作家志望の戯言日記

作家志望の戯言日記

自称社交的なア二オタちなみに脳性麻痺の僕が自分の好きな事を乗せる。
エゴ丸出しのブログです。

Amebaでブログを始めよう!

皆さんお久しぶりです。どうも!一月、一月を、を何とか、あくせくしながら乗り越え、短いようで体感的にはいろいろと永く思い、老け込む別れの雨を乗り越え

いよいよ自分の中で緊張の夏?行動の夏!が始まる。って僕の場合、

何か行動を起こそうとすると常に身体的に緊張するだけどね。

まぁ未だにwithコロナでマスクがある意味親密な関係の時代だけど、

街の行動自粛の流れも緩和され多少のアクティブな行動しても過敏には自粛警察が出動しない真のwithコロナになりつつある、難しい季節ですが

 

僕、戯言使いのTKは心のギアを一足上げて前々から思っていた、

プランを少しずつ実現化しようと思っている僕なんですが。それは、

より良い人生設計を見据えて前々から計画は頭にはあったですが、中々踏ん切り付かなかったショートステイと言うサービスを利用しようと思っていろいろと算段を付けて動いているですが、(注釈 ショートステイとは簡単に説明すると、

在宅介護で日々助け合っている。介護を受けている当事者と介護者のリフレッシュのため一時的に入所施設などでケアーを受けられるサービス、又は介護者か介護をできない場合の介護をする目的で、短期間施設に入所し、日常生活全般の介護を受けることができるサービスのことです)これはあくまで個人の主観が、かなり入った意見ですが。

 

僕にとってこのサービスは親なりヘルパー、介助者が在宅の場合は、Go To トラベル気分で利用出来ますが。これが持ち家で親なり介助者の在宅が常駐出来ない場合はありがたい救済制度でもあり。

いろいろと先々の事を想定させてくれる。心情的には複雑な心境にさせてくれる精度面も孕んでいるシステムだと僕は認識しています、と行動を起こす前から二の足を踏んでいる筆者ですが。ダラダラしていたら、

コロナの感染者数は増加するので、

もちろん最新の注意を払ってだけど使う事を決心僕だけど、これも世界情勢の

ある意味混沌化とも言えるのか物価の上昇によりまだ解らないが、

僕のショートステイ先の利用料が↑かも!?僕はその話を聞いた瞬間、

アベノショックより僕のかけいが一瞬軋んだ早く経済状況が安定しないかな、

そうしないと、

いつのまにか拳法がもの言う時代になちゃうと思うのは僕の妄想!?

その前に憲法をコミットしなきゃね。と思う今日この頃ですが。

そんなことばっか考えている鬱々と、しちゃうのでポジティブソングを聴いて

自分のあべこべな考えを整理するのが最近の僕の日課

聞いているジャンルはアイドルソングです、歌には作詞家やアーティストの言論や願いが詰まっていますが僕が思うに

jポップの中で一二に男女問わず共感できる歌詞紡をぎ出すのが

あえて事務所名で紹介しますが。アップフロントプロモーションに所属している

 

アイドルグループだと個人には思います。ちなみに代表グループはモーニング娘今は22です。

 

と、ここでこれを拝読してくださっている読者の方々は果たしてこの文章は

何を伝いたいのと思う人もいるかも知れませんが大きく言うと

言論の自由の大切さと、ラブ&ピースかな。という事で(モーニング娘。ピース)

 

戯言使いのTK

 

 

 

 

皆さんお久しぶりです。どうも!2022年は話題が混沌としていて何処をクロズーアップしようと思ってネタを構成していると日は経過し、更新が遅れる

TKですが。まずは近況報告から書きたいと思います。

もはやコロナと言うワードが新しい生活習慣から様式まで変えたこの令和4年も戯言使いは無事に誕生日を迎えたものの、やはり生活全体の習慣は、

そんなに変化しないのに相変わらず季節ごとに、

時勢や環境は代わって行く現状を複雑な心境で受け止めている僕ですが。

 

一方でこの悩みと思いが平穏な1日を送れているからこそ生まれる願望なのかなと感じる事もあるのです。だって平穏な1日が過ごせると言う事は、

まだ、自分の心の赴き次第で良い日だっとか、悪い日だとか、

最低の厄日だとか。感じられて実感できて考えらる余裕や余地が、

できると言う事だから幸せなのかなと、春は別れと出会の季節だと、

 

よく言うけど、大げさだけど生きている限り、今は会える手段、方法はいくらでもあるから、今の時代どうしても対岸の火事とは思えない事が北の国を中心に

起こっているから春に起こりやすい人間関係の構築の悩みなんて

些細な事だと思ってしまうだけど、拡大解釈しますが、双方の認識と先入観を

常に更新して行かないと誤解が生じやすく、小さいコミュニティーでも国でも、

大概トラブルが起こりやすいと僕は思います。しかし人の命を搾取するトラブルは絶対に、してはならないし、そういう事態を起こしても、

絶対に行けないと思います。

 

人間とは動物とは違い他者の意見を聞き、考え、AとBの考えが

あったするなら悩み新たにCの考え方を導き出せる哺乳類なのだから、

悩みとは平たく言えば思考を導き出す上でのプロセスであり。僕が思うに

悩みが無いと言う人は極論で偏見でもありますが良い意味捉えれば

自分の思考がはっきりと定まっている人とも言えますが。

 

