作家志望の戯言日記

作家志望の戯言日記

自称社交的なア二オタちなみに脳性麻痺の僕が自分の好きな事を乗せる。
エゴ丸出しのブログです。

 

どうも、テレビっ子の戯言使いのTKです。

皆さん、ここで 唐突ですが問題です。

『1926年から2000年代頭まで家庭の主役であり。

今も尚深化を深め、 独自の発展を遂げ続けていて家族団欒の リビングには

大抵ある日本3台電気機器とはなんだ~?』

 

それはテレビだと僕は思っているのですが。

近年ではテレビは オールドメディアであり、ある意味では ウェブとジョイントされたYouTubeや アメーバTV、 Amazon Prime、ネットNetflixなどを活用した

配信ありの カスタマイズTV的な文化風潮が台頭していると感覚的にはヒシヒシと感じていますが。 

個人的には、公共放送の放送を流しているテレビのことを

慈しんでいて、テレビが幼少期の一人っ子だった自分のことを語彙の教師で

少なくとも自分がおませになって おしゃべりになったのは、テレビで多くの情報を見聞きできる環境に合ったからだと思っていて、

 

僕の基礎知力を身に付けさせてくれたのが完全にテレビが影響してると

思っています。今の時代、情報の選択して与えられやすい情報社会から、

真の意味で自ら行動しないと情報を収集しないと一歩間違えれば搾取されやすい社会に変化する可能性を孕んでいる時代に成り代わるのではないかと。

僕は、軽視しているのですが 拝読してくださっている

皆様はどう思いますか?

 

と、要因はいろいろとあるとは思いますが、あくまで自分の思っている、

考えとしては、自分も含めでは ありますが、 

一昔前に比べて気軽に一個人が 情報を発信させ、一気に拡散して各々が見解を妄想交じりに投稿する ネットリテラシーが低い炎上目的の人たちも一定数増えて

作為的・ 意図的に、信憑性の薄い情報を流布したりする 

情報が乱立しているので、

情報もより受信するのがわの判断基準に 自分なりのルールを設定し 情報の質を見極める、目を養わなければならない時代に、なっているような気がするので、

 

自分的には、コンプライアンスなど、民衆が自然と作り上げる

ルールの中で、なるべく中立に情報を伝えようとしている、

 メディア媒体のテレビが僕は好きで、これからも応援しようと思うのですが。

しかし 、この持論は、 ネットメディアとの対立構造を作りたいわけではなく、

むしろネットばっかりを信じていると、解釈の幅が狭まり、偏った考えに陥ってしまうので、情報も公共放送でバラエティーに 、物事を知り、

衛星放送やネットメディアで自分の気になった情報を深掘りしたりする。

バランスの良い情報収集をした方が一色単には言えませんが、

視点が中央よりで 見識を深められるのではないかと思っているので、

書かせていただきました。 つまり、情報も流動的なものではあるものの

温故知新のようなものだと僕は考えます。

 

例えば、4月1日に自転車にも 交通違反での青切符が適用と言う事は テレビのニュースで知り細かい青切符での罰則金の徴収金額は ネット検索、または配信サービスでの追記リンクジャンプなどで調べたりしたんですよ。

『僕も正直言って運転技術はぎこちないものの たまに外に散歩に行くんですけど、やっぱり路上駐車の自転車は目に余るので こういうちょっとした 情報を調べてしまうんだよな!』

 

ではそもそもこう言った、 情報は どうやってメディア媒体に受診されているかと言うと、当たり前の事ですが、 日の本一の高さを誇る電波塔の東京スカイツリー

全長634メートルの青い鉄骨を使った建物がら全国のメディア媒体に

電波が発信されるのですが。

 

この間、僕はスカイ⭐️ツリータウン内にある大型商業施設のソラマチとツリー内の展望エリアに、職場の同僚と 一緒に行っておいしい餃子やチャーハンなどを 

食べて大変良い思い出ができたのですが、1点だけ気になるポイントがあったので このブログに書かせていただきます。

 

それは、まず東京スカイツリーのコンセプトとして下町の伝統と現代的な店舗を 融合させた『新・下町流』銘打った体験型施設と、google先生のAIモードにはそう書いてあるのですが、個人的には(そう言うだったら、あと少し頑張ってほしいと思ってしまう。ポイントが 自分的には見えてしまいました。

 

 

 

 

そのポイントとは、 だれでも、トイレ、またの名を

ユニバーサルデザイン型のトイレが、 あるのはいいものの、

そのトイレが真の意味でユニバーサルとは言えない事が、あると感じたことです。

ちなみに僕が外出の時に1番気にしてる事は?少し乱雑な言い方ですが、

自分が楽しむ時間とトイレの介助時間の兼ね合いとやりくりなのですが。

 

僕の場合 、トイレはヘルパーさんとほぼ二人三脚でオムツ介助中心で行うので

どうしてもベッドが必要なのに、中々ベット付きのトイレが少なすぎると感じるのは自分だけでしょうか?

