ラジオ!Yotsugi Busters!! -34ページ目

Dancing in the moonlight

昨日は学校でShowがあった。これはArt Showで僕のクラスが卒業制作の作品を飾るこのHastings Collegeでの一大イベント。

毎年Showは行われるのだが、今年はなんとHastings Collegeが新しい建物に移って生まれ変わる年でもあり、あの長い歴史のあった古いCollegeから場所を移して駅の横に出来た新校舎でshowが開催された。

僕の苦労して作ったあの映画の予告や他の作品やらを自分のスペースにおく、周りのみんなも気合充分に作品を並べ、showらしい雰囲気が漂い始める。

そして18日の金曜日、初お披露目としてprivate viewが開催された。private viewは主に知り合いとかしか来ない夜に行う初お披露目showでワインを飲みながら作品を開催する。ワインってのがおしゃれだ、日本の展示会はもっと堅苦しい。

この日、僕はある友人をshowに招待していた。それは恩人のBenではなくSteveである。Benは先々週くらいからノルウェーに行って太極拳を教えているためしばらく会っていない。どうやらその太極拳の授業が好評らしく7月まで帰ってこれないそうだ。

Steveは僕の戦友みたいな存在。彼と出会ったのは二年前、グラフィックデザイン学科のFDAという修士課程のコースを2007年から僕はスタートしそこで新しいクラスメイトとしてやってきた。その前年、2006年は僕が初めてイギリスでグラフィックデザインを学び始めたときでクラスはティーンばかり、誰とも仲良くなれなかった。みんなの言ってることがわけわからなかったし、外人は僕一人、寂しさと語学の難しさから頭が狂いそうだった。

そして2007年に新しいFDAというコースでもっと専門的な勉強を始め、クラスも一新された。やる気の無いティーン達はほとんどいなくなって結局そのままFDAのコースへ進学したのは僕とAndyとMikeとRachelの4人だけ。このコースから新しく入ってきたのはJenとAngieとLintonとMeihardそしてSteveだ。

Jenは前にも描いた僕のお姉チャンみたいな存在ですごく優秀な生徒、Angieは48歳くらいの高齢のおばさんで夫がデザイナーだから自分もやりたいと勉強をし始めた。Lintonは背の高くてブロンドヘアーの伊達男の当時20歳でなんども抱かれてもいいと錯覚をしてしまった覚えがある。Meihardは前に描いた悲劇の男、年は僕と変わらないくらいでフェロー諸島という小さな国からやってきたスマートな男。

Steveは33歳くらいのギョロッとした目が特徴のイギリス人、Steve Smithという日本で言えば「山田太郎」みたいな典型的な名前の持ち主で彼はLondon出身。Steveの発音はとてもゆっくりでわかりやすくて僕は嬉しく思った、そして彼もまた孤独なんだなっていうのがすぐ空気でわかったんだ。彼のデザインスキルはいいとは言えない、正直に言うとデザイナーとしては絶望的なセンスとコンピュータ知識、よくあのコースを卒業出来たなと思うくらいのレベルだった。酒が大好きで週末には必ずパブへ出かける、むしろ親元を離れてHastingsにいる彼にとってはそれくらいしかやることがないのだった。クラスメイトと仲良くなろうとSteveは積極的にLintonやMikeなどに話しかけたがどうも輪には入れていない、いつも固まるグループってのは決まってて若い者どうしMike, Linton,Rachelの三人はいつも仲良さそうに話しをしていて、JenとAngieは大人の女性の付き合いをしていた。Andyは社交的で誰とでも仲良くなれるHastingsの町を彼と一緒に歩けば大勢の人間が彼に話しかけてくるほどの友達を持っていた。Meihardは外国人ということもあって最初は輪に入れてなかったが彼のエリートな英語能力とヨーロッパの社交術ですぐにLintonとMikeと友達になった。

余ったのは僕とSteveだった。Steveはそんな僕に優しく接してくれて「どうだい?飲みにいかないか?」としょっちゅう誘ってきた。僕はそれらになるべく応えて一緒に杯を交わした。二人でよく愚痴を言いあった「どうしてLintonやMikeは一緒に飲みに行かないのかな?」と僕が言えば「まあ若いからそんなもんだろう。あいつらには彼女もいるみたいだしSocial Lifeの大切さをまだわからない年齢なんだろうな」と言っていた。彼のゆっくりとした発音は僕にはとてもありがたくて僕が英語の能力の低さに嘆くと「安心しろ、お前の英語は正直に言うとイギリス人よりちゃんとした文体になってる」となんども勇気づけてくれた。

去年まではSteveがクラスにいたから僕は実質一人じゃなかった。彼とは家が近かったし週末はパブに行かないのなら酒を飲みながらDVDを小さなラップトップで見るくらいしかイギリスには楽しみがないのが現実だ。留学前は誰もが映画みたいな世界を思い浮かべる「Hey come on!飲みに行こうぜ!」と外人たちとスマートな会話を楽しんでる姿を夢想し陶酔する。でも現実は違う、何言ってるのかわからないしヨーロッパの人ってなんであんなに英語がうまいのだろうと自分の英語力のなさにがくぜんとして日本人と固まるのが関の山だ。

Steveは結局、今回のTop-up degree(大学修士課程)へ進学しなかった。お金がないのがその大きな理由だった。彼はHastingsを離れて実家に帰り仕事を始めた。Sky TVというイギリスのスカパーみたいな有料チャンネルでテレオペみたいな仕事をしてるという。それなりに羽振りもよくデザインとは関係がないが満足はしているという。

僕は去年の年末あたりにSteveの実家に泊まりに行ったのだ。彼の実家はポーツマスの近くにあって、あの日は冷たい雨がザーザー降っていた寒い冬の日だったのを覚えてる。久しぶりに再会して互いに杯をかわして近況を報告しあった。彼の家は普通の一般家庭でお父さんはにこやかな優しいおじさんだった。お父さんは昔貿易関係の仕事をしててそこで日本人と一緒に仕事をしていたことがあり親日家で日本の礼儀や文化をとても理解していて僕のことを優しく受け入れてくれた。お母さんはアロマテラピーの関係の仕事をしていてお父さんより格段に若く見えるまたも優しい人だった。どうやらSteveはHastingsでよくしてくれたのはオハラだけだみたいにいいことをたくさん両親に吹き込んでくれてたみたいで僕を本当に大事な客人のようにもてなしてくれた。

いつかまた帰国前には必ず会おうと約束をして僕はポーツマスを去った。そして今回、僕がSteveをもてなす番だ。ちょうど仕事の休みをとってShowを見に行きたいとSteveが計画をたて、Private Viewの前日の木曜日に彼はやってきた。久しぶりのHastingsに懐かしさを覚えながら歩くSteveは嬉しいのか驚いてるのか失望してるのか難しい顔をしていた。丁度その時は卒業展示会の準備も整い、みんなでChinese buffetにみんなで昼食を楽しんでる真っ最中だった。クラスのみんなで出かけようという企画は実質これが初めてだったにも関わらず来たのは40人の内半分くらいなものだった。

LintonやMikeと久しぶりに再会したSteveだったが、LintonとMikeは「よう、久しぶり」くらいな会話を交わすだけで終わり、熱心にSteveの話に耳を傾けたのはJenだけだった、さすがは大人な女性だ。Steveもbuffetに参加しておいしい中華料理に舌鼓を打った。Steveが到着するとほとんどの人がもう満腹になってて席を立ち始めた。僕の目の前に座っていたのはRebeccaという30後半くらいの子持ちの女性で彼女は今年から入った生徒で僕はほとんど会話したことがなかった、そんな彼女がみんな席を立ち始めてるのを見て「え、みんなこの後飲みに行ったりしないの?」と不思議そうな顔で聞いた。誰もが「用事がある」「家に帰りたい」「彼女が待ってる」などという理由で飲みに行こうとしなかった。これが僕の学校の現実、みんなsocialじゃないイギリス人ばかりなのだ。Rebeccaはすごく残念そうな顔をして「じゃあ私も帰ろうかな」と席を立って行ってしまった。

結局、buffetの後は誰も飲みに行かず、僕とSteveはポツンと残されてしまった。Jenを誘って飲みに行こうとしたけどJenも「ごめんなさい、用事があるの」と言って僕に優しくキスをして行ってしまった。ヨーロッパではキスのする場所で相手への好意の度合いがわかる。頬をすり寄せて「チュ」と音をたてるくらいのキスはただの社交術、頬や唇の端にキスをするのは相手をよく思ってる証拠。Jenは僕の唇の端にキスをして去っていった。

ボーイ、参ったね。

Steveはやはり変わっていない非社交的なこの環境にうんざりした様子で「飲みに行くか」と僕の肩に手をポンと置いて僕を慰めてくれた。僕とSteveはold townの方にある、前に何度か一緒に行ったDoragon Barというパブに飲みに行った。ビールを2パイントで頼み、グラスをぶつけ合った。久しぶりのビールはとてもうまく感じた。Steveはコースはどんな感じだと聞いてきて僕は見たまんまさと答えた。「本当に悲しい環境だな、イギリスの学生生活なんて飲み明かして楽しむのが当たり前なんだ、そうでもしないと仲良くなるのは難しいし。オハラは本当にかわいそうだな、心の底から同情するよ。俺だってこの街ではsocial lifeがなかった、お前がいなかったら俺は去年コースを修了できなかっただろうな」とSteveは呟いた。僕はBenと同じように僕の境遇を理解してくれるSteveを嬉しく思った。

こうやって外のテーブルでタバコを吹かしながら酒を飲んで行き過ぎる人々を見てもSteveは誰も知ってる人間に出くわさなかった。そんな彼をかわいそうに思って僕は彼を退屈させまいといろんな話をふった。僕の約2倍の速さで酒を飲むSteveはあっという間に酔っ払った。僕もなんだかいろんな気持ちから酒をたくさん飲みたくなってその後にもう一軒のパブをはしごした。海沿いにある汚いパブでビリヤード台が2つ置いてあっておっさん達がビール片手に腕を競い合っていた。店内ではけたたましいHeavy Metalが響いていて僕たちの会話をことごとく邪魔した。Steveは酔から顔がほころび始め、意味もなく笑ったりしていた。

「オハラ、お前は卒業したらどうする?」Steveが大音量に負けない大声で僕に言った。「わからない、日本にとりあえず帰って落ち着く」と言うとSteveはずっと「お前は本当にかわいそうなやつだ。お前はイイヤツなのに、ここで友達ができなかった。この街は終わってる、みんながみんなよそよそしい、日本を離れて地球の裏側みたいなイギリスという国で違う言語、文化、人間、生活様式そしてこのタフでboringなHastingsという環境で4年間もお前は本当によくがんばったよ。この経験は必ずお前の糧になるはずさ。さあ飲もう、お前のコース修了とお前の未来に乾杯だ」と言って僕らはグラスを傾けた。店内の音楽がSex Pistolsの「God save the Queen」に変わった。「No future! No future for you!!」という歌詞が嫌に耳についた、僕に未来はあるのだろうか?

