元祖天皇の孫娘との恋? | 弁護士吉成安友のブログ

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荒川区西日暮里に事務所を構える弁護士。
大分県豊後高田市の若宮八幡神社の宮司を900年務める家に生まれ,神職資格を持つ。
Rockな魂と仕事への情熱であらゆる分野で最強を目指し日々研鑽しています!

 一昨日から,世の男性は,眞子様ロスですね。


 しかし,時代は変わったなあと思います。


 いつから変わったかというと平安時代から(笑)


 私は実家が大分ですが,なぜ実家が大分かというと,前にも書きましたが,先祖が天皇の孫娘との恋故に左遷されたのです。


 私の先祖は,清原正高という人物です。


 清原氏は,天武天皇の末裔ではあるんですが,中央で権力を有していたわけではなく,正高も身分が高いわけではありませんでした,


 あの清少納言も清原氏ですが,正高はその兄と言われています。


 その正高は,醍醐天皇の孫娘である小松女院と恋仲になったことで,醍醐天皇の逆鱗に触れ,左遷されたのです。


 うちの実家は神主であるため,古い記録が残っているんですが,吉成家略記には次の記載が(これだと清少納言の兄にはならない感じですが・・・)


吉成氏。本姓は清原氏。飛鳥清見原天皇(天武天皇の御事)之商,清原夏野郷の孫,海雄郷の子,少納言清原正高に出ず。

天延三年亥月,正高,小松女院の事に関して,豊前国下毛郡雲ノ山国宮園村に配せられ,後豊後玖珠に移される。
 

郡の大領管野検校久兼の女を娶り4子を生む。御冷泉天皇の康平年間,その曽孫兼道移って,同国来(苦)縄郷(現在の来縄本名)に居る。


 ただ,この恋は,左遷だけでなく,悲劇を生みます。


 小松女院も,正高と交際したことで鳥取に流されたのですが,正高恋しさから,侍女とともに抜け出します。



 平安時代と言えば,飛行機どころか新幹線さえもなかった時代です。



 道も険しかったでしょうに,小松女院は,正高を探しまわり,瀬戸内海を渡ります。


 しかし,苦労に苦労を重ねてようやく消息を掴んだ正高が,既に大領官(地方の豪族で一番偉い人)の娘と結婚していることが分かります。



 小松女院は,悲しみのあまり,11人の侍女とともに滝に身を投げました。



 そんな悲劇の起きない時代でよかったなと思います。


 

 

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