金曜日のSHANTI HOUSE、本日はまりさんのヨガの時間でした。
夏休みが明けて休暇から帰国したり、子ども達が学校に行きだして集まってきてくれたママ達で久しぶりの賑やかな一日でした。
なんだろうなぁ、今日は皆さんのエネルギーが共鳴してくれて、SHANTI HOUSE の空間にはいつもとはまた少し違う透明な愛が溢れていたように思えました。
久しぶりに見る皆さんのお顔がそれぞれにその方らしく輝いていました。
私の中にも透明な愛、言うならば囚われのないという感じかなぁ、そんな愛が湧いてきて、自由という感覚を味わいながら、ヨガをし、みんなで食卓を囲み、笑い合い、幸せな時間を過ごしました。
いつも皆さんが差し入れで持ってきてくれる手前味噌をいくつも並べて、お好みのお味噌汁を作って楽しんだり、またまた差し入れのお豆腐入りチョコマフィンを頂いたり、楽しく美味しいことも沢山~。
普通に楽しみ過ぎたため写真がまたない。。苦笑
今日はオープン準備をしながら、人生に起こる出来事とその意味について考えていました。
そして家の前に出す黒板に「人生には泣きたい日もあるけど、ふっと笑っちゃう瞬間もある。ふと心をゆるめた時、心の中にSHANTI(平安)を見つけられる」
というようなことを書きました。
それをうけてまりさんがヨガ前にしてくれたお話。
「人生に起こる出来事は全てパーフェクト」とまりさんが話し始めた時に、わお!シンクロ!と嬉しくなりました。
繋がっていることがとても嬉しかった。
「もしアンハッピーな出来事が起きても、それは自分がどう感じているかを知るチャンス、もしかしてそれは修正ができたりするかもしれないし、何より自分の内側に目を向けるとても大切な学びに満ちているのです。」
という内容に、終始頷きっ放しの私、だって全く同じことを考えていたから、笑。
出来事自体には意味はない。
どんな悔しいことや悲しいことも、それはただそこに起こっているという事実。現実。
ではそこで私がどう感じるかは全て自分次第です。人によって千差万別。
そこにその人だけの気付きが生まれてくる。
例えば、私は今まで足の小指を激しくぶつけた時なんかにぱっと浮かんでくる感情は「私が悪いことしたから?わたしがちゃんとやれてないから?」でした・・・苦笑。
最近になってこの自分の心の動きに初めて深く気付けたのですよね。
それは「正しくやらなければ罰せられる、ちゃんとやらなければ愛されない、完璧でいなければ認められない・・・」という自分への理由のない罪の意識と自分の人生に課してきたものたち。
で、もちろん常にちゃんとやれ、正しくやれ、完璧でいるなんてことは起こりえないわけです。
だからどこかで自分が自分を心から認めることも愛することもできていなかった。
人は生まれた時から、答えを探しているような気がします。
少なくとも私はずっとずっと答えを探し続けていました。
何のために生まれたのか?死ぬことだけが決まっているこの人生を生きる意味は何なのか?
何故自分が何度も同じ悲しみに心を打ち砕かれ、また立ち上がって生きるのか?
今、答えは全て自分の内側にあり、その答えを見つけるためには、ただ自分の内側を観ることなのだとようやく思えるようになりました。
そして見えてきたものたち。
私の求めている「答え」には「正しい答え」なんてなく、ただ、その答えがあるとしたら、私という人間がたったひとつしかないこの命とこの身体をもって生きているということを心底感じ生きること、それだけなのかもしれないと・・。
答えを見つけるために私達は様々な出来事に遭遇し、感情を揺さぶられ、自分を知っていくのだと思うのです。
感情を否定して、怒る自分を否定して、悲しむ自分を否定して、負の感情から目を背けている限り、すぐそこにある答えに気付くことができない。
だから苦しみは繰り返しやってくる。気付くために。
泣いたり、笑ったり、苦しんだり、喜んだり、感情を通して知るありのままの自分。
それに気付いて自分のありのままを知ることができたら、次は選んでいくことができます。
自分の人生をどう生きるのか?どう生きたいのか?