先を思うと不安になるだけだから僕は酒でそれを打ち消した。Steveは結局もう一軒どうしてもはしごしたいところがあると行って僕を別のパブに誘った。そこは学校帰りに良くSteveと行ったパブだった。結果的に僕たちは5、6杯のビールを飲んでかなり酔っ払った。久しぶりに人とたくさん酒を飲んだ気がして嬉しかった。

Steveを僕の家に泊めてあげて、次の日はSteveは街を久しぶりに散策すると言って別れ、僕はカフェで本を読んで時間を潰した。Private Viewは夕方の6時からだった。カフェでしばし一人ぼっちになってコーヒーをたしなんでもやっぱり誰にも会うことは無かった、一体みんなどこで何をして暮らしてるのだろう?

5時くらいになるとSteveがやってきた。「久々のHastingsはどうだった?」と聞くとSteveは「なんか不思議な感じだ。もう居場所がない気分だ」と寂しそうな目をしていた。落ち込む前に僕たちは学校の方へと歩き始めた。Hastingsの駅の真横に大きなモダンの白いビルのHastings Collegeがあった。中に入ると大きな吹き抜けのエントランスになっていてHastingsとは思えないくらい近代的だった。

Showはもう始まっていて誰もがワインを片手におめかしして友人たちと話をしていた。僕とSteveはワインを手にとってギャラリーに入った。大勢の人が来ていて蒸し暑い空間、誰もが楽しそうに談笑して作品を説明したりしていた。僕はSteveに僕の作品を見せて感想を聞いた「いいじゃないか、よくやったな」とSteveは褒めてくれた。でも僕は嬉しくなかった、この作品というか今年作った作品に満足のいってるのは一つも無い。

何人かが僕のホームメイドムービーを見ては「おもしろいわ」と感想を言ってくれたりしたが、フクザツな気分だった。僕もざっと他の生徒の作品を見渡した。今年はFine Art, Craft, Graphic Design, illustrationと四つの学科が一つになって勉強をしてる30人編成くらいのクラスだ。みんなそれぞれ個性的だったがやはりみんな今年は大変な思いでやっていたのが伺える、あまりクオリティの高いものが目につかない。

ふと歩きながらパッとある女のコと目が合った。その子はイラスト学科のEmmaという女のコだ。彼女はクラスで一番可愛い子。ブロンドの砂金のようにきらびやかな髪と小麦色に焼けた健康的な肌と青い目がとても魅力的な子だ。彼女はニコッと笑って「How're you?」と聞いてきた。僕はこの子と喋る機会が皆無だった。あまり一緒にならないというのもあるし彼女はいつももう一人の若い女の子Kirstyと一緒につるんでるから輪に入りづらい。というよりただ僕がシャイなだけなのだった。

僕もEmmaに笑い返してなんの気なしに会話を始めた。これがもしかしたらこの子と話せる最後のチャンスかもしれない、ワインで高揚したテンションのまま彼女と話をしてみた。彼女の作品について質問したり今後どうするのかとかそういうことだ。話してるとき彼女はずっと僕の目を真っ直ぐに見つめて話をしていた。

ボーイ、参ったね。

彼女の澄んだその深海のような青い瞳で見つめられると吸い込まれそうになる。蒼い瞳によく合うブルーのアイシャドウがとても色っぽくてずっと見つめていたい気持ちだった。僕たちはかなり長く会話をした。そりゃあそうだ、実質これが彼女と話した初めての瞬間、最後の最後でこうやって彼女と話ができて僕は嬉しくて仕方が無かった。Emmaはイギリス人で英語が母国語、でも彼女は読み書きが出来ないという一種の障害みたいなものを抱えていた。以前、みんなの前でプレゼンをしたとき彼女は自分で用意した文章にも関わらずところどころなんどもつっかえて読めない部分があった。おそらく文字を認識するのが困難な症状を彼女は持ってるのだと思う。

適当なところで僕は会話を切り上げて「Bye」と別れた。僕はなんだか嬉しくなって早くパブに行ってお酒が飲みたかった。Jenに「今日はこの後、飲みに行くの?」と聞いてみたら「もちろんよ」と答えた。Jenも今日はたっぷりとめかし込んでいて真っ赤な口紅が彼女のアジアンな顔立ちと黒い髪に映えて妖艶に見えた。JenはLintonやMikeに「飲みに行くわよね?」と誘ったのだが彼らは「この後、彼女と会うから」と二人とも断ってしまった。Jenも僕もこれには失望した。ずっと一緒に勉強してきてただの一度も一緒に飲みに出かけたことが無くて、卒業を控えたこれが最後のcelebrationなのに…最後の最後まで彼らは飲みを拒んだ。誤解しないで欲しいのは彼らふたりは決して悪いヤツラじゃない。普段ちょっと会話をすることもあるしその時は気さくでいい奴だがこういう課外の社交活動には非積極的だ。

Steveにこの後、飲みに行くことを告げたそれと彼らふたりはやはり来ないということも。Steveは「やっぱりな」という顔でうなづいて「まあいいさ、今日は楽しもう」と僕たちはギャラリーを後にした。昨日行ったDragon Barで落ち合おうとJenは言った。僕とSteveはDragon Barへ赴きビールを頼んだが、人でごった返してとても座れる場所がなかった。仕方無しに階段を降りて下へ行くと小さなテーブルが二つほど置いてある静かないい場所を見つけてそこに腰をおろした。この狭い地下室には僕ら以外誰もいなかった、上の賑やかな雰囲気とは大違いでいささか疎外感も感じた。

Steveはあまり飲みたい気分では無かった、なぜなら次の日にはポーツマスに帰ってそのまま仕事をしなければならなかったから。今日はsaveしたいと言っていたが僕はSteveが酔っ払えば歯止めが効かなくなることを知っていたから、とりあえずたくさん飲ませることにした。Steveには悪いがこれは僕が長いイギリス生活での最後のパーティでもある。ハメを外させてもらう。

二杯目に突入する頃にはもうSteveは出来上がっていて「もっと飲もう」と僕にじゃんじゃん酒をすすめた。狙いどうりだった。上の階へ上がってみると気がついたらチラホラと他の生徒も到着してうるさい音楽の中で会話を楽しんでいた。いったいどうやってこんなうるさい環境で会話を楽しむのか毎回不思議で仕方ない。Steveが三杯目を頼もうとしたらもうラストオーダーが終わっていた。ありえない、金曜の夜なのに11時でラストオーダーが終わるなんて。Jenは「The Streetというパブに行っててちょうだい、あとで私たちも行くわ」と耳打ちをした。

僕とSteveは冷たい夜風に当たりながら新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら歩いた。なんだか楽しいのかなんなのか不思議なきもちだった。もっと自分の中では大々的に祝いたい気分だったが、来ている友達が少なくてなんだかやりきれない。それでも酒の力を借りて僕は無理にでも楽しんでいた。Steveはあまりsaveをしないでお酒に付き合ってくれる僕のことを本当に嬉しく思っていて「お前は最高の飲み仲間さ」と言ってくれた。

The Streetというパブに着くとSteveは彼のお気に入りのビール「Budver」を頼んだ。BudverはBudweiserのオリジナルバージョンでチェコスロバキアのビール、これがBudweiserよりうまくて僕は好きだ。二人で瓶をぶつけて乾杯し奥の方にあった柔らかいソファにゆったりと座って虚ろな目でくだらない会話をした。何の話をしたのか定かではない、たいてい飲みが宴もたけなわを迎えると人はワケの分からないことを話しだす、宇宙の広さとか人生の哲学とかを語りだすのは西洋でも同じで僕らはテクノロジーの進化について話しあった。どんな結論に終わったのかは覚えていない。

酔っ払った目で小さな店内を見渡してると見慣れた顔の女のコがせわしなく空になったグラスを運んでいた。それはEmmaといつもつるんでる同じくイラスト学科のKirstyという女のコだ。彼女はファイヤーレッドの赤い髪をしていて妙に落ち着き払ったところがありサバサバとしてて男らしい印象を受ける。もちろん僕はEmma同様彼女と話したことが一度もない。「あの子、ここで働いていたんだ」と僕はShowの後で働く彼女に感心してしばし彼女を見つめていた。Kirstyはいつもおっぱいの谷間が見えるようなタンクトップや胸の開いたTシャツを身につけていて、ロックテイストなファッションセンスの持ち主、男っぽいその佇まいと相反するその強調した胸のふくらみが不思議な色気をたたえていた。

SteveがまたもBudverを素早く飲み干しもう一杯を注文しにいった。僕は一人ぽつんとソファで酔った頭をもたげながらボーとしてるとKirstyが僕の目の前を通り過ぎた。Kirstyは僕と一瞬目を合わせるとニコっと微笑かけて足を止めた。僕も微笑み返すとKirstyは僕に顔を近づけて「この後Cryptっていうクラブに来ない?私そこでも働いてるの。だから良かったらあなたの名前をゲストブックに書いて入場料をタダにしてあげるわ」と言ってきた。

