お風呂を出てから、ヨタはちょっと元気になった感じだった。



私が歯を磨いてる間、換気扇が回ってるお風呂場に何度も行って、やたらと大きな声で鳴いてた。




うあーん!みたいな変な鳴き方だった。


うあーーーっ!!

の後に

(小声で)ニャー…

とか。



本当におかしな鳴き方をしてた。




後になって、あれはヨタが神様にお願いしていたんじゃないか、なんて思ったりもした。


もう一日だけ生かせて下さーーい!お願いしまーす!みたいに。



ヨタはそれまでにも多分かなり神様に無理を言って寿命を延長しまくってて。



その分きっとしんどかったろうけど、頑張って私の側にいてくれたんだと思う。




晩年のヨタを考えてみると、本当に頑張ってたなって思うんだ。


ヨタは諦めずにいつも頑張ってた。


カッコイイ老猫だった。







それから私は録ってあったドラマか何か見たのかな。


それともすぐに自分の部屋に行ったのかな。


覚えてない。



でも、お風呂場で鳴くヨタの声を聞いたら、私は何か安心しちゃったんだ。


大丈夫だ、ヨタはまだあんなに力強く鳴ける、だから大丈夫だ、って安心してしまった。








そして二階の自分の部屋に行こうとしたら、珍しくヨタが一緒に着いて来た。


(あぁ、ヨタ、その前にトイレに行ってたな)



