2013年10月にこのマンガを知った。



ペン太のこと


↑涙腺崩壊注意!!!↑



共に過ごす命にも、いつか必ずやってくる最期のとき。



当時の私はこれを読んで、呼吸困難になるくらい大号泣した。




そして、ヨタとの別れもいつかやってくるんだと、それが怖くてたまらなかったのを覚えてる。




あれから1年ちょっとでヨタも旅立ってしまった。



最期、ふらふらになってたヨタの姿を見ながら私は「ペン太のこと」を思い出してた。



あのマンガを見て、鼻水垂らして号泣して、ヨタもいつか死んじゃうんだ…って考えたのは、ついこの間だったのにって。



なんでこんなに早くその日が来ちゃったんだろうって。




「いつか迎えるその日」ではなくて。



「いつその日が来ても悔いのないように」って出来たら良かった。










↓こちらは最新↓


ペン太のこと(最新)




ペン太のこと(1) (イブニングKC)/片倉 真二

¥864
Amazon.co.jp

自分が昔やっていたHPを見てみたらまだ残ってた。



とっくになくなってると思ってた。




懐かしくてあちこち見てたら、猫達のプロフィールのページがあった。




最終的にさっき、名前(HN)の部分を直したから今日の日付の編集になっちゃったけど。




確かこれ作ったのって2008年の夏くらいだったと思う。




だから内容も当時のまま。




当時は猫の名前を常に伏せてたから、変な表し方になってたんだけど、もうそういうのやめた。




ヨタ


あぐ


すみ


むぎ


ふく


くら





クリスマスにヨタが旅立って、そしてこれから始まる離婚調停でDV夫との離婚が成立したら、残りの猫達ともお別れになる。






DV夫との別れには、悲しさもつらさも全くないけど。






猫達との別れは本当に悲しいしつらい。









待っているのは別ればかりだ。





ヨタが旅立ってあと少しでひと月。





毎日泣いてるし、とっても苦しい。




だけど全然あの日と向き合えてない。




時間が止まったままだ。






子猫のころのヨタ(96年10月撮影)






晩年のヨタ(去年の5月に撮影)





まだ、自分の部屋にいてボーッとしていると、



そろそろヨタがお腹すかせてるな



下行って餌あげなきゃ



って考えてしまう。




ヨタにまた触りたい。



ヨタを抱っこしたい。




また会いたいよ。




ヨタが死んだのなら一緒に死んでしまいたいって本気で思う。




私は昔、恋人の自殺から鬱病になって、そんな時にヨタを拾って。



苦しみの中をヨタと共に生きた。



ヨタは私がどれだけ苦しんで過ごしたか知ってくれてた。



私がどれだけ泣き虫かもよく分かってたと思う。



ヨタは、あの苦しかった地獄の日々の全てを見て、そして背中を私の涙で濡らしながら側にいてくれた。



ヨタの存在に何度も救われた。



それなのに、私はあの時ヨタを裏切って死のうとした。



レスキューの人達が部屋に上がり込んで来た時、ヨタが懐中電灯で照らされる中を怯えてあちこち逃げ回ってた。




それを見てヨタを裏切ったんだと思った。




それから私は、



絶対に死のうとしない!
どんなにつらくても死のうとしない!
もうヨタを裏切らない!
ヨタをちゃんと看取るんだ!




