一週間の始まり。週末放置していた掃除を終えてすっきり。

ゆうだいを育てている間、外出できずに時間はあっても、家事をしたり、なにか手仕事をしたりする気持ちの余裕がなかったように思う。

常に寝不足で疲れているのもあるけれど、やっぱり一番は心の疲れがあったかなぁと。

あつきが生まれてからは特に、炊事以外はヘルパーさんに手伝ってもらって日常生活をまわしていた。それでもいっぱいいっぱいだったなぁ。

自分で家事ができるようになってから、家事をしていて心が落ち着く感じや幸せを感じることが多くなった。

もちろん面倒くさいと思うことも多いけれど、自分で家事をできることのありがたさを知ったからなのかな、不思議と掃除をしている時、ご飯を作っている時、ささやかな喜びを感じている。

人が使えるエネルギーにはある程度の限度があるのかな。

私の心のエネルギーはゆうだいを育てることに100%向けられていたといってもいいくらいだったかもしれない。

物理的に24時間態勢の介護は本当に大変だったし、何よりゆうだいの命をを守らなければという責任感、少しの変化も見逃さないようにという緊張感は私をとても消耗させていたと思う。

ゆうだいがいてくれる幸せはそんな大変さをすべて払拭するくらい大きく掛け替えのないものだけど、現実の生活を賄っていくことは簡単ではない。


今もゆうだいのお友達のお家ではそんな毎日が続いているのだと思うと、応援することしかできないのがもどかしく感じる。

でも、いつだってそうだけど、私にできることは今の私の一日を真摯に生きること。感謝して。

子供達を愛の中で育てる、というのが私の今の仕事であり今一番したいこと。

だから、今日も掃除をして、温かいご飯を作ろう。


あぁ、でも台所がめっちゃ寒い~。
この連休はみおが生まれてから初めての夫の実家への帰省でした。

お盆に夫とあつきは一度帰ったけれど。

旅行の準備はもちろん私の仕事で、パッキングは苦手ではないけれど、効率と保険を考えながら忘れ物がないか注意して、とやっていると結構大変。

でもそれって、ゆうだいがいたからのことだと、いなくなってからつくづく感じる。

赤ちゃん連れで急に荷物も増え予備には気を遣うけれど、ゆうだいの医療品や身の回りのものなど必需品の準備に比べれば、あっという間に終わってしまう。

実家を出る時も、忘れ物はないかと確認したつもりが電話が鳴って、出る直前まで使っていたクッションを忘れてるよ~と教えてもらい引き返す、なんてことがよくあった。

今日も実家を出る時にそのことを思い出して、何だか少し・・。


まだ身軽さに馴染めない、というか、慣れてしまいたくない気持ちがあるのだなぁ。

紅葉を見ても、クリスマスのイルミネーションを見ても、心が揺れる。

2回目の季節が巡って、今年の冬はツリーを出そうか、やっぱりやめておこうか、とまだ出せずにいる。

進みたい、留まりたい、進まなければ、戻りたい・・・。

揺れている私が、今の私。

今の自分を大切にすることが、きっと、明日につながる。

お墓の前で、見ていてね、とお願いして帰ってきました。



こちらは今日も澄んだ青の秋晴れ。

そんな空を見ていると何故だかいつも、「愛されてるなぁ」という心の声が聞こえる。

え?誰が誰に?と自分に突っ込みをいれるくらい無意識からの声(笑)

誰になんでしょうね・・。たぶん神様とかそんな感じでしょうか?

人の存在を肯定してもらっているような、条件なしの愛に包まれているような気がするのです。

人はみんな生まれでた時から愛されている存在だ、と教えてくれているのかもしれません。





私の中に絶対的に愛が足りない、私にとって愛そのものであった優大を抱っこできなくなってからそうずっと苦しかった。今もですけど。

でも、その度に私は思ってはいけないことを思ってしまったような罪悪感にさらに辛くなって。

十分に、十分すぎる程に優大から愛をもらったじゃない!足ることを知りなさい!と言われている気がして。

私の中のお母さんの自分が子供のように途方に暮れている小さな自分にそう言っているような。


でも最近思います。

愛はプレゼントのようにはいと渡されるものではなくて、自ら誰かや何かを愛することで心の中に生まれ出るもの。

だから、愛は今もなくなっていない。

全て自分次第なんだ、と。



空と海を見て愛を感じられるということに、やっぱり導かれて今の私があるんだと感謝。

人生は短い。やれるだけやってみよう。












今日は朝から雨。色づいてきた庭のゆずも雨に濡れている。

秋の雨は、乾燥した空気に湿り気を運んでくれるからありがたいなぁと思うけど、何だか今日は足下から寒い~。床暖が恋しい(泣)

