セカンドアルバムに先がけて、関連作品として「Tokyo e.p.」について語りたいと思います。
しかしながらそもそもいつリリースしたのか全然経緯を覚えないんだけど、ファーストである程度音源でどんな音像にしたいかみたいなことが見えてきたのと、ぼくはいつでも自分が聴きたかった音楽やジャケットを作りたいと思ってきたので、当時の自分の気分がまるっと反映できていると思います。
音作りでいうと、イッツアスモールワールズエントよりはクリアでシンプル、でもスラッシャーとプレッシャーよりはリッチな感じになっているかと。
スラッシャーとプレッシャーがチープだからダメなわけでは決してなくて、単純に録音方法が全然違うのです。
どっちも好きなんだけどね。
で、ジャケです。
緑のほうはセカンドプレスで、初回のやつは赤です。
元ネタはもちろんピストルズのコレ。
もう、まんま置き換えただけなんだけど、ありそうで無かったなかなか会心の出来でして、たまたま仕事でCDやさんに行った高校の同級生が、知らずにジャケ買いしたらぼくだった、という嬉しい連絡なんかもあったりして。
とても気に入っています。
盤面には東京スカイツリーをあしらっています。
かみむらくんちからライブに向かう車の中から、よくスカイツリーが綺麗に見えるんだ。
あれがなんかすごくわくわくする。
東京タワーも好きなんだけど、やっぱり平成を生きる我々だから、スカイツリーを東京の象徴として描きたかった。
あそこやっぱ楽しいんだよね。
水族館あるし、ウルトラマンやさんあるし。
そして中身。
一曲目、Eyes。
原曲はハタチくらいのときに、capsuleとかにどハマりしていた頃に作った曲。
Bメロからサビまではほぼ変わってない。
あれは、その頃好きだった女性とクリスマスデートの帰りに小田急ロマンスカーに乗ったときの空気感が、食欲なくなるくらいロマンチックだったので、それをそのままロマンチックな歌にしたのです。
紆余曲折を経て間もなくお付き合いをさせていただく運びになり、それから割と長い間お付き合いをしていて、もうこのまま籍を入れてしまおうかくらいに真剣に考えてたんだけど、ひょんなボタンのかけ違いからお別れすることになってしまいまして。
まあ言うてもしばらく生きてくればこういう経験の1つや2つはあるもんですな。
そんな相手も今どこで何をしているやらわからないけれど、少なからずその方の貴重な人生の一部をぼくは、ある意味浪費させてしまったので、今もそのことに関して罪悪感がないかといえば、未だに罪の意識はある。
もしかすると、他の誰にも目移りしないように眼球をえぐられて潰されて、他の誰にも奪われないように身体を細かく刻まれても、文句は言えないくらいの呪いを受けてもおかしくないのかもしれません。
はたまた、殺したほうは一方的な殺し方をしてしまったので、もしかしたらものすごく恨まれてしまっているかもしれなくて。
あんなにキラキラしていた恋も、加速していって気づいた頃には、呪いに変わっているかもしれない。
あのとき乗ったロマンスカーは銀河鉄道になって、あの人の呪いを乗せて自分をきっと迎えにくる。
愛し合ったはずの2人が、いつの間にか呪い合ってしまう。
みたいなイメージに書き変わって、ヘヴィーなリフやおどろおどろしいAメロが加わってできた曲だったりします。
もちろん宮沢賢治の銀河鉄道の夜のイメージは多分に含まれています。
賢治の銀河鉄道の夜は、本当の幸せとは何か、ということを問いながら黄泉の国まで旅をする話だと解釈していて、ジョバンニとカムパネルラは十字架がそびえる黄泉の国の境界で永訣を迎えたのだとぼくは思います。
本当の幸せとは、誰かの為に生を捧げられることであると。
そう思える人間になることだと。
人の為に生を捧げることと、身勝手に想い続けること、つまり愛することと呪うことは表裏一体なのだと思うのです。
だからこそ、銀河鉄道なんて絶対来そうもないような地下鉄の駅で、絶対に迎えに来るはずのあの人をずっとずっと待ち続けるのです。
絶対来て欲しくないけど、それを待ち続けずにはいられないという。
さらに、呪いって実は呪うほうの思念じゃなくて、呪われるほうの罪悪感のことなんじゃないかなとも思うのです。
だからこの歌は、殺す側の一方的で身勝手な主観でしか書かれていないのです。
だから実はコレ、愛とか恋とかってワードを一個も使ってないラブソングなんですよ。
腐って猟奇的になった成れ果ての愛。
実際のぼくはそこまで思い詰めたりしていないんだけど、少し誇張したらそんな状況になるような経験て誰にでもあるんじゃないかな。
なんて、自分が呪う側なのか呪われる側なのか、聴きながらヒヤヒヤしてもらえたら楽しいなって。
