ここのところ、持病の神経性胃炎がずっと治らない。

食べられるようになったのに、すぐに気持ち悪くなったりで困る。

中学生くらいからかれこれ20年以上付き合っているからもういい友達というか・・。

私の場合、身体がダウンしてから初めて気持ちの落ち込みに気付くことが多くて、
これを早く気付いてあげられたら、胃炎もならないですむのかも。

胃の痛みは胃の周りの筋肉なんかの痛みらしいので、背中がパンパンになっている
のをほぐすとすっと楽になる。

後は生姜湯とか、湯たんぽで暖めたりするとよくなることも多い。

ゆうだいを育てていた時、だいたい常に不調だったので、何とか家にいて楽になる
ように、いろいろと工夫をして養生法をあみだしたんだったな。

最近ちょっと忙しかったけど、まだまだ無理は禁物なのでした・・・。

病は気からというけれど、心を大切にすること、大きく見渡すことを忘れずいたい
と思う。

養生しないとね。
生きている間には、辛いこともたくさんある。

それが生きてるってことだから。

辛いことのぶんだけ、幸せなこともある。

それが生きてるってことだから。


もしも、もう一度ゆうだいと暮らせるとしたら・・ふとそんなことを考えた。

きっとまたしんどいことが増えて、どんなに感謝しても愛しくても、必ず疲れ果てて
呆然とする時がくるだろう。

だから、もしゆうだいとまた暮らせるなら、今度の人生では私はもっともっと、どう
やったら楽しく生きられるかを必死で考えようと思う。

たくさんの助けを借りたり、生活は不自由でもいつも心を自由にして暮らしたり。

自分の心も置き去りにせず大切にして、そして悲しいことはなるべく考えないでいたい。

過去に囚われず、未来を恐れず、今を楽しむことを忘れずに過ごそう。

ただ目の前の大切な人の目を見て、心を通わせて、そして笑っていたい。


ゆうだいと暮らせなくてもこれからの私の時間をどう生きるかの鍵も同じこと。


必ず終わりは来るけれど、死ぬまでは生きているから。

悲しいことも辛いことも生きている証だから、それでもまた笑って生きる。


長いようで短い一生を、悔いなく生きるにはただ今を生き続ける、それに尽きるなぁ
と今更に深く感じている。

ゆうだい先生からの教えは尽きない。

教えるために、与えるために生まれて来てくれたんだろうな。

いくら感謝しても足りないくらいだよ。
本の片付けに辿り着きません・・・。

どっちかというと、読んでる時間が長いような。

映画と同じく、ゆうだいを産んでから本が読めなくなって久しかったけれど、
最近読書が楽しい。

もともと本が好きで、書店に入った時のワクワクする気持ちや、ずっといても
飽きない感じを思い出してきました。

ウィンドウショッピングのようにただ本の表紙を眺めながらインスピレーション
にまかせて手に取って、背表紙を読んでみる。

何冊も繰り返して、数冊選んで、早く読みたいな~と思いながら家路に着く。

この流れは学生時代の習慣でした。

お気に入りの作家さんを見つけたら全作読んでみたり。


ゆうだいがいた時、私の頭の中も心の中も常に満タンで、活字の入り込む隙間
も新たな感情を生みだす器もなかったような気がする。

今は怖いくらいにがらんとしてる心の中に、ひとつひとつ入れてみて、感じる
心を取り戻してみているところ。

一人の人間として。


ゆうだいがいなかった時の自分が思い出せなくて、どうやって生きていけば
いいのかもわからなかったけど、こうやって少しずつ思い出していくのかな。

そして、ゆうだいがいてくれた時間の分だけ、生きることや愛することを知った
分だけ、少し成長できた自分を発見できたら嬉しい。


あ~、本の片付け明日はやりたい。

読んだ本はすぐに売るためにカバーかけてきれいに読めばいいものを、帯も
表紙も嫌いで気付くとはいでいるわたし・・・。

こんまりさんによると書類は基本全捨て、本も神棚に飾るくらいのお気に入り
以外は処分なんですって~。

ゆうだいのいない夏が終わって、ゆうだいのいない秋がやってきた。

ここの所冬みたいに寒くて床暖つけたいくらい。

寒くなるとゆうだいのための冬支度が始まる。

毎年、どうやったら体温が下がらないで過ごせるか、いろんなグッズを試したり
手作りしてみたり。

今年も寒くなったから、暖かくするもの達を見ては「これゆうだいにいいな」と
思っては、いやいや、もうゆうだいは寒くないから必要ないんだなって何度も
繰り返してしまう。

ゆうだいのために何かをしたいという苦しいこの気持ちは、きっとゆうだいのいない
季節を過ごして、今度はゆうだいがいてくれた季節を愛おしく思うようになるまで続く
んだろう。

ゆうだいの気配が沢山のこの家と季節の中で、次に踏み出す準備をして、少しづつ
歩き出せばいい。

かたちのないことを受け入れる度に、目には見えなくても心の真ん中に暖かい光が
増えていく。

亡くなった子供を心で育てるなんてとてもできそうにないと思っていたけど、これが
そういうことなのかな。

どこか寂しく切ない季節、私の心に寄り添ってくれているようで、秋はいいなって
あらためて感じる今日この頃。
やってみました、ときめきを判断基準に片付けを!

先生の言う通りにまずは服から。

断捨離で随分整理したのに、同じ量くらいの服がクローゼットからなくなりました。

ていうか、明日から何着る?ってくらいスカスカ~(汗)

いかに、普段、着れるからまいっか、イマイチ気に入らないけどまいっか、しまい
には、何でもいーや・・・てな感じで服を選んでいるかがよくわかりました。

片付けてたら、今度から何を基準に買うかも段々見えて来て良い勉強になる。

残ったのはまさに、ときめいて買った服達。

セールでない時に、お気に入りのお店で一目惚れし、それなりに高いお金を払って
購入した服だけ。

安いからとか、楽だからとか、何にでも合うからとか思って買った服は一つもなく
なってしまった。

部屋着も、ジャージを着ていたらジャージの似合う女になりますって言葉に非常に
心当たりがありまして、思い切って処分しました。

ずっと置き去りのお母さん以外の私も大切にしたいから、今回の片付けは今の私に
ぴったり。

それに考えるんじゃなくて感じる心を取り戻したい私にもいいレッスンになりそう。

今はまだ、ときめくかを考えちゃ意味がないのに、一生懸命考えてる気がするけど(笑)

最後にリサイクルショップに売りに行って3千円程お小遣いをもらい、夫と山分け。

売れない様な服は、近所で月一で開催される、古着の回収とバザーに持って行きます。


人生も、まいっか~の連続で終わらせたくないし、今からでも遅くないと思うから。

明日は、本です。またいろいろ発見ありそうだなぁ。