ボーイ、参ったね。

これが僕とKirstyの交わした最初の会話。僕はすっかり嬉しくなってこれが終わったら帰ろうと思っていたがついつい「Okいくよ」と返事をしてしまった。彼女はもう一度ニコッと笑うと「じゃあ後でね」と行って奥へ引っ込んだ。もう1時を廻っていたが僕はSteveにもうちょっとだけ付き合ってもらおうと思いどんどん彼に酒を進めた。Steveはもうすっかり出来上がっていて「もちろん、行くとも」と一つ返事でOK。気がつくとJenもこのパブに来ていてJenは他の女友達と一緒にコロナを飲んでいた。僕がJenに「Cryptに行かないか?」と尋ねると「私たちはBrass Monkeyに行こうと思ってるの」と言った。Brass MonkeyはCryptの横にあるクラブだ。僕は迷ったがとりあえず約束は約束、なによりKirstyに話しかけてもらってサービスをしてくれたのが嬉しかった。

僕とSteveはCryptの前に着くと、ごついガードマン達が入り口を固めてる中、Kirstyが入り口の外でタバコを吹かしていた。僕は「やあ」と言うとKirstyは「ごめんなさい、金曜日はゲストブックに名前書くのはだめだって店長にいわれちゃった。4ポンドで入れるけどどうする?」と僕に謝ってきた。僕はKirstyがそういう勧誘目的で話しかけてきたとは思わないし本当にKirstyはすまなそうに僕にそう言ったので「いや、いいんだよ。でも4ポンドはちょっとなあ」と苦言を呈した。Kirstyは「気にしないで、あなた次第よ。それともどこか他に行くところはある?」と聞かれたので「Brass Monkeyに行こうかと思ってる」と言った。「あら、だったらその方がいいわ。あっちはタダだしね」とKirstyは微笑んだ。僕は「ごめんね、またね」と言ってBrass Monkeyへ入っていった。

Brass monkeyはダンスミュージックが大音量でかかっていてとてもじゃないけど会話はできない。みんながみんなアルコール片手に踊っている。僕はその群集の中にJenを見つけた。Jenは楽しそうに踊っていた。僕とSteveもその輪の中に入って一緒に踊った。僕はお酒が入ると無性に踊りたくなる。決して得意ではなくまるで溺れた犬のように踊るが踊りは自己満足だ楽しければそれでイイ。

Steveはまるで壊れたブリキのロボットみたいな滑稽な踊りで僕はそれがなんともおかしくてずっと笑っていた。Jenも僕もSteveもこれがみんなでこうやって踊る最後になるかもしれないと思うとなんだか無性に悲しくなってきた。すると余計に僕の踊りはエスカレートしてとにかく楽しく繕った、そうでもしないとたちまち僕に寂しさが襲いかかって涙が出てしまいそうになる。

この夜を僕は将来懐かしく思い出すことがあるのだろうか?でも今はこのグルーヴに身を任せて踊りたい。イギリス人は反省したりくよくよ悩んだりしない。彼らは嫌なことがあるとパブに行って酒を飲んで忘れてクラブで踊ってすっきりしてしまうのだ。

Steveは遠い目をして言っていた。「俺も33だ。最近感じるよ。もう俺の青春時代は終わったんだなって。でも仕方ないさ年齢には逆らえない」僕はそれを聞いてとてもさみしい気持ちになった。僕も今年で27歳、もうすぐで30歳だ。自分が大人になる姿すら想像出来なかったのにもうすぐ30歳だ。

はたしてこの不景気で仕事も少ないし給料も安い、サービス残業ばかりで出会いの場もない世の中で僕は結婚をして円満な家庭など築けるのだろうか?でも今はそんなことどうだっていい、ただ踊ろう。

先はいつだって真っ暗だ、さあ踊ろう、夜が明けるまで。




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佐々木希にうっちゃりたい。

佐々木希初主演のドラマ「土俵ガール!」が7月から始まる。
不祥事続きの“相撲”を題材にするとは、さすがはTBS。
野球賭博や大麻吸引のシーンもきっちりと描いて欲しい。

しかしながら、のぞみん可愛いわ。
いっそ「ストップ!!ひばりくん!」の実写でもやったらどうだろう?
ただ、こんな娘がもし男だったとしたら、その道から戻ってこれなくなりそうだな。

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自分は自分、それでも柔軟に。

僕は昔から、運動が苦手でとくにボール競技やチームプレイが苦手な協調性の無い子供でした。

一方で、徒競走などはまあ普通くらいの速さで、水泳はどちらかと言うと得意な方で、個人競技が得意でした。昔から一人が向いていた人間なんでしょうね。誰も覚えてないのですが、僕は跳び箱やマット運動は得意だった。ハンドスプリングもできたし飛び込み前転もお手の物。やっぱり個人競技みたいに誰かに貢献しないものは自己満足で終わって、人の記憶に残らないのでしょうね。

ふと思い返してみて、僕には得意教科があったかという疑問にぶち当たった。誰かしら何か得意なものはあるはず。今でこそ絵を描いたりデザインをしたりしてるが僕は図工の成績はとくに優秀では無かったし、学業は全般的に悪くもなければ良くもない、言ってみれば全部60点くらいの人間だった。

率先して発言したり、お話したりする子ではなくいつも教室の端っこの方にダンゴムシのようにひっそりとしていたのでもしかしたらあんなに少ないクラス編成だったのに僕の存在を覚えていない女子とかが本当にいそうでちょっと怖い、誰だって忘れられるのは嫌なものだ。(そういえば小学五年生の時に五時間目の給食を終えた後で「あれ、オハラいたの?」と女子に言われたときはショックだったな、時代の先の先をいく自虐系お笑い芸人だったな)

中学と高校は私立に入り、僕は一旦Yotsugiを離れた。思えばあのタイミングでYotsugiを離れたのはある意味正解だったかもしれない。6年間のブランクを開ければ流石に小学校一緒にいた人たちも6年ぶりに会えばキャラがリセットされてるはずだ。

そうして19歳の頃、井の中蛙専門学校に入って大学受験を完全に諦めた僕は晴れて勉学から自由の身になりYotsugiの連中と7年ぶりくらいの対面だった。Yotsugi Bustersの連中は高校生くらいからずっとアジト(ミラクル小林家)に集まっては覚えたてのタバコと酒をたしなむアウトローの集まりになっていた。僕はそんな集会がずっと行われていたとはつゆ知らず、その日から僕は毎日のようにアジトに通った、彼らの知識は荒川よりもずっと深くて僕の知らないことをたくさん知っていた。

「ああ、僕はずっと狭い範囲の物事しか見てなかったのだな」と自分自身反省し、アニメばかりじゃなくてサブカルチャーや彼らの陶酔する音楽や文学、お笑い映画、芸術などを積極的に僕は取り入れた。最近はなんでもデータファイルで貸し借りをするが僕はちゃんと彼らの教えてくれたCDを購入したし自分で足を運んで調べたりもした、やはり好きなことはこれくらいやらないとね。

ところがここで、あることに気がついた。僕が昔を懐かしんでみんなに「小学2年の時、こんなことがあったよね」と話すとみんなは「なんでそんなことを覚えてるの?」と目を丸くするのだ。僕にとってはそれらの思い出が強烈に残っててまるで一枚の絵を見るように場面場面を記憶してる、でもみんなはそれらをとっくに忘れているのだった。

もちろん僕にも欠けている記憶があるが大抵のことは覚えている。しかもそれらのほとんどどうでもいい日常茶飯事のことなのだ。なにも友達のことだけじゃなくて親戚の法事でのできごとや「去年の正月は〇〇さんがコップを割ったよね」とかそういうことを覚えてる。それで僕は思った、僕の特技はこの記憶だと。しかしながら、これらを勉学にトランスレイトして利用することはできない、あくまで自分の興味の対象にしか働かないのだ。たぶん僕の興味の対象は「人」なんだと思う。

俗にこれをサヴァン症候群だなんて言う人もいるけど、サヴァンとはちょっと違うあんなに記憶はできない。近年、いろんな病名が増えてる気がする。昔はただ単に「元気がない、やる気がでない、上の空」などと言われていたものも近年では「うつ病」という立派な名前がついてるし、そのうつ病もどんどん分離してって軽うつ病とか躁うつ病(これはまったく違う病気らしいが)、仮面うつ病、冬季うつ病など様々だ。

たぶん、今の世の中誰でも自分固有の心理的な病気を持っているのだと思う。僕のこのシャイな性格にもそろそろ名前がつけられる日がくると思う。本当に治療が必要な人はともかくとして何でもかんでも「病気」にしてしまってカテゴライズするのはよくない。「ああ俺は〇〇病なんだ、俺は病人だ」と落ち込ませ逆効果だと思う。

昔は「繊細な人」と呼んでいたが今ではHSP(Highly Sensitive Person)という名前がついてるそうだ。チェック項目をやってみたらどうやら僕はこれに当てはまるらしい、でも繊細で敏感な人間はみんなそうじゃないかなって思うようなチェック項目ばかりだった。こういうブログを書いてる時点で敏感な人間だ、敏感な人間は神経を使うから疲れやすいという。

誰かしら、何かの心理的なもの(それを問題というか特徴というかは個人の自由だ)を持ってると思う。そう考えたら正常や普通なんていうものはこの世には存在しない気がする。自分は正常だ、まともだというのは自惚れに過ぎない。

それぞれがそれぞれの違いがあっていい、人間は生まれた時からもう平等じゃ無いんだ。生まれ落ちる家庭は選べないし国籍も選べないし性別も選べない。元気でポジティブな人間に育つかも知れないし、ネガティブに育つかもしれない。どうあれこうあれ、それが自分だと認め責任をもって生きるのが一番だと思う。

100mを走るのに20秒、30秒かかる人間だっているのだ、どうやったって数式を解くことが不得意な人間もいるし歴史や科学に興味をそそられない人間もいる。順位を決めるのが悪いと言ってるわけではない、順位を競うのはとてもいいことだ、自信につながるしそうやって自分の得意なものに気がつくことができる、ただ点数が悪いから「お前はだめだ」という決め付けがいけない。広く受け入れる心を養うことが必要だ。