ヨタは大体、夜中にお腹がすくと二階に上がって私を待ったから、このタイミングで一緒に行きたがるのは珍しかったんだ。


この時に抱っこして階段を上がったのか、ヨタを歩かせたのか、それも記憶にない。




ヨタの状態を考えれば抱っこした筈なんだけど。


でもしっかり覚えてないんだ。




だから多分、でしかない。



そしてこの後のことも順番とかはめちゃくちゃだと思う。



あれから二ヶ月が過ぎて、その間に忘れてしまったこと、あやふやになってしまったことがある。


だけど、本当に向き合えなかったんだ。



思い出すのがツラかった。



今だってツライ。


思い出して書き出すと、涙ボロボロ出て来て、PCの前で泣きながら文字を打ってる。


今も泣いてる。



特に旅立ったクリスマスの日に向き合うのがとても怖い。


あの日のことがツライ。






だけど、いい加減ちゃんと向き合わないと、こうしてどんどん忘れていってしまう気がして思い出す以上に怖くなった。


だからツライけど向き合ってる。





でも。




ちょっと遅かったのかな。














私は眠剤を飲むようになってから、寝る前にはその為のコップ一杯の麦茶を手に階段を上がるようになってた。



この時、ヨタと共に階段を上がってからコップを忘れた!って気付いたんだ。


階段の下辺りまで持って来てたのに置いて来ちゃって。



だから慌ててコップを取りに戻った。


もしかしたらヨタを抱っこしたまま、だったかも知れない。







二階は私の部屋と妹の部屋と二つあって、私は寝る時は妹の部屋のベッドを使わせてもらってる。



その時に開け放してあった妹の部屋にヨタはちょっと入ったっけ。


そうだ、それで久し振りに入ったなって思ってるかな、とか、部屋汚ねーなとか思ってるかな、って私は思ったんだった。








それからここも何でそうしたのかよく分からないんだけど。



ヨタの場所を作ってやらなきゃ、って思ったんだ。


私の部屋にあった小型のペット用ホットカーペットを、階段を上がりきったスペースに設置した。




ヨタは夜中に二階に来ると、そこか私の部屋のホットカーペットの上で過ごしてたから。




私の部屋は、11月の末辺りに大掃除をやりかけたままで。


結局、夫からのあの申立書の内容にガツンとやられて大掃除が途中で止まっちゃってた。



だから、いつもヨタがくつろいでいたホットカーペットがあったスペースにもホットカーペットはなくて、衣装ケースが積み上げてあるような状態だった。


ホットカーペットの位置を部屋の奥に変えちゃってたんだ。




だから分かりやすいように、階段を上がったスペースに慌てて設置した。






私はあくまでも『ヨタが居たいところ』をいつも優先して来た。


本当は自分が寂しい時なんかは捕まえてビッタリ側に居させたいって思う時もあったりしたけど、あくまでもヨタのペースを優先してた。


だからいつものようにそんな場所を作ってしまったんだけど。



何でこの時くらい、それこそ捕まえて部屋に連れてきて一緒に寝ようとしなかったのか、何でそう思わなかったのか情けなくなる。



まさか、この翌日、ヨタが逝ってしまうとは思いもしなかったから、仕方ないといえば仕方ないんだけど。


でも、もうその日が近いことは分かってた筈だったのにな…。







こういう全てが、ヨタに対して申し訳なかったなって感じる。



ヨタがあと少しでゴールするって大事な時期に、色んな『今までと違うこと』ばかりだった。














ヨタは何故か妹の部屋にはあまり入らなくて、夜中に私を待つ場所も、階段を上がりきったところのスペースか私の部屋だった。



もしかしたらドアが開けにくかったから、とか理由があったのかも知れないけど。



…あぁ、そうかも。





ヨタは戸を開けようとする時はいつも右手を出した。


左手でやらなきゃ開けられない引き戸でも右手が出ちゃってた。



私の部屋のドアは右手で開けられる作り。


妹の部屋のドアは左手で開けられる作りだったんだ。



だからだったのかも知れないな。







10月の中頃にあった夫からの電話で、早く離婚を進めろとか、慰謝料の額を提示しろとか、離婚調停の申し立てをされたりして。



だからその10月の中頃からずっと、私は部屋のドアをきっちり閉めて寝てしまってた。



いつもは、ヨタが入りたい時に入れるようにドアは軽く開けておいたのに。



ヨタの腕の力が少しづつ落ちていってることに気付いてからは、ヨタの為にドアが開けやすいよう、間にスリッパを挟んでドアが閉まらないようにもしてたんだ。


ちょっと爪を引っかければドアが開けられるようにしてた。










それなのに、夫からのあの電話があってから寝る時にはドアをきっちり閉めるようになってしまった。



頭にあったのは、とにかく何にも邪魔されずに何にも考えずに眠りたい。



ただそれだけだった。




ヨタが旅立つ直前のこの夜までほぼ二ヶ月。



私は大事なヨタを拒絶して。



そして毎晩薬を飲んで眠った。



二階には来られるようにしておいたけど。



肝心の私が寝ていた部屋のドアは閉めちゃってたんだ。





これが一番後悔してること。



だってそんな風にヨタを拒絶するとか、これまでしたことがなかったんだ。







なのによりによって何であんなに大切な日々に拒絶してしまったんだろうって。



そして何でヨタのくつろぐ場所を壊しちゃってたんだろうって。





そこを考えると胸が痛くなる。










話が逸れちゃったな。




あのヨタと過ごせた最期の夜、ヨタが寒くないようにとホットカーペットをバタバタ移動させて。


その間ヨタは階段を上がったいつもの場所にお座りをして私を見てた。


ちょっと待ってね!!ってヨタに言いながら私は用意したんだ。



だけど、ホットカーペットを設置してコンセントを入れて、よし!!って時には、ヨタは下に降りてしまってて。


階段の下からまたさっきみたいな鳴き声がしてた。



ヨタ変なの~w


なんて思って、私はヨタが二階に来てもすぐ気が付いて入って来られるように、ドアが閉まらないようスリッパを挟んでおいた。





だけどそれきりヨタは二階に来なかったと思う。


二階は寒いし、下(居間)で寝る方があったかいから、その方がいいかなって思った。











そして、この日も私は習慣のように薬を飲んで寝てしまった。



こんな日にもね。




私は本っ当にどうしようもなくクソだった。

もうすっかり暗くなった中を自転車こいで、やっとうちに着いて。



自転車をとめてヨタの入ったキャリーを下ろした。


門を閉めなきゃならなかったから、キャリーを玄関のドアの脇の外の椅子に置いて門を閉めに戻った。





この時のことも結構思い出すとキツイ。




門を閉めてヨタの元に戻るまで1分もかからなかったとは思う。


でも、あんなに暗くて寒い中、私はヨタを椅子の上に置き去りにした。


門なんて後で閉めれば良かったのに。




ポケットから鍵出してドア開けて、ヨタだけ先に中に入れてあげれば良かったのに。


何でそんな簡単なことが出来なかったんだろう。


何であんなことしたんだろう。




しかも、門を閉めた時に、



あ、今きっとヨタ「置いてかれちゃったー」って心細く思ってるなーw


なんて考えてた。



何で私はあんなにのんきだったんだろう。


今思い出すと本当に、自分のとった行動や思ったことなんかが許せなく感じる。



















部屋に入ってヨタをすぐにキャリーから出してあげた。


これできっとヨタはまた元気になるって希望が持てて、私は一気に安心して元気が出た気がする。





母親は結局、私が病院に行っている間に買物に行ったらしく、お寿司を買って来てくれてた。


だからヨタにもあげる事が出来た。


ヨタってお寿司のネタのまぐろが大好きだったから。



ヨタはまぐろとサーモンを食べた。



でもいつもと違って、私の手からパクッと口に入れても、一度口から出して床にポトッと落としてから食べてた。


いつもならパクッとしたらそのままパクパクゴクンってしてたのに。



しかも床には細かい食べかすがいくつも散らばってて。



ヨタにしては珍しいなって思った。


ヨタはいつもキレイに食べる猫だったから。



そして、いつもなら私がお寿司を食べ終えるまでしつこく張り付いてねだるのに、この時は早々に自分の寝床に引き上げてしまってた。



やっぱりまだしんどいのかなって思ったけど、とにかく少しでもヨタが食べてくれたのが嬉しくてたまらなかった。


きっと輸液したことで調子が良くなったんだなって、病院に連れて行って良かったなって思えた。



でももしかしたら、ヨタはムリをしてたのかもなって今は思う。






その後、洗い物をしていたらヨタが足元に来て上りたそうにしてたから、抱っこして流しの隣のスペースに座らせた。


ヨタは水を飲みたがるワケでもなく、ただそこでうずくまって私が洗い物をする手元をじーっと見てた。



母親と、ヨタ変なのーって笑った。







それから、昼間のメールを見て心配して妹達が来てくれた。


妹の旦那さんのBちゃんも姪っ子も、みんなでヨタに会いに来てくれた。


ヨタを気にかけてもらえてすごく嬉しかった。



この時のヨタは結構動き回ってて元気な感じだった。




妹達もヨタのそんな姿を見て安心してたし、もちろん私も安心してた。


姪っ子はヨタにいつもやるように、人差し指をヨタの顔の前に出して、ヨタもいつものようにそれをクンクンと匂いを嗅いで。


姪っ子は嬉しそうにしてた。



ヨタは本当に姪っ子に優しかった。


何をされても一度も怒らなかった。



まだ姪っ子が赤ちゃんだった頃は、姪っ子が泣くとヨタはいつもオロオロしてた。



お昼寝すればいつもさりげなく側で一緒に寝てた。



姪っ子が、抱っこするー!と間違えてヨタの首を絞めた時だってヨタは全く怒らなかった。




ヨタはきっと姪っ子を可愛がってたんだと思う。







そして妹達が帰る時、ヨタは玄関まで着いて歩いて来て、一緒に妹達を見送った。


いつもはそんな事はしない。




それを見て妹がヨタに、


ヤダ!いつもと違う事しないでよ!

ヨタ!頑張れー!


って呼びかけた。



ヨタ、ちゃんと分かってたよね。













私は本当に油断してた。


輸液して、ヨタの食欲がちょっとだけ戻ったことで安心しちゃってた。




だから、いつものような夜を過ごしたんだ。



ヨタと過ごせる最期の夜だったのに。





いつものように私は二階にいてヨタは居間にいた。



そしていつもの時間にお風呂に入ろうと下に降りて。



ヨタの姿が見えなくてこたつの中を覗いたら、ヨタはそこにいた。



…コマもそこにいたような気がするけど、ハッキリとは覚えてない。





冬場はいつも、テーブルにかけてある毛布の一部をめくって、猫が出入りしやすいようにしてあるんだけど、そこではなく逆の位置から無理やり入ったような痕跡があって、毛布の変な部分がめくれてた。


