このところ私と切っても切れないキーワード、あるがまま委ねる、ということについて日々深い気付きを得てきました。

私があるがままの私でいるために必要なことは、心の扉を開け放つことでした。

それは開け放った状態が大事なのではなくて、開け放つことに喜びを持つ、ということだと思います。

そして全てを委ねていくことこそに自由を感じられること。

私が他の誰でもない、わたし、を選んで生まれてきたことには大きな意味があります。

だからその大切な私を他の誰かと比べたり、誰かのようになろうとすることは、生まれてきた意味をなくしてしまうことだと思うのです。

私はある時、自分の心の扉を閉じて鍵をかけて、もうこれ以上自分が傷つかないようにと願いました。

でも、扉の内側は安全だと思ったのに、何故かいつも理由のわからない寂しさがどこからともなく入りこんできました。

もちろん本来の私は普遍ですから私の持っている本質は変わらなかったと思います。

でも自分が閉じた扉で私らしさも封じ込め、繋がりたいと思う人との間にもすぐそばには近付けない見えない壁があるように感じました。

私が私らしくなければ、この人生を選んだ意味がないのに。

ゆうだいは常に彼らしくそこにいてくれました。

そしてそこにいてくれるだけで愛そのものでした。

彼を見送り、ゆうだいに言われている気がするのです。

さあ、今度はママの番だよ!と。

促されるように扉を開けたら、そこには暖かな愛に満ちた希望の光が待っていました。

過去の私の経験も苦しみにも、全てに感謝する気持ちで満たされ、あるがままの私でいることの幸せを深く感じました。

そして扉の向こうに広がる世界、私の道は愛に溢れていると感じます。

この愛を繋がってくれる全ての人に渡していきたい、みんなのあるがままのかわいらしい笑顔が見たいと思いました。

それはほんの小さな女の子だった私の願いでもありました。

そしてこの願いを形にし続けることが、きっと私が生まれる前に選んだ人生だったのだと思います。

まるで導かれるように、海と山と空と自然のパワーが溢れるこの地に新居を構える時に、この家を暖かな愛の輪が広がる空間にしよう、とイメージしていました。

心の準備ができたので、実際の準備を始めようと思います。

我が家を開放させてもらい、皆がふらっと集まって、ヨガや楽しい学びをシェアしたり、ランチやお茶をしながらホッとするひと時を持ったり…。

小さいお子さんも一緒にきてもらい託児もしたい。

車椅子のお子さんも来てもらえるようスロープも作りました。

協力していただける方も探して。

週一くらいののんびりペースでオープンするつもりです。

どう形にしていこうかワクワクしています。

これから真っ白い明日に自由に描いていく夢、こんなことできたらいいなぁと、みなさんも是非教えて下さい。

そして、わたし呼ばれてるな~と感じたら(笑)ふらっと来て見て下さい♥️

まずはオープンするその日まで、私らしくあるがまま、この流れに委ねて進みます。


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しっかり者に見られることもありますが、私はとてもおっちょこちょいです。

(昔からの友達はみんな頷いていることでしょうね…。)

小さな頃から忘れ物、なくし物はしょっちゅうだし、つま先や小指やすねなどを何故かいつもぶつけてしまうし、約束をすっぽかした…という恐怖の体験も何度か(汗)

これって多分、心がちゃんと今に向かっていない、心と身体が繋がっていないからなのだと思います。

ヨガを始めてから、この二つの大切な課題に向き合うことができています。

ヨガの時間は心をどこにも迷子にさせず自分の真ん中に置いて、今この瞬間の身体の中にそっと委ねていきます。

そうしていると、心と身体が繋がっていくのを感じ、その繋がりの先に目に見えない暖かな光と繋がっていく感覚を得ることができます。

何とも言えない純粋な幸福感に包まれて、ただそこに在るだけで満たされていきます。

そして呼吸やポーズの最中だけではなく、いつもこの感覚を保っていられたら、とても自由で愛に満ちた日々が待っているのだと感じます。

ヨガを始めて少しずつ心身ともに、あるがままという自分軸を得ることができてきました。

でも、今日も娘を抱っこしながら階段を踏み外しそうになり、包丁で指を切り…その度に「おーい自分!しっかり!」と(汗)