好きなことや将来の夢がなければいけないという考えも僕はあまり賛同出来ない、もちろんあればいいかもしれないが、なければなくてそれでもいいんだ。とかく「今の若者は夢がない」とか言って若者をけなす大人が多いけど「夢がないから落ちこぼれ」という風潮がそこには見え隠れしている。やりたいことや夢なんてそう簡単に見つかるものじゃないし、だれだってそれには果てしなく迷うものだ。

たかだか15年生きたくらいでどうして「理系か文系か」を決めなければならないのかが疑問だった。もちろん進学せず働くこともできるがそれはそれでまた「ドロップアウト」の烙印が待っている、何がドロップアウトか、16から自分の体で金を稼いでる立派なことじゃないか。そもそもなんで「理系文系」の二つしかメジャーにはないのか?それで将来の仕事も決まってしまうと教師に脅される。

僕は決められなかった、教師は「とくになんにもないならとりあえず文系にいきなさい」と惰性で僕を促した、僕の将来はそんなものなのだなと当時絶望したのを覚えている。ヨーロッパにはギャップイヤーという素晴らしい文化があり、彼らは大学に進学する前や就職をする前に一年間ヨーロッパをバックパックで旅をして回るというオプションがある。

こうして広い世界を見て青年は自分がやりたいことや興味の対象を見つける。中にはそのままどこかに住み着いて帰ってこないものもいれば、現地で恋人を作って結婚してすぐに離婚する人もいる。こういうシステム、僕は素晴らしいと思う。

何があろうと自分は自分だ。その心を忘れちゃいけない。

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稲川淳二さんの歌。

どうやら稲川淳二さんがラップに挑戦したようですね。
いいですねェ。なんだか「来来キョンシーズ」のendingの「キョンシー!」を彷彿とさせるコーラスですね。

そろそろ稲川淳二さんの季節、楽しみです。



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10CC

僕は10CCのことをあまり知りませんでした。でもこの10CCのジャケットをデザインしたグラフィックデザインチームがイギリスにはいて、彼らの名前はHypgnosisというチーム。

10CCやPink Floydとかのジャケットをデザインし、特にPink Floydの「Dark side of the moon」のジャケットはあまりに有名。

彼らは主にレコードのジャケットを手掛け、レコードジャケットを芸術の域にまで押し上げた伝説のグラフィックチーム。現在は解散してそれぞれがそれぞれの仕事をやっている。

以前彼らHypgnosisを題材に論文を書いたことがあってその時に10CCのジャケットが特に印象的なのが多くて、でも僕は10CCの曲を一つもしらなくて、んで最近彼らの曲はあまりに有名なんだなと分かりました。

この曲「I'm not in love」いい曲ですね。2000年くらいにスカイランのCMに使われてましたね、すごくイイCMだったのを覚えてます。車のCMって全部かっこいいですね、とくに選曲が秀逸。



子供の頃はいくらいい曲を聞いても歌詞が心に響かなかった。愛だの恋だの、まったく意味がわからなかったけどそれは自分に経験がなかったから。大人になるとその恋の辛さとか忘れられない人のこと、苦悩、苦痛、喜び、いろんなものがわかるようになる。「ああ、この歌はそういう意味だったのか」とわかったとき、僕は大人になったなあと実感した。

ちなみにこの歌詞は次の通り。


ボクは恋なんかしていない
だから覚えておけよ
今は経験しているのはただのバカげた段階なんだ
ただ君に電話したからって
誤解するなよ
君はなんでも手に入る幸せ者だなんて思わないでくれ
ボクは恋なんかしていない
とんでもない

なぜって..

君に会いたい
でももう一度言うけど
だからって君はボクにとって重要ってわけじゃない
だからもし電話しても
大騒ぎするな
友達に僕達のことなんか言うな
ボクは恋なんかしていない
とんでもない

なぜって

(静かに。。男の子は泣かないの。。)

君の写真はとってあるよ
壁にね
あそこにある汚いシミを隠すためにね
だから言わないでくれよ
あの写真返してなんて
わかっていると思うけど,だからって君はボクにとって重要ってわけじゃない
ボクは恋なんかしていない
しているもんか

なぜって..

そう,君はボクのこと長い間待つだろうよ
そう,君はボクのこと長い間待つだろうよ

ボクは恋なんかしていない
ボクは恋なんかしていない


こんな感じ。なんか心にしみるよね。状況が浮かぶと同時になんか自分にもそんな経験があるようなシンパシーを覚える。

僕もそれなりに失恋を経験してうちひしがれた時がありました。
嫌になっちゃったときなんて数えきれないくらい。

でも昔、ネプチューンの「力の限りゴーゴゴー」という番組で宜保愛子さんが出ていたときにある相談者がやってきた、その女の相談者は事故で彼氏を亡くしてしまいそれ以来、生きるのも辛くて新しい男を作ることも出来ないし生きてる実感もないと相談してきた。

すると宜保愛子さんは亡くなった彼の魂と話をし、彼女にこう告げた「あなたの彼はね、あなたに悲しんでほしくないのよ。僕のことはいいから早く次に君を幸せにできる男を見つけてくれとね。大丈夫よ、彼は来世で必ずあなたを探すと言ってるわ、かならずあなた達はまた巡り会えるのよ。」と。

そして宜保愛子さんは最後にこう付け加えた「いい?どんなに辛いことがあっても、苦しい経験があったとしても人間は何度でも恋をしたがる生き物なの、それが普通なのよ。だからいつまでもクヨクヨしないで前に進んで」と。

僕はこのロマンチックなセリフにやられてしまった。人はやはり何度でも恋をしたがるのだ。
今、相手がいないと嘆く必要はない、それはただ単に寂しさを紛らわしたいだけ。

可愛い女のコをチャラ男にとられたからって卑屈になったり人を恨んだりしてはいけない。心を沈めて花でも眺めて穏やかな気持を取り戻すのだ。

もっと恋をしよう。出会いを求めて外へでよう。このブログを読んでる場合じゃないぞ。

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最近の声優さんはこういうバラエティも担当

声優旅行社へようこそという番組が2006年ごろにAT-Xでやり始め、今のところ2008年に第二弾をやっているという段階、二年おきにやるとしたら次はおそらく今年であろう。

ちなみにAT-Xはスカパーとかで見れるアニメ専門チャンネル、声優さんのバラエティ番組みたいなのもたくさん取り揃えている。

さて、今回このリンクに描かれてるのは僕の大好きな男性声優の小野坂昌也さんとアジアNo.1声優の神谷浩史さんと永遠の幼稚園児、金田朋子さんそしてしばらく見ないうちに北斗の拳のザコキャラみたいな髪型になっていた広橋涼さんの4人で構成されてるちゃんとしたバラエティ番組に仕上がってる。

最近では小野坂昌也さんが台湾に言って大歓声を浴びるなど、現在の声優人気はアジアではすごいことになっているようだ。しかもみんな日本語勉強してきている。たしか韓国では学校で中国語と日本語を少し学ぶと聞いたことがある。イギリスに留学している韓国人の大半は日本語が少ししゃべれる人が多い。

とにかく、興味がある人は見てみてね。



ニコニコ動画を視聴する
Yotsugi Bustersのラジオを是非お聞きください。

この一年を振り返る…

今日で一通り、最後の課題である卒業制作が終わった。後は評価とshowが始まるのをまつだけである。

ブログを休むと描いたが、結局休むことはなく、ただ単にここは逃げ場というかストレスを発散する場であった。この前のブログで自分の課題のことに付いて触れたが、この約二ヶ月に及ぶ課題への取り組みでいったい僕にどういうことがあったのかをお話したいと思う。

まず、ことの発端は去年のクリスマス前に始まったstudio practiceという課題、この課題には4つのプロジェクトが含まれていて、Cut It Out、Set of instruction, Competition, self initiatedの4つである。

Cut It Outは名前の通り何かcutしたいものを選んでそれをpositiveなものに押し上げるというもの。これはコラージュでなければならないというシバリがあって、例えば喫煙をcutしたいならタバコのパッケージをコラージュで切り貼りしてなんかpositiveなグラフィックを作るとかそういう感じ。

あまり明白すぎるものはダメ、たとえば喫煙とか酒癖とか。なんかおもしろいものを選べというもの。僕はここ半年ほどちゃんと眠れていないので「Cut my bad sleep out」という題材で自分の悪い眠りをcutし、より良いものに仕上げるというコンセプトで発進した。

コラージュは僕の不得意分野でものすごく苦労した。どうしたらいいのだろう?この課題に頭を悩ませさらに自分を眠れない環境に追い込んでしまった。ちょうどその時はクリスマス前で冬だった。これからどんどん寒くなって暗くなる、また一人ぼっちの暗くて寒い冬がやってくるのだ。

イギリスの留学で一番の山場は冬だ。この冬をどうしのぐかが一番大事。さもなければ、自分を見失い場合によっては発狂する恐れもある、これは冗談ではなく本当だ、留学は人間を追い込む、3年ほど前にアメリカの大学で韓国人留学生が銃を乱射する事件が起きた(あれは韓国系アメリカ人らしいが一応留学生らしい)。あれだって孤独から来るものだと思う、犯人はどうやら場面寡黙症という精神障害を持っておりそれが原因ではないかとのこと。場面寡黙症とは簡単に言うと家とかでは普通に家族と会話ができるのに学校などの社交の場ではうまくコミュニケーションがとれないという。これはとくに小学生の時期になりやすく、年齢とともに回復するのが一般的だという。話がそれるが場面寡黙症について簡単に調べたらかなり自分に当てはまるということがわかった。とくに小学校の時の僕をそのまま書かれているような気分で不思議であった、興味のある人はwikiなどで調べて欲しい。

閑話休題

今回日本からイギリスに戻ることを最後の最後まで渋っていたのは2年前の年末に本当に頭がおかしくなりそうで危なかったからだ。ストレスから右の耳が遠くなったり、恋人がいない状況に心の底から嫌気がさして「いないなら自分で恋人の分まで演じればいい」と思い立って自慰行為の際に架空の女性を作り上げそれを自分で演じることでその寂しさを癒していたが男ならわかるがことが終わると「自分はなにをやっているのだ?」という気持ちが最高潮に達して本当に消え入りたい気持ちに陥った。

