お風呂を出てから、ヨタはちょっと元気になった感じだった。
私が歯を磨いてる間、換気扇が回ってるお風呂場に何度も行って、やたらと大きな声で鳴いてた。
うあーん!みたいな変な鳴き方だった。
うあーーーっ!!
の後に
(小声で)ニャー…
とか。
本当におかしな鳴き方をしてた。
後になって、あれはヨタが神様にお願いしていたんじゃないか、なんて思ったりもした。
もう一日だけ生かせて下さーーい!お願いしまーす!みたいに。
ヨタはそれまでにも多分かなり神様に無理を言って寿命を延長しまくってて。
その分きっとしんどかったろうけど、頑張って私の側にいてくれたんだと思う。
晩年のヨタを考えてみると、本当に頑張ってたなって思うんだ。
ヨタは諦めずにいつも頑張ってた。
カッコイイ老猫だった。
それから私は録ってあったドラマか何か見たのかな。
それともすぐに自分の部屋に行ったのかな。
覚えてない。
でも、お風呂場で鳴くヨタの声を聞いたら、私は何か安心しちゃったんだ。
大丈夫だ、ヨタはまだあんなに力強く鳴ける、だから大丈夫だ、って安心してしまった。
そして二階の自分の部屋に行こうとしたら、珍しくヨタが一緒に着いて来た。
(あぁ、ヨタ、その前にトイレに行ってたな)
ヨタは大体、夜中にお腹がすくと二階に上がって私を待ったから、このタイミングで一緒に行きたがるのは珍しかったんだ。
この時に抱っこして階段を上がったのか、ヨタを歩かせたのか、それも記憶にない。
ヨタの状態を考えれば抱っこした筈なんだけど。
でもしっかり覚えてないんだ。
だから多分、でしかない。
そしてこの後のことも順番とかはめちゃくちゃだと思う。
あれから二ヶ月が過ぎて、その間に忘れてしまったこと、あやふやになってしまったことがある。
だけど、本当に向き合えなかったんだ。
思い出すのがツラかった。
今だってツライ。
思い出して書き出すと、涙ボロボロ出て来て、PCの前で泣きながら文字を打ってる。
今も泣いてる。
特に旅立ったクリスマスの日に向き合うのがとても怖い。
あの日のことがツライ。
だけど、いい加減ちゃんと向き合わないと、こうしてどんどん忘れていってしまう気がして思い出す以上に怖くなった。
だからツライけど向き合ってる。
でも。
ちょっと遅かったのかな。
私は眠剤を飲むようになってから、寝る前にはその為のコップ一杯の麦茶を手に階段を上がるようになってた。
この時、ヨタと共に階段を上がってからコップを忘れた!って気付いたんだ。
階段の下辺りまで持って来てたのに置いて来ちゃって。
だから慌ててコップを取りに戻った。
もしかしたらヨタを抱っこしたまま、だったかも知れない。
二階は私の部屋と妹の部屋と二つあって、私は寝る時は妹の部屋のベッドを使わせてもらってる。
その時に開け放してあった妹の部屋にヨタはちょっと入ったっけ。
そうだ、それで久し振りに入ったなって思ってるかな、とか、部屋汚ねーなとか思ってるかな、って私は思ったんだった。
それからここも何でそうしたのかよく分からないんだけど。
ヨタの場所を作ってやらなきゃ、って思ったんだ。
私の部屋にあった小型のペット用ホットカーペットを、階段を上がりきったスペースに設置した。
ヨタは夜中に二階に来ると、そこか私の部屋のホットカーペットの上で過ごしてたから。
私の部屋は、11月の末辺りに大掃除をやりかけたままで。
結局、夫からのあの申立書の内容にガツンとやられて大掃除が途中で止まっちゃってた。
だから、いつもヨタがくつろいでいたホットカーペットがあったスペースにもホットカーペットはなくて、衣装ケースが積み上げてあるような状態だった。
