アジアの季節風

アジアの季節風

アジアの片隅から垣間見える日本や中国、あるいはタイを気負うことなく淡々と語る



 台風10号が日本列島に近づいて来ているようである。

 

 結構強い台風のようなので、私もテレビの天気予報は先日から気を付けて観ているのだが、観る度に進路が西に移動していてどうもよく分からない。

 

 少し前は伊勢湾くらいに上陸する、という感じだったがそれが紀伊半島から大阪湾に移り、更に四国になったかと思うと今日は九州になっていた。

 

 その九州も鹿児島湾くらいかと思っていたら、今日の夕方には更に西に移動していた。

 

 そしてそのコースだけではなく、近畿地方に来る予定の日も、少しずつ遅れている感じで、もう何がなんだかよく分からない。

 

 こんな風に良く変わるのは、気流など色んな要素があっての事なのだろうとは予想されるが、それだけ難しいという事なのか。

 

 兎に角テレビではいつどこに来るか分からないが、その備えだけはちゃんとやってくださいと言うばかりなのだが、我が家では全くそんな準備もしていない。

 

 皆さんは防災グッズを買ったり、南海トラフ地震に備えて米を買い占めたりと色々と準備をしているようなのだが、我が家は全くそんな気もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日義兄の死をこのブログに書いたが、その中でも書いたように、義兄は生涯独身だったので勿論子供もいなかった。

 

 その為その死によって妻の実家を継ぐ者が実質的にいなくなり、家自体が途切れてしまう事になってしまった。

 

 血筋的には私の妻がそれを唯一引き継いではいるが、妻も私の籍に入っているので戸籍的には別になる。

 

 その義兄はまさか自分がこんなに早く死ぬとは思っていなかったようで、今回入院する時も直ぐ退院するつもりだったようだ。

 

 だから勿論死の準備など何もしていなかったので、唯一の血縁者の妹である私の妻に対しても、色んなことを何も説明してなかったらしい。

 

 また死の直前までは新型コロナが流行っているという事で面会も出来ず、電話での話は出来ても直接話も出来なかったようなのだ。

 

 しかし病院側も死の直前になってさすがにヤバいと思ったのか面会を許してくれて、妻も色々尋ねようとしたようだが、その時点ではもう遅かったようだ。

 

 家を継ぐ人間がいれば話は別なのだろうが、家を継ぐ人間がいないとなると、色々と面倒なことがあるらしい。

 

 例えば電気、ガス、電話の契約は勿論の事、NHKとの契約、PCのWiFi契約、郵便局や銀行との契約等々、ありとあらゆるものの契約を打ち切らないといけない。

 

 しかも今は個人情報の保護というのが大前提なので、役所に聞いても中々教えてもらえず、何度も足を運ばなければいけないようだ。

 

 またどの契約にどのハンコが必要なのかも分からないし、契約番号や連絡先も調べなくてはいけない。

 

 その為妻は毎日暑い中をあちこちに行かねばならずかなり疲れている。家を閉める、というかなくすと言うのは本当に大変なようだ。

 

 

 

「40本塁打・40盗塁」達成の大谷翔平、「本当に勝ちたい」一心でメジャー初のサヨナラ満塁弾
2024年8月24日


 【ロサンゼルス=帯津智昭】米大リーグ・ドジャースの大谷翔平が23日(日本時間24日)、メジャー史上6人目の「40本塁打、40盗塁」を達成した。126試合目での達成は歴代最速となった。

 

 本拠地ロサンゼルスでのレイズ戦に1番指名打者で出場し、四回に二盗を決めて40盗塁とすると、九回に自身メジャー初のサヨナラ本塁打となる40号満塁弾を放って快挙を成し遂げた。

 2年連続3度目となるシーズン40本塁打が飛び出したのは、3―3の九回二死満塁の場面。初球、真ん中低めのスライダーをとらえた。

 

