わかってるのは胸のドキドキだけ | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、ルシファーです。

ブログリクエストを先着順で回答してまいります。
リクエスト頂けるのとってもありがてえ。

お題はズバリ哲学についてで、哲学者の言葉に興味があっても、紹介記事とか参考書籍は概論を客観的に書かれているものが多いから内容が入ってきづらくて、ルシファーさまの主観で語ってほしいというリクエストでございます。
ありがとうございます!

確かに哲学科って就職にあんまり有益にならないし、そもそも哲学科のある大学が少ないせいか周囲に哲学科出身の人ってあんまりいないと思います。

更に、哲学科卒の人たちが哲学を語れるかというと、そうでもない印象です。

いきなりご期待を裏切るようで恐縮ながら、ぼくはまるで哲学についてアカデミックな勉強はしませんでしたね。
入学してすぐに、あ、これ違うわ、という具合で興味をなくしてしまったのです。

今考えると、ウチの哲学科は西洋哲学を中心にしたカリキュラムだったのだけど、西洋哲学ってキリスト教をはじめとした西洋宗教と密接に結びついている印象があるというか、西洋的な宗教観ありきで構築されてる感があるので、日本人である我々には感覚的にわかりづらいんだと思うんですよね。
神が、とかって、あんまり生活に密着した概念じゃないから、ピンと来なかったり。

だから、字面が追えても腑に落ちなくて、結果的につまらないんだと思います。

で、とある先生は、わかりやすい入門書とかはやめとけって言ってて、例えばニーチェについて知りたいならニーチェの著書を、ハイデガーについて知りたいならハイデガーの著書を、ヘーゲルについてはヘーゲル、カントについてはカントに直接ぶつかってみなさい、と仰せでした。

そうかと思って読み始めてもクソ難しくてチンプンカンプンですよ。

難しい、てのも、そもそも日本語に訳すのが難しいような文章を半ば強引に表現するにあたって、文の構造が複雑になって、語彙もえらいことになるので字面を追うだけでめんどくさいです。

追えても腑に落ちない内容だったりするので、なんとなく頭良くなったような感覚になったとしても、あまり充実した時間だとは思えず。

というか、教養がつまらないと感じるなら、その教養は今必要としてないってことだと思います。

とすると、興味があってどんなもんなのか知りたいなら、ぼくは先生とは逆に、コンビニとかにあるようなイラスト付きの「〜がわかる本」的なものを手にとってみるのは全然アリだと思います。

だいたいその手の本は、ソクラテスから19世紀くらいまではパパッと書いてくれているので、カタログ的な見方で読んでみることをオススメします。
その中で超グッとくる哲学者がいるならば、直接著書にあたってみればいいと思います。

なので、リクエストをくださった方も、グッと来ないなら無理せずそのままでも差し支えないと思います。
ぼくは、歴史上の哲学者にはほぼグッとこない。
すげえ頭いいな!!という感動はあっても、共感するかというと、そんなにだったりします。

あと、哲学の一般的なイメージには大きな誤解があって。
よくオッサンとかが「これが私の哲学です」とか言うじゃないですか。

これは哲学を勉強する最初に、誤用であると言われました。

センセー曰く、哲学は個人的なものではあり得なくて、どんな時代や状況であっても、誰であっても適用できるようなことを解くものであって、「私の哲学」なるものは哲学ではないんだそうです。

割とこの一言で、ぼくは哲学科の勉強に対する興味が失せたというか、ぼくは自分の哲学をしたくて哲学科を選んだので、え、違うんだ???となりましたね。
個人のものは、あくまで各々の思想であって、哲学ではないという。
そんなん100人いたら100通りあるんだから勉強しても無駄じゃん、と思ってしまい。

結構ショックだったけど、でも何かを語る上で「自分の見解」という前提を持てただけでもかなりいい勉強だったな、と今では思っていたりもします。

前置きがモーレツに長くなりましたが、ぼくが授業で見聞きしたことから、基本中の基本であるソクラテスの「無知の知」について概要と感想を書こうと思います。

【ギリシア哲学】
古代ギリシアの暇人たちが、超やることなさすぎて、色々あーだこーだ考えるうちに哲学という言葉が生まれました。
元々はフィロソフィアという言葉で、「知を愛する」という意味があったそうです。
ソクラテス以前にも哲学はあるのですが、ソクラテス以前と以後で分かれるくらい、ソクラテスの影響はデカイらしいです。
たぶんヴィジュアル系でいうところのhideさん的存在なのでしょう。