 

そして、これはあくまで個人の感想ですが、

『 合理的配慮という考え方が義務化され』

だんだんと僕が 、少なくとも10代の時よりも デパートやレジャー施設に 

ユニバーサルデザイン化されたトイレのシェア率は圧倒的に増えて

使えやすいトイレが存在するのはありがたいのですが。

 

 先にも述べたように、ユニバーサルトイレに自分が乗れる様な大きさのベットが 少ないと思っていて、たとえあったとしても、 ベビー用の折りたたみ式のベッドしか設置してない事が多いので非常に困ることが多いと感じますので

いつも僕はトイレ事情に気を張って、遊びの 両立に頭を巡らせています。

とこれは、利用者側に立った意見ですが。

 

でも一方で、 既存の建物や新しい建物にそういったベッドを置くスペースを持ち合わせた、トイレを作るのは難しいのはわかっているのですが。ごく稀に不純な動機で使う輩もいるかも? なので、難しいところではあるんですが、なるべく平等に置いてほしいものと思っているのですが。

ニュースでそういった。ベッドやトイレを作る プラスチックの素をを作るための原油が 近年の問題で、規制されて、作るなのが セーブしてると、ニュースの報道で知ると、改めて海の偉大さと人間の業の深さみたいなものが、電波のように、様々なところに余波として派生 しているなと感じてしまいます。

注釈 この文脈だと、『東京スカイツリーの誰でもトイレには 横に慣れてオムツを取り換えられる、

ベッドがないのではないかと 思われないために書いていますが、圧倒的にベッド数が少ないと言う事を改めて記して起きたっかったです。』

 

そんなことを思っている、戯言使いのTKです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんどうも、 令和も8年と言う、末廣の年に気分的に吉兆を迎えそうな年に、

入り季節は刻々と過ぎ去り、でも体感的には気温が暑いか寒いの2極渦が進んでいると筆者自身が感じているせいで日本人独特の感性の1つである

四季を感じると言う感覚が徐々にと退いていると自覚している、

戯言使いですが、

自分も2026年を迎えヤクが着く 年に入りました。

 

僕が思うに、人はある程度年齢を重ねると、社会的 コミュニティーに属すると

それぞれのポジション、または責任や求められる事、役職などが 他者からの評価によって春の草木の新芽のように、様々な欲が芽生え、時には花粉のように

引っ付いたり

何らかの役が付き、それによって人は目的や意義を探し見いだす確率が高いと

思います。でもこの持論の根底には拡大解釈気味に語ると

『 人の人生がそもそも大舞台であり、人は皆役者であると言う』 明らかに、 この言葉には某大劇作家の 言葉からインスパイアを受けていますが、

人はたんいつでは生きて行けず何かしらの者と繋がりを求めずには

生きていけないと年齢を上がりヤクを重ね変わる内により切実に

感じるようになったからだと思います。

 

と言うのも幼少時代には感性が無垢だからこそ身の回りに起こる事象が

ことごとく上手く自身に都合良く物事が進む感じがあってその実

自分が気づかない所でたくさんの役割の人たちに支えられ生きているのに案外

それに気付くのは 自分の精神年齢が上がり社会的ポジションを、確立し

与えられる方から与える方へ 役割が シフトチェンジした時なんだよな。と

思い始めているのですが

 

平たく言えば、後進を育てる時 仲間に課せられたタスクを 分散して解決しなければならないとするときに、フォローに回れた時、

新人のヘルパーに、自分の やってほしいことなどを伝えるときなど、 改めて社会と言うのは、チームでワークしていて互いが色々策謀は巡らせながらも共に 場面転換しなければより良い舞台を設営できないと 僕は考えます。

 

でも この舞台は演出家は一応不在なので演技プランは常に、

自己プロデュースなので、個性の引き出しの決断は、自主性が 求められるし、優先しなければならないことだけど そればっかりに徹して 外部からの刺激を拒絶しすぎて生きていると、

それこそ一人舞台になってしまい、偏った思想落ち入り 極端に言えばですが 、

 

その人が演じている[舞台]= 人生のエンディングは、

寂しい即興劇になってしまう。と、個人的には 考えてしまうので。

TKの演技構成プランとしては、

せっかく現世には、ほっとど出現しないのに、

 