そのすぐそばにヨタがいたから、コマがいて入りにくくてここから入ったのかなって思った。


ヨタはコマに時々からまれることがあって、コマにちょっと怯える時があったから。




ヨタは私の姿を見て、待ってました!!って感じですっくと立ち上がってこたつから出た。



そして、いつものようにお風呂場に向かった。




いつもの光景だった。




私はヨタと一緒にお風呂に入って、お風呂のマットを敷く時にはヨタを右手で抱き上げて、ヨタはそこで「ウニャーッ」っといつものように鳴いて。




マットを敷いてからそこにヨタを下ろして。




そしてシャワーのお湯をヨタに飲ませた。



でも輸液したから、あまり飲ませたら良くないかなって思って、いつもより早めに終わらせた。



ヨタもあまり飲みたがらなかった気がする。








ここから記憶の順番がちょっと曖昧になってる。




覚えてる場面だけ。



シャワーのお湯を飲むヨタの姿を見ていたら、何かやっぱりヨタの目がいつもとは違うなって思って。



何て言えばいいのか、ポーーーッとしてるような。



一番近いのは麻酔から覚めかけた時みたいな。


まだしっかり覚醒してなくて、ポーーーッとしてるあの表情。



あんな表情をしていて。



それを見たら、ヨタとの別れが少しずつ近付いてるんだって事を痛感した。


信じたくないし受け入れたくもないけど、ヨタを看取る日は多分もうすぐそこまで来てる。



覚悟しなきゃならないんだって。







途端に涙がブワッと出て、本当に呼吸が出来なくなるくらい泣いた。


悲しくて悲しくて、浴槽に浸かりながら下を向いて泣いたからお湯すれすれまで顔が近付いてた。



洗い場でお座りしてたヨタには(私が下を向いたことで)、私の姿が見えなかったみたいで。









何だろう。



またヨタに心配させちゃったのかな。





私がひとしきり泣いて顔を上げたら、ヨタはさっき座ってた場所から近付いてて。


私の目の前に居たんだ。




そして、相変わらずポーーーッとした顔のままで、左の前脚を上げて、私に向かってオイオイってしたんだ。


オイオイというか、よしよしというか。


ねーねーというか。




ヨタは何が言いたかったのかな。






ヨタがその仕草をする時は、何かを訴えたい時で。



大体それは餌が欲しい時だった。



私の真ん前に来て、太ももに前脚を置いてみたり、私の顔に向かってオイオイってしたり。




でも、あの時のヨタは餌は欲しがってはいなかった筈で。


お皿には餌が出してあったし。


そしてやっぱりヨタは食べてなかったし。







ヨタはあの時、何でオイオイってしたんだろう。


オイオイってした後、ヨタは今度は右の前脚を上げて顔を洗うような仕草をして、2~3回ちょいちょいってやって「…にゃ」って呟いた。


もしかしたら、かなり朦朧としてたのかも知れない。


オイオイってしたことにも何の意味もなかったのかも知れない。



だけどあの時、私に向かってしたあのオイオイは何か違った気がした。



まるでヨタに「泣くな泣くな」って言われた気がしたんだ。









あの人が死んでから、お風呂場は泣き場所になった。


声を殺して毎晩のように泣いた。




品川で一人暮らしを始めてヨタと出会って、お風呂にまでついて来るヨタのおかげでお風呂で毎晩泣くことは減ったけど。


でもやっぱりお風呂場は私にとってずっと泣き場所だった。




思い出しては泣き、苦しくては泣き。






夫から逃げて実家に帰ってからは特に、ヨタにシャワーのお湯を飲ませる時、ヨタの顔を見ながら泣くことが増えた。



この世で、ヨタだけが唯一「私だけ」を好きでいてくれる存在なんだよなって思っては、ありがたくて、ヨタに感謝して。


そうして老いたヨタにどれだけ迷惑かけたかを考えると申し訳なくて。




そしてそんなヨタをいつか失うんだってことが怖くてたまらなくて。



私にはもうヨタしかいないのに、ヨタがいなくなったらどうすればいいんだろうとか、そんなことを考えてはよく泣いてた。



ヨタはシャワーのお湯をペロペロ舐めながら、泣く私の顔をいつもじっと見つめてた。


私が泣くとヨタの表情が変わるんだ。



ちょっとびっくりしてるみたいな、そんな表情になって、それで私の顔を、流れる涙をじっと見てた。





ヨタは、お風呂で私が泣く光景を数えきれないくらい見て来た。


そしてきっとヨタには、お風呂で私が泣く意味が分かってたと思う。



だからああして、朦朧としながらもあの時私に向かってオイオイってしてくれた気がする。












それから体を洗うんで、濡れないようにとヨタをお風呂場から出そうとしたんだけど。




ヨタはお風呂場の扉のところで脚をぐっと踏ん張って出る事を拒否した。



そんなの珍しい事だった。



いつも自分から出たがったし、そうじゃなくても私が出そうとすれば素直に出ていくのが常だった。



なのにこの時は違ってた。




私はこの頃ずっと風邪気味で、もう二日か三日くらいちゃんとお風呂に入ってなかった。


浴槽で温まることはしてたけど、髪や体を洗ったりってことをしてなくて。


だからこの日はどうしても洗いたかったんだ。





仕方ないから昔みたいに浴槽のふたを半分閉めてそこにヨタを乗せた。


ヨタは相変わらずポーーーッとしてて、ずっとふたの上にうずくまってた。



私は体を洗うのも髪を洗うのも、あれほどもどかしく面倒に感じたことがなかった。


洗いながら何度もヨタを見て確認して、殆どやっつけのようにして洗い終えた。




私がお風呂から出るまでふたの上でずっと待っててくれるなんて、本当に昔みたいだって思った。




そしてヨタと一緒にお風呂を出た。








これがヨタと18年間ずっと一緒だったお風呂の、最期の日になってしまった。

そしてやっと名前が呼ばれて診察室に入って。



もう2日間、餌を食べてない状態ってことを先生に伝えた。



先生はヨタの体重を計ってからカルテを見て、前回来院したのが8月で、それからだいぶ体重がおちてるっていうようなことを言った。




何かこの時のことはあまり思い出せない。


壁に貼ってあった「猫の老化に伴う腎不全に注意」みたいなポスターにあったグラフを示されて、こういう状態だと思うみたいな会話をしたのは覚えてる。



でも説明を聞いてる途中で、また涙がボロボロ止まらなくなって、泣きながら先生に、


もう2日間食べてないから心配でたまらないんです


って言ったけど、何て返されたか覚えてない。




血液検査をするんでヨタの痩せて細くなった後ろ脚に注射針が刺さった。


ヨタはビックリするくらいの力で暴れて、嫌がってもがいてた。


きっとすごく痛かったんだと思う。



診察台の上で押さえつけられてじたばたもがくヨタと目が合った時に、何かヨタに責められてる気がした。



私は余計なことしたのかなって思った。



ごめんって思って胸が痛くなった。




あぁ、この辺りからしんどいな。



何か本当に思い出せない。





あと先生がヨタの顔を見て


脱水が酷くて(だったかな?)目が落ち窪んでますよね、みたいなニュアンスの事も言ったな。



それはだいぶ前から気付いてた。


ヨタの目がやけに奥まったなって。


ただ、高齢だったしきっと歳のせいなんだろうなって思ってた。




考えてみたら、父親の最期の辺りも、やけに目が落ち窪んでたんだ。












それから、血液検査の結果が出るまでまた待合室に戻されたんだっけな…。




そうだ、それで今度は待合室には柴犬を2匹連れたおばさんがいて、また色々話しかけられたんだ。


ヨタのキャリーを覗きこんで、

あら、目がグリーンなのねー

って言ったのは…アメショのおばさんと柴のおばさんと、どっちのおばさんだったんだろう。


ヨタの目は元々キレイなグリーンで、瞳孔は深い紺色をしていて(でも反射すると透明なグリーンになった)、私はしょっちゅうヨタの目を見てはキレイだなーって思ってたくらいで、自慢のヨタの瞳だったんだ。




本当はそう言いたかったけど、とにかくその時は放っておいてほしくて、適当に「結構歳なんで、そのせいだと思います」とか言ってごまかしたつもりが、会話は続いてしまって。



あら、何歳なの?


