カミカゼアタック | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucci

ルシファリアンの皆様
こんばんは、ねもとこうへいa.k.aルシファーです。

インフルエンザがもはやパンデミック状態を迎えており、子供の頃なんかは、なったらなったで寝てられていいなと思っていたのですが、今はそういうわけにはいかないなあと思って、ついついビタミンCとか摂りがちなので、大人になってしまったなあと思います。

ぼくの中には、大人としての自分と子供のままの自分が、結構複雑な関係値で、しかし明確に別の存在として双方居て、さらに一般平均より子供の比率が高いと思います。
しかも子供の自分はおそらく2人いて、たぶん3〜5才くらいの感覚と、11才〜13才くらいの感覚がそれぞれ別にあって、14歳以降は今と地続きになっているように思います。

特に味覚に関しては完全に子供のそれだと思います。
克服したものは多々あれど、好きなものは変わってないです。
そこそこお値段の張るお店に連れられても、まあ価値はわからなくて、未だにマクドナルドより美味いものはないのです。

例えば、欲しいものを訊かれて、こたえられないことがあります。
おねだりが非常に苦手なのだと思います。

幼児の自分は、絶えず床を転げ回ってあれがほしいこれがほしいと泣き喚くのだけど、少年の自分がそれを絶対に許さない。
ぼくはお兄ちゃんだから、自分でなんとかしないといけないのです。
大人になって自由にお金を使えるようになったぼくは、少年の自分の健気さにどうしても報いてやりたくなって、アレコレおもちゃとかを買ったりしてしまうんです。

だから、基本的にぼくは、何かされたい人ではなくて、何かしたい人なんだと思います。
本当はルシファリアンの皆様ひとりひとりにカスタードプリンとかを買ってやりたいのだけど、個数で揉めたりとかしがちなのと、そんなにプリン好きじゃないって方もいると思うので、音楽を作って演奏したいです。
自分を喜ばせることは自分が一番得意なので、誰かを喜ばせられることのほうが、ぼくにとっては圧倒的に価値が高いです。

もしあなたがぼくを喜ばせようと思うなら、ぼくが考えたり作ったりした何かしらに喜びを見出したときに、それを何らかのリアクションとしてくだされば、ぼくは満たされます。
シャイな方は、念じてくれるだけでも構いません。
それがぼくにとって愛されるということだと思います。

外タレのライブとか見てると、何故か着ている服を捲り上げておっぱいを見せてる女性をよく客席で見かけるのですが、あれってそういうことなんじゃないかと思います。
喜んでるよ!!みたいな。
かといってノストラダムスのライブでおっぱいを出すと大変なのでやめましょう。
いや、やってくれてもいいという気持ちも無くはないんですが、風邪とか引くといけないし、インフルエンザも流行ってるから。

そんなわけで、たぶん男の子が生まれたら一緒に子供になったり、無駄に何か買い与えたりすると思うので、大変だと思いますがそれでもいい!と心から思えるという強靭な方がいらしたら、ぼくのお嫁さんになってください。


もちろんぼくはそんな話をしたくてブログの記入画面を立ち上げたわけではなく、なんかインフルエンザの話から横道にそれただけで、ここからが本題です。

敬虔なルシファリアンの方から、ルシファーさまがどのような死生観をお持ちなのか知りたくて発狂して死ぬ、という本末転倒なご質問を頂いたので、生き死にについてどういう捉え方をしているか書いてみようと思います。

一般に死生観が何を指すかというと、非常に多岐に渡る概念なので、質問者様がほしい回答と迎合するかはちょっと微妙ですが、死後の世界とか天国とか地獄とか輪廻とか、そういうところから考えてみたいと思います。

一言でいうなれば、例えばぼくが死んだら、ぼくの意識は無になると思います。
意識そのものが残ったりはしないし、いわゆる霊魂みたいなものとか、天国や地獄とか、非科学的なものは無いのではないかと思います。
身体は、このままいけば焼かれたりして骨になり、骨壺に納められて墓石の下に暗置されると思います。
知覚でき得る現実に起こることは、それ以上でも以下でもないと考えています。

じゃあ、幽霊はいないと思うのか、と問われそうですが、幽霊はいると思います。
いわゆるオバケ的な存在として「居る」わけではなく、現象として発生しうるのではないかと思います。

