人生の折れ線グラフ | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

私が尊敬する日本のテレビ番組「探偵ナイトスクープ」の“定番”テーマと言ってよいもののひとつに「人生の折れ線グラフ」というのがある。ご存じない方は、「探偵ナイトスクープ」&「人生の折れ線グラフ」をキーワードにインターネット上で検索すると色々出てくるのでご確認いただきたい。

 

3度結婚し(子供、計6人)、京都の農家の長男というポジションを放擲して、ワシントンDCで孫のような年齢の子供を子育て中である私の「折れ線グラフ」もなかなかのものだろうとは思うのだが…ともあれ、現在は幸福度絶好調状態だ。それも、年を追うごとに、上に行く(笑)。「人生で今が最高だなあ」と何度思っても、それが終わらないのである(大笑)。この傾向は3人目の妻に負うところが大きい。感謝いたします。

 

とは言っても、現在、連騰最長記録更新中の日本株でもいつかは下がる時があるのと同様、私のグラフもいつかは下がる時がくるのは間違いない。…そうなっても、過去の人生の紆余曲折を経て耐性はすでにできているので大丈夫だけれど(笑)。

 

さて現在、日本出張中だ。DC→大阪→ニューデリー→東京→DCと約2週間かけて移動する。その往路で感じた「人生の折れ線グラフ」について書いておく。

 

 

<人生の折れ線グラフ1本目>

 

今回の“自宅→ダレス空港”の移動にもUberを利用した。利用時にはいつも助手席に座ることにしている。タクシーと違うし、普通の乗用車は運転手の次は助手席に人が座ることを前提にシートが設計されているという理由で、そうし始めた。結果、ドライバーとは隣同士となるので、いろいろ話すことになる。これがなかなか面白いので、「助手席座り」が今や定番となってしまった。

 

今回のドライバーは、ジンバブエ出身の30歳前後の若者だった。彼は2008年に米国に来た。既婚で子供もいる。

 

ジンバブエと言えば、「ビクトリアの滝」である。まずは、その話題で少し盛り上がった後、ジンバブエの生活や政状のことに話題が移った。

 

アフリカの中でも、私にとってジンバブエは少し身近な存在だ。理由は、98年に米国法律事務所を立ち上げた時の最初の秘書(当時のビジネスパートナーが連れてきた秘書)がジンバブエ出身(英国籍の白人)だったからだ。

 

ジンバブエは昔、英国領だった。ドライバーから、領主国の「搾取」についていろいろ教えてもらった。日本人は、ヨーロッパの国の植民地となった多くの被搾取国の国民が置かれた「奴隷」状態をほとんど知らない。ジンバブエの地元民は英国の搾取に苦しみながらも、彼の祖父は両方とも英国兵として第2次世界大戦を戦ったそうだ。しかし、ジンバブエ人には兵役はあっても年金は無いのだそうだ。彼の母方は「先祖伝来の農地」を英国政府に無理やり取り上げられ、彼の母親は新しく入ってきた英国人家庭のメイドをしていたそうだ。彼の父親は、家族を支えるために、ゴルフ場のボール集めを仕事としていたそうだ。このくだりでは、彼の横に座りながら涙が出た。

 

欧米諸国による帝国主義の時代は、日本が自らの帝国主義で切り返し、第2次世界大戦で敗れることで終わらせた(結果的にそうなっただけのことだが)。当時、植民地だった国々がどんどん独立した。それは日本のおかげだと言えば言い過ぎかもしれないが、欧米外にあってこの結果のトリガーを作った日本の頑張りを日本は世界に自慢してよい。実際、お隣の「反日国家」以外では、世界中で大いなる高評価を日本人はもらっているのは間違いない。

 

その日本の影響をどの程度受けたのか、はたまた受けなかったのかは知らないのだが、ジンバブエは1980年に独立。残念ながら、その後、ハイパーインフレにみまわれるなど経済的危機が長らく続いた。今では、ジンバブエには独自の通貨はなく、米ドルや中国元が通貨となっているそうだ。そんな中で、彼は職を求めて米国に来た。