18です


あらーーーーすごーーーい!


という展開。




本当に悲しいし怖いしずっとヨタのことだけ考えていたいのに、全然集中できなくてすごく苦痛だった。


なんでみんな放っておいてくれないんだろう。






何度も私の足元の右側にいるキャリーを覗いて、ヨタが大丈夫か確認した。




しばらくして血液検査の結果が出て診察室に入って、数値の説明をされて、そして輸液をした。


この時もヨタは暴れた。


私は二度も痛い思いをさせてしまったんだな。





輸液が終わったらヨタの背中がブヨブヨしてた。



先生から、通常より多めに150cc入れました、と言われた。



明後日、また来て下さい


しばらく輸液を続けていきましょう、とも言われた。







あとどの時だったか覚えてないけど、またヨタのブラッシングが始まってしまったんだっけ。



輸液の後の筈がないから、多分血液検査をした後だったんだと思う。




ヨタは毛繕いしなくなってて、体中にフェルト上の毛玉ができて見栄えも悪くなった。


私なりにブラッシングしたり、酷いものはハサミでカットしたりはしてた。



でも、ヨタが嫌がるのを押さえつけてブラッシングってのに抵抗あって。


なかなかできなかった。



ヨタの背中に大きな毛玉があって、それを助手の(?)女の子がブラッシングして取ってくれた。


だけど、もうあんまり痛い思いはさせたくないんだよなって思ってた。



結構力づくで取る感じだったし、前にそこでブラッシングされた時は最終的に、ヨタの体の毛玉がなくなってフワフワな毛並みになれたけど、ブラッシング中にヨタは痛みに悲鳴をあげて、押さえていた私の指に本気で噛み付いたくらいだったんだ。


だから私は、本当にもう嫌がることはしたくないのにって思ってた。



だけど、ブラッシングしないで下さいと言えなくて、その時も私は変に迎合するような、


そういうブラシって普通に売ってるんですかー?

似たようなの買ってみたんですけどなかなか取れなくてー


みたいなバカみたいな話をしてたと思う。



何で私は心のままの言葉を言えなかったんだろう。



何であんなにヘラヘラしてたんだろう。




思い出してみるけど何かもうよく分からない。









そして、最後に私は先生に質問したんだ。



もう2日間食べてないけど、輸液を続けていけばまた元気になって餌を食べるようになりますか?


って。



先生は、


その可能性もあると思います


みたいな言い方をした。


大丈夫、また元気になりますよ、的な言い方ではなかった。



今はそのニュアンスの違いに気付くけど、その時の私は違和感も感じず、ただただ



そうか、ヨタはまだ大丈夫なんだ!