【ソクラテス】

これは将棋が得意なひふみんさんではなく、哲学の父と呼ばれるソクラテスさんを象ったオブジェです。
どうやらとてもじゃないけどイケメンの部類ではなく、噂によると奥さんの尻に敷かれるどころかオシッコかけられたりする不遇な生活を送っていたとか。
お金もとらずにお喋りしながらあちこちウロウロしてたので、超貧乏だったそうです。

キリストの時代より400年くらい前にギリシアに住んでた人なので、とりあえずめっちゃ昔の遠くの人ですね。
とはいえ、二千ウン百年以上あとの極東アジアにまで名前が残ってるなんてうらやましい。

そのくせ、意外なことにソクラテスは著作を残していないのです。
弟子にプラトンという人がいて、プラトンも著名な哲学者なのだけど(プラトニック、という言葉は彼の名前からきてるとか)、彼が自分の著作で「オレの地元の先輩が言ってたんだけど〜」的に、ソクラテスのことを頻繁に話に登場させたから今も名前が残っているんだとか。
更にその弟子的な存在にアリストテレスという人がいたりします。

つまりは、LUNA SEAやDir en greyが語りついだことによって、アルバムを出してないバンドが伝説になった、みたいなイメージですね。
あくまでイメージです。

【無知の知】
ソクラテスは、各界の有識者に対して問答をふっかけてまわりました。

最初は超素朴な疑問からぶつけていきます。
どの有識者も「それはだね!あーでこーで〜」と最初は得意げに語ります。
でも、ソクラテスはそれに対してどんどんツッコミを入れ続けます。

当然、有識者も重箱の隅をつつくようなレベルの範疇に来ると答えられなくなります。
おこだよ!となった有識者は「ソクラテスさんよ、じゃあアンタは何を知ってるっていうのさ?オレより詳しいことあるわけ?!えーコラ!!言ってみろや!!」とか言っちゃうまで追い詰められます。

ソクラテスの決め台詞はこうです。
「いいえ、わたしは何も知りません。ただ、あなたより知っていることが一つだけある。わたしはわたしが何も知らないということを知っている。その点で、わたしはあなたより賢いのだよ。」

これが有名な「無知の知」です。

まあ屁理屈ですが、言い返せないですよね。
そうして有識者たちは次々に論破され、周囲からダッセーとかバカにされます。

なんかもうフリースタイルダンジョンみたいだね。ラップバトルの様相ですよ。
クリティカール!勝者!ソクラーテース!!
フロアがドカーン!みたいな。

でも、当然ながらそうして屁理屈で有識者を論破しまくって回った挙句、大量に敵を作ったソクラテスは処刑されます。
処刑級に嫌なヤローなのは確かにそうだと思います。

しかも、弟子たちも助けようと奔走したりして、脱獄するチャンスはいくらでもあったのに、オレは間違ってない!!と言い張ってそのまま処刑されました。ナンマンダー。

【どう思うか】
ぼくは無知の知は人類史に残る発見であることは間違いないと思います。
実際ぼくは初めてこの話を聞いたとき、そこそこの脳内革命が起きたというか、頭の中で何かがパキパキと音を立てて割れたような感覚をおぼえました。

だいたいにおいて知らないことって恥ずかしいことだと思われるので、知ったかぶり、なんて現象が起きるわけで。
それは、無知を認識していない、もしくはしたくない状態がそうさせていて、ソクラテスが論破してきた知識人たちは、まさしくその状態だったんだと思います。
二千ウン百年後の極東アジアでも、その状態の方々とお会いする機会があるし、自分もそういうところがあるので、なんて人間って進歩しないんだろうと思いますね。

ただ、知らないことを開き直るような態度はよろしくないなと思います。

無知の知の何が発見かって、地球上の確認されている生き物の中で最も言語と知能が発達した、知恵の実を食べたモノの末裔とされる我々人類も、まだまだ知的に未熟なんだ、ということの発見だったと思うのです。
まだ我々には、認識しうる領域がまだまだあるはずだ、という発見。