 高く上がった打球は、約6秒後、中堅右のスタンドに飛び込み、跳ね返ってグラウンドで弾んだ。劇的なサヨナラ満塁本塁打。


 大谷は三塁を回ったところでヘルメットを投げ捨て、ホームで仲間にもみくちゃにされた。・・・後略:::(読売新聞)

 

 この人は何処までドラマチックな人なんだ、とただただ感心するばかりである。正に奇跡みたいな人だ。

 

 40本塁打、40盗塁というだけでも無茶苦茶凄い事なのに、それをこともあろうにサヨナラ満塁本塁打で飾るとは・・・。もう言葉も出ない。

 

 メジャーの試合数は日本のプロ野球とは違って162試合ある。今126試合を消化した処だから、まだ36試合も残っている。

 

 このペースで行けば50本塁打、50盗塁というそれこそ人類初の偉業もまんざら夢ではないかも知れない。

 

 期待したい。

 

 

 

 

京都国際が夏の甲子園初優勝 京都勢では68年ぶりの頂点
8/23(金) 12:16


第106回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社・日本高校野球連盟主催、毎日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)は23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で決勝があり、春夏を通じて初めて決勝に進出した京都国際が、関東第一(東東京)を2―1で破って3回目の出場で初優勝を果たした。

初優勝は第104回大会(2022年)の仙台育英(宮城)以来となった。

 

京都勢の大会制覇は第38回大会(1956年)の平安(現・龍谷大平安)以来、68年ぶり。中崎、西村の両左腕が計3試合連続で完封し、打線は単打を重ねて援護した。

 

関東第一は9回目の出場で初めて決勝に駒を進めたが、悲願には届かなかった。(朝日新聞デジタル)

 

 私は普段から高校野球には殆ど興味がないので、テレビで観ることも無いのだが、さすがに今年は京都の高校が決勝戦に進んだと言う話はちょっと気になっていた。

 

 私も子供のころから30歳くらいまでは結構高校野球には興味があって、ラジオやテレビで観られる時は出来るだけ観ていたものだった。

 

 しかし何故か次第に興味がなくなって来て、30歳を過ぎた頃からは全く観なくなった。

 

 その一つの理由はどうせ観るならプロの技を観たいという事。もうひとつは思い入れが感じられないという事。

 

 思い入れというのは高校野球で言えば郷土愛というか、郷土の高校を応援したいと言う気持ちなのだろうと思うが、その気持ちが薄くなってしまったのだろう。

 

 私は兵庫県生まれなので、子供の頃は素直に東洋大姫路高校や報徳学園などの兵庫県の高校を応援していた。

 

 しかし大学で京都に出て来てからは京都も応援するようになり、その時点で郷土愛は2分の1に薄まった(笑)。

 

 しかもある時点から、強豪校は地元の高校生ではなく、全国から野球の上手い高校生達が集まるようになり、すっかり地元色が薄まってしまった。

 

 その上に今回優勝した京都国際高校などは、元々日本の高校ですらなく、在日韓国人向けの学校だったらしいから、猶更親しみが薄い。

 

 更に更に、この殺人的な暑さの中で、真昼間に屋外で試合を強行する事を止めようとしない朝日新聞に対する反発心もある。

 

 という事で今の高校野球は私がまだ少年だった頃の、あの純粋な郷土愛を育ててくれるような素朴なものとはかけ離れたものになってしまっている。

 

 なので京都の高校が優勝したと言われても、素直に嬉しい気持ちになれないのは、そういう事が色々重なっているからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

NHK幹部「国際放送全体見直す」「関係者処分」国民・玉木氏に釈明 「尖閣は中国」放送
2024/8/22 11:34


NHK幹部は21日、ラジオの国際放送で尖閣諸島(沖縄県石垣市)を「中国の領土」と伝えた問題を受けた対応として、①関係役職者の処分②録音放送やAI(人工知能)アナウンサーの導入など事前チェックの強化③38億円の国費が投じられる国際放送全体の在り方の見直し─の方針を国民民主党の玉木雄一郎代表に説明した。

 