そっかーまた食べるようになるかもしれないのかーー


良かったなーーー


って思いっきりホッとしてた。



何というか、希望が持てた感じだった。





先生の本音というか、本当の見立てがどうだったのかは分からない。



実際は、ヨタがもう長くないなって分かっていたかもしれないし、本当に輸液を続ければ持ち直すだろうって思っていたかもしれないし。



ただ、取り乱して泣いている飼い主に向かって


かなり危ない状態です


という事を伝えるものなのか、私には分からない。




今思い出してみて、どう言って欲しかったかを考えてみるんだけど、やっぱり自分でも分からない。



危ないなら危ないで知りたかった


希望を持ったことで油断した部分もあったワケだし、もし危ないと知っていたら、私はヨタとの残された時間を大事に過ごせたのに…


って思う反面、


希望を持って、いつも通りの夜を過ごせて良かった


死ぬかもしれない、死ぬかもしれないという恐怖で、泣いて夜を過ごすことにならなくて良かった


不安な気持ちはあれど、きっと大丈夫って希望を持てて良かったんだよ


とも思う。









とにかくその時は、先生からの言葉で私は希望を持てたんだ。








診察を終えてまた待合室に戻った時は、張り詰めていた気持ちもほぐれてて、ヨタに


大丈夫だよ、うちに帰れるからね


って笑顔で話しかけられた。



多分ヨタは、以前かかったヤブ医者での経験から、置いて行かれる恐怖が強くなってしまったと思うから。


だからあれ以来私は、必ずヨタに「一緒に帰れるよ」って言ってあげるようにしてた。




会計を済ませて外に出たら、助手の人が慌てて後を追ってきて、これ使って下さい、来年のカレンダーです、って封筒を渡された。



あの時に渡されたカレンダーは未だに封筒から出せないでいる。











外はもう真っ暗で、そんな中でまたキャリーをプチプチで包んで、そして赤い上着でくるんだ。


今度は気持ちに余裕があったのか、慌てずにしっかりくるむことができた。



「ヨタ、帰ろうねー」って話しかけながらまた自転車にキャリーを積んで走り出した。






この時に私は、


考えてみたら、昔はモトラの後ろにキャリーを積んでしょっちゅう走ってたよなー


なんて思い出してた。




一人暮らしをしていた品川から実家まで(この間調べてみたら片道50キロあった!)、ヨタと何度モトラで往復したんだろうなー


こうして暗い中、ヨタ積んで走るとか何か懐かしいなw


って思って。




ヨタに、何か昔みたいだね、とか話しかけて。




そしてふと、こんな事考えるなんて変だって思った。



何だかまるで最期のシチュエーションっていうか。




ダメだダメだ!!って気持ちを切り替えた。




言われた通り、また明後日、輸液してもらわなきゃな。


って思って。



それは、一日おきに輸液をして経過をみていくんだと思っていたけど。



考えてみたら、その病院はちょっと前に毎週木曜日も休診に変わったらしくて。


ちょうどこの翌日が木曜日だったから、単に休みだからその次に来るように言われただけだったのかなとか。


本当なら、毎日輸液すべき状態だったんじゃないか、とか。


そうしたらヨタはもっと生きられたんじゃないか、とか。



今になって色々気付いて考え込んでしまう。












これから一日おきに通院ってなったらヨタ大丈夫かなー


移動で体に負担かかるよな…


お金もかかるんだなーと、あれこれ考えながら自転車をこいだ。





この日は1万飛んだ。


お金どうしようかなって思った時、真っ先にコレクションしている人形が頭に浮かんだ。


迷う気持ちは全くなくて、よし、人形を全部売ってお金にしよう!!って思った。



いちいちオークションに出品もしてられないし、第一離婚になるからヤフオクのIDだって新規になっちゃったし。


業者に頼んでまとめて引き取ってもらおうって思った。




何か、本当に情けなかった。


可愛い可愛いって集めた人形は、結局ヨタの前では何の価値もなくて。



何の意味もなくて。



ヨタの存在と比べられるものなんて何にもなかった。





夫からの、突然の離婚調停の申立があったせいでノイローゼのようになって、気力もなく眠剤飲んで転がっていた私だったけど。


ヨタの為にあれこれする事を考えてみたらヨタの為ならきっちり動ける自信があった。


ヨタの為ならなんだってできる気がした。



この時はそう思えたんだ。






そして、出来るならもっといっぱい、あれこれヨタの為にしてやりたかった。


もっと大変な思いをしたかった。



今までヨタに散々苦労と迷惑をかけた分、最期くらい私にいっぱい苦労かけて欲しかった。



まさか、この翌日に逝ってしまうなんて。






思いもしなかった。

12月24日(水)


相変わらずヨタは餌を食べなかった。



ネットで、食欲がない高齢猫に何をあげたら食べてくれたかという事を調べたら、生卵の黄身をあげたら舐めたというのがあった。


ヨタは半熟ゆでたまごのとろとろな黄身が大好きだし。


卵なら栄養もありそうだし!


ってんで、急いで卵を割ってヨタに黄身だけあげてみたら、ヨタはちょっと舐めた。


あとコーヒークリームも大好きだからあげてみたらお皿に入れた分は舐めた。



でもやっぱり餌は食べようとしなかった。



水っぽいものをチロチロ舐めて終わり。





とにかく元気がなくて、ソファーの上のいつもの寝床で横になってばかりいた。



妹にも一応連絡した方がいいかなと思って、ヨタがちょっとマズイかもとメールした。



でもこの時は、リアルにヨタの死を想像なんてできてなかった。



きっとまだまだ大丈夫、持ち直すって思ってた。









この日はちょうど大掃除中で、母親から二階の窓拭きをするように言われたから渋々始めた。




後で聞いた話では、私が二階の窓拭きをしていた時に、母親は庭に面した居間の大きな窓ガラスを拭いてて。



コマは脱走癖があるから寝室に閉じ込めたけど、ヨタは大丈夫だからそのままにしていたらしくて。




途中、庭に急に外猫が現れて庭の左から右へものすごい勢いで走って行ったから、母親が何事かと外猫の向かった先を見たら、そこにヨタがいたらしい。




ヨタは母親が窓拭きに没頭している隙をみて脱走したみたいで。



でも不思議な事に、外猫はヨタに近付いても攻撃はせず、追い付く直前でクルッと引き返して来たらしい。





多分、外猫はヨタに何かを感じたんだろうと思う。



そしてヨタはきっと、死に場所を探しに外に出たんだと思う。



母親はビックリして、慌ててヨタを捕まえて家に入れたと言ってた。





その頃のヨタはやたらと外を気にしていたし、多分自分の死期を分かってた気がする。





私はそんな事が起きてる事も知らず、二階の窓拭きをしてた。





だけどどうにもヨタが食べない事が気になって仕方なくて。



とにかくヨタが食べられそうなもの、強制給餌も覚悟してシリンジで与える流動食のようなものを注文しておこうと、いつものお店(ネットショップ)でいっぱい注文した。




そしてショップから連絡が来たらすぐに振り込みが出来るようにメールの確認をこまめにしてスタンバイして待ってた。



結局不安でたまらなくなって、途中で窓拭きとかどうでも良くなってしまって。





PCで『老猫 食べない 瞬膜』とかのワードで色々調べたら、


老猫の場合は脱水症状を起こしてる場合があって危険だから、2日食べられないなら医者に行って輸液すべし


とかあって。



色んな体験談みたいのもいっぱい出ていて、そういうの読んだら益々不安になって心臓もバクバクして涙が止まらなくなった。



もしヨタが夜間に急に体調がおかしくなったら、という場合を考えて、夜間の緊急時に対応してくれる獣医を探したりもした。




とにかく、この時にはもう頭の中は『どうしよう…どうしよう』ってパニクってて。




今のヨタの状態が、すぐ医者に診せるべき緊急の事態なのか分からなかったし、ましてやそんな弱った状態で医者に連れて行ったらヨタに負担になるんじゃないか、とか、グルグル考えて苦しかったのを覚えてる。




そして私はやっぱり大バカで、そんな事をしている間に時間が経ってしまってて。


あ!!!っと時計を見たら振り込みの締め切りの15時を過ぎてしまってた。



慌ててメールの確認をしたらギリギリ間に合う時間にメールを受信していて、パニクってメール確認をしなかった自分に腹が立って仕方なかった。



それからすぐに振り込みはしたけど、入金確認が出来なかったんだから発送ももちろん間に合わなくて。


ものすごく不安になった。



だって父親の時と同じことになったら…って考えが頭をよぎっちゃったんだ。



あの、美味しい介護食(ミキサー食)を作ろうとして色々取り寄せたのに、結局間に合わなかったあの時のこと。


また間に合わなかったら…って怖くなった。






結果から言って、やっぱり私は本当にダメな奴で。


また間に合わせることが出来なかった。



せっかくヨタの為に買った沢山のフードだったのに。



この時に注文したフードは、ヨタが旅立った翌日の26日に届いた。











でもこの時の私はとにかくヨタの状態が心配でそれどころじゃなくて。


ずっと調べものをしていたんだ。




途中で母親が二階に来て、窓拭きほったらかしでPCに向かってる私の姿に呆れて、窓拭きやらないのー!?みたいに言ってた。




あんな元気のないヨタを医者に連れて行くべきか迷ったから、ここで母親に相談した。




母親は私の言葉から、ヨタや私がどういう事態なのか、がやっと分かったみたいだった。






これから年末年始に入るんだし、行くなら今日がいいと思う


あの時行ってれば良かったって後悔しない為にも、とにかく一度診せた方がいいと思うよ


と母親は言った。





きっとどっちにしても後悔はするんだろうというのは思った。



それなら、やらずに後悔するよりやって後悔した方がいいよなって思って、意を決してヨタを病院に連れて行く事にした。





ダウンを着たりあれこれ準備してる最中に、本当に急に深い谷底に落ちて行くような感覚になって、ものすごく不安になった。




ヨタが死んじゃったらどうしよう!!!!!!!


