もうすぐ2回目の命日がやってきます。
三回忌の法要は今年も不安定なお天気になったけど、なんとか大荒れにならず無事に行うことができました。
夫ブログにものってましたが、霊園の桜が見事に満開で美しくて、三回忌を迎える悲しさよりも暖かい感謝の気持ちに包まれました。
ゆうだいのお骨が眠る第二のお家ともいえる場所がその霊園でよかったなぁと両親に感謝するばかりです。
この2年間、いろいろな思いの中を歩んできました。
ゆうだいが私のもとに来てくれる前、22歳までの私はどんな気持ちで生きていたのだろう。
ゆうだいの母としてではなく生きるにはどうすればいいのだろう。
そんなことを思ってしまうくらい、ゆうだいを授かってからの時間は濃密で、11年程の時間の全てがゆうだい色の毎日であったように思います。
だからゆうだいのママから卒業する、ということは恐怖ですらありました。
でも、卒業は一続きの人生の中での節目であり、終わりではなく始まり。
心からそう思えたことで、初めて私は卒業を受け入れることができたのだと思います。
子供の頃の私、学生の頃の私、わたしはそれぞれの時代を確かに生きて来た。
その時々のわたしがあるから今のわたしもあるのだと思うと、やはり大切なのはいつでも自分らしくいること、自分の人生をしっかりと歩むことかなぁと感じます。
わたしでいるために何も条件など必要ないのだと、今は思えます。
ゆうだいを見送って1年目の私は、立ち止まってただ生きていることで精一杯でした。
2年目は大きな変化の中にあり、心も大きく揺れ動き、うずくまってはまた立ち上がり前を向いて歩くことを何度も何度も繰り返して過ごしてきました。
そして3年目を迎える今、ゆうだいからもらったバトンをしっかりと握って、私のゴールに向かって歩いていこうと思う自分がいます。
人生は長いようで、本当に悔いなく生きるには余りに短いようにも感じます。
焦らず、じっくり、今日という日に心を込めていきよう!そう思います。
みなさんと共に、これからも歩み続けていきます。
三回忌の法要は今年も不安定なお天気になったけど、なんとか大荒れにならず無事に行うことができました。
夫ブログにものってましたが、霊園の桜が見事に満開で美しくて、三回忌を迎える悲しさよりも暖かい感謝の気持ちに包まれました。
ゆうだいのお骨が眠る第二のお家ともいえる場所がその霊園でよかったなぁと両親に感謝するばかりです。
この2年間、いろいろな思いの中を歩んできました。
ゆうだいが私のもとに来てくれる前、22歳までの私はどんな気持ちで生きていたのだろう。
ゆうだいの母としてではなく生きるにはどうすればいいのだろう。
そんなことを思ってしまうくらい、ゆうだいを授かってからの時間は濃密で、11年程の時間の全てがゆうだい色の毎日であったように思います。
だからゆうだいのママから卒業する、ということは恐怖ですらありました。
でも、卒業は一続きの人生の中での節目であり、終わりではなく始まり。
心からそう思えたことで、初めて私は卒業を受け入れることができたのだと思います。
子供の頃の私、学生の頃の私、わたしはそれぞれの時代を確かに生きて来た。
その時々のわたしがあるから今のわたしもあるのだと思うと、やはり大切なのはいつでも自分らしくいること、自分の人生をしっかりと歩むことかなぁと感じます。
わたしでいるために何も条件など必要ないのだと、今は思えます。
ゆうだいを見送って1年目の私は、立ち止まってただ生きていることで精一杯でした。
2年目は大きな変化の中にあり、心も大きく揺れ動き、うずくまってはまた立ち上がり前を向いて歩くことを何度も何度も繰り返して過ごしてきました。
そして3年目を迎える今、ゆうだいからもらったバトンをしっかりと握って、私のゴールに向かって歩いていこうと思う自分がいます。
人生は長いようで、本当に悔いなく生きるには余りに短いようにも感じます。
焦らず、じっくり、今日という日に心を込めていきよう!そう思います。
みなさんと共に、これからも歩み続けていきます。