おリキさん | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

「1冊7,000円の本を喜んで買う時代へ 」(2015-09-03)
http://ameblo.jp/yoshikunpat/entry-12068908665.html
で書いた写真アルバムの作成をきっかけに、私の京都の実家の古い写真の整理をするプロジェクトを動かしている。私の親が死んでしまえば、何がどうなのかわからない写真がたくさんあるという現実があり、私の親も早く整理をしておきたいと言っている。ただ、動かしているとはいっても、ワシントンDCに住む私が直接動ける機会はたまにしかないので、遅々としたスピードで動いているに過ぎないのだが。

昨年12月に実家に帰った際に、あらかじめAmazon.co.jpで購入しておいたスキャナーで“ご先祖様”の遺影をスキャンした。遺影として写真が残っているのは、私の曽曽祖父まで。

それ以前は、写真技術の存在そのものがあやしい時代に入っていくので、もう無いのだと思っていたら、実は肖像画があった。しかも、曽曽曽祖父の肖像画とあわせて、彼の妻の肖像画まであった。

今年還暦の私だが、昨年9月に古い写真を整理するプロジェクトを始めることにするまで、この肖像画の存在を知らなかった。60年間知らなかったことが不思議な感じがした。9月に初めて、曽曽曽祖父夫妻の肖像画を観た時には感慨深いものがあった。



そのときに初めて、曽曽曽祖母の名前が「リキ」だったことを知った。私の祖父はとっくに亡くなっているし、父は覚えていないしで、掛け軸として表装された絵の桐箱(共箱)に墨で「リキ」と書かれていなければ、もう誰にも彼女の名前がわからない状態になるところだった。

曽曽曽祖父の名前は「要助」で、私の実家の“屋号”ともなっている。私が子供のころは、私の実家はご近所さんの間では「よーすけはん」で通っていた。その他、「しんじらはん(新次郎さん)」とか「ろくべはん(六兵衛さん)」とか、いろいろあった。村内に同じ苗字の家がたくさんあるので、苗字よりもご先祖さんの名前の方が識別力があったからだろう。

この要助・リキ夫婦より前になると、私の家系はもうまったくわからない。私からみて5代前まではわかるが、6代目から先はもうまったくわからないのだ。要助さんが私の実家のある場所で生まれ育ったのか、あるいは他所から移ってきたのかというところからもうわからない。

ざっくりと考え、各世代が20代で子をもうけたと仮定すると、せいぜい百数十年前のことまでしかわからないのだ。この長さは、80歳を超えた私の父の年齢の2倍に満たない程度の長さに過ぎない。その程度の長さの歴史を後生大事にし続けることにどれほどの意味があるのだろうか?

何かに付け「ご先祖様」「ご先祖様」という修飾語句を含む説明により、京都の実家を離れて米国に住む私は批判され続けてきた。農家の長男として生まれながら実家の跡を継がない非常識者として扱われてきた。が、その批判のベースになっている「永劫の家系の継続」感の中身は、きちんと整理するならばたかが知れているのである。

今回の整理活動の一部として、スキャンした遺影と肖像画をひとまとめにし、計10人分の画像に当人の名前を付した状態でプリントアウトし、それを額に入れて両親にプレゼントした。少し皮肉を込めたつもりだったが、単純に両親は喜んでくれた。


父よ、ここでも言っておくが、曽曽曽祖母の名前はリキだ。覚えておくように。

おリキさんよ、永遠なれ!!