では、どう発生するかというと、ぼくは2つの説を提唱したいです。

①幽霊は生者の中にいる
統合失調症の方の話などを聞くと、幻聴や幻覚などが主な症状だとお伺いします。
もしくは、薬物などでもそういった状況が起きるそうですね。
幻覚や幻聴は、自分の内側で起きていることと、外側で起きていることの境界線が無くなった状態で起こるのだと思います。
つまり、思ったことが聞こえるし、想像したものが見えたりするという。
覚せい剤の中毒患者がよく虫が皮膚の中を這っている感覚をおぼえて、さらに虫が本当に見えたりして、自分の体を傷つけてしまうという話も聞いたことがあります。

寝ているときに見る夢も、ぼくは同じようなものだと思っていて、ぼくが悪夢を見るときはだいたい寝姿勢のせいで息苦しいときとか、胃の調子が悪くて気持ちが悪いときとかだったりします。
前者の場合は、だいたい幽霊とかバケモノとか殺人とか恐怖感のある内容になるし、後者の場合は病気になったり見たことない虫がたくさんいたり、おえってなるような内容になります。
歯がどうにかなっちゃう系の夢とかもたまに見るけど、おかしな噛み合わせのまま寝ちゃってたり、変な力が入って食いしばっちゃってるのではないかと思っています。

これは、身体に起きている状況を、意識に対して、脳が説明しているような状態なのではないかと思うのです。

つまりは、身体が本当に吐き気を感じている状態だから、意識との整合性を保とうとして、脳が吐き気を催すような映像を作り出して夢として見せているのではないかと。
それで睡眠を持続させようとしてるのだと思います。
いやだなーと思ってることほど夢に見たりするのは、日頃から想像していることによって起こる身体的な状態が、寝てる間にも継続して起きているからだと思います。

ただ、夢を見てる人の中では、夢で起きていること、つまり自分の中で起きていることが、現実に起きていることとそれほど差はないのです。
もちろん明晰夢なんかは特殊な状態なので除外します。

まとめると、統合失調症や、薬物や睡眠によって、ぼくらの意識の中と外を隔てている境界線は、案外にも脆く崩れてしまうわけです。
なんらかの状況下で、あなたにその境界線が無くなったとして、あなたが死や死者のことを思ったときに何が見えるでしょうか。
たぶん幽霊的なものをみると思います。
その幽霊は、あなたの中にあるものだったとしても、あなたにとっては本当に存在していることと同じように感じられるはずです。

怖い話をしていると幽霊が寄ってくるとか、電気のある場所は出やすいとかは、幽霊のイメージが浮かびやすい状況だったり、意識の境界線がなくなりやすい環境とかだったりするんじゃないでしょうか。

見える人と見えない人がいるのも、幽霊のイメージを具体的に抱きやすい人と抱かない人がいたり、意識の境界線が強い人とそうでもない人がいる個人差だとすると、怪談の文脈で語られる色々なことが説明できると思います。
死んだ身内の霊が出た!とか、守護霊の類の話も、生きている側がそう願うことで起きる現象なのではないでしょうか。
でもそれは、原因が身体の内側か外側かって話だけで、体験者にとっては実際に起きるのです。

その意味では、お祓いとかお清めとかは、効果があるのだと思います。
たぶん、儀式をやることで意識を仕切って、イメージを変えようとしているわけですから。

②科学的に解明できるけど、未だされていない
意識の外に幽霊がいる可能性もあると思います。
例えばスマートフォンなんて、つい数十年前の人間に見せてみたら、オカルト的な存在として認識されるはずです。
もしかすると、幽霊も何らかの物理現象なのではないかとも思います。

例えば、怨念とかって、ヒトが考えたことなので、実際には脳の電気信号のはずだと思うんです。
記憶は、それがデータ化された状態です。
で、怨念が強いほど、そのデータって情報量が多くなると思うんです。
ちょっとムカついた、とかよりは、怨念のほうがデータが重くなる気がします。

エレキベースとかやってたり、パソコンで音楽を作っていると、しみじみ感じます。
エレキベースの音は、弦の振動が電気信号に変換されて、アンプで増幅されて大きな音になります。
 パソコンで音楽を作ると、音数というかトラック数が多かったり、曲が長かったりするほうがデータは重くなります。
つまりは、凝ったものほどデータが重くなる傾向は確実にあるのです。

で、電気信号って無線でやりとりできるじゃないですか。
ぼくやえんどうさんが弾いた弦の情報は、ワイヤレスシステムという道具を使って、無線で空間を介してアンプに届けていたりします。
皆さまが日頃使うであろうWi-FiやBluetoothも、電気信号を電波的なものに変換して、近かれ遠かれ離れたもの同士で情報のやりとりをしてるわけです。
そもそもテレビのアンテナとか携帯電話とかトランシーバーもそうですよね。

