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君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucci

こんにちは、ルシファーです。

敬愛するL'Arc-en-Cielの名曲を本気でカヴァーしました。

この曲は、1999年の7/1に発売されたアルバム「ark」が初出で、そのあと8/11にシングルカットされた経緯があります。

ぼくが初めてバンドスコアなるものを買って単体でコピーを試みたのはこの曲が最初でした。
もちろんギターソロで挫折しました。

ちなみに、その時期のL'Arc-en-Cielとの出会いとかはこちらのエントリーが詳しいです。
上記と重複しますし、様々なところで言ってることですが、バブル崩壊から99年にかけての終末感ったらなかったです。

というのも、昔いたノストラダムスというおじさんが書き残していた厨二ポエムを、後世の人々が面白がって「これは人類滅亡を示唆してるのでわ???!?」とか言い出して、情報商材として様々な方で流布されていたんです。




ぼくはこのことを人生の大きな出来事として本当に語り継ぎたい。

同世代の方の中でも感じ方はそれぞれ違ったと思うのだけど、ぼくは本当に世界が終わるかもしれないと思ってました。
オウム事件があり、阪神大震災があり、貞子がテレビから出てきたり、宇宙人解剖フィルムが公開されたり、MMRのキバヤシさんが何かにつけて人類滅亡の警鐘を鳴らすし、もうもう怖くて怖くて仕方がなかったです。
休み時間とか、普通に学友と、「もうすぐ死んじゃうかもしれないけど、どうする?」みたいな話をしたりしました。

ぼくに降りてきた恐怖の大王は、L'Arc-en-Cielの2枚同時リリースのアルバムでした。
98年の夏からL'Arc-en-Cielが好きだと自覚しだしたので、初めてリアルタイムで経験したアルバムリリースでした。
あの高揚感たるや、忘れられないですね。

1曲目と2曲目はすでにシングルで出ていたので何度も聴いていたのだけど、Driver's Highはアルバムの三曲目で、思えばあれが初めてちゃんと聴ける機会だったんですね。
なんてかっこいい音楽なんだろうと思った。

じっと歌詞カードを読みながら聴いたんだけど、明確に滅亡について歌っていて。
それでいて、終末の世を駆け抜ける内容がなんとも痛快ですよね。これがロックだ!とルシファー少年は胸をときめかせておりました。

もちろんノストラダムスのことがあっての内容だったと思うし、1999年の彼らのマーケティングは明確にそれを意識していたと思います。
アルバムのリリース日も然りだし、アルバムを引っ提げてのツアータイトルがグランドクロスツアーだったのも、天体の交差によって思いがけない磁場の狂いが発生して人類が滅亡するという説を意識していたんだと思います。
なんてかっこいいんだろう。

でも世界はまだ続いていて、時は20年ほど流れました。

奇しくもぼくはノストラダムスというバンドをやっています。
奇しくもじゃなくて1999年頃の一連の云々が明確に自分の趣向へ大きな影響があったからなのだけど。

Driver's Highのカヴァーをやりたいなあてのは、去年の夏から思ってたことでした。
初めてギターを握ったときから、丁度20年経ったなあと。ちっともうまくならなかったけれど。
実際歌は8月に録音したものを使ってます。
とはいえ諸々なあなあになっておったのだけど、今回せっかくだから形にしようと思ったのです。

だって、それこそ奇しくも、今は1999年よりそれっぽい状況じゃないですかと。

この10年程で、リーマンショックがあり、レディガガがデビューし、桜島が噴火し、テポドンが発射され、東日本大震災が起き、金正日は死に、台風が甚大な被害を出し、ノストラダムスが結成され、X JAPANもLUNA SEAも復活し、シンゴジラが来襲、君の名は。がなぜかそれを超えるヒットとなり、SMAPは解散、IPS細胞が発見され、STAP細胞の有無が波乱を呼び、ゴーストライターが表に出てきてしまい、ののちゃん議員が号泣会見をし、犬だけが帰ってきて、そしてピエール瀧は捕まり、しまいにはビリーアイリッシュが「bad guy」をリリースしたとき、ぼくは明確に敗北感を覚えた。

そんな波乱の10年の果てに、新型コロナウイルスが世界規模パニックになり、トイレットペーパーとマスクは市場から姿を消し、挙句にはぼくが大好きなライブハウスやカラオケで音楽ができない状況になり。
パニックは、やがてクライシスに進化し、ウイルスを乗り切ったとしても人間社会には、経済的な問題が立ちはだかる。

でもさ、でもだよ、人類は何度もそうした局面を何度も乗り切ってきた。
その中で亡くなった方も多々いらっしゃる。
でもぼくと、今これを読んでるあなたは、どうにかこうにか生きている。これだけは事実でしょう。

そして生きていくのだこれからも。
このクライシスを、クライシスだと解ったうえで駆け抜けるのである。
正直イヤだと思います。ぼくはイヤです。
平静を装いつつ、内心ではどうしてこうなった!!!!と思っています。

そんなときは、歌を歌うくらいしかぼくには出来ないんです。
ただ、ぼくはそれこそが音楽の、ロックンロールの役割だと思います。
どうしようもないから踊るしかねえっていう。
でも、踊ることでどうにか生きていけるんだと思う。
だから人類は、音楽をやめないし、表現することをやめないし、そこにある価値を捨てないと思います。

20年遅れで本当に訪れたクライシスに、本当は来ないクライシスの中にいたロック少年が、だれかがあのときみたいなときめきを感じてくれることを祈りながら作りました。
もうきっといつでも目の前にある、真っ暗な朝に向かって、またお気に入りの服で洒落込んで出かけられますように。

これは、当時いなかったビリーアイリッシュさんには出来ないとこだと思うので、これで引き分けだと思うことにしてやろう。
(※個人の感想です)

あとはカラオケで録音したやつもあるので、なんかそういうのも皆さまにお届けしたいなと思っています。