人生の折れ線グラフ…の続き | 知財業界で仕事スル

知財業界で仕事スル

知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

前回のエントリーからあっという間に1か月が経過してしまった。前回のエントリーは、前回の日本出張の初めに書いた。それからインドにも行って、DCに戻ってきたと思ったら、また日本出張で…その出発時のダレス空港でこれを書いている。いつも通りUberを使って空港に来た。

 

今日は、Thanksgiving dayである。Thanksgiving day当日にこのような移動をしたことがなかったので、どうなることかとちょっと心配したのだが、今のところ心配のすべては杞憂に終わっている。空港は、昨日のラジオニュースで聞いた混雑ぶりはまったくなく、ガラーンとして、何もかもスムーズ。皆がThanksgivingを祝うべく休んでいる日にUberがどうなるかと思ったが、いつもより早く、呼び出しから5分もかからずに自宅前に到着して、こちらが出発準備に慌てたほど。

 

例のごとく、Uber車内では運転手さんといろいろ話をした。

 

会話の最初のつかみは「よく働くね!」だ。それに対して、ニンマリしながら「まあね。娘が二人いるんで」と返事を返してくれた。真っ黒な感じの黒人のオジサン。

 

とても英語が流暢なので、アメリカ人だと思ったのだが、後で聞いてみるとガーナ人だとのこと。ガーナはイギリスの植民地だからガーナ人は英語は得意なんだ、ということだったが、普通はもっとナマっている。

 

少し話したらわかる、とても頭のいい人だった。ガーナ人だし、Thanksgivingはたいして意味をなさないということで、その点で意気投合した。齢60歳で、私が61歳なので、その点でも“意気投合”してしまった(笑)。

 

家にいると、奥さんと娘二人がペチャペチャうるさいので、Uberをやっている方が気が楽なんだ、と笑いながら説明してくれた。ちなみに奥さんはブラジル人。ちゃんとThanksgivingのディナーはやるようだ。

 

彼が乗ってきた車が、普通Uberでは現れない、アメリカ産のフルサイズだった。これの理由が気にかかっていた。大型のアメ車の燃費は悪いし、普通の人はカローラとかシビックのような車に乗っているので、Uberも後者の類の車がほとんどだからだ。

 

実は、昔、15台ほど車を持って送迎の会社をやっていたのだそうだ。日本人もたくさん乗せたよ、と言っていた。それが、時代が変わり、需要が無くなって、車も1台を残して全部売り払ったそうだ。残った1台で、彼は今、Uberをやっている。

 

還暦を迎えて、悠々自適とはいかない人生である。…空港への途上、彼の携帯が鳴った。Uber系統らしく見えたので、空港で客が見つかったのか、と問うたらそうではなく、単に確認のための連絡が来ただけだったらしい。“Life is not that easy”と言って、お互い大笑いをした。

 

 

前回の日本出張から間がないのに再度出張に出る理由は、前回はインド店の5周年記念行事に出席するのに合わせ(日本の1クライアントからのご要望に応えるためもあったが)、今回は大阪店の「第3回ラジコンカーレース大会」に参加するためだ。ラジコンカーレースがそんなに重要かと問われれば、普通は、Noが答えになると思う。が、一応、組織の最高責任者なので、そういう行事こそちゃんと真剣に出席するのが正しい身のこなしだろうと考えている。DCから大阪へ移動する必要のある私としては、とても交通費のかかるイベントではあるのだが。

 

前回からあまり間が開いていないこともあり、今回はあまり対外的な行事がない。上記ラジコンカーレースに続いて、個人的に重要なイベントは、親戚の一人に43年ぶりに会うことだろうか。

 

私の記憶では、私の親の依頼を受けて、私が高校3年生のときに一度、実家に来ていただいて、「工学部へ行かないように」という説明をしていただいたはずなのだが、彼は記憶が無いらしい。ひょっとすると、私の記憶が、昔みた夢の一部だったのにすぎないのかもしれない。現実だったとすると、43年前の話、ということになる。

 

当時、私の実家で「工学部へ行かない」がなぜ重要だったかというと、我が家のポリシーに従えば「工学部は雇われるために勉強をしにいくところだから」ということになる。その親戚の人は長男であるにも関わらず、家業を継がずに、工学部をでて会社に勤めておられたので、「工学部へ行ってもロクなことは無い」と自分の人生を否定するような話を高校3年生の私にするように親から頼まれたのだった。私の実家では伝統的に、大企業であろうが就職したのでは評価されない、もちろん公務員もダメ(話にならん、レベルで)。ま、一般常識的には無茶苦茶であるが、その環境に生れ落ちると、やはりそれなりに感化されて育たざるを得ないのが宿命というものであろうか(笑)。おかげで私はアメリカの空気が性に合う。

 

私の今までの人生で、私の決断を大きく左右する可能性のあった役目を直接していただいたのは、その人と、伏見稲荷大社で修業を積んだ巫女さんの二人だけなのだ。その一人を間違って覚えているということがあろうかと思うのではあるが、記憶というものはあいまいなものであり、私の記憶が間違っているかもしれない。なお、巫女さんの方は、私が最初の結婚をするときに「そんな結婚をしたら駄目だ」と“ご先祖さん”に言ってもらうために私の両親によって採用された人。いずれも、言うことを聞かない極道息子の私には効果が無い結果となった(笑)が、夢の中の出来事とは思えないのではある…

 

この親戚の人は、ここで書いた「おリキさん」の曽曽孫に当たる。私の祖父の妹の子供である。その人でさえ、もう70代後半となっている。私が還暦を過ぎているのだから、それで当たり前なのだが、不思議な感じだ。上のエントリーでも言及した「古い写真を整理するプロジェクト」に含まれていたこの↓写真は、彼の母親の写真だ。明らかに結婚前で、20歳前後だろう。こんなにかわいい女性が、とっくの昔に老婆を経て鬼籍に入っている。彼からのEメールへの返事に添付しておいた。

 

さて、どんなミーティングになるのか、今から楽しみである。