この気持ちだけで生きて来た。



いつの日か、年老いたヨタを看取るその時に、絶対に『私のとこに来てくれてありがとう』って言わなきゃ!って。




それだけで生きて来た。




DV旦那との暮らしで何度も死にたくなった。



でもいつもヨタが気付いて止めてくれた。



その度に、そうだ、私はお前を看取る役目があるもんねって反省した。











実際にヨタを看取って。




ヨタに『ありがとう』も伝えられた。



もう役目が終わったんだなって思った。






そしてやっぱりヨタのいない現実が受け入れられないんだ。













だけど。



ああして苦しみながらもギリギリまで『生きろ』って事をヨタは一生懸命伝えようとしてたのかも知れない。



そんな風にも思うんだ。




今朝調べてみたら、猫が死の間際に口呼吸をするのはかなり苦しい状態、とあって。



ものすごいショックだった。





ハッハッと2時間以上ヨタは口呼吸をしてもがいていた。



安楽死すべきだったのかって今更悔やむ。





そんなに苦しい中で一生懸命。



もう腰が立たないのに、それでもヨロヨロとトイレに入って。



中でバタンと横になって、その姿勢のままで長い長いオシッコをした。



ホントにえらかった。



息を引き取る寸前まで、私の呼びかけに尻尾で応え、猫握手もしてくれた。



苦しそうだったけど応えてくれた。




だから何かどんなに今がキツくても、



生きなきゃダメだよね、ヨタ



って思う。






思うけど。



本当にツライよ。




だってヨタがいないんだ。



ヨタを見る習慣は生活の至る所にあって。



朝起きてから夜寝るまで何度も何度も。



居間のドアを開けたら待ってましたって感じですぐにソファーの寝床から起きて来た。



最近は気付かない事もあったりして、私がヨタのとこに行って頭を撫でて。



そしたら必ず『ん~?』って鳴いた。



晩年は本当に『ニャー』ってより『ん~?』って鳴いてた。




洗面所で顔洗ってれば足元でお座りして待ってたな…とか。



何故か洗面台と私の間を通って、私の右足のスリッパを踏んで行くんだ。



それが何だかいつもおかしかった。




キッチンに行けば『餌餌餌ーっ!!!!』って嬉しそうについてまわってた。



好き嫌いなく何でも食べてくれたよな。



晩年は『15歳からのねこまんま』が大好きだった。



本当に大好きだった。






うちの猫トイレは洗面所にあったんだけど、いっつもトイレ行って居間に戻ってくる時に、洗面所と居間の間の引き戸のとこで、



ぬっと上半身だけ出してピタッととまって。



私をキョトンとした目で凝視して(亡き父曰わく『鳩が豆鉄砲くらったような顔』)。




それが『Eテレ』の『みいつけた』に出て来るキャラクター。


『オフロスキー』の『呼んだっ?』にすごい似てておかしくて。



毎回毎回、そのヨタの仕草で『呼んだっ?』ってアテレコしたりして遊んだっけ。








みんなついこの間まで存在してた当たり前の風景だったのに。





こういう事考えてるとすごく気持ちが落ち着く。



でもフッと現実に引き戻される。





そして、



もういないんだ…



って気付く。












たまらなく寂しい。









まだヨタが調子悪くなる前に、たまたま夜にテレビで、難病を乗り越えてフィギュアスケーターになった女の子の事をやっていたのを見た。




そして、その女の子のある言葉が胸にズドンと響いた。




『私には大事な過去がある』。





それ聞いて涙がとまらなくなった。





私にとって過去はツライものだ。



だけど、ツライけど確かに大事じゃんって思えた。




ヨタと私だけの記憶は、今では私だけが知ってるんだ。





私が守ってあげなきゃダメだよね。









あと少ししたら火葬の為、出発する。



私と母親と、妹一家(4歳の姪っ子も)で、みんなで立ち会い火葬をする。




ヨタの身体が無くなるんだ。




考えると気が狂いそうだ。






だけど、ちゃんと見なきゃ。




それがヨタとの最期の思い出だ。




一人暮らしの頃に編んだ『ヨタあみぐるみ』と共に




現在のあみぐるみ

だいぶ黄ばんだ(でも口元がちゃんとした)




後ろ姿は我ながら素晴らしいと思うw

そこに寝ててくれるような気がする


姪っ子がお昼寝するとよく側で寝てた

ヨタは姪っ子に優しかったな

ヨタが死んだ。



星になったとか眠りについたとか、そんなことじゃなくて。



本当に長い時間苦しんであえいで、最期はふっと心臓の鼓動をとめて逝ってしまった。



ただヨタを見て触れて、声をかけるしかできない自分が情けなくてたまらなかった。



そして、ヨタが苦しんだことがとてもつらかった。




もうヨタのいない毎日になる。



毎朝、起きたらすぐにヨタを撫でてた。



良かった、また今日も会えたね、って嬉しかったし、会えたことに感謝してた。





明日からはもう会えない。


私を見て嬉しそうに鳴くこともない。


私の後をついてまわることもない。




信じられない。



こんな現実を、どう捉えたらいいんだろう。



何でこんな急にヨタが奪われちゃったんだろう。



神様、何でだよ。




なにもかもが、とっても可愛い存在だった。






ヨタ、あの日私のもとにきてくれてありがとう。



いっぱい愛をくれてありがとう。



こんな私を信じてくれてありがとう。



できることなら、もっともっと一緒にいたかったな・・・。





最期に交わした『猫握手』

この写真のヨタは生きてます(念の為)