その一方で現状に流され思考してない人にも見ようと思えてしまうし

対人関係で言えば思考がはっきりと定まっているから故に

相手の事を考えず利己的な考えに行き着きやすくなると僕は思うので

 

悩みはあると苦しいし逃げたい時もあるけど、その反面、僕は悩みが無いと、

生きている居心地しないから、やっぱり僕は

Mなのか!!!!?でも鉄は熱いうちに叩けば鍛えられる言うし

悩みは心の細胞では無いのか、表皮である悩みが上手く剥ける度に新しい発想や閃きが生まれる気がするので悩みとは欲や願望、または意志を成長させる大事な

人間があるが故の感情だと思うから僕は悩みと上手に付き合って行く。

 

さて近々の悩みとはGWはどうやって家で過ごそうかな!?と

春は大なり小なり悩みが増える時期だと思ってしまうのは僕だけ、、、

悩みとは人元賛歌だ!気分上々に解決して行けば最良の人生が送れると

僕は信じる

 

戯言使いのTK

 

 

皆さんお久しぶりです。どうも!TKです。皆さんは、年末年始は

どのように過ごしていましたか、僕は依然として続くであろうWikiコロナ禍対応なのか、

それとも元々持っている素行なのかわかりませんが曖昧な状況下ですが。

たぶん僕の年末年始の行動予定はステイホームで居間のテレビで今の状況を把握しつつも猫のように自由気ままに過ごすお笑月になっていたと思っています、、、

ちょっと待てよ僕のステイホーム好きな気質は別にコロナ禍になる前からだったと考えるとここ最近の話題の端々にコロナと言うワードを書けば自分の近況を

説明しやすいと判断してしまう筆者自身の安直さにヘキヘキしてしまいながらも

言葉の鮮度で選んでしまうだよな~

 

これは僕の個人的な偏見ですが、近年言葉と言う物が、本来意味に

プラスアルファして時勢や風潮に合わせ類似した、

意味合いの関連した和製英語などが多様に増え、本来、同音意義語や情緒を楽しむ日本語の特性が。安易な言語の簡略化によって、

 

用件重視の寒々しい会話が主流の割に、会話の端々に入れてもいいような

予断や会話相手との信頼関係故に生じる。

うちわに対する気遣いの様な、会話は案外、批判やハラスメントとされる、

世の中なっているように僕には見えて少し寂しい気がします。

 

昔は感情で生まれていた言葉が、今はその時の世相に合わせ生み出した。方が共通認識されやすいし時代に圧殺されにくい物が多いと、

感じる時代になってしまったと、僕は思っています。

でもこのスタンスが流行ったきっかけは、誰もが短かに人の意見に賛同し

議論を重ねより良い意見を発表できる今の時代、

 

多くの人が、問題提起をして賛同や賞賛を求めて、不平不満を匿名で言えるこの時代だからこそ、ホワイトタイガの様に白黒はっきりつけたい。

 

人が増えて来て、言葉自体は単一で鋭利なっている印象なのに、

全体文は中立的な意見が求められているので、自由な発言は言えない。

雰囲気を、制限されていると僕は、感じています。

と新年一発目から読者置いてけぼりの暴論を書いていますが。

僕はこの曖昧な論法スタンスを変えるつもりは有りませんが。

どうしてそんな事を思ったかと言うとバライティー番組で

カースタンドなどを利用した、爆破リアクション芸など、

いわゆる身体に負担を掛けて笑いを生み出すテレビ設営は演者と視聴者に双方にストレスをあたえる可能性があるので自粛する風潮だったり、

 

漫才コンテストなどで決まった優勝者を話題にして、ネタを自己判定で

発表し自分の意見を語るのは自由意志だと思うのですが。

 

これは漫才じゃないとか、これは漫才であるなど、当時者を無視して

第三者である。視聴者やフリーク達が勝手に理想の漫才像を抱いて

身勝手な基準作りそのネタの一言一句やセンテンスや、

ニュアンスはたまた人間性まで批判する論調などを、

ネットニュースなどで見るとエンタテインメント業種が批判されやすい対象になっていて、

お笑や商品のポップなどが一番の共感や自由で自遊な意見が

求められる職種だと想うのに、不遇な立場に置かれていると、

僕は考えしまうのです。

 

だってあの某有名アミューズメント企業のサンディオのキャラクターアニメ商品の中に女の敵はいつだって女なのよ、と言うフレーズが、入っていた為にそれが、

ジェンダーバイアスを助長するのではといった批判がツイッター上などの一部で出ている。その結果、サンリオは、商品の発売を中止にするなど、

と言う議論が持ち上がる、時代だもん!

 

確かに女の敵はいつだって女なのよ、と言うフレーズは、

今のジェンダーフリーの時代には不適切な語彙に入るかも知れない

でもこの商品製造販売された 2005年当時はこのフレーズはアニメの名言と

言われていた事を鑑みると、これこそ見方と時勢によっては

同調を煽れた論法なのに情報過多によっていろいろな価値観の同調圧力が

起こって、個人主義な社会設計が進んでいる割には思考は気づかないうちに

統一化が求められていると思います。

 

公共性が増すと影響力と普及率を鑑みると多数派の意見が基準になるのが

自明の理ですが個人の見解を言葉選んで発言しなきゃいけない

こんな世の中、皆さんはどう思いますか。

 

戯言使いのTK