静かな街に雨の音だけが響いて余計に静かに感じるな。おっと、ゴロゴロいいだした。


私の小学生時代、かなりの風でザーザー降りでも一人でバスに乗って学校行くのが普通だったけど、あつきの学校は警報が出たら自宅待機になったりするので驚いた。

海の前だからすごい風が吹くことがあるからかな。

で、私も自分は大丈夫だったのにあつきのことは心配になってくる。

ほんの5分の距離だけど、帰る頃にはしとしと雨になってるといいな。


疲れが出ている今日この頃。夫もそのようで、家が温泉だったらいいのに~~とあり得ないことを叫んでいた(笑)

さあ、重い腰をあげて家事しますか。

雨って何故か人を内省的にさせる気がするのは私だけ?

いろいろと考えているとあっという間にお昼だ~。

日々の雑多な家事の積み重ねがお母さんの生きる道。

これをなるべく心穏やかに愛を込めてやりたいものです。













ゆうだいのお友達が亡くなったと連絡をもらった。

気持ちの整理もできないままひたすらぼーっと現実逃避な感じになってしまった。

ゆうだいが亡くなった直後よりも、今の方が訃報に感じる悲しみは生々しい。

お母さんの様々な悲しみの過程とその深さを思うとやりきれない気持ち・・・。苦しい。


残された、生きていく人々に、どうか勇気を下さい。


生きることは時に、とても難しい。

でも、でも、人生はありがたいもの、授けられたもの。

だから感謝して、最後のその日まで大切に生きる。

教えてくれたから。












一週間の始まりの朝は秋晴れ。いい感じ。

毎日家事に育児にと時間があっという間に過ぎて、やることをやってから余暇をと思うとブログもメールさえできなくて夜中になってしまう今日この頃・・。

それでもまだまだちゃんとやれてないなぁとモヤモヤ、いつも何故か妙に自分に厳しいわたくし。

この前テレビを見ていたら、お母さんがニコニコ健やかにしていれば何かできていなくても、子供もスクスク育ちます!とはなまる何とか会の主催の方が言っていた。

確かに、あつきは怒り顔の私の様子を見ると「ねえ、笑って~」と言う(苦笑)

子供が一番求めているのは自分に向けられる優しい親の笑顔なのかなぁと・・また反省(笑)

で、この頃、しつけOFFの時間を時々意識して過ごしている。

責任感をちょっと脇に置いといて、まいっか~な親子時間は実は親が一番楽しいかも。

それで今日は一旦いろいろ置いといてブログを書いてみる朝(笑)


せっかくなので?少し長くなりますがお付き合いを。

もうすぐみおが3ヶ月に入る今になって、いろいろと感じたり考えることがある。

ゆうだいが亡くなって半年程で妊娠した私は、どこかでゆうだいにまた会える、つまりはお腹の子がゆうだいを感じさせてくれることを期待して過ごしていたように思う。

いざ生まれてみると、もちろんみおはみおで、ゆうだいではなくて。

子供を亡くした親が次の子を生まれ変わりと思うのは子供がかわいそう、という話はよく聞くけれど、これは本能的にそう願ってしまうものなのかもしれない。

私も頭ではわかってはいたはずだけど、ゆうだいに会えることは叶わず、妊娠中は隠れてくれていた寂しさがどっと押し寄せて一人泣いてしまう。

みおはすごーくかわいい、心からそう思っているけど、かわいいなって思った後に寂しくなって苦しくなるから、これは感情の起伏が激しい分の疲れがあるなぁと我ながら実感。

揺れる心。悲しみは表に出してあげないと心がいっぱいになってしまうから泣くのもリハビリかな。

海を見ていると涙が出るのは、海に悲しみがあるんじゃなくて、ふっと力が抜けた心から本当の気持ちが顔を出すから。

出しても許される、そんな気がするから。

秋の海は空の澄んだ青を映して、日の光を受けて本当にきらきらと輝いている。最高にきれい。

ゆうだいのいない東京のマンションに住むのが辛くて家を出たいと、言葉にして言えなかったけれど夫はわかってくれていて、こうして海の側まで連れて来てくれたことに感謝。




さてと、みおが起きる前に家事の続きをやらくちゃ~。