玉木氏が22日、X(旧ツイッター)で経緯を明らかにした。

NHKは19日、ラジオの国際放送で中国籍の外部スタッフが尖閣諸島について「中国の領土である」などとニュース原稿にない発言を約20秒にわたって行い、NHKは同日夜、「ニュースとは無関係の発言が放送されたことは不適切であり、深くおわび申し上げます」と謝罪していた。

玉木氏はNHK幹部に対し「二度と同じことが起きないよう厳正な対処を要請」した上で、「『尖閣が中国の領土』であるとの放送は、『不適切な放送』ではなく、わが国の主張に反する『間違った放送』だ」と指摘し、NHK幹部は「今後『不適切な放送』という言い方はしない」と約束したという。

玉木氏は20日の記者会見でNHKの今回の放送について「厳正に対処すべき案件」と問題視し、国会の場でNHK側に経緯説明を求める考えを示していた。(産経ニュース)

 

 前々からNHKは一体何処の国の放送局だ、という気持ちにさせられることが度々あったが、事ここに至ってはもう完全に中国に支配されていると言うしかない。

 

 NHKとしては外部スタッフがやったことだとして、出来るだけこの事件を矮小化し、簡単に済ませたい思いなのだろうがそうはいかない。

 

 私も知らなかったが、国際放送には38億円もの国費が投じられているという事を高橋洋一氏がユーチューブで言っていたのを聞いて驚いた。

 

 玉木氏はその高橋氏と仲がいいので、この話は高橋氏から聞いたのかも知れない(笑)。知らんけど。

 

 兎に角玉木氏はたまに良いことを言うなと思うと、しょうもない事も言うのでなんだかよく分からない人だが、今回は良く追及してくれたと思う。

 

 こんな大事なことを、国費迄貰いながら、孫請け業者、しかも外部の外国人に丸投げして、チェックもしないまま放送してしまうなんてたるみ過ぎている話だ。

 

 放送資格を取り上げてもいいくらいの話ではないか、と私なんかは思うがどうなのだろう。兎に角私はこんなNHKに視聴料など払いたくない気分だ。

 

 国会は今夏休み中という事で開いてないが、閉会中審査を開くとかして、是非この問題をうやむやにはせず、もっと深く追及し関係者を厳しく処分してほしい。

 

 

 


 

 1週間程前私はこのブログで「この組み合わせしかない」という記事の中で、9月に行われる予定の自民党総裁選について書いた。

 

この組み合わせしかない | アジアの季節風 (ameblo.jp)

 

 この中で私は次の総裁にふさわしいのは、高市早苗氏しかいないと思うと私の前回の総裁選の時から思っていた思いを書いた。

 

 そしてそれと同時に、最近俄然注目され始めた小林鷹之氏も取り上げ、この人も良い候補だとは思うが今回は高市さんに譲り、高市政権を支える側に回ってほしいと書いた。

 

 というのも小林氏も考え方は高市氏と同じく保守と言われている人なので、今の自民党の中では少なくなった保守票を食い合う事になったら不味いと思ったからだ。

 

 それでなくてももう一人保守の候補と言われている青山繁晴氏も、総裁選に立候補するといち早く自ら宣言しているからである。

 

 しかしそういった私の忠告に全く耳を傾けることも無く(笑)、この人は一昨日さっさと正式に出馬表明をしてしまった。


 その出馬記者会見が下の動画である。

 

 出馬表明してしまったという事は、推薦人の20名も確保できたという事なのだろう。なので小林氏の出馬は確実になった。

 

 その為高市氏の推薦人になる予定だった人が小林氏に流れてしまい、高市氏の推薦人が逆に足りなくなるかもしれない、という見方をする人もいるようだ。

 

 というか高市氏の推薦人を引きはがす為にワザと小林氏を出馬させた、という見方をする人までいるようだ。うーん、そこまでするかな、とも思うがあり得る話でもある。

 

 という事で高市総理、小林官房長官という私の筋書きは殆ど不可能になったが、まだ可能性としては消えてしまった訳でもない。

 

 というのも高市氏が何とか20人の推薦人を確保でき、総裁選に出馬できれば、最後の決戦投票に残る可能性のあり、その時は小林氏も協力する可能性があるからだ。

 