今日から元気に登校した息子に今のところなんの後遺症も残っていないのに、私の心の後遺症はまだ少し…。

それでもヨガの時間が毎日癒してくれます。

学んでいる、気づいていく実感は本当に素晴らしくワクワクする感覚です。

ヨーガからの学びを糧に、あるがままへの精進の道は続くのでした。

まだ事故の余韻が抜け切れないせいか、疲れたなぁと感じる今夜。

息子もまだ気持ちが落ち着いていないようで、身体は大丈夫なのですが、学校に行くのに少し時間がかかっています。

3人でのんびり過ごす時間もまた楽し。

まぁ、わんぱくとおてんばコンビで時々母さんイラっとポイントが加算されていますが…。いい景品もらえそう~苦笑

今日は自宅でのヨガの時間の最初と最後に、子供達と一緒に輪になり手を繋いで祈りのマントラを唱えました。

生きとし生けるもの全てが幸せでありますように、というマントラ、私がいつも唱えているのでちびっ子達も覚えています。


全ての天へと旅立った魂が安らかでありますように。

地上に残った人々に、旅立った大切な人の魂からの暖かい愛が届きますように。

いつでも、かすかにでも、希望の光が消えることがありませんように。

子供達との祈りは、優しく暖かく遠くまで広がっていく、そんな響きでした。


ゆうだいが亡くなったのは震災の翌月のことでした。

もうすぐ3回目の命日がやってきます。





一夜明けた土曜日の朝、何故か世界がキラキラと輝いているように感じました。

午前中、家族みんなで庭に出て、草を抜いたり、作りかけの畑を耕したり、楽しい時間を過ごしました。

いつもは夫が担当の畑の整備をやりたくなり、慣れないながらに鍬を持ち丁寧に耕していきました。

無心に土と向き合っていると癒されていく気がしました。

それから玄関やポーチを洗い流し、ついでに洗車もし、とても清々しい気持ちに。

夜はバーニャカウダやカプレーゼや野菜たっぷりの夕食を家族で囲み、心身共に満たされる食事の時間でした。

子供達が寝てからお風呂に入っていると、自分のこれまでの人生が急に思い浮かび、その様々な経験の意味がはっきりと紐解かれていく不思議な時間が流れていました。

そして最後に深い深い感謝の気持ちが湧き上がってくるのを感じて、急いで服を着て、夫に、今まで本当にありがとう!、と伝えていました。

息子の事故は私にとって、また新たな扉が開いた瞬間だったのだと思います。

ゆうだいの次に生まれた息子は生命力をキラキラと放って、とてもユニークで明るいオーラを持っていました。

ゆうだいを失うことの苦しみは、私に次男を守ろうとする気持ちをとても強くさせました。

この子にまで何かあったら、もう今度こそ生きてはいけないと…。

少しずつ様々な気付きをもらい、あるがままに委ねていくように導かれて来た私が、次男についてだけは委ねることができないでいました。

最近そのことをずっと考えていました。

そして事故…。

私は次男が強く守られていることを目の前で見ることができました。

メッセージをしっかりと受け取ることができたように感じました。

恐怖は手放していい。この子の輝きを見つめていけばいい。

ただ見返りなくあるがままに愛を注いでいけばいいと。

多分、強い心配は知らず知らず縛りつけるもの、執着へと形を変えていくのだと思います。

親の仕事はたっぷりと力を溜め込んだ弓矢を強い愛を込めて放つこと。

いつまでも握り締めているわけにはいかない。

今日、息子にも心からのありがとうを伝えました。

全てに感謝です。




遠く海の中に鳥居が立つ葉山の神社。
神社でお礼を言って、自然からのパワーをもらいました。
ゆうだいの愛がまだ息子のそばにいるのを感じました…。
今、寝室でスヤスヤと寝息を立てているかわいい息子。

少し前、ドラえもんのアニメ祭りを夢中で見ていた息子。

その前、病院のベッドで泣いていた息子。

そしてその少し前、車にはねられ救急車で運ばれていた息子。


今日のお昼に息子が交通事故に遭いました。

楽しそうに笑顔で「行ってきまーす!」と出て行った息子がもし最後に見た息子だったら、と思うと今になって涙が出てきます。

でも、どんな時にも「もしも」は存在しません。ただ頭の中での妄想に過ぎない。

目の前にかわいい息子が寝ています。

坂から下って来る乗用車にまともにはねられたのに、擦り傷だけで無事でした。

一緒にいたお友達が、息子が交通事故にあったと家に知らせに来てくれた時に、もちろん慌てましたが、直感的にたぶん大丈夫だろう、と思いました。

娘をおぶって道路に出ると遠くから歩いて来る息子の姿が見えました。


石につまずいても死ぬときは死ぬのでしょうし、海に落ちても助かる時は助かる。

ゆうだいを育てている間の息子をいつ失うのかという恐怖と不安と責任は本当に苦しいものでした。

でも本当に彼が亡くなるという時になり、ゆうだいと最期に過ごした時間に、私は初めてそれらを手放しました。

希望を捨てたのでも、諦めたのでもなく、ただただ愛の中でゆうだいを見つめ続けていました。

共にそこにいる、それだけで満ち足りていました。

この学びは、ゆうだいが旅立った後に私に残された使命を指し示してくれたと感じています。

この人生、命のあるがままに委ね、そこで今この瞬間に優しく笑うこと。

神様、もうわかりましたよ!と言いたい今日の私です。