それでもその癖はやめられず、次第に僕は男である僕で自慰をするのではなく、女になった気分で自慰をするということに快楽を覚え始めた。世の中には女装オ◯ニーというのがある通り、それはまさにこういう状況の人間が陥る癖で、得ようと思っても相手を得られずそれが何十年も続くとその相手、つまり自分が女になってしまおうという考えが芽生えてこういう性癖をおぼえるという。

2年前の冬は本当にそういうことで頭がおかしくなりそうだった、むしろなった。女になりきって喘ぎ声を出したり、スネ毛を剃毛して課題で使ったハイヒールが部屋に転がっていたものだからそれを着用してカイリー・ミノーグの「Two Hearts」で踊ってみたり他にもここに書けないような気持ちの悪いことたくさんした。終いには僕は本当は性同一性障害があるんじゃないかと真剣に悩んだりして本当に頭を悩ませた。

そしたら耳が遠くなって、精神の問題だと医者に言われ精神安定剤を処方されそれがしばらく間、癖になっていた。

そんなことがあったため、去年の年末はまともにやれる自信がなかった。さらに悪いことに今年は先生との馬も合わず北の方出身の先生だから訛りがきつくて何言ってるかほとんど理解ができない、寝不足の時に頭がシャープでない時はほとんど彼の英語にはついていけない。「自分は4年もいるのに、先生の言ってることもわからないのか」とさらに僕を不安に追い込んでいった。しかしながら、ごくごく最近になって、僕のクラスの人はほとんど先生のいってる意味がわからなかったらしい。ネイティブの人間でも「あいつのいってることは本当にわからない。俺はわかってる振りしてるだけだ」と述べていた。ある生徒は「仮にもここはinternationalの生徒を受け入れてる学校で、その生徒もそれなりにいるんだからもっと彼らに対して配慮のある言語や態度で接するべきだ」と主張する人間もいる、全く同意する。

…何の話だったか?そうだ、Cut It Outの話だ。とにかく僕は悪い眠りをcutしたいというコンセプトのもと、baby mobileを作ることを決めた。baby mobileっていうのは赤ちゃんがベッドで寝てる時に天井でカラカラ回ってるおもちゃのこと。最近ではプラスティックの鳥とかがあしらわれてるものではなく、四角いパネルのようなもを紐で吊るしてそれが風で揺れることによってオモテ面と裏面で描かれた違う絵柄を楽しむようなものも出ており、僕はそこから着想を得て、12枚のパネルからなるbaby mobileを作ることを決めた。

この12枚のオモテ面には僕がぐっすり眠ってる顔が一枚大きくパズルのように描かれていて12枚で一つの眠り顔になる。この12枚の裏面には僕の眠りに悪い癖が一枚一枚描かれてる。それはタバコ、酒、ジャンクフード、エナジードリンク、金の問題、過度の読書、映画の身過ぎ、コンピュータのやりすぎ、失恋、コーヒーの飲みすぎ、言語問題そして孤独。これらがカラフルなパネルに描かれていて、天井から吊るして風にゆられればそれぞれのパネルが回転しモザイクのように色とりどりにその表情を変え、そしてコラージュが完成する。ある意味新感覚のコラージュだ。

僕はこれを提出する際に、先生に「せっかくならこれの使い方みたいなショートムービーでも作ったらどうだい?」と言われた。僕はムービーに携わったことはもう一個のDog Raceという異能集団の旅行で録ったビデオをそれなりに編集したことがあるくらいで、経験はほぼ皆無であった。でも新しいチャレンジだやってみよう、と思い立ち僕はデジカメについているクオリティの低い動画機能で撮影を開始した。

このビデオのコンセプトは僕のつまらない孤独な日常を描くもので、一貫性を出すために最初の半分は暗くどんよりとした白黒の映像で綴られる。あまりに動画が汚い画質なもので、仕方が無いのでスライドショーみたいに高画質の写真をスライドさせ、ところどころにそのムービーを数秒間挿入した。この孤独でつまらない町Hastingsの街中を動画で撮影し、不眠症の人間のようにうつろな足取りで町を歩く主観ビューで撮影。これを白黒に変換し、見てみると逆にこの低画質がその不眠症のひどさを物語ってるみたいでイイ効果が得られた。BGMはSigur Rosの「VAKA」で前半のゆったりと物悲しい曲が続き、そして一番音楽が盛り上がる部分が4分後くらいに出てくる、ここで僕の作ったBaby Mobileが登場しそれがゆっくりと天井で回転をする。そこで始めて映像はカラーになり、その神々しい音楽とともに僕はゆっくりと目を閉じて眠りの中に入る。眠りの中では綺麗な空が映し出され、次に僕の家族の写真、そして昔の同僚の写真、そしてYotsugi Bustersの写真。全てが笑顔で映ってる写真だ。すると目が覚めて僕は出かける準備をするスライドに変わる、ここではもうカラーになっていてぐっすり眠れたことを意味している。そして最後僕はおしゃれをしてドアを締めて部屋を出て行く所でフェードアウト「Have a nice day」のキャッチコピーでおしまいという動画だ。

この動画が終わる頃には2月を過ぎていた。そしてinstructionのプロジェクトだが、これはなにかのHow toものを作れというもので、僕はHow to become a Salarymanという題材で日本のサラリーマンになるにはどうすればよいかというものをパッケージデザインで表現した。「お辞儀は45度、名刺交換のマナー、飯を食う時間もない、電話での対応の仕方など」これらをサラリーマンの必需品である、スケジュール張や携帯電話、カロリーメイトなどを紙で作ってそのパッケージの表面にちょっと皮肉的な表現で日本の忙しいサラリーマンを描いた。

僕はあまりこの作品には満足がいってない、というよりもうこの頃から僕のインスピレーションはフェイドアウトしてきていた。もう何をやってもうまくいかないのではないかという気持ちでいっぱいだった。

次にとりかかったのは3月の終わりまでに提出しなければならないcompetitionのデザイン。イギリスには2つの大きなグラフィックデザインのコンペがある。YCNとD&ADというものだ。このYCNはフリーで学生だったら誰でも参加できるコンペ、しかしD&ADはプロ的でお金を払って参加する。僕はD&ADを選んだ。そしてこのD&ADでは20近い課題が用意されていて、その中から自分がやりたいものを一つピックアップする。いろんな会社が課題を提供してくれていて、僕はThe Body Shopの課題に取り組んだ。The Body shopは最近、創始者が亡くなってLOREALに権利を握られてからその安全で自然な美への追求を忘れてしまっていた。そのメッセージを取り戻すためのデザインを募集するというもの。

僕はThe Body Shopの製品を購入していろいろと試行錯誤をこらした。最初に浮かんだアイデアがthe body shopのフルーツの特徴的な香りに目をつけて、風呂用品に使われてるフルーツの香りを調べ、そのフルーツを使ってグラフィックを作成した。オレンジ、マンゴー、ブラックチェリー、桃、いちご、ココナッツまでいろいろと買ってきてはそれをミニチュアのバスタブに入れて撮影してみた。これがけっこうおもしろいイメージになった。

早速、先生に見せたら「俺はこれは嫌いだ」と言い出した。ここからがいつも悪夢の始まりで彼は北独特のなまりでトンチンカンなアドバイスを延々と続けるのだ、アグレッシブな態度でくるものだから反論の余地もない。「もっと日本的なデザインからヒントを得たらどうだ?なんか日本の庭園って意味があるんだろう?砂が海を表していてとか、そこからヒントを得てだな、フルーツを使ってそういう…」もうワケが分からなかった。なんで日本の庭園をこれにつかわなければならないのか?the body shopは日本と何も関係ない。「だいたい、このバスタブはなんかミニチュアみたいに見えるな、ミニチュアなんかつかうなよ」と延々と言われ、最終的に先生はこのフルーツのアイデア、つまり根底からデザインを否定された。コテンパンにやられた気分でしあもとんちんかんなアドバイスで頭がパンクしそうになっていたとき、そのそばで話をしていた二人の女性がいた、同じくデザインを勉強している生徒だ。先生が「やあ、婦人たち、このアイデアをどう思うかね?」と僕のデザインを彼女たちに見せて意見を聞いた、この先生は女性にはすこぶる優しい。

すると女性二人は「私はこれとてもいいと思うわ、フルーツにバスタブが入ってるなんて面白いアイデアじゃない?the body shopの製品は確かに香りが特徴的だしお風呂で使うととても良い香りがするし」と真反対のpositiveな意見をくれた。僕の顔は一瞬明るくなった。先生は困ったような顔で「そうか?俺は嫌なんだけどなあ」と言っていた。

結局、そのアイデアは変えざるを得ず以前にアップしたような作品に仕上がった。未だにあっちのバスタブのデザインの方が良かった気がする。ある人が言っていた「みんながみんな、デザイナーじゃない。見る人は素人なんだ。だからいくら深い考えがあってもそれに向こうが気づいてくれないのなら意味がない」と、そう考えると綺麗でお体裁のイイデザインが一番みんなの心に届く気がする。

最後のshowへの課題の前に、僕たちは二週間近いおやすみに入った。でもこの間は本当に空虚だった。何もすることがなかった。前に記述したあのモミジとの関係もうまくいかず、どんな話を振っても彼女は上の空、やっぱり彼女が乗ってくる話題は嵐だけで、僕の話には何の興味なかった。それでも僕は自分を省みて僕の話題がつまらないのかも、と思って少しでも彼女と話を合わせるために僕は嵐のことについて勉強した。youtubeで嵐の番組を見たし、wikipediaとかで彼らの生い立ちを調べたりした。案の定、モミジはその話題には水を得た魚のようにペラペラと喋るが僕の仕入れたにわか知識ではそれ以上の盛り上がりを見せることはできなかった。彼女はいつでもこの世の終わりみたいな顔をしてる、26歳なのに軽いシモネタも厳禁、一年も留学しにきてるのに海外への造詣が全くなく洋楽も映画すら見ない。話が合うわけが無かった。日本ではずっと眼科で勤め、休みの日は昼間で眠り暇なら友達を呼んで家で嵐のDVDを見て意見を言い合うだけという生活を送っていたという。現在彼女はもう参ってしまいほぼ引篭もりの状態になってる。もうあれ以来ほとんど会ってない、たぶんこれから二度と会うことはないと思う。