 そうなれば刷新感も出て来て、自民党もかなり変わったという雰囲気になるだろう。それがいい事かどうかは別にしてもだ。

 

 という事で私としては今の処、最後までこの組み合わせを諦めない積りである。

 

 日本保守党が大躍進するなら兎も角、少なくてもここ5年~10年くらいは自民党に何とか頑張ってもらわなければいけないからである。

 

 

 

 

 最近キュウリの糠漬けを食べるのが私の中で流行っている。季節のせいなのかどうか知らないが美味いのだ。

 

 そういえば中国の珠海に住んでいた時、キュウリの糠漬けが食べたくなり、糠漬けの材料を日本食材の店で買ってきて自分で漬けたことがあったなあ。

 

 そしてそのことを2008年の夏にこのブログに書いたこともあった筈だ、と思い出して捜してみたらすぐに見つかった。それがこれ↓。

 

ヌカ漬けに挑戦 | アジアの季節風 (ameblo.jp)

 

 私はそれ迄自分で漬け物など漬けたこともなかったが、この時はどうしても漬物が食いたい気分だったのだ。その気持ちが物臭さな私を動かした。 

 

 昔は家でも妻が良く漬物を漬けてくれていたが、最近妻は血圧が高い為、漬物などの塩辛いものは極力控えているので家では漬けなくなった。

 

 それで私も漬けてくれとは言いづらくなり、だからと言ってあの頃のように自分で漬ける程の気力も最早ないので、店で買って済ませている訳だ。

 

 ここ暫くはこの漬物を時々買って楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 昨日義兄の死についてこのブログで報じた直後にこのニュースが飛び込んできた。

 

仏俳優のアラン・ドロンさん死去 88歳 「太陽がいっぱい」など主演、二枚目の代名詞
2024/8/18 15:20


【パリ=板東和正】映画「太陽がいっぱい」などで主演を務めたフランスの俳優、アラン・ドロンさんが死去した。88歳だった。親族が18日明らかにした。欧州メディアが伝えた。

1935年、パリ郊外生まれ。10代で志願してインドシナ戦争に従軍し、帰国後はパリの歓楽街で暮らした。57年には、イブ・アレグレ監督の「女が事件にからむ時」でデビュー。

60年の「太陽がいっぱい」ではルネ・クレマン監督から主役に抜擢(ばってき)され、2枚目俳優として世界的な人気を誇った。富豪の友人を殺し、完全犯罪をもくろんだ貧しく野望に満ちた青年を演じた。

「生きる歓び」(61年)や「危険がいっぱい」(64年)でも主役を演じた。「冒険者たち」「サムライ」(ともに67年)のほか、仏俳優ジャンポール・ベルモンドさんと共演した「ボルサリーノ」(70年)などが代表作となった。

 

日本でも人気を集め、日本に舞台あいさつなどのために訪れた。・・・後略・・・(産経ニュー)ス

 

 アラン・ドロンは私にとって特別好きな俳優だった訳ではないが、「太陽がいっぱい」だけは若い時から好きな映画のひとつで何回も観たし、このブログでも2回くらい感想を書いた記憶もある。

 

 それで調べてみたらやはりあった。去年の1月に書いていた。なんや、つい最近やないかという感じだ。それがこれである↓。

 

”映画『太陽がいっぱい』” | アジアの季節風 (ameblo.jp)

 

 この映画はフランス映画独特の、何となくアンニュイな雰囲気が当時の私にはピッタリくるものがあった。

 

 それにあの頃はフランス映画やイタリア映画など、色々バラエティがあったのに、最近はハリウッド映画ばかりでつまらない。

 

 という事でアラン・ドロンと言えばこの作品を想い出すが、当時は他にも彼主演の映画を何作か劇場で観た記憶はあるが、殆ど記憶には残っていない。

 

 どんなに二枚目でも寿命には勝てないんだな、というのが平凡だけれど今の私の印象だ。

 一昨日の夜義兄(妻の兄)が亡くなった。私より一つ年上だったので享年76歳だった。

 

