プロメテウス(2012年)監督 リドリー・スコット 主演 ノオミ・ラパス (アメリカ)

 

地球上の古代遺跡で人類の起源にかかわる重大な手がかりを発見した科学者チームが、その謎を解明するため宇宙船プロメテウス号に乗り、未知の惑星を訪れる。しかし、そこには人類が決して触れてはならない、驚きの真実が眠っていた……。

結局これは何だったのか?

 

当初、リドリー・スコットの「エイリアン」(1979年)の前日譚として企画されたが、結局世界観を共通する別作品のようになった。

映画の冒頭で、どことも知れない惑星で筋骨隆々の肉体美の巨人が、何かの液体を飲んで苦悶にもがき苦しみ、体が溶解しながら滝にのまれるところから始まる。ここは公式HPによると「遥か太古の地球を訪れた宇宙人が地球の生態系に適した新生命体を生み出すべく、黒い液体を飲むことで自身のDNAを変化させ、これにより人類の起源となる新型遺伝子が誕生した」という事らしい。とするとこれは35億年前の事か?多様な生物が誕生したカンブリア紀でさえ5億年前。生物が地上に上がったシルル紀でさえ4億年前。この辺りの年代設定に甘さが目立つ。ここは「2001年宇宙の旅」的にすればよかったのではないかな。それでもずいぶん前だけど。

便利なようでそうでもない全自動手術機

 

舞台は2089年に移り、人類の種の起源の答えとなる未知の惑星LV-223の存在が浮かび上がる。彼らはエンジニアと呼ばれていた。そこで、ウェイランド社は宇宙探査船プロメテウス号に調査チームを乗せて派遣する。この手の調査チームはポンコツと相場が決まっているが、本作もそれに違わず色々やらかしてくれる。「俺は石の専門だから」と調査に非協力的だったり、「大気の成分が地球と同じだから」という理由だけでヘルメットを脱いだり、エンジニアの死体を見つけただけで、宇宙船に戻ると言い出した挙句迷子になる。他にも遺跡の中でタバコは吸うわ、謎の生物を平気で触ろうとするわ、こうした人類最初のプロジェクトで集められた精鋭の科学者に見えない。ほとんど「13日の金曜日」等でヒャッハーした挙句、ジェイソン君の鉄拳制裁を受ける馬鹿な若者レベル。それを思うと「エイリアンvsプレデター」は、急遽集めたにしては、それなりの陣容だった。さすがウェンライト社!あれ、こっちもウェンライト社か。やはり先代は偉大だったんだ。

充分長生きしただろうに

 

今のピーターはエンジニアに会って長寿を得るつもりでプロメテウス号に乗っていたが、何故エンジニアが長寿の技術を持っていることを知っているかは不明。そういえば、本作のアンドロイド、デヴットは初めてのはずの、エンジニアの宇宙船の内部にやたら詳しく、彼らの言葉を話せたり、ホイホイと設備を復旧させ、最後に「宇宙船はもっとあるし、俺操縦できるぜ」等と言いだしたりする。更に遺構で手に入れた怪しげな黒い液体をホロウェイに飲ませる。そのあと彼は恋人のショウとエッチして彼女は妊娠してしまう。その直後ホロウェイは、体が変質し焼き殺されてしまうから、ショウが子供を孕むチャンスは数時間しかなかった。その間二人がエッチしなかったらどうするつもりだったの?デヴィット君。ていうか、それ飲んだら人間の遺伝子が書き換えられるってなぜ知ってたの?そして予想通りショウの胎内で子供は急成長。するとショウは全自動手術機!で摘出手術を受ける。そしてどんな仕組みか分からないが、それだけの手術を受けてもその後元気に動き回っている。いやあ、未来の技術は凄いね。そもそも舞台となったLV-223はどこにあるんだろう?人工冬眠を使っているから、まだワープ技術は持っていないはずがだから、2年で到着したとすると太陽系内のはず。シャーリーズ・セロンが「8億キロを超えて」というセリフがあるから、大体木星と土星の間ぐらいになりと思うが、ヘルメットなしで過ごせるような環境がその位置の星にあるはずない。光の速度が出せたとしても、地球から2光年以内に恒星はないはずだが?

その後も色々あるが、とにかく本作は伏線を全然回収してくれないから、こっちで色々と考察しなくてはいけないという、とにかく見ていると疲れる映画。この辺りは続編を意識したのかもしれないが、その後作られた「      エイリアン: コヴェナント」では、全く回収されず、更に輪をかけて投げっぱなしの映画となってしまった。そもそも本作には、肝心のエイリアンがほぼ登場せず、終始アンドロイドのデヴィットがクルーたちの脅威として話が進んでいく。ひょっとしてリドリー・スコットは「ブレード・ランナー」を、やりたかったのではないかという気すらしてきた。

当初は「エイリアン」シリーズの第5作として企画が立ち上がったものの、監督に予定されたジェームス・キャメロンが急遽降板。その後、リドリー・スコットがプロデューサーを務めることになり、カール・エリック・リンシュに監督させようとしたが、20世紀フォックスは納得せず、結局、リドリーが監督を務めることになる。この辺りで「エイリアン」の前日譚を描くという方向性が決まった。リドリーは完成後、「エイリアン」の前日譚ではあるものの、シリーズとの関連性は薄く、オリジナルの ストーリーだと曖昧なコメントしている。

こいつら結局何がしたかったんだ?

 

タイトルに「エイリアン」を付けなかったのは、シリーズものになるとどうしても敷居が高くなり、一見さんが入りにくくなるから、商業的な配慮だと思う。この判断は商売という点でいうと、4億ドルもの興行成績を出したところを見ると、間違ってはいなかったと思う。ただ、何も知らずに見に行った観客から、不興を買ったのも事実。

リドリーが「エイリアン」第1作を監督したのは事実だが、脚本はダン・オノバンだから、リドリーが「エイリアン」の生みの親ではない。そんな彼に「エイリアン・シリーズ」の再構築を依頼するのは無理があったように思える。普通に宇宙を舞台にしたモンスター・パニック映画にすればそれなりに面白い映画になっていたはずなのに、「人類の起源」等と大風呂敷を広げようとしたのが躓きの始まり。畳めない風呂敷は、広げるべきでない。