最後のsel initiatedの課題は名前の通り自分が決めて何かをやる。僕はずっと何をするかを迷っていた。そこで3月の半ばに行われたプレゼンテーションの授業の時にみんなの前で一人ひとりが自分の作品をスライドショーで見せて説明をするのだが、この時僕はさっき作ったbaby mobileの動画をみんなに見せた。するとみんな僕がそんなに孤独な生活を送っているとはつゆ知らずで、この動画のあまりにも哀れな僕の姿に泣きそうになる人まで出てきて終わった後である一人の男が僕に強いハグをしてきた「お前はなんてかわいそうなやつなんだよ!!」と言ってくれた。でも僕は返す言葉が見つからなかった、いつまでたっても英語で気の利いた返しが僕は出来ない気がする。

動画が好評を得たので僕は最後に動画を使った作品を作ろうと考えた。でも何も浮かばなかった、何をすればいい?このころにはもう何も作りたくないというネガティブなきもちで一杯だった、いわゆるスランプというやつだ。何をやってもこの先生を満足させるのは無理だという気持ちになっていた。どうやらそう思っていたのは何も僕だけじゃなくて他の生徒もこの先生を嫌っていて、誰もが「早く卒業したい」と思っていたようだ。

恩人のBenが去年の卒業制作で僕がやろうと思っていた映画の予告編を作るのをやってみないかと言ってきた。僕とBenはこの2,3年の間にたくさんの映画を一緒に見ては感想を言い合う間柄で唯一の理解者であり友人だった。あのbaby mobileの動画を見せた時も「オハラ、お前には動画の才能があるよ、やってみろよ」と僕の背中を押してくれた。僕は一ヶ月と半分くらいしか期間が無いから無理かもしれないと思っていた、ましてや動画は本当に大変な作業だとわかっていたから。

それでも、他に案がなかった僕はやってみようと決心した。まずは準備から、ハンディカムを手にいれるために日本の親にハンディカムを送ってくれと頼んだ。さっそくここでトラブルが発生した。なんとハンディカムを贈ることはできるがバッテリーを贈ることは出来ないという。リチウム電池は危険物扱いなので海外への郵送は不可能だと3年ほど前に決まったらしい。おもしろいものだ、僕が2006年にイギリスに来た最初の年にデジカメを壊してしまってそれを日本に修理を出したときはリチウム電池の郵送は可能だったのに今はだめなんだな。カメラだけでどうしろというのだ?電池が使えないなら送っても意味が無いじゃないか、ならいっそのことカメラもダメってやればいいではないか。

いろいろと調べたがやはりバッテリーは危険物扱い。しょっぱなからつまずいた。どうしようかと悩んでBenに相談をすると「そんなわけないだろ?たかがバッテリーだぜ、絶対できるよ。DHLを調べてみろ、あそこなら絶対にできる」とBenは言った。僕は「調べたけど危険物だから郵送ができない」といってるのにやっぱりイギリス人は人の話を聞かない。とりあえずDHLにメールで問い合わせたがやっぱりダメだった。とりあえずカメラだけでも送ってくれと頼んで、バッテリーだけでも買えないかとAmazonを探した。そしたらなんとバッテリーだけでもちゃんと売ってるではないか、しかも8ポンド。早速購入をしたがこれがちゃんとフィットするかどうかが心配だった、これがうまくいかなければもうこのプロジェクトは台なしだ。

Benはずっと「諦めるな!」とだけ僕に言って勇気づけてくれた、ありがとうBen、でも僕の話もちゃんと聞いてね。

電池はちゃんとフィットして使用することが出来た。これでカメラの問題は解消。そして僕は絵コンテの製作にとりかかった。ストーリーはこんな感じだ、「孤独な日本青年がイギリスでの語学の勉強をする。特徴的に立てた尖った髪型から彼はhedgehog(ハリネズミ)とあだ名をつけられる。一向に友達も恋人もできない状況下で、彼はある時ぼそっと呟く、”僕はまるで本物のハリネズミみたいだ。このとげとげが人を寄せ付けようとしないんだ”と。しかし彼は語学の先生Benと出会い少しづつ自分を変えて行く…」という感じ、ほぼ僕のドキュメントだ。

前に連載して無期限休載になった小説の「それでも恋するハリネズミ」のアイデアはこれだった、言ってみればあの小説の映画版がこれにあたる。しかしここでもまたBenともめた、これは以前のブログを参照して欲しい。

Benとの確執で僕のこころはどんどん追い込まれ、もう何もかも嫌になっていった。欝になってホームシックになって絵コンテも撮影も放棄して僕はずっとYoutubeで昔懐かしい映像を見ていた。ノスタルジーだ。ノスタルジーは何も過去を懐かしむことだけを意味してるのではなく遠くにある故郷を思い返して懐かしさに浸るというホームシックの意味もあるのだ。この留学でとかく僕がホームシックになるとYoutubeで昔のアニメのOPとかCMとかそういうのをいっぱい見ては懐かしさに癒される。

その中で、僕はあるゲームに出会った。それは1985年にアーケードで出ていたnamcoの「スプラッターハウス」だった。このスプラッターハウスというゲームは小学一年か二年のころの僕にはトラウマというか、そういう陰りを残してるゲームでずっと記憶の片隅から離れないのだ。当時、Yotsugiからそう遠くない綾瀬という町のイトーヨーカドーのゲーム売り場の片隅にこのゲームが置かれていた。その片隅にこのおどろおどろしいゲームが置いてあったが何か鮮明に記憶に残っている。



このゲームはジェイソンのマスクを被ったキャラクターが主人公で、そのキャラを使って迫り来るモンスターたちをパンチやキックで倒していくというもの。当時としてはかなり画期的なホラーアクションゲームでグラフィックがかなりグロイ。アイテムでナタを取ってはそれで敵の首をすぱっとハネるや角材で吹き飛ばしてグチャグチャにするなどといった徹底したグロさを貫いてる。そしてさらに恐怖なのがこれはヒロインをさらわれて助けにいくという設定なのだが最後結局このヒロインは助からずボスキャラとして現れる、グロイモンスターと化したヒロインを自分の手で殺さなければいけない、当時のゲームではヒロインが助かって当たり前なのだ、最後エンディングを迎えてもスタッフロールと一緒に物悲しい音楽が流れるだけ、何も救われない。

このゲームがナムコから出てるのが驚きだ。実はナムコは今までで一度もホラーゲームを作っていない。ナムコは可愛いキャラやSFチックな夢のある作品が多く、ここまで徹底したグロテスクゲームはナムコの中には他に出ていないのである。

このスプラッターハウスのプレイ動画とかを見ては昔を思い出していた。ちゃっちいグラフィックなのに妙に僕は恐怖を感じた。子供の頃、このゲームをやって夜眠れなかったことを今でも体のどこかで覚えているのだろう。

こんな感じで僕は色々と懐かしいCMなどを探ってるとSEGAのメガドライブのCMにたどり着いた。なんとそのCMはいとうせいこうがやっていたのだ。ここでいとうせいこうという人間に興味を覚えていろいろと調べた結果、いとうせいこうの「かすかなしるし」という歌にたどり着いた、それが以前アップしたやつである。

この物悲しい歌詞と自分をなにか照らし合わせて、感傷に浸っていた。まるで僕のことを歌ってるみたいだ。ずっとこの歌を聞いていた。



なんとかそれでも自分を奮い立たせ、撮影を続けた。語学学校に赴いて誰かに撮影を協力してもらうためにプレゼンを行い場面寡黙症の僕でもみんなの前に立って震える手を抑えてプレゼンをした。極端にシャイな僕にしては上出来だ。

撮影が一通り終わって、編集をするも、これが苦痛意外の何でも無かった。自分が演技してる様を見るのは耐えられない。顔から火が出るなんてものじゃないなんども付けては消して目をそらして、恥ずかしさをぐっと抑えて演習に向き合う。この繰り返しだった。さらにクオリティも高くないこの低い画質のハンディカムではどうがんばっても普通の映画のようなクオリティを撮るのは不可能であり、これがまた恥ずかしさに拍車をかけ、とてもじゃないが人様に見せられるような作品には仕上がらなかった。

全てが悪い方向にかたむいて、自分を呪った。どうしてこの課題を選んでしまったのか。もっと確実な方法はいくらでもあった気がする、なのに僕は大見栄を切って映画にチャレンジするなんて言ってしまった。僕はなんて向こう見ずで浅はかな人間なのだろうと。こういう時は代替案を練り出さねばならない。それは画質が低いなら他の方法で補えるのではないかということ。僕は自分のイラストの技術を活かしてところどころのシーンをイラストで表現しちょっとしたアニメみたいに仕上げた。例えば、主人公が浜辺で佇んでる5秒のシーンの内、2秒だけ絵で表現するといった具合だ。他に手がない僕はとりあえずやってみることにした。Benの「諦めるな」という言葉を信じた。

やってみると意外に増しな感じに仕上がった。自分の醜悪な顔を写すよりイラストでデフォルメした方が文字通り絵になる。バックに音楽を入れてそれらしいチューンを選んだ。The Album LeafとちょっとしたアップビートにはButch Walkerを採用。エフェクトの効果などを織り込めば…まあまあの出来になってはいる。

ポスターも製作し、DVDパッケージも作った。これら二つはうまくいった、綺麗なグラフィックだ。やはり僕はポスターは簡単に作れてしまう、最後に動画にチャレンジしたのは意義のあることだったのかもしれない。僕の案ではDVDを25枚コピーぢてそれをちゃんとしたパッケージに入れて「自由にとってください」とshowスペースに置くことだった。誰も二分間も立ち止まってマジマジと見る人はいないのだ、それならとりあえずピックアップしてあとでじっくり見てくれた方が記憶にも残るだろう。

