一昨日から,世の男性は,眞子様ロスですね。
しかし,時代は変わったなあと思います。
いつから変わったかというと平安時代から(笑)
私は実家が大分ですが,なぜ実家が大分かというと,前にも書きましたが,先祖が天皇の孫娘との恋故に左遷されたのです。
私の先祖は,清原正高という人物です。
清原氏は,天武天皇の末裔ではあるんですが,中央で権力を有していたわけではなく,正高も身分が高いわけではありませんでした,
あの清少納言も清原氏ですが,正高はその兄と言われています。
その正高は,醍醐天皇の孫娘である小松女院と恋仲になったことで,醍醐天皇の逆鱗に触れ,左遷されたのです。
うちの実家は神主であるため,古い記録が残っているんですが,吉成家略記には次の記載が(これだと清少納言の兄にはならない感じですが・・・)
吉成氏。本姓は清原氏。飛鳥清見原天皇(天武天皇の御事)之商,清原夏野郷の孫,海雄郷の子,少納言清原正高に出ず。
天延三年亥月,正高,小松女院の事に関して,豊前国下毛郡雲ノ山国宮園村に配せられ,後豊後玖珠に移される。
郡の大領管野検校久兼の女を娶り4子を生む。御冷泉天皇の康平年間,その曽孫兼道移って,同国来(苦)縄郷(現在の来縄本名)に居る。
ただ,この恋は,左遷だけでなく,悲劇を生みます。
小松女院も,正高と交際したことで鳥取に流されたのですが,正高恋しさから,侍女とともに抜け出します。
平安時代と言えば,飛行機どころか新幹線さえもなかった時代です。
道も険しかったでしょうに,小松女院は,正高を探しまわり,瀬戸内海を渡ります。
しかし,苦労に苦労を重ねてようやく消息を掴んだ正高が,既に大領官(地方の豪族で一番偉い人)の娘と結婚していることが分かります。
小松女院は,悲しみのあまり,11人の侍女とともに滝に身を投げました。
そんな悲劇の起きない時代でよかったなと思います。
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