 

今、彼はUberの運転手をしながら米国籍の取得を待っている。それが成就すると、ジンバブエ国籍、英国籍、米国籍の3重国籍をもつことになるそうだ(厳密にはジンバブエは2重国籍を認めていないそうだが)。

 

ちなみに、上記ジンバブエ出身の秘書(2~3年で辞めてしまった)は、ジンバブエでは英国籍の白人家庭の中で「お姫様」のような生活を送っていたそうだ。朝、目が覚めると、靴がベッドサイドに揃えられていて、メイドが服を着せてくれて…というような人生を送っていた。が、原住民による革命がおこり、その混乱から逃れる形で彼女は米国にやってきた。

 

彼女は、ジンバブエでの“すばらしい”生活を懐かしみ、そして、それが現地のジンバブエ人に仕事を与えるという貢献につながっていた、と説明したことがある。そのときには、隣にいた、いつもは温和な黒人アメリカンの従業員が声を荒げて怒った。忘れられない光景だ。

 

今や知るべくもないが、ジンバブエ出身の「元姫様」の人生の折れ線グラフはどうなっただろうか…

 

 

<人生の折れ線グラフ2本目>

 

成田経由で大阪にやってきて、ホテルまで乗ったタクシーの運転手さんは、“普通”に高齢の方だった。タクシーにGPSが付いていないのが珍しいと思った(現代の標準は、GPSが車体に付いているけれど、運転手は使わない)。それで、そこから少し話をした。

 

彼は、GPSより自分の頭を信用しているタクシー運転歴約30年の運転手さんだった。70歳を超え、今は通常勤務の半分しか働いていないという。タクシー運転手になったきっかけは、以前働いていた会社からリストラされたから。当時、新しく職を見つけようとしたが見つからないので、奥さんに「なんとかせよ」と言われて、仕方なくタクシーの運転手になったのだそうだ。

 

しかし今では、定年後も自分のペースで仕事をさせてもらえるタクシー運転手という仕事を続けて、年金以外に結構な収入がある。悠々自適の生活が、タクシー運転手をしたから得られた、というようなことのようだ。昔の同僚の定年退職後よりずっと楽に生活できているというようなことを言っておられた。彼の「人生の折れ線グラフ」はまだまだ上の方にある。

 

Uberは、日本ではタクシー業界の反対にあってほとんど前に進めていない。それは問題ではないかと思っていたが、この運転手さんの話を参考にすれば、現状でもよいような気がしてきた。

 

日本は高齢化社会である。増え続ける高齢者をどうするのかが重要課題だ。若者の就職環境は、アベノミクスのおかげか何か知らないが、今やとてもよいらしい。Uberのようなネット技術を使わず、GPSもついていないタクシーで、高齢者が社会のお荷物にならずに社会貢献し、経済的に自立している状態は悪くないように思った。

 

 

***

 

さて、台風の直撃を受けず予備日を潰さないで大阪に到着できたので、これから京都の実家に行く。

 

その後、しばらく大阪で業務をするが、大阪の次の訪問地はニューデリーとなっている。1030日がインド事務所の設立5周年記念日となっており、記念行事をするので私もそれに出席する。インド事務所はしっかりしたペースで成長している最中のように私は思っているのだが、インド事務所代表者に言わせると「成長が遅すぎる」とのこと。経済成長著しい国では、彼の感覚が正しいのであろう。

 

そういえば、ジンバブエと同様、インドも英国領だった。そして、チャンドラ・ボースの率いるインド国民軍と日本軍は第2次世界大戦時に英国を相手に戦った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9

当然、インドも親日国である。今は、中国の領土拡大戦略おかげ(?)で、日印関係が良い方向でどんどん深まりつつある。うちの組織も、インドに期待するものは大きい。