そのつもりでとりあえず5枚ほどのコピーを作り、今週の金曜日に僕はshowが執り行われるギャラリーに行き、作品を展示し始めた。みんなも作品が出来上がっていて少しづつ自分のスペースに作品を張り付けていた。僕はA1サイズのデカイポスターを真ん中に張り、そして動画を上映するためのimacの位置もちゃんと確認し、木製の棚を壁に取り付けそこにDVDを5個置いた。

なかなか様になってる。僕がちょっと距離をおいてそれらを眺めていると先生がやってきた。この先生は僕の嫌ってる先生じゃなくて理解のある先生だった。その先生はこのDVDのパッケージをとらせるというアイデアがいやで、「一個展示すればそれでイイ、配るようなこてゃしない方がイイ」と言って一個だけ残して取り下げてしまった。さて、困った…他に何を展示しよう?Benが僕の絵コンテに色をつけて展示しろと言ったことを僕はちゃんと実行して作ってきていた。それすら展示が却下された「卒業制作なんだかラフスケッチの展示はやめろ」と言われた。これに関しては反論の余地もなく正直僕は心のなかでこのスケッチを展示する案は受け入れられないだろうと思っていたのである。Benが「お前の全部のスキルを示すチャンスなんだぞ、だからラフスケッチに色をつけて展示するんだ、お前がイラストをうまく書けますよという意味でな」といったが、正直この時に僕はBenに反論していた「Benそれはtoo muchだよ、だいたいラフスケッチの展示は受け入れられないと思うよ」と言ったのだが「そんなのやってみないとわからないだろう?」と言って聞かなかった、イギリス人はやっぱり人の話を聞かない。

しかしここまでくるといよいよ困ったことになった。僕はもう展示するものが残っていない。どうしたらいいだろうと脂汗が出るくらいに焦っていた、なぜならshowの準備期間はこの金曜日と次の日の土曜日だけ。するとその先生が「お前、instructionで面白いの作っていただろう?あのSalarymanのやつ、あれを展示しろよ」と言ってきた「え?」僕はきょとんした顔で返した。あれはinstructionの課題であってこの最後の課題と関係ないんじゃ…よく見ると他の生徒はinstructionやcut it outの作品も展示している。

そうこれはあくまでもstudio practiceという4つの課題を一つにまとめたモジュールなのだ。最後の卒業制作で何を展示するかはこの4つの中から好きなものだけ展示できるという。そんな事、briefに書いてあったか?と僕は急いで年末に先生からもらったbriefを読んでみるととてもわかりづらい表現で確かに小さく書いてあった。この先生は会話だけでなく文章も変に気取っててわかりづらい。

…じゃあ、seif initiatedの意味はあまりないじゃないか…

この4つの中から自分の自信作だけを提出すればイイ、最後の課題にself initiatedなんて書いてあったらそれが卒業制作課題なのだなと誤解を招いても不思議ではない。僕はまんまと混乱の渦に突き落とされてしまった。

「いいから早くそのinstructionをもってこい、時間ないぞ」と先生は僕に催促し、僕はいそいで家に取りに行った。だが、紙で作ったパッケージはボロボロに壊れていて、急いで僕はプリントアウトしてもう一度作り直した。こんなに早く作品を作ったのは始めてかも知れない。3つほどのパッケージを折っては切って、糊で貼ってと約1時間ほどで仕上げた。それらをもってまた学校へ。

僕はこの日実は前日からの徹夜で1秒も寝ていなかった、人間意外と緊張感を支柱に立っていられるものだ。InstructionだけでなくD&ADに送ったあのThe Body Shopの作品も持ってきてそれを壁に綺麗に貼り付けた。

…悪くない。隣では可愛いクラスの女のコとクラス壱の伊達男が楽しそうに作業をしていた。僕は眠気を通り越して逆に何も感じなくなっていた。心が妙に落ち着いていてフワフワしている感じ。しかしながら正直この日の記憶はトビトビであまり詳しくは覚えていない。準備が終わると帰宅して僕はベッドに入ってスゥーと目を閉じた。30時間以上起き続けては流石にもう何も考えられなかった。

それでも達成感の中に虚しさと蟠りが交差していた、これで良かったのか?僕の今年の一年間は本当に空虚でいい作品を一個も残していない。なんども去年で終わらせておけば良かったと嘆いていた。去年はたくさんの良い作品を作れたし、卒業制作でも優秀賞をいただいたのだ。あれで終わらせれば大団円だったのだ。

日本で彼女を作る機会にも恵まれた、でもその子は僕のことを一年待てないと言ってそれ以来音沙汰なしだ。なんどメールを出しても彼女は知らんぷり、夏の陽炎と一緒に消えていった。あれからおりおりに彼女のことを思い出しては「彼女がメールのひとつでもくれれば、僕の心は少しでも救われるのに、この孤独が埋め合わせられるのに」と嘆いては悲しみに浸っていた。結局彼女に僕の心の声は届かなかった。彼女を支えに僕は日本から戻ってきたつもりだった、彼女は「メールを出す」と約束をしてくれたのだった、果たされることは無かったが。

もう考えるのをヤメよう…

僕は目を閉じて瞼の裏の闇を眺めた。瞼の裏では電撃が走ったような不思議な模様がすみれ色に輝いていて炎のように燃えてはパッパッと消えていった。

眠りに落ちかけたなかで、僕の頭の中に「かすかなしるし」が鳴り響いた…

月が窓から青く降りてにじむ
カーテンの波 形が風に揺れる
消し忘れてた TVからはノイズ
ついては消える ビルの赤い光

こんな部屋で少し息をしてる
かすかなしるしを聴いてる

誰もとらない 遠い電話のベル
雲が隠した 月がまたさしこむ
いつかはきっと なんどもそう思う
座り続けた ソファが冷えて行く

こんな部屋で少し息をしてる
今夜も僕は眠らずに

どこかで響く 誰かのはしゃぐ声
白い壁には 破りかけた写真

こんな部屋で少し息をしてる
かすかなしるしを待ってる
またこんな部屋で眠りを忘れたまま
耳を澄ましてる
またこんな部屋で月に照らされて
待ってる 君だけ ずっと




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秋葉原

ウィリーさんが書いたように、もうあの事件から二年が経つんだな。

当時僕はイギリスにいて、もう卒業製作も終わって後は日本に帰るだけという気持ちだった。
そしたらBBCのニュースで日本で大変なことが起きたと知った。

ショックだった。僕の大好きな秋葉原でそんな惨劇があったなんて。
もし僕がもうちょっと早く帰国してたら、僕は暇だと秋葉原に行くし帰国するとまずは秋葉原に行くからあの事件に巻き込まれてたかも知れない。そう思うと本当にぞっとする。

その当時、秋葉原はいろいろと乱れていた。とくに歩行者天国が。自称22歳アイドルのコスプレイヤー(本当は31歳)が路上でパンツを見せて撮影会をするなどして逮捕されたり、これがたしか2008年の4月頃のこと。Youtubeを見ればわかるけどコスプレをした集団が歩行者天国のどまんなかでハレ晴レユカイを踊って警察が乱入し蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったりと、結構いろいろと乱れていた。

まあ歩行者天国はみんなのものだから歩くのがじゃまになるようなパフォーマンスはさすがに控えないといけない。でも路上パフォーマンスなんてそんなものでみんなの乗りがよくないと成立しない。

そんな矢先のこの殺傷事件。僕はあまりにショックで、その事件の約2週間後に帰国すると早速秋葉原に献花にいった。駅前のアキバ案内所にいるメイドさんに花屋さんの場所と事件のあった場所を聞いてからとりあえず花屋さんへ向かった。花屋さんは秋葉原のメインストリートの外れにあってドン・キホーテのさらに先をまっすぐに行って大きな交差点を右に曲がるとこぢんまりと営業していた。

「献花の為に花を見繕ってくれますか?」と主人にお願いすると主人はせっせと色とりどりの花を束ね始めた。その間、僕は事件のことについて聞いてみた。「私はずっとここで花屋を営業してますが、こんなことは始めてですね。ショックでした」と悲しそうな目で語っていた。

花束をもらって勘定を済ませると、「ではいってらっしゃいませ」と主人が深々と頭を下げた。僕も会釈をして店を出るとあの現場の交差点に向かった。現在では住友のビルが建っているが建設中だったそこの目の前に献花台があった。これからビルが建設するこの住友が気の毒に思えた。

僕以外にも何人か献花に来ていて、そこには花束やお供え用のお茶や茶飯などが置かれてあった。僕は花束を適当な場所に置くと手をあわせて長い黙祷を捧げた。17人もの被害にあった人たちの魂を癒すことは僕には無理かもしれないでもせめて少しでも念が通じて欲しい、僕はひっそりとそして強く彼らに祈りを捧げた。

そして立ち去ろうとしたとき、後ろから女が近づいてきた。実はさっきから献花台とは逆の仮設のフェンスに寄りかかってこっちを見てる二人組のネームカードを下げた女が目についていたのだった。「ちょっといいですか?」女は営業スマイルで僕に寄ってきた。

僕はあからさまに嫌な顔をして「なんですか?」と聞き返した。女は一切その作った笑顔を変えず、「◯◯新聞の者ですけど、お時間ありますか?」と聞いてきた。僕はちょっとためらったものの「まあいいですけど」と応じた。

女「被害にあった遺族の方ですか?」
僕「いえ、違います」
女「じゃあ、友人か何か…?」
僕「いえ、ただあまりにショックだったし、秋葉原は好きな街なので」
女「そうですか…。今、ご職業は何されてます?」
僕「学生です」
女「年齢を伺ってもよろしいですか?」
僕「24です。今年で25…」
女「あ、じゃあ犯人とおんなじ歳ですね!!」

女は急に目を輝かせ始めた。たぶん同い年の人間がこのインタビューのターゲットなのだろう。
でも僕はこの嬉しそうな顔にイラッとした。17人も殺害した犯人となんか同一視された気分だった。

僕「(ふてくされて)ああ、そうですね…」
女「犯人はブログを書いていたそうですけど、あなたもブログはやってますか?」
僕「いや、去年までmixiをやってましたが、今はやめました」
女「なんでやめたか聞いてもよろしいですか?」
僕「毎日のように日記を描いてましたが、なんか気づいたら愚痴とかばかり描いてたんで。他の人がみて気分を害したら嫌だなと思って…」
女「そうですか。犯人もよく愚痴を日記に書いていたそうなんですよね」

さらにイラッとした。僕を犯人と同じようにしたいのか?