ちなみにぼくは、ぼくの歌を好きだと言って聴いてくれる方々全員を呪っています。
二曲目、Tokyo。
歌詞はアレなのでアレしてください。
大ヒントというかほぼ答えがアルバムのブックレットに書いてあります。
曲はこれ、完全にグリーンデイのバスケットケースですね。
実は進行も構成もメロもそこまで似ちゃいないはずなんだけど、すげえ似てるよね。
パッと出てきたとき、なんかグリーンデイっぽいなと思いながらも、別に意識して雰囲気を離したりしないで、そのまま出てくるままに書ききりました。
詩は英詞なんだけど、知ってる単語を並べ連ねただけで文法とかはあんまり正確じゃないので、発音もアレだし英語圏の方が聴いたら笑っちゃうような言い回しなんだろうけど、笑って頂きたい。
一応、イメージ的には、ロックスターに憧れて東京に出てきた幾多の若者たちの1人に自分も混じっていったけど、そこには現実への絶望しかなかったし、いつの間にか歳をとってどうにもならなくなったよ、という話。
割とリアルですね。
それこそ、むかしえんどうさんやかみむらくんと知り合った頃、ぼくは中野坂上と西新宿五丁目の間くらいに6畳一間のマンションを6万円くらいで借りてたんだけど、なんかその頃の気持ちを思い出しますね。
せっかく東京都心にいるし、遊びに繰り出したり、女子をとっかえひっかえ連れ込んだり色々したいなあと思って出てきたけど、だいたいいつもお腹痛かったし、バイトとスタジオとライブ以外は出かけもせずにひたすら一人で部屋にこもってホラービデオかアダルトビデオかクラゲが泳ぐだけのDVDを観ながらタバコ吸ってたし、わりとずっと精神的にピリピリしてたし、税金も滞納してたし、オリジン弁当ののり弁か松屋ばっかり食ってたし、隣の住人が夜な夜なすごい悲鳴を上げてて多分そのまま死んだんだろうし、ロクなもんじゃなかったですね。
人前で音楽を演奏しているまさにその短い時間だけが、解放された気分だった。
とはいえ、税金をちゃんと払えるようになったことと、家も少し広くなったことと、隣人が生きてること以外は今もそんなに変わってないのかも。
今、この年齢でも、良いメンバーと好きな音楽ができていて、音楽だけじゃなくて彼らや皆さんと過ごす時間そのものが、あの頃万年床の6畳間の窓から見上げていた、すすけた東京の夜景よりキラキラして見えていたりするかもしれない。
三曲目、アイスクリーマー。
これは知る人ぞ知る伝説のバンド、おはぎの頃に書きあがった曲ですね。
これもサビ部分の原曲は、アイズの原曲とそんな変わらない時期にはあって、厚木サンダースネークあたりで1人でライブしたときにやったこともあるんだけど、Aメロは歌というか語りみたいな感じだった気がする。
おはぎバージョンとはアレンジや構成も変わったようでそんな変わってないんだけど、印象は結構違うよね。
歌詞は、着想を辿ると埼玉の川越に住んでた幼稚園の頃、近所にあった駄菓子屋さんまで、母親に連れられてよく散歩に行った記憶があって。
記憶ではいつもよくよく晴れていて、どこからともなくキジバトの鳴き声が聞こえていて、木々の隙間からキラキラと美しい木漏れ日が降り注いでいるイメージ。
たまらなく懐かしいので、大人になってからも用もなく川越に何度か行ってるんだけど、なんか曇ってたりして子供の頃のあの感じは無いんだよね。良い所なんだけど。
記憶では、駄菓子屋さんのこんなアイスケースに
非常に美味しかったんだよなあ。
この、落し蓋タイプのアイスって全然なくなっちゃったけど、フタの裏についたアイスをペロペロ舐めるのがなんとも多幸感があった。
で、そんな素朴な幸せを一身に受けて大人になったのに、世界はどうしてこうなってしまったのだろう、というぼくがよく思ってることの歌です。
ここでいう世界とは外的なものではなく、もっと主観的な、それぞれから見えている世界のことです。
なんか厭世的な歌詞をよく書いてると思われるかもしれないし、そのきらいもあるんだけど、何よりも憂いているのは、世界そのものではなく、世界が美しく見えない自分自身という、もしくは、あなたがた一人一人というレンズとフィルターのことなのです。
最後のくだりで、アイスクリームになぞらえてそのあたりを端的に表現できているかなと。
4曲目、Birthday。
この曲は高校を卒業するときに、厚木サンダースネークあたりで学区周辺のバンドを集めてやった卒業イベントでやるために作りました。
当時はもちろん卒業について回りくどく暗喩的に歌った歌詞でしたが、ノストラダムスバージョンは、その頃とワード選び自体はそんなに変えずに、輪廻についてというか、そういう情景を歌っています。
言葉を覚えたてくらいの子供って、胎内の記憶があるって話があるよね。
しかも、難産の子ほど覚えてる確率が高いのだとか。
もしくは、映画で観たことだから嘘かもしれないけど、チベットのダライ・ラマって、子供のうちに先代のダライ・ラマの遺品を見せると「ぼくのだコレ!」とか言い出すらしいよ。
ちなみになんかの占いによると、ぼくの前世は幕末の要人を暗殺する刺客だったらしいです。
なんともジャパニーズルシファーって感じですよね。
あと印象に残ってるのは、大津波で妹を亡くすんだけど、ほどなく母親がまた女の子を産んで、抱き上げたときに、あ、この子は妹の生まれ変わりだ、と思う夢を見たことがあって。
つまり、そういうのに果てしないロマンを感じるわけなのです。
君の名は、はアレは現世じゃなくて生まれ変わりだったらもっとぼくは好きな映画だったし、そのほうがむしろリアルに感じるのにな、とすら思います。
誰もが人生で、大切な誰かとの永訣を経験すると思います。
できるなら、もう一度会いたい。
だから生まれ変わったら、なんて思うと思うのだけど、少なくとも現世のぼくに前世の記憶はないので、前世や来世があるのかはわからないし、あったとしても今世のことは覚えていない。
それこそが死の本当の恐怖だと思う。
もし輪廻や魂が本当にあるなら、今まさに生を受けようとしているときに、記憶がリセットされるときに、人は生まれゆくと同時に本当の死を経験するのではないか、と思うのです。
でもこの主人公は、何度生まれ変わっても、悲痛な人生を送っても、歌を口ずさんで乗り越えてきたんだな、という情景を描きたかったのです。
卒業ソングだった頃の歌詞は、受験という夜を乗り越えて、新しい朝がくるよ、的な書き方で、
サビは
まだキラキラ喚きたいけど
もう朝が呼んでいるね
それでもまだ歌を口ずさむ
さよなら また今度ね
という内容。
そして、SHUT YOUR MOUTH MARCHに入るバージョンも、Tokyo e.p.とは違う歌詞になってます。
だから高校卒業のときと、Tokyo e.p.のときと、次のアルバムで、同じ主人公が何度も生まれ変わり、その度に魂が洗練されて成長しているのです。
ちなみに、Tokyo e.p.のほうは「産まれる」ことを受動的にとらえていて、アルバムのほうは「生まれる」ことを能動的に捉えています。
何故歌詞全文を載せないかって、前世について我々は記憶も記録も持っていないはずだからです。
また別の機会にこの歌を形に残すことになったときは、また違う歌になるでしょう。
かみむらくんが、こんな割と重いテーマの曲にツーリング風景を合わせちゃったもんだから面白い。
歌詞のテーマなんてメンバーにマジメに語らないからね。
5曲目、Rolling on -MSS remix-
そんな高校時代からの友達、MSSサウンドシステムくんに、リミックスを依頼しました。
これのボーカルトラックは確かイッツアスモールワールズエントではなくて大予言のほうだったと思う。
高校入ってすぐ仲良くなって一緒にメタルコア的な曲をやるバンドをやってたんだけど、彼はどんどんロックから離れていき、ぼくはどんどん初期パンクや80年代のハードコアパンク、あとはミスフィッツやバルザックに傾倒していったので、お互いの音楽の話はするんだけど、一緒になんか作るってことはあんまりできないポジションにいたのです。
選曲は、バーンと大予言のバラデータ送りつけて好きにやってくれ、て話をしたけど、割と自分の中で楽曲として会心の出来だったロリオンを選んでくれて嬉しかったし、やっぱり基本的に音楽的なバックボーンはパンクロック畑のぼくには出てこないアプローチで、楽曲に新しい命を吹き込んで頂けたな、と思います。
そんなMSSサウンドシステムくんもフルアルバムを6/6に全国流通でリリースので、我々のアルバムと合わせて聴いてみると面白いです。
https://www.time-warp-love.net/
同じ地域で同じ時代を同じくらいの学力で過ごした、同じバンドをやっていたこともある同じようなロック少年でも、これほどまでにスタイルが違うことが面白い。
そして、どことはわからないけどどことなく同じ香りもする感じ。
まあ具体的には、ちゃんとそれぞれの音楽的文脈を踏まえながらも誰もに開かれたポップスにもしたい、というらへんが共通項なのではないでしょうか。
以上、長くなりましたがTokyo e.p.のお話でした。
これも、今聴いても超カッコいいと思う。
だがしかし、新しいアルバムはもっともっとカッコいい。
5/15に池袋手刀で先行発売でございます。
ついでにかみむらくんの誕生日も祝ったりするので、是非ともおいでませ。
さよなら。