って初めて、すぐそこまで来てるのかもしれない『ヨタの死』を意識して、涙が止まらなくなった。





でも、そんな泣き出した私を見て、そーんなの大丈夫だよー、と母親は笑って、それでちょっと冷静になれた。



そんな、まさか、あんな元気だったヨタがこんな急に死ぬとか、いや、ありえないよね!?



絶対そんなのないよね!?



って自分に何度も言い聞かせた。





母親はキャリーケースを納戸から持って来たりして準備を手伝ってくれた。




寒さ対策でキャリーケースの側面をプチプチでぐるり包んで、更にその上から私の赤い上着でくるんだんだ。



ヨタを抱っこして中に入れようとしたら、やっぱりキャリーケースを見た瞬間に嫌がって逃げようとした。




だけどいくら嫌がっても全然力がない感じで、そんなところも悲しかった。



若い頃はあまりに暴れるから、よく洗濯ネットのお世話にもなったくらいで。



なのに、思うように抵抗も出来なくなっちゃったんだ…って悲しかった。





とにかく、


ヨタが死んじゃうかも知れない!


ヨタが死んじゃうかも知れない!


って不安でいっぱいで怖くてたまらなくて。



私はすっかり慌ててた。




キャリーケースの中は、元々敷いてある敷物の他にペラペラなタオルくらいしか入れてなくて。


いつもなら寒い季節にはフリースも必ず入れてあげるのに、この時は全然頭がまわらなかった。



とにかく早く!早く行かなきゃ!と焦ってた。



早くしないとヨタが死んじゃう!って焦ってた。






この日はちょうどクリスマスイブで、夕飯はスーパーでお寿司を買っちゃおう、なんて昼間母親と話してたんだけど、うちを出る直前に急に母親から、これからお寿司を買いに行くのは面倒だから、夜はお寿司じゃなくていいかと聞かれた。


出来ればヨタにお寿司を食べさせてあげたいんだけどな…って思いながら、仕方ないのかなって思って『いいよ』って答えてうちを出た。




うちを出る時、玄関でスニーカーをはくのももどかしくて、寒いのにクロックスをつっかけて出かけた。



もう夕方で外は薄暗くて、そして寒くて。



おまけに自転車の後ろのかごにキャリーケースを入れたんだけど、プチプチや上着でくるんだからいつもよりサイズが大きくなってて、キャリーケースが斜めにしか入らなくて。



でももたもたしてられないからその斜めの状態のままで出発した。



フリースもないしキャリーケースは斜めだし、ヨタは寒くてしんどかったと思う。



本当に可哀想な事した。



私が車の免許を持っていたら、あんな寒い思いさせないで済んだのに。





自転車で病院に向かう間、ヨタはいつもみたいに鳴いてた。


でも声には張りもなくて、普通に優しい声で鳴くだけだった。


昔は周りの人が振り返るくらいの声で「アオンアオン」鳴いて恥ずかしいくらいだったのにな。




途中、高圧線の下辺りでキャリーケースの外側を巻いていた上着がはだけちゃったから、自転車を止めてやり直してみたんだけど焦ってたせいかうまく直せなかった。


だから後ろ手で片手で抑えながら、ヨタに声をかけながら自転車をこいだ。




病院に着いたら待合室には2~3人待ってる人がいた。



私はとにかく不安で不安で、待ってる間も涙が出てしまって、ハンカチで何度も涙を拭いてた。




今日はクリスマスイブなのに、なんでこんな事が起きてるんだろうって、何か本当に信じられなかった。




そんな状況なのに、隣にいたおばさん(よく太ったアメショを連れてた)は私にどうでもいいことをぺらぺら話して来た。



私は動物病院ではいつもキャリーケースを椅子には置かないようにしてるんだ。



いつも床か膝の上。



その時も床の端の方にヨタのキャリーケースを置いてたんだけど、何度も覗かれて(上から見えるタイプのキャリーだったから)話しかけられて。



本っ当にうるさかった。



お願いだから空気読んでくれ!!


頼むから放っておいてくれよ!!



って腹の中で叫びながら、私はバカみたいにニコニコ受け答えしてた。



私は本当にバカだった。

メインのブログにアップした、ヨタとの最期の数日をこっちにもアップしようと思う。


アップしたのは2月中旬。



でも、最期の最期が記憶とどうにも向き合えず、未だ未完成。




12月19日(金)


翌日、着払いで届く荷物(gu)があったから、お金をおろしに行った。


その帰りにサンクスでデザート(クリームチーズスフレ)と姪っ子用のお菓子を買った。


夜にそのデザートを食べた時、クレクレうるさいヨタにクリームっぽい部分をあげた。


指ですくって舐めさせて、指3本分あげたかな?


2本分だったかも知れない。




12月20日(土)



午後に姪っ子を預かった。


途中で『gu』のネットショップで注文した服が届いて、姪っ子に買ってあげたピンクのパーカーをすぐに手渡せた。


姪っ子が喜んでくれて良かった。


この日のヨタとの記憶があまりない。


ヨタ、ごめん。




12月21日(日)


母親と妹と姪っ子とで夕方くらいに西松屋に買い物に行った。


西松屋からは直で家に帰ったからそんなに時間はかからなかった筈。


妹と姪っ子も帰りに寄ってったけど、買った洋服の値札を取った事くらいしか記憶にない。


どんな事を喋ったのかな。



ヨタは夜、いつものように一緒にお風呂に入って来て、シャワーの水をよく飲んだ。


最近時々むせる事があったから、毎回ヒヤヒヤしてた(この日むせたかどうかは覚えてない)。



いつもペロペロお湯を飲むヨタを、そこでじっくり観察してた。


ヨタはもう毛繕い出来てなかったし、だから餌のカスが毛にこびりついてないかのチェックとか。


あとはひたすら、ヨタって本当に可愛いなー///ってヨタに惚れ惚れしてた。


水を飲んでる時にちらちら見える小さい前歯がきちんと並んでるのとか、本当に可愛かった。


あと耳の先の毛を、濡れた指で触ってクセをつけるのが好きだった。




それからお風呂場からヨタを出して湯船に浸かって扉を見たら、ヨタが洗面所側から扉に顔を近付けて爪でカリカリ引っ掻く姿を見た(ちょっと鳴いたかも)。



それもとても可愛かった。


ハチワレの黒と鼻のピンクがぼんやり映って本当に可愛いんだ。



結局、ヨタはすぐに諦めて離れて行ったから扉を開けなかったんだけど、この時に

最期になるならあの時開けてあげてれば良かった…

って後悔する事になったらヤダなって思った。


これはむしの知らせだったのかな。


でも私は常にこういう事を意識する『思い癖』みたいなものが元々あると思う。


特に、お風呂場からヨタを先に出す時なんかは、ヨタの後ろ姿を見送ってから扉を閉める行為を『ヨタを看取る』ってきっとこういう事なんだろうなってよく考えてた。


違う世界に行くのを見送るというか、その境がお風呂場の扉で『私』がちゃんと閉めなきゃならないんだろなぁって。


私は常にそういう事を意識してた。




お風呂から出たら、ヨタが洗面所の床で飲んだ水を全部吐いたらしく、足拭きマットにまで吐いた水が広がって濡れてた。


消化しかけた餌も混じっていたけどほぼ水だった。


かなりの量だった。



ヨタは滅多に吐かない猫だからどうしたんだろうって思った。


吐いたのが扉をカリカリする前だったのか、後だったのか分からない。


多分、これがヨタの変調の始まりだったんだと思う。




12月22日(月)