ホットカーペットの位置を部屋の奥に変えちゃってたんだ。
だから分かりやすいように、階段を上がったスペースに慌てて設置した。
私はあくまでも『ヨタが居たいところ』をいつも優先して来た。
本当は自分が寂しい時なんかは捕まえてビッタリ側に居させたいって思う時もあったりしたけど、あくまでもヨタのペースを優先してた。
だからいつものようにそんな場所を作ってしまったんだけど。
何でこの時くらい、それこそ捕まえて部屋に連れてきて一緒に寝ようとしなかったのか、何でそう思わなかったのか情けなくなる。
まさか、この翌日、ヨタが逝ってしまうとは思いもしなかったから、仕方ないといえば仕方ないんだけど。
でも、もうその日が近いことは分かってた筈だったのにな…。
こういう全てが、ヨタに対して申し訳なかったなって感じる。
ヨタがあと少しでゴールするって大事な時期に、色んな『今までと違うこと』ばかりだった。
ヨタは何故か妹の部屋にはあまり入らなくて、夜中に私を待つ場所も、階段を上がりきったところのスペースか私の部屋だった。
もしかしたらドアが開けにくかったから、とか理由があったのかも知れないけど。
…あぁ、そうかも。
ヨタは戸を開けようとする時はいつも右手を出した。
左手でやらなきゃ開けられない引き戸でも右手が出ちゃってた。
私の部屋のドアは右手で開けられる作り。
妹の部屋のドアは左手で開けられる作りだったんだ。
だからだったのかも知れないな。
10月の中頃にあった夫からの電話で、早く離婚を進めろとか、慰謝料の額を提示しろとか、離婚調停の申し立てをされたりして。
だからその10月の中頃からずっと、私は部屋のドアをきっちり閉めて寝てしまってた。
いつもは、ヨタが入りたい時に入れるようにドアは軽く開けておいたのに。
ヨタの腕の力が少しづつ落ちていってることに気付いてからは、ヨタの為にドアが開けやすいよう、間にスリッパを挟んでドアが閉まらないようにもしてたんだ。
ちょっと爪を引っかければドアが開けられるようにしてた。
それなのに、夫からのあの電話があってから寝る時にはドアをきっちり閉めるようになってしまった。
頭にあったのは、とにかく何にも邪魔されずに何にも考えずに眠りたい。
ただそれだけだった。
ヨタが旅立つ直前のこの夜までほぼ二ヶ月。
私は大事なヨタを拒絶して。
そして毎晩薬を飲んで眠った。
二階には来られるようにしておいたけど。
肝心の私が寝ていた部屋のドアは閉めちゃってたんだ。
これが一番後悔してること。
だってそんな風にヨタを拒絶するとか、これまでしたことがなかったんだ。
なのによりによって何であんなに大切な日々に拒絶してしまったんだろうって。
そして何でヨタのくつろぐ場所を壊しちゃってたんだろうって。
そこを考えると胸が痛くなる。
話が逸れちゃったな。
あのヨタと過ごせた最期の夜、ヨタが寒くないようにとホットカーペットをバタバタ移動させて。
その間ヨタは階段を上がったいつもの場所にお座りをして私を見てた。
ちょっと待ってね!!ってヨタに言いながら私は用意したんだ。
だけど、ホットカーペットを設置してコンセントを入れて、よし!!って時には、ヨタは下に降りてしまってて。
階段の下からまたさっきみたいな鳴き声がしてた。
ヨタ変なの~w
なんて思って、私はヨタが二階に来てもすぐ気が付いて入って来られるように、ドアが閉まらないようスリッパを挟んでおいた。
だけどそれきりヨタは二階に来なかったと思う。
二階は寒いし、下(居間)で寝る方があったかいから、その方がいいかなって思った。
そして、この日も私は習慣のように薬を飲んで寝てしまった。
こんな日にもね。
私は本っ当にどうしようもなくクソだった。