じゃあヒトの記憶や想いも、データとして空間の中を、何らかの電波的なものに変換されて漂っていたりしてもおかしくない気がするのです。

で、怨念とか言われるような重いデータほど残りやすいとして、たまたまそれと周波数が合わさって受信しちゃうことがあるとすると、それが幽霊として知覚される可能性ってあるように思えるのです。

これも、データが残りやすい場所とか、受信しやすい場所とか、受信しやすい人とかがいるとすると、心霊スポットとか事故物件とか霊能力者とかも説明がつきませんかね。

もっと学術と文明が進歩したら、今オカルトとされていることが、実際にあると証明されるかもしれません。
ゴリラですら最近までUMAだったわけですし。

魂とか呼ばれるものも、何らかのデータとして残るとすると、生まれ変わりとかも、なんらかの要因で周波数が一致する人に影響したりとかで発生しうる気がします。

同じ理屈で、死後の世界というのもあるのかもしれません。
生きている間は肉体というメディアを介しているだけで、死んだ人のデータはまた違うメディア上に存在するのかもしれませんね。
個人的には、そうだと面白いな、と思います。

以上の2つのどちらか、もしくは両方があるとすると、色々説明がつくように思います。
だから、ぼくの死生観としては、生も死も、すべて物理現象でしかないけれど、今そのすべてが解明されているとは思っていないし、ヒトの内側と外側で起きることの境界線はそんなに強固ではない、という立場なのだと思います。
それがそのままぼくの死生観なのだと思います。

それでも、例えばUSBメモリを破壊した場合、そのUSBメモリ自体のデータは壊れるので、人も肉体が死んだらデータは無になると思います。
魂や人格や記憶というデータが別のメディアにコピーされることがあっても、それは生前のそれとは地続きにはならない気がします。
肉体に物理的な限界がある限り、データの連続性を保つことはできない。
だから、ぼくは、ここまでひとりで考えを巡らせていても、死ぬのは怖いのです。

スタートレックに出てくる転送装置とか、リングの続編小説のループに出てくるニューキャップとかは、そういう問題を抱えていると思います。
ドラゴンボールで神龍が蘇らせた人物とかも、ひょっとするとそうかも。
今あるSFさながらの、生命をとあるデータとして扱える世界が来るのだとすると、死をどう定義するかが難しくなります。

ちなみに、幽霊の雰囲気や死生観が国や文化圏や宗教によって違うのは、生きていくために死後をどう考えるのが最も生きやすいかがそれぞれ違うからだと思います。
でも、死後の世界として語られるものや、実際に起きたとされることが、それぞれの文化圏で違う雰囲気であることも、生前のデータに基づくとすると説明がつくのです。

本当に頭いい人がこれを読んでいたら実証できたりしませんかね。
実証できたら諸々のギャラとか名声とかは折半でいいです。

あとは、お葬式とかお墓とかお墓まいりとかって、ぼくはとても大事だと思っています。
それは、宗教的などうのこうのではなくて、生者として残された側が、身近な人の死を乗り越える為のシステムとして必要だと思うのです。
本当はヒトには耐えられない別れや、自分にも必ず訪れる死と、どう向き合うのかを、ヒトはずっと昔から試行錯誤してしたのだと思います。
まさしく死生観とは、その試行の繰り返しから生まれてきたものだと思います。
結果、それがスキームとなり、フローとなり、儀式化されて物質化したのが、葬儀や墓なのだと思います。

通夜をやり、葬式をやり、お経を上げて供養をして、初七日、49日、一周忌、と、段階的に死者と距離をとりながら、死者をどういうオモイデとして位置付けるかを無意識に定義する機会を、人類の経験上、最も効率的にできる間をあけながら設けているのだと思います。
それが完遂されることを、日本の仏教では「成仏」と呼ぶのではないでしょうか。

ヒトには本当は耐えられない別れや、やがて自分にも訪れる死と、ちゃんと対峙するためのシステムとして、それらの儀式はないより絶対マシだと思うので大事にやります。

だってルシファーは祖父からの3代目の長男だもの。

以上でござる!ここまで読んでくれてかたじけない!!
明日はライブでぼくの死生観が爆発して総ての境界線が相殺され、人類がLCLに還元される様を観にいらしてください。

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2019年1月26日(土)

渋谷DESEO

「THE ELECT HORROR PICTURE SHOW scene3.1」

・曖昧中毒

・THE NOSTRADAMNZ

・The.picnics

・DENTAKU

・ピノキヲ

・Mr.ChickenHat Timers

開場16:00開演16:30

前売2000円当日2500円