僕「あ、そう」
女「犯人はそういう風に愚痴を書いて、でも誰にも相手にされなかったみたいなんですが、ご自身もそういう経験ございますか?」
僕「僕も相手にされませんでしたよ。たぶんみんな愚痴とかをわざわざ見たいとは思わないんでしょうね。それで書いても意味ないなと思ってやめたんです」
女「その無視された時はどういう気分でしたか?」
僕「別に、どうも思いませんでした。ブログを見るのは人の自由ですし」
女「でもちょっと…犯人の気持ちがわかったり…?」

鶏冠にきた。こいつは僕を犯人と同じように仕向けている。

僕「わかる訳ないじゃないですか。あなたは僕を犯人と同じに思想の持ち主だと思ってるんですか?」
女「いや、そんなつもりじゃないんです。ただ、今の若い人はどう思ってるのかなって…」

女はとうとう質問をやめた、今のインタビューを新聞に載せていいかと訪ねられ僕は構わないと言った。できれば名前も欲しいと言われたがそれは断った。

「ありがとうございました」女は一礼するともとの場所に戻って新しく献花にくる人を待っていた。僕はなんだか悲しい気持ちになった。この女も本当はこういう仕事をしたくはないのだろうな、人の不幸を記事に書いてそれでお金を得る、タフな仕事だ。

僕は思った、報道ってのは編集する人間の思想の集合体だ。たぶんあの女が僕に犯人と同じような思想に仕向けたのはもう予め書く記事が決まってるのだと思う。「今の若者の心の闇、ブログの不満と狂気は何も犯人だけじゃない!?」みたいなことを書こうとまず決めて、それに後押しするための証拠を集めに町に繰り出す。そしてうまく犯人が思ってること同じような発言をするような質問を組んで「やっぱり今の若者はみんなこう思ってる」という風に記事を書くのだと思う。現にあの時、女は僕に事件についてどう思うかを聞くことは無かった、僕の意見などどうでもいいのだ。

ニュースを見てても妙に悪意のある編集を感じる。被害者の楽しそうに笑ってる顔写真をドアップで映して「その日、〇〇さんはいつものように家族にいってきますと笑顔で家を出ていった…」こんな詩的な表現はいらないだろう、まるで映画でも見てるような演出だ。

犯人の一番の動機は僕はただ単に「孤独」だと思う。僕は決して犯人をかばってるわけじゃない、多くの人の命を奪った彼はもちろん罪を償わなければいけない、償えきれないだろうが。

孤独は人を追い込む、ウィリーさんの言っていたように彼はたぶん止めてもらいたかったんだと思う。愚痴を言い合う友達もいなかったんだろう、彼女もいなかったんだろう。

もう二度とこんな悲劇を起こらないことを僕は心の底から願っている。

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秋葉原の中心で愛を叫んだけもの

2008年6月8日、午後0時33分。
男はトラックから降りると、猛然と人々の群れに飛び込んでいった。
昼下がりの平和な街並みは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
うつろな目をした男の手には、血でぬらぬらと光るナイフが握り締めてあった。

「秋葉原無差別殺傷事件」から今日でちょうど2年の月日が経つ。
17人もの人間をトラックで轢き、ナイフで殺傷した。まさにキチガイの所為である。
しかし、キチガイをキチガイと断定し、法のもとで死刑にし、社会的にも生物学的にも犯人の存在を抹殺したところで、事件の本質は見えてこないだろう。
そこで、男はなぜこの事件を起こしたのか?ぼくなりに考察してみようと思う。
まずは、事件の経緯を振り返りながら、犯人の動機を考えていきたい。

男は青森県で生まれ育ち、小学校では陸上クラブに所属し、中学校では3年間ソフトテニスに励み、学校の成績も優秀で、活発な少年時代を過ごしていた。
高校は県内一の進学校に進学、高校卒業後は岐阜の自動車短期大学に入学した。
短大卒業後は仙台市内の警備会社にアルバイトとして入り、真面目な仕事ぶりから後に社員になった。その後、派遣社員として埼玉県の自動車工場勤務を経て、事件当時は静岡県の自動車製造工場で塗装検査の仕事をしていた。

しかし、派遣社員として働いている中で、部品のように扱われているように感じ始め、自分はただの歯車にすぎないと社会に対して不満を抱くようになった。
その頃、出会い系サイトで知り合った女性に自分の顔写真をメールで送ると返信が来なくなったことから、自分の容姿に劣等感を抱くようになった。
男はしだいに、就労状況や容姿へのコンプレックスに悩むようになり、2006年頃から自分の悩みや苦しみをネットの掲示板に書き込むようになっていく。

男にとっては、掲示板に書き込むことが不満のはけ口であり、心の拠り所であった。
「書く」という行為はそれ自体が自浄作用であり、ときにカタルシスをもたらす。
人は「書く」ことによって、改めて自己と対峙し、不満や悩みを解放していくのだ。
しかし、結果的にその行為が事件のトリガーになるとは、誰も知る由もなかった。

2008年5月頃から男に対して思いやるようなコメントが無くなった。
唯一の居場所であった掲示板の世界から村八分にされたことによる苛立ち。
男は疎外感に苛み、自分以外の者すべてが敵だとルサンチマンを溜め込んでいく。

5月28日、工場への派遣の仕事が翌月で終わることを告げられる。
6月5日、出勤して更衣室に行くと自分の作業着が見つからず、誰かの嫌がらせだと激怒して、更衣室を飛び出し、仕事を辞める決意をする。

[2463]

06/05 06:17
作業場行ったらツナギが無かった
辞めろってか
わかったよ

[2464]

06/05 06:19
鮮やかに帰宅
やってらんね

悩みや苦しみが無視されていることに我慢できなくなった男は、「事件」を起こして、自分の存在を無視した者に自分の存在をアピールすることで、彼らに復讐を誓った。

[2538]

06/05 11:51
犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする

[2539]

06/05 12:02
ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり
やっぱり人って大事だと思う

[2540]

06/05 12:04
人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし
難しいね

[2541]

06/05 12:05
「誰でもよかった」
なんかわかる気がする

また、元来のプライドの高さから男は、掲示板の住人の興味を引くため過激なことを書かざるをえないというスパイラルに陥り、ひとり袋小路にはまり込んでいった。

自我だけがどんどん肥大化し、やがてそれは「大きな目的」へと帰結する。

「秋葉原で人を殺します」

06/08 05:21
車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います
みんなさようなら

男はそう宣言すると、トラックを運転して静岡から東京へ向かった。

そして、冒頭へ。



ぼくは不条理な事件が起こると、高校の教科書に載っていた『山月記』を思い出す。

唐の時代、秀才だがプライドが高く、自らの身分に満足できない男が、詩人として名を成そうとするも、うまくいかず挫折。その後、発狂し、そのまま山へ消え行方不明となった。一年後、旅をしていた男の友が、虎となり変わり果てた姿の男と邂逅する。

その話の中で、男が虎に変身した理由を自らこう語る。

「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」
「己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だったのだ」

秋葉原で虎になった男も、ネットの掲示板というバーチャルな世界に耽り、その世界でしか他人とのコミュニケーションができなくなり、結局は誰も自分のことを分かってくれないんだと悶え憤り、ますます孤独を先鋭化させて臆病な自尊心を飼いふとらせ、社会に対して「みんな死ねばいいんだ」と、恨みを抱くようになったのではないか。

現実世界でもネットの世界でも居場所を失った男は、他人との究極のコミュニケーションを求めて、殺人を犯すことで対話を成立させていたのではないだろうか?

野坂昭如氏は『てろてろ』という小説の中で、現代におけるテロリストとは、「しごく直接的に殺したり殺されたりする、その行為の中にだけしか、人間と人間のつながりを、確かめられないのではないか」と、説いている。

男は犯行の動機を「たくさん人を殺せば死刑になれるから」と語り、それ以上の理由を供述してないが、本当は他人とのコミュニケーションを、他者からの愛を、誰よりも強く求めていたのではないだろうか?

その証拠に、事件当日に犯行を予告するメッセージを30件ほど書き込んでいる。
まるで誰かに「そんなバカなことはよせ」と止めてもらうのを待っているかのように。

男には酒を飲みながら愚痴を言い合える仲間はいなかったのだろうか?
自分が落ち込んでいるときに連絡できる友達はいなかったのだろうか?
もしそういう存在がいたとしたら、事件は違った結果になっていたのではないか。
少なくともその刃は他者に向けられることは無かったのではないか。

事件の経緯を追ってきて思ったことは、男はこの事件を起こすまで犯罪に手を染めるわけでもなく、永山則夫のような劣悪な家庭環境で育ったわけでもなく、いわゆる小市民的な人生を送ってきた、どこにでもいる小男なのだ。

ただ、男の場合は容姿に対する極端なコンプレックスと社会に対する妬み僻みで、パンパンに膨れ上がった自我を持て余し、それを破綻させただけだ。

現場となった場所は今ではすっかり影をひそめ、事件は記憶の片隅へ消えてゆく。
事件以来、中止になっていた歩行者天国も今年の夏から再開を予定している。
そのとき、秋葉原は以前にも増して活気づき、オタク族は勝鬨をあげるだろう。

しかし、決して忘れてはならない。
17人もの痛ましい事件の被害者と、心の闇をけものに巣食われた男の存在を。

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初音ミクは究極の癒し。

初音ミクの「はじめてのチュウ」ですね。なかなかイイ。

はじめてのチュウはあんしんパパの伝説のアニソンですが、どうやらこの曲は変声機を使ってるわけではなくゆっくりと歌って後で倍速にしているらしい。変声機ではこういう子供の声にはならないそうな。

他にもいろんな録音方法がこの曲には施されてるそうだがそこはクラシファイド。にしてもいい曲、アニソンの中ではTop 10に入りますね。

ハイスタバージョンのも良かったけど僕は日本語の方が好きですね。



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