 ただ義兄は1年浪人して東京のさる私立大学に行っていたので、大学での学年は私や妻とは同級生という事になる。

 

 そんな義兄が、去年の9月に102歳だった義母を見送り、まだ1年も経っていない内に後を追うように亡くなってしまうとは、その当時は思ってもいなかった。

 

 義兄は一生独身で通した為妻も子供もなく、これで妻の実家は悲しいが途絶えてしまったことになる。


母の葬儀 | アジアの季節風 (ameblo.jp)

 

 私と妻が結婚したのは大学を卒業して2年後だったので、その時義兄はまだ東京にいて、結婚式の時に初めて顔を合わせたはずだ。

 

 なのでご両親等とは違い、歳の近い義兄とはその後も何となく気楽に接することが出来た。

 

 そんな義兄が京都に帰ってきたのは我々が結婚して1年後くらいだったかな、と記憶している。

 

 京都に帰って来て暫くした頃に、義兄は同志社の近くでクラシック喫茶を開いたと妻から聞いて驚いたことがある。

 

 というのもそこは我々が大学生だった頃は結構有名なジャズ喫茶で、私も学生時代には屡々そこに通っていたことがあったからだ。

 

 しかし私が卒業した直後くらいにそのジャズ喫茶も閉店したという噂を聞いていたが、その場所を義兄は借りてクラシック喫茶に変えたと言う訳である。

 

 多分近くにある同志社女子大とか女子高の音楽関係の学生客をターゲットにしていたのではないか、と私は推測した。

 

 また彼がクラシック喫茶を開くほどクラシック音楽に通じている人だったとは全く知らなかったので、そういう意味でも驚いた訳である。

 

 ただ普段はそれらしく素振りには出さないが、相当教養が深い人だな、というのはそれ迄たまに会った時の会話の中ででも何となく感じてはいたが。

 

 そんなクラシック喫茶も経営的にはあまりうまくいかなかったのか、数年後には店を閉めたようだった。

 

 その頃は私も滋賀県の草津市に住んでいたので、中々店に行く機会もなく、結局一度もその店に行ったことはなかった。

 

 そしてそれから暫くしてから今度は呑み屋を経営していたこともある。

 

 その頃には私も京都市内の今の家に移った後だったので、そこには何度か客として呑みに行ったことがある。

 

 結構雰囲気のある店で、固定客も何人かいたようで、その呑み屋は結構長く続いたようだが、もう20年以上も前にその店も閉めたようだった。

 

 その頃は尊敬していた義父も亡くなったり、私自身もタイや中国など海外生活をすることが多くなり、いつの間にか足が遠のいてしまっていたからだ。

 

 という事で、義兄とはそれ程親しく接していた訳ではないが、歳も近かったし数少ない親戚の一人として長く付き合ってきた人だけに、その死はやはり悲しい。

 

 私の周りから親しい人がどんどん亡くなって行く。明日は我々家族だけで静かに義兄を見送ることになる。

 

 よく分からないがお盆も今日が最後の様である。というのも京都では今晩5山の送り火(大文字焼き)があるので、今日までがお盆なのかな、と思っていた。

 

 それで調べてみると地方によって多少の違いがあるようだが、やはり8月13日から16日までが一般的にはお盆と言われているようである。

 

 さてそのお盆も今日で終わりという事で、先日食品スーパーに行った時スイカの8分の1サイズをまた買ってきた。そろそろ食べ収めかな、と思ったからである。

 

 それにしても今年は何故かスイカをよく食べた。というか食べたくなった。

 

 いつもの夏はそれ程でもなく、ひと夏にせいぜい1回食べれば良い方だったのに、今年は何故か店でスイカを見る度に買いたくなった。

 

 歳を取ると昔の子供の頃に帰るとも言われているが、この現象ももしかしたらそういう事だったのかな?。

 

 兎に角これが食べ収めかなと思い、スイカ独特のあの甘さを良く味わいながら食べ終えた。