功績を、円谷プロは過小評価しているようで、待遇も良くなく、さらに後年には裏切りともとれるような仕打ちまでしており。

さらにその影にウルトラマングレートの企画がちらつくあたり、なんともやるせない気持ちになります。


成田さんは「鎮魂歌」という詩を遺しています。



なんと強烈というか、辛辣でいて自身の作品への愛情と思い入れに根差した言葉なのだろうと思いますね。


もちろん成田さんのご遺族も、そんな成田さんの姿を見てきたからこそ、円谷プロに良い印象がなかったようですが、ここでシンウルトラマンの話に繋がります。


https://dtimes.jp/post-336610/


企画脚本の庵野秀明さんはおそらくそうした経緯を知っていて、ご遺族に会いにいってきちんと話をしていて、完成したデザインは、成田さんのイメージしたウルトラマン像に非常に忠実なものになっていると思います。



1枚目のイメージは、シュルレアリスムの影響を受けていた成田さんの文脈をきちんと捉えていますね。


「あるはずのないものが思いがけないところにある違和感」というのは、シュルレアリスムで多用されるデペイズマンと呼ばれる手法です。

サルバドールダリの絵画なんかを思い浮かべると分かりやすいと思います。

このへんが日本語の「シュール」の語源なんだとか。


ただぼくは、ウルトラマングレートやウルトラマンパワードのデザインも、成田イズムが息づいているというか、やたらの何かを追加したり飾ったり削ったりするのではなく、あくまで初代ウルトラマンのデザインを、その時代のセンスでシャープにシンプルにリファインしたものだと思うので、歴史認識がどうあれとても好きなんですけどね。



デザインの強さってめちゃくちゃ大事だと思います。

音楽というかユースカルチャーにおいてもそうで、例えばビートルズやセックスピストルズやニルヴァーナ、日本だとXやLUNA SEAやhide with spread beaver、あとはBOØWYやJUDY AND MARYといったバンドは、デザインがすごくいいです。

アルバムとかのアートワークだけではなく、着てるものを含めたメンバーのルックス自体の良さというか。


バンド自体がもつストーリーと、演奏や楽曲やステージングと、ルックスとデザイン。

これらが全て揃うのは奇跡で、だから彼らはレジェンドなのだと思います。


同じくまた、初期のウルトラシリーズやスターウォーズやドラゴンボールも、最高の物語に、最高の画づくりとデザインがあり、そこに演者たちのケミストリーがあるから、オリジナルでレジェンドになっているのだと思います。

ファーストガンダムやエヴァもそうですね。


しかしウルトラマンはファミリー化してしまって、デザインも物語も弛緩してしまった。

その弛緩の歴史は、皮肉にも円谷ファミリーの代が進んでいくにつれ、ということとシンクロしているようで、これも複雑な気持ちになりますね。


でも、ぼくはそうしたもの総てを含めてウルトラシリーズが好きだし、ウルトラファミリーという設定が好きです。

二期以降の作品はかいつまんでしか見たことないですけどね。


この本関連だけで長くなってしまったので、それ以外はまた後日にします。

他にも、ウルトラマンネクサスとかウルトラマンn/aとか真・仮面ライダーとか色々あるのと、エヴァの話もあるのと、何より実はそれらがTHE NOSTRADAMNZの話にも繋がるのです。


それでは一旦、さようなら。