ヨタの命がもうすぐ尽きます。


もう3日絶食状態。



あんなに食い意地のはった猫だったのに。


食べることだけが唯一の楽しみだった猫なのに。



何をあげてもぷいっと顔を背けて食べてくれない。



昨日の夕方に、ヨタには負担になるかと思ったけど医者に連れて行った。


血液検査して、150cc輸液して。



痛い思いをさせてしまった。




輸液の時なんて、どこにこんな力がってビックリするくらいの力でもがいて暴れて。



ヨタに訴えるような眼差しを向けられて、私は余計なことをしたのかなって思った。



今日も何も食べてくれない。


昨日の夜に、お刺身を少しだけ食べてくれたけど、それきり水分もあまりとろうとしない。



ネットで色んなメーカーのペースト状の餌を注文したんだけどな。



強制給餌も覚悟して、シリンジなんかは用意してあったんだけど。



どうなのかなって思う。



無理やり食べさせたら少しは生きながらえると思う。



だけど、嫌がるヨタを押さえつけて口の中に餌を流し込むことが、正しいんだろうかって思う。



このまま静かに最期を迎えてやるのがいいのかも知れない。




昨日の夜はさ、お風呂にずっといてくれたんだ。


朦朧としてたかもしれないけど、お風呂のふたの上で昔みたいに待っててくれた。



こらえ切れず下を向いて泣いたら、側に寄ってきて左手をあげて『おいおい』ってする仕草をした。


それ、何か言いたいことがある時にやる仕草で、まあ大体が『餌くれよ』だったけどw


その仕草を見てまた泣いた。





これから、いつ『その時』が来るのか。


はっきり言って準備なんかできないしとても怖い。



本当に怖い。



18年ずっと一緒だったんだ。



共に生きてきたんだ。



私の支えだったんだ。



怖くてたまらない。






ベロをしまい忘れてたヨタに大笑いしながら撮った1枚

日付を見たら11月あたまだった

何か本当にしんどい。



離婚となったらあの5匹の猫達はみんな鬼に奪われて、私はもう二度と猫達に会えなくなる。



みんな子供みたいに可愛がってた猫達なのに。



みんな捨て猫(拾われ猫)で、子猫の時から面倒みて来た。



何で私だけがみんなと会えなくなるんだろう。



何で私ばかりが諦めなきゃならないんだろう。



猫が原因で鬼から殴られたり、煙草で火傷させられたりもあった。



最近は粗相癖の酷い『あぐ』という長毛猫を、鬼は頭に来て蹴り上げたと言っていた。



あぐは気性が荒いから苦手だったけど、蹴るとかそういうのは絶対ダメだろと思う。



私が逃げたあの時は、逃げるのに必死だったし、ヨタ以外はみんな『俺の猫』だろと前もって脅されたのもあって、ヨタしか連れていけなかった。



いざ逃げても残して来た猫達の事はずっと心配だった。



あの大阪の子が亡くなってからはそういう面も心配で。



ちゃんと世話してもらえてなくて餓死してんじゃないか、とか考えて居ても立っても入られなくなったり。



だから留守中に母親に頼み込んで一緒に猫達の様子を見に忍び込んだりした。



本気で心配していたから、姿を見たらホッとし過ぎて腰が抜けそうになった。



あっちの家に行く事自体は苦痛でしかなかったけど、猫達に会える嬉しさだけはあった。




何かさっきメインでやってるブログの昔の記事読んでたら、猫達の事いっぱい出て来てて。



色んな写真あって。



沢山思い出して号泣した。




明日数年ぶりに美容室で髪を切るというのに、泣きすぎてまぶたが腫れすぎだ。




みんな我慢すべきなんだろうか。



全てを私は諦めなきゃならないんだろうか。




薬効いてきてて頭が重くなってきたから終わり。



今日は全く弱気な1日だった。


よく泣いた。



ダメだ私は…。