お昼くらいに下に降りたら妹が遊びに来ててビックリした。


妹が買って来たお団子を一本もらって食べた。


妹はつわりが酷くなって来たみたいで体調が悪そうだった。


私は10日くらい前からの風邪(咳とくしゃみ鼻水)の治りが悪いから、午後はまた病院に行った。


診察室で熱を計ったら、耳で計るタイプの体温計で37.8℃とか出ちゃって、鼻の奥まで突っ込むあのインフルエンザの検査をされて散々だった。


しかも我慢して突っ込んだワリにインフルエンザじゃなかった。



眠剤をひと月分もらえたのがありがたかった。


帰りに買い物をして帰ろうとしたら、トマト鍋の素が売り場にあった。


一度帰って母親に言ったら、あったなら買って来て欲しかったと言われたから、またトマト鍋を買いに行った。


一度脱いだダウンをまた着た時にヨタが私を見てたのを覚えてる。




帰り道、商店街のシンプルなイルミネーションがキレイで写真を撮った。






これがその時に撮ったもの。


そんな事せずさっさと帰ってヨタとの時間を大切にすれば良かった…。


こういう後悔ばっかりだ。




この日は冬至でゆず湯だった。


ヨタはいつも通り一緒にお風呂に入って来て、シャワーの水を飲んだ。


それから私は、湯船に浸かりながら浴槽に浮かぶゆずを手にとって、ヨタに


『チラッ?…チラッッ?w』


とか言いながらゆずを見せたりして遊んだ。



ヨタはきちんとお座りして、私が浴槽の右から出したり左から出したりするゆずをゆっくり目で追ってた。


それからお風呂場から出て行った(出したかも)。



長引いていた風邪のせいで、この日はゆず湯に浸かるだけで済ませたかも知れない。


前日に大量に吐いたから心配したけど、この日は吐く事はなかった。




12月23日(火)



朝いちに母親から『ヨタが餌を食べないよ』と言われて嫌な予感がした。


とっかえひっかえ缶詰めを開けたら、食べたそうな表情はしてて、だけどいざあげると食べ方が分からないみたいな変な状態だった。


母親が買物に行って、ヨタの為にアイシアの『15歳からの健康缶』を4つ買って来てくれた。


開けたら白っぽい中身のやつを割と食べたけど、それでもやっぱりいつもとは違ってた。



1缶食べ切れたかな…あまり覚えてない。


2つ目に開けた赤っぽい中身のやつは、匂いを嗅いだだけでダメだった。




やたら外を気にし出したのがこの日からだったかな…。

(もしかしたら翌日の24日だったかもしれない)



庭に面した窓から、レースのカーテンも自力ではうまくめくれない状態なのに、ただ顔を窓に寄せて懸命に外を見ていた。


ヨタは外にあまり興味のない猫で、出たがることも全くなかった。


なのに何で急に外ばっか見るようになってるんだろうって不思議だった。




この日、ヨタはシャワーのお湯を飲んだ後に目の前で吐いた。


まただ…って不安だった。



この日はあまり量を飲まなかった気がする。


シャワーのお湯を舐めてる時に、変に瞬膜が出てるのが気になった。



確かヨタと瞬きの会話をした。



私がヨタの目の前で、ヨタに対してゆーっくり瞬きをしてみせると、今度は私を見つめてたヨタが私に対してゆーっくり瞬きをする会話。


瞬膜出てたし、ヨタの左目はやけに奥まっててうるうるしてたし、やっぱり何か変だった。

ヨタが旅立ってから、私はただの一度もヨタの夢をみない。



夢でいいから会いたいって思っているのに、ヨタが夢に出て来てくれないんだ。




元夫から『それはヨタが私を心配してないからだ』と言われた時はものすごく傷付いたし、もしかしたらそういう事なのかな…って落ち込んだけど、今はそれは違うって思える。



それもヨタの意志な気がしてる。




ヨタがいなくなって、もう4ヶ月も経ってしまって、それなのに私はまだ毎日毎日泣いている。


毎日『ねえヨタ、ねえヨタってば…』って、何度もヨタに話しかけてる。



私がいつまで経ってもこんなだから。



だから多分、ヨタはまだ夢に出て来てくれないんだ、って思うようになって来た。




私のこの不安定さが薄らいだ頃に、ヨタはひょっこり顔を出してくれるんじゃないかって思う。






ヨタと出会ってから、私はヨタの夢をよくみていた。




それはいつも同じような夢だった。



ヨタがいなくなる夢。



ヨタが死ぬ夢。



そんな夢ばかりみた。




私は昔の恋人を自死という形で亡くした。



しかもそれをしばらくまわりに隠されていた。



だから、知らない間に恋人が死んでしまってた。




それが恐らくトラウマになってしまったんだと思う。



現実でも私は、夜、足元で丸くなって寝ているヨタが、知らない間に死んでしまったかも知れない!と怖くなって、飛び起きてヨタに触れて、生きているか確認する事を何度も繰り返した。




それはつい最近まで続いてた。



夜中にそっと階段を降りて、ヨタの寝床まで見に行ったりしてたんだ。




現実でもそんなだったから、夢もやっぱりそんな夢ばかりで。




ヨタを入れたキャリーケースを手に、知らない街を歩いていて、道に迷って。



ふと気付くとキャリーケースが無くなってて。



パニクって半泣きになって探し回る夢。



地球最期の日に、別の星に集団脱出するという映画みたいな設定で、一緒に宇宙船に乗った筈のヨタが、出発直前にプラットフォームにそのヨタの入ったキャリーケースだけが置き去りになってた夢。