これがすごくポジティブなことだと思います。
ソクラテスに論破されないくらいまで、もっと色んなことを知って考えて認識して確認していけるんだよ人類は、てことで、学問は発展して、それが実生活にもフィードバックされて、我々は、二千ウン百年前よりは、少なくとも物質的・技術的には豊かになっています。

都会文明に生きてて良かったと心底思うぼくは、ソクラテスが無知の知を発見していなかったら、つまりもっと多くの人が「もう知ってるからいいや」と思ってそれより先に進もうとしてなかったら、と思うとゾッとします。

だからこそ、無知の知を盾に、無知を開き直るようなことをするのはよろしくないですよね。
前に進もうとするベクトルがなければ、無知の知はネガティブに響きます。

で、ぼくは当のソクラテスに、若干開き直ってる感を見いだしてしまうというか、論破して回ったってのがキライです。

もしソクラテスが、有識者が答えられなくなったところで「あー、ここまで細かくするとやっぱりわかんないよね。や、いいんだ。やたらと色々聞いちゃってごめんね? でもさ、ここでわからないことが発見できたってことは、もっと詳しくなれるってことだから、あなたはこの問答を通して素晴らしい発見したんだと思うんです。次にお会いするまでにそこんところがもしわかっていたら、わたしにも聞かせてくださいね。それでは、長々と無礼な態度で大変失礼いたしました。是非またお会いしましょう!さよなら!長寿と繁栄を!🖖」と言えるくらい器の大きい人だったら良かったのに、と思います。
そのほうが人類は発展してたんじゃないかと思います。

正論で論破って、キマると気持ちがいいんだけど、実は建設的な行いではない、とぼくは思います。
ヒトの心はそんなにつよくないので、建設的な議論をするなら、論破は必要ない。
結果的に論破してしまったら、「あなたの言うこともわかる」というような、相手へのケアと気遣いをしないと、そこにポジティブな感情は生まれないし、ポジティブな感情がなければポジティブなコミュニケーションは生まれないし、ポジティブなコミュニケーションがなければポジティブな結果は得られないとぼくは考えています。

そこを、事が起こる前に推し量りつつ、今とるべき行動が何なのか、をキチンと選択することが、
「思慮」や「配慮」であり、つまりは「思いやり」とか「優しさ」なのではないかと、ぼくは思うのです。

ソクラテスがやったことは、格闘技の試合で、格下選手を散々弄んだ挙句、最終ラウンドで相手がヘトヘトになってるところに、全力の右ストレートを顔面にぶち込んで失神させたあげく、倒れて泡を吹いている相手に手を差し伸べることもしないまま立ち去り、挙句に格闘技界から追放されることになっても「オレはルールを破ってない」と言い張る、みたいなことに、ぼくには見えてしまいます。

案外、そういうようなコミュニケーションになってしまってることって多いと思うのです。
そしてなんか、誰かとギスギスしてしまう。
それだと、そりゃあストレスフルな世の中になりますよね。

気づかないうちにソクラテス側にも知識人側にもなっていたりしていて、どっちも己のダサさを認識してない点でダサいと思うので、自覚的であることが大切だと思います。

自覚的であることもまた、無知の知による発見なのではないかとも思うんですけどね。

そんなわけで、無知の知の哲学的考察ではなく連想したことを書いた感じになってしまってアレなのですが、以上でございます。

ちなみにこれ書いててプラトンのイデア論が面白いことを思い出したので、それもまたどこかで紹介したいですね。
イデア論の発想って、今のデータのクラウド化のイメージと繋がったりして、昔の人の考えたことってすげえなと思います。

近現代になるほど時代がゴリゴリ変わるから、個人的にどれもあんまりピンと来ないんだけど、大昔は純朴且つ普遍的で大きなことを考えてたりするので、ぼくは古代ギリシアがオススメです。

人によっては長くて退屈な文章になってしまったかもしれないけど、ぼくは書いていて楽しかったので、楽しく読んでくれてたらうれぴよ。

次回は、お次のリクエスト、サブカル論にまいります。

まだまだお題やお悩み募集しております。
気を遣って難しそうなお題を選ばなくても全然いいから!

おっぱいとかチンチンとかの話でも全然いいからね!