個人の信仰という(内なる神殿)に住まう大物劇作家に

数少ない配役のマイノリティーの 障害者と言う役に選ばれたのだから、

全力で演じ切りマジョリティーの健常者に 二人三脚の支援の大切さだったり

同じ価値感の架け橋的! 役割を果たし伝えるために、

僕は個の人生と言う大舞台を 全力で踊ろうと思います。

 

例えば、親知らずを抜くために、通常だったら多数の人が1部麻酔で

3本親知らずがあったと、するなら

1本ずつ抜くのが多いと思うのですが、

 

自分が 選んだ選択と言うのは、親知らずを抜くたびの 病院までの介護タクシーでの送迎費を抑えるためだったたり、病院の予約時間と もともとのヘルパー手配時間の調整を天秤に掛けて僕は一泊入院をしてまでも 全身麻酔での手術で、3本いっぺんに抜くと言う選択をして個人的には合理的な判断が、できたと

 

思ったものの、入院した個室の シャーペンのノック式の様な 

ナースコールが上手く扱えず ボタンを押すのに、握りこみで押すのだが。

 

 その場合、 ベッド上で起きている時も、寝ている時も、常に握り込んでいないとナースコールが押せないので

コードレスの部分を軽く左手に一周させてから握らせてくれるんですけど、

握ると言う行為には必然的に力みをが 必要なのですが。

昼夜ずっと力み続けると言うは事は

特に睡眠時には難しく、

ナースコールを 落としてしまうことが多く

巡回中のナースさんに 自分の要望を、明瞭に伝えられず ベッドカバーが濡れようと 知らない天井を見つめることしか出来ず。

 

非常に歯がゆい想いを味わうとともに

こういった、自分でしか味わえない体験を環境から育まれる感性を使い言語化や 文章化にすることによって見えにくい日常の当たり前さから、

 

『 少々の不平等を抱えていても 人と人を結びつけさせ争いの愚かさ だったり、

健全な肉体の素晴らしさなどを伝え、人は単一では生きていけないと言う事を

持っている者と、持たざる者が互いの見地からの相互理解を深められる

立場である存在の役割だとぼくは思っていて、』

 

多少傲慢だとは思うけれど これからも、この役を 全力で全うして、自分で

設営した『舞台』= 人生を縦横無尽に演じ切ってオールインするぞ。

尚この 舞台は、 瑠璃色の水上部隊なので「 偏見と言う領海も無くして、

舞台を 広げていくぜ。」

 

 

戯言使いのTK

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん大変お久しぶりです。新緑が芽吹いている春も近しこの季節、僕は誕生日を迎え新たなフェイズに入りとても清々しい心境の最中、社会情勢的には激動の2025年も初旬ですが、令和7年も相変わらず経済は時事刻々に変動して行き、

これじゃぁUFOとプラモデルが愛でるのを趣味と公言した覚えがある。

この国の長が政策の方針演説で宣言していた。『楽しい日本』を現実化するには膨大な時間と社会全体が個人個人の目的意識を持ち、

それぞれがやれる事を行い、それを支援し安心できる社会、平たく言えば

 

『心のバリアフリー』を体現化したような情勢にならない限り、実現する道のりは難しいと思ってしまう、昨今ですが、その反面、皆が平等では無いかもしれないけど、こういう未来も良いのではないかと、自分の思っているのですが、

所で、話題は唐突に変わりますが、そういえばその楽しい日本と提言していた。

 

この国の長が日本の全権を握る前の

イベントでコスプレしていたピンクの魔神の大好物のチョコレートが

巷に大流通する時期ですが、このチョコレートも相次ぐ物価高の影響で値上げの波を上手に航行し続けている、まるでペリーの黒船来航のような豪腕営業マンが

管理しそうな気配も漂ってるし、所詮この世はマネーゲームか!と思えるほどの

貧富の差と技術革新が進む2025年ですが、僕はこの情報過多な社会で浦島太郎のような感覚の情報弱者にならないように日々を懸命に若干あくせくしながら生きている僕なのですが、この間、職場で導入を検討している福祉機器ICT(デジタル機器)の説明会があってその発展に僕は改めて、カルチャーショックを受けたのと同時に

やはりどんなに機械が新化して利便性に多大に貢献しても適材適所というものも

あるし。

 

もちろんそこに、良し悪しも存在しているという事も混在していると言うことを改めて認識したこの頃でした。

 

それは人間の瞳の視点の動きでPCの操作ができてしまう。福祉機器を体験させてもらって感じたのは、

まず前提としてこの機械はALSDの障害を持つ人や身体機能の麻痺が重度で、

手先の周辺機器の操作も困難で現語機能も難しく今や多くのマジョリティーが使っているSiriの音声入力機能も使えない人々が使った方が良いと言う事を念頭に置いて本文をお読みください。個人的には慣れが必要だが身体障害者で