私はずっと、「命は無常だ、人生は苦しい、けれどそれでも笑って今に生きたい!」そう願いながら祈りながら生きてきました。
だからいつも頑張らなくていけなかった。肩に力をいれて、辺りを警戒して、心をギュッと握りしめて・・。
でも今は少し違います。
人生は美しい。全ての出来事の中にある光を見つめながら生きよう!心からそんな風に思っています。
「出来事」という、目に見えるものをふっと手放したとき、心に生まれる SHANTI 平安という光は私にとっての暖かい家のようなもの。
SHANTI HOUSE がそんな場所になっていけるように、心をこめて愛の中で生きていよう、と気持ちも新たに思う今日の日です。
全てに感謝、感謝です。
月がきれいです。もうすぐ十五夜。
夏休みが明けて休暇から帰国したり、子ども達が学校に行きだして集まってきてくれたママ達で久しぶりの賑やかな一日でした。
なんだろうなぁ、今日は皆さんのエネルギーが共鳴してくれて、SHANTI HOUSE の空間にはいつもとはまた少し違う透明な愛が溢れていたように思えました。
久しぶりに見る皆さんのお顔がそれぞれにその方らしく輝いていました。
私の中にも透明な愛、言うならば囚われのないという感じかなぁ、そんな愛が湧いてきて、自由という感覚を味わいながら、ヨガをし、みんなで食卓を囲み、笑い合い、幸せな時間を過ごしました。
いつも皆さんが差し入れで持ってきてくれる手前味噌をいくつも並べて、お好みのお味噌汁を作って楽しんだり、またまた差し入れのお豆腐入りチョコマフィンを頂いたり、楽しく美味しいことも沢山~。
普通に楽しみ過ぎたため写真がまたない。。苦笑
今日はオープン準備をしながら、人生に起こる出来事とその意味について考えていました。
そして家の前に出す黒板に「人生には泣きたい日もあるけど、ふっと笑っちゃう瞬間もある。ふと心をゆるめた時、心の中にSHANTI(平安)を見つけられる」
というようなことを書きました。
それをうけてまりさんがヨガ前にしてくれたお話。
「人生に起こる出来事は全てパーフェクト」とまりさんが話し始めた時に、わお!シンクロ!と嬉しくなりました。
繋がっていることがとても嬉しかった。
「もしアンハッピーな出来事が起きても、それは自分がどう感じているかを知るチャンス、もしかしてそれは修正ができたりするかもしれないし、何より自分の内側に目を向けるとても大切な学びに満ちているのです。」
という内容に、終始頷きっ放しの私、だって全く同じことを考えていたから、笑。
出来事自体には意味はない。
どんな悔しいことや悲しいことも、それはただそこに起こっているという事実。現実。
ではそこで私がどう感じるかは全て自分次第です。人によって千差万別。
そこにその人だけの気付きが生まれてくる。
例えば、私は今まで足の小指を激しくぶつけた時なんかにぱっと浮かんでくる感情は「私が悪いことしたから?わたしがちゃんとやれてないから?」でした・・・苦笑。
最近になってこの自分の心の動きに初めて深く気付けたのですよね。
それは「正しくやらなければ罰せられる、ちゃんとやらなければ愛されない、完璧でいなければ認められない・・・」という自分への理由のない罪の意識と自分の人生に課してきたものたち。
で、もちろん常にちゃんとやれ、正しくやれ、完璧でいるなんてことは起こりえないわけです。
だからどこかで自分が自分を心から認めることも愛することもできていなかった。
人は生まれた時から、答えを探しているような気がします。
少なくとも私はずっとずっと答えを探し続けていました。
何のために生まれたのか?死ぬことだけが決まっているこの人生を生きる意味は何なのか?
何故自分が何度も同じ悲しみに心を打ち砕かれ、また立ち上がって生きるのか?
今、答えは全て自分の内側にあり、その答えを見つけるためには、ただ自分の内側を観ることなのだとようやく思えるようになりました。
そして見えてきたものたち。
私の求めている「答え」には「正しい答え」なんてなく、ただ、その答えがあるとしたら、私という人間がたったひとつしかないこの命とこの身体をもって生きているということを心底感じ生きること、それだけなのかもしれないと・・。
答えを見つけるために私達は様々な出来事に遭遇し、感情を揺さぶられ、自分を知っていくのだと思うのです。
感情を否定して、怒る自分を否定して、悲しむ自分を否定して、負の感情から目を背けている限り、すぐそこにある答えに気付くことができない。
だから苦しみは繰り返しやってくる。気付くために。
泣いたり、笑ったり、苦しんだり、喜んだり、感情を通して知るありのままの自分。
それに気付いて自分のありのままを知ることができたら、次は選んでいくことができます。
自分の人生をどう生きるのか?どう生きたいのか?
私はずっと、「命は無常だ、人生は苦しい、けれどそれでも笑って今に生きたい!」そう願いながら祈りながら生きてきました。
だからいつも頑張らなくていけなかった。肩に力をいれて、辺りを警戒して、心をギュッと握りしめて・・。
でも今は少し違います。
人生は美しい。全ての出来事の中にある光を見つめながら生きよう!心からそんな風に思っています。
「出来事」という、目に見えるものをふっと手放したとき、心に生まれる SHANTI 平安という光は私にとっての暖かい家のようなもの。
SHANTI HOUSE がそんな場所になっていけるように、心をこめて愛の中で生きていよう、と気持ちも新たに思う今日の日です。
全てに感謝、感謝です。
月がきれいです。もうすぐ十五夜。




