「手帳のはなし」シリーズ
前回書いたのが、約半年前。
そうでした、半年前は
私の父の状態が思わしくなく
すでに会話ができる状態ではなく
その後ほどなくして、緩和ケアになったころでした…
正直言って、あのころから
先月半ばくらいまでの私の記憶がほとんどありません。笑
父が逝去して、いろいろやることがあって
やっと落ち着いたと思ったら祖母が逝去して
やっとそっちが落ち着いたと思ったら
手帳講座を動画化する話が来て…と
もう、本当に、手帳がなかったら
何をしていたか思い起こせなかったです。
もちろん
その中には
泣きたくなるようなことや
怒りたくなるようなことや
混乱することもありました。
SNSにも書けないようなことがあった場合は
ただただ手帳に書いて
自分の感情を消化(昇華)させていました。
そんな私が、今だから書ける「手帳に救われたこと」を書きますね。
「誰かに愚痴を聞いてもらって楽になる」
「SNSにネガティブな気持ちを吐き出して楽になる」
別に悪いことではないんですけどね。
直接対話で愚痴をこぼすのも
(こぼされるほうは)だいぶ迷惑なこともあると思うんですけど
それはお互いの了承があれば、まあいいとして。
手帳に書きだすこととSNSに吐き出すことの大きな違いは
「それを見ている(聞いている)誰かがいる」ということ。
SNSは、その時は相手の顔が分からないので
「チラシの裏」(以前ありましたよねネットスラングで)
に書きだすような感覚でつぶやいてる人が多いよなぁって。。。
誰にも見られたくないけど、誰かに聞いてほしい
そんなことをSNSに書く人がめっちゃ増えたなぁって。
「そんなことないよー」
「そのままのあなたで大丈夫だよー」
「〇〇さんはひどいね~」などと
同情してもらえると気持ちが良いですからね。
でも、これって諸刃の剣なんですよ。
それは「他人を使って感情を消化(昇華)している」のであって
このパターンでしか、自分のもやもやをどうにかできないとなると
感情の消化をするのに誰かが必要になってしまうのです。
それが悪いことではないですが
常に、誰かを介してじゃないと感情の消化ができないのは
あまりよくないな~と思うので
自分1人でも感情の消化ができるようになると
生きやすくなるのではないかと思います。
【参考記事