普段音声入力を多用している僕にとっては音声入力も入力率が100パーセントではないのでスポット的に使用するのは大変ありがたいツールだと思うのですが、

ユニバーサルな観点から、ある程度のICTへの体制をつけておかないと

すぐさま実用するには難しいと感じました。だからIT機器初心者には難しいし、

 

感覚的に習得するには相当なトレーニングがないと視線誘導で操るソフトウェアを100%使えないしそれに単純にスクリーンを凝視しなければならない場面が

どうしてもあるので適度な目の保養がないと長時間の使用は過度なストレスを与えてしまう可能性があるなぁと感じてしまいました。

 

でも今書いた懸念材料は実際に使う利用者には粗末な問題だと思うのですが、

だっけこういった福祉資材が実際に自分のライフスタイルにmuchした時の

優位性や貢献度と言ったら計り知れないものだと思うのであくまでこれまでの懸念材料は1材料として僕もそんなに問題定義としての

優先度としては低いのですが、

僕が本当に問題定義として憂いているのは

こういったICT福祉機器購入時の初期費用が全体的に高と言う問題を

憂ているのですが、

かといってこの問題はまず圧倒的なユーザへのコミットの難しさや供給率と利益率の調整が難しいといったなかなか難儀な問題が横たわっていたりとデリケートな問題が山積しているのですがSNSの大富豪の双方向的マスク論法を鵜呑みにして

 

一緒になってトランプゲームをしながら未来のいけてロケットや軍事費をあげているならば足元の福祉費を潤滑にしないと日本が地球を歩くとき靴擦れを

起こして一帯一路が基本主義のシルクロードも味気ないし大事なジパングも崩壊してしまうと大変身勝手な考えよう個人のブログに書き記す戯言使いのTKですが。

最後に浦島太郎もいじめられていた亀を助けたらお礼に竜宮城へ行けたのだから

 

人生と言うある意味では鬱世が溢れる社会から取捨選択を重ねてときには

自己陶酔をしたりして人間賛歌を歌いながら最終的に自分の理想とする竜宮城へ行けたら良いと個人的には思っているのだけどこの表現は大衆向けではないのでまたもやToo Muchな持論を記してしまったなと感じています。

時間のある閲覧者は大変勇気が湧いて来る詩なので見て聞いていただけたら幸いです。竜宮城で「2 MUCH」

 

全然丁度よくなくていい
待つのはもうやめこれっきり
もつれるくらい踊りたい
正直になれば馬鹿を見ちゃいそうかな?

はじめてはいつも一度きり
でもチャンスは巡り巡る不思議
ねぇ全然丁度よくなくていい
「2 LATE」何が?
うるせえよ ここから

昨日の自分にだけは会えない
誰を追い越して行っても
明日明後日も最高
「なるようになる」と言い聞かせるとこ
観られてもしょげないゼ
だけど このまま?

止めない
進めいつまでも
鏡に映るだけじゃ足りない!
この世界 自分に打ち勝ってこ
「代わりはいるよ」なんて
考えられない!

「まぐれ」意地悪なハズレくじを
引かれて押し付けられそこから見返す日々
だりぃね!それでも楽しむ意味を
探し求めてしまうから

昨日の自分にだけは会えない
影を追いかけてみても
昨日今日明日明後日も最強
「逃げちゃダメだ」と泣いても
引き寄せてるとこ見せたいよ
だけど このまま?

止めない
2 MUCH

「やり過ぎくらいが丁度いい」
とか言われてもとっくに早々に
2 MUCH超光速交響曲
想像力はち切れる向上心
大通りでDANCE WITH ME
消耗品じゃなく張本人
なる気はないつまらない骨董品
ぴかぴか 光るのは超ロンリー オンリー

孤高になりたきゃ孤独とエントリー
拡がる縄張り「あれ芸能人?」
いつまでニューフェイス
ばら撒かれるニュース
総て忘れさす 龍宮の遊泳区
勝ち取るこのムーヴ
ステイしたいとき程次のクールです
そこでもメイン張る僕らでいるでしょ?
「カメラさんはいズーム!」

戻れない
進めいつまでも
鏡に映るだけじゃ足りない!

止め
止めない
進めいつまでも
鏡に映るだけじゃ足りない!
この世界 自分に打ち勝ってこ
「代わりはいるよ」なんて
考えられない!

僕最強
僕最強
僕最強
僕最強
僕最強
僕最強
僕最強

2 MUCH

 

そしてこの写真は誕生日当日にお父さんが移してくれたテレビの写真です。

自分の推しに祝れて「最高にハイってやつだぜ!」って感じです

今回のブログは自分の悦を最大限に表現している文章だぜ。

 

戯事使いのTKです。