曲はルシ曲で、なんとなーくのイメージはこれまた非常に昔からあったんだけど、ギター持ったり鍵盤触ったりしても、なかなか頭の中で鳴ってる曲をうまくアウトプットできなくて。
で、ライブの日にかみむらくんちで朝早く起きちゃったとき、転がってたギターをちらちら弾いてるときに急にコードが解って、あ、あ、あ、というまにほぼフルコーラスできたんだな。
ずっとわかんなくてほっといたパズルが掃除のときに出てきて、あっけなく完成しちゃう現象と同じく。
それも作曲の面白さのひとつというか、ある日急に全部降りてくるのもあれば、鍵盤やギターに向かってからひねり出すのもあれば、一旦諦めて忘れた頃にできちゃう曲もあるんですね。
メロは頭の中ではCoccoさんが歌ってました。
そうしてできたやつをスタジオに持っていってみんなでアレンジして完成って感じ。
仮タイトルは 菊の咲く場所で でした。
ドラゴンアッシュの百合の咲く場所でという、我々世代にとってはカラオケで誰かしらが歌う名曲がらございまして、ずーっと静かにきてサビで
バーン!となる感じはあれのイメージが強かった。
あとアウトロのベースはラルクのrayのラストに入ってるthe silver shiningという名曲があるんですが、俺が中学生のときに擦り切れるほど観まくったグランドクロスツアーのビデオで、the silver shining のアウトロでtetsuさんの手元が映るんですが、それがめちゃくちゃかっこよくてずーっとどっかで真似したいと思っていて、十数年経って実現しました。
フレーズは全然違うけどイメージはあれです。
ライブ当日の日没時間を計算して屋外でGhostやりたいですね。
歌詞は、死んだひとたちに向けました。
俺の中ではおじいちゃん2人。
父方のほうは小学校一年生のとき、母方のほうはついこの間亡くしました。
ふとしたエピソードとか、行動とか、背格好とか、俺にも2人の血が入ってるなあ、と思うことが多いんだけど、実は彼らがどんな子供時代を過ごし、どんな青春をして、何をみて何を思って生きてきたのか、実は全然知らないんだよね。
だからおばあちゃんとかに聞いたりして。
で、聞いたりするとなんだかんだ、惚気になったりすんだよね。
核家族化が進んだ昨今、孫という視点からだとあんまり、祖父母が愛し合っているとかいないとかって見えなかったりすると思うんだけど、思い切ってきいてみると結構面白いと思う。
時代や人生を決める考え方は違うんだけど、そんなにわれわれと変わらない若者の姿もあったりする。
彼らが歩んだ人生は、俺が今歩む人生の前日譚でもある。
だからこそ、人は誰かの死を悼む。
生きてきて、痛ましい死がたくさんあった。
身近な人もそうだし、オウム事件とか、阪神淡路大震災とか、JCOとか、911とか、福知山線とか、311とか。
生まれる前にも、太平洋戦争と原爆、123便、チェルノブイリ、たくさんあったんだよね。
生きている我々も必ず死ぬ。
早いか遅いかだけなんだけど、人は人の死を悼まずにいられない。
誰もが誰かの死を悼みながら生きて死んでいく。
生きるとか死ぬとかうるせえって声も聞くけど、人間ならばそれしかないじゃんかと思うけどな。
俺にできることは、うたったりおどったりだけだから、このうたを書きました。
きっと届くハズだと思う。
死者は外にいるのではなく、我々の中にいるのだから。
Ghostとはそういった、心そのもののことだと思っておるわけです。