出発した宇宙船はもう止められなくて。



窓の外で、キャリーケースの中から私をみつめるヨタが、どんどんどんどん離れて小さくなっていくのを、私は窓をバンバン叩いて、泣きながらヨタの名前を叫んでた。



他にも、地震に驚いて逃げ回るヨタを追いかけて、窓から落ちたヨタを追って私も落ちる夢(でもこれは落ちた先でちゃんと捕まえられた)。



ヨタが目の前で弱って死んでしまう夢。



ヨタが誰かに殺される夢。



元夫に目の前でヨタをベランダから投げ落とされる夢。







そんな夢ばかり。




だから私は毎回、必ず息荒く(酷い時には悲鳴をあげたり)泣きながら目を覚まして、そして夢で良かったと安堵していた。






だけど、最期にみた夢だけは違ってたんだ。




それは忘れもしない。



ヨタが旅立つ2~3週間前くらいにみた夢だった。




私はただヨタを見つめてて、ヨタも私を見つめてて、それは現実と一緒で老いた可愛いヨタで。



そのヨタの顔を見ながら私は、



あぁ私はこんな可愛いやつに出会えて、本当に本当に幸せだなー


って思ってた。



ヨタも嬉しそうに目をつむってみせて。



ただそれだけの、幸せでゆったりした時間の優しい夢だった。




そんな夢、初めてだった。




目が覚めた時、本当に安らかで、とても幸せだったのを覚えてる。





あの夢はきっと、最期にヨタがみせてくれた夢だったんだと思うんだ。




もういなくならないから大丈夫、ってね。



ずーっと一緒だから大丈夫だよ、ってね。




それが伝えたくて、ヨタがみせてくれた夢だったんだと思う。




それは本当に優しい気持ちだけが込められた、素晴らしい夢だったんだ。




またいつか、ヨタは夢に現れてくれるかな。




そろそろいいかなーって思ったら、ヨタ、また会いに来てよね。



私はいつまでも待ってるからさ。







離婚調停が終わった。



やっとあの男と縁が切れる。



『それだけ』は嬉しくて仕方ない。




でもまあ詳しくはまた後日…。








唯一の心の支えだったヨタを失って、お先真っ暗状態で調停に挑まねばならなかったのはかなりツラかった。



そんな調停時に私を支えてくれたもの。










自分で描いたヨタ(ヘタだけどさ)と、偶然にも前日届いたお揃いマグちゃん。





ホントにホントにありがとう。




なかなかいい写真が撮れなくて何度も撮り直しになっちゃったw




アナタ達のおかげで私は頑張れました。




結果的に、慰謝料の金額の面など考えると私は負けたワケだけど。




でも応援してくれたことは涙が出るくらい嬉しかった。




本当にありがとう。

ちょっと手直ししてみたよ。








遠目で見てもヨタっぽくなって



ちょっと嬉しい(´∀`)



でもまだ完成!!って思えないぃぃぃぃ(´;ω;`)





はあ。



ヨタに会いたいなぁ。

昨日の夜に急に思い立って、ヨタの絵を描いてみた。





本当はヨタが旅立って5日目くらいに一度描こうとしたんだけど、色々あってタイミングを逃した感じで、以来描けなかった。



画材は昔使っていたものがあったから、戸棚の奥から引っ張り出して用意してあったのに、結局そのまま部屋に積んであって。



ずっとそのままだった。





それが昨日の夜にいきなりスイッチが入った。





積んであったパステルを握り締めて、1月の雨の日に買ったばかりの新しいスケッチブックを開いて。




ヨタを描いてみた。





20分くらい夢中でガーッと描いた。



ソフトパステルだったから手が真っ黒になった。




一応大体の形は描けたんだけど。









…何か変w




パッと見、


あぁヨタっぽい表情だな…w



って思うんだけど、遠目で見ると全っ然違うw





これから少しずつ手直ししていく予定だけど、こういうのってこれはこれで出来上がり!ってして、新たにまた描き直した方がいいのかな?




よく分からないけど、とにかくやっとヨタを描く事が出来た。




ヘタクソだけどやっと向き合えた気がした。





もう絵を描く感覚みたいなものをすっかり忘れてて、一体いつから描いてないのか考えてみたら、確か最後にちゃんと絵を描いたのって一人暮らししてた時だったのを思い出した。




まだメーカーに勤めてた頃で、それのデザイン画みたいなものを描いたんだった。



確か水彩で。





だからパステルなんて使ったのは専門以来。





…もう20年近いんだな。






ヨタ喜んでるかな。



何かヨタはさ、絵を描く私の姿なんてあまり見た事はなかったと思うんだけど、でも何か。




ヨタはきっと、


また何か創ってみてよ


って言ってる気がするんだよね。





気がするだけ、だけどねw




でもヨタはあの苦しかった日々の中で一番身近にいたから、私がどれだけのあみぐるみを苦しみの中で作って来たのかも知ってる。



それが私にとっての吐き出す作業だった事も知ってる。



私の中のモヤモヤとか苦しみを一番分かってくれてた気がしちゃうんだ。





夫との暮らしで、表現する楽しさみたいなものを忘れちゃった感じで、今でもまだ取り戻せてはいないけど。



また少しずつ何かを創る事が出来たらいいなって思った。

昔の私は本をよく読んでいた。




色んな事があって、本を読む気分になれなくて。



頑張って読んでみても内容が頭に入らなくて。



結局今となっては全く読めてない状態だけど…。



でも、一時は図書館に通って借りられる限界の冊数を借りて読んでたんだ。



そして、そんな本の中で心に残った部分を携帯にメモって保存していた。






それはものすごい量になって。



そして、携帯の機種変の時にはいつもSDカードに保存してた。



でも結局、そのSDカードを無くしてしまったせいで全部失ってしまったんだけど。



それがこの間少し出て来たんだ。




その中で、今ものすごく胸に響くものがあった。




私の大好きな作家の重松清の『送り火』という作品の中の一節。








あんたがこれからひとりぼっちのままでも、そうじゃなくなっても、忘れちゃだめだよ、シロは、あんたがひとりぼっちのときに、他の誰よりもそばにいてくれたんだからね。










これを読んだ時、まるでヨタの事を言われた気がしたんだ。



だから忘れないようにメモったんだって事を思い出した。




この一節はあの頃以上に胸に響く。





深く響く。





忘れるなんて絶対にないけどね。







それでも、涙を流さずに1日を終える日がいつの日か来てしまうのかな。




私はヨタがいない事に慣れたくない。




今の私にヨタは何て言うんだろう。




よく、泣いてたら安心してあっちの世界に行けないから泣いたらダメだよ、なんて言葉を目にするけど。




ヨタは私がとんでもなく泣き虫なのを知ってたから、きっと分かってくれる気がする。




全く…本当に世話が焼ける飼い主だなぁなんて思われて。



そして、そんな風に思いながらもやっぱり側で見守っててくれる気がするんだ。














そんな風に考えるなんて。




私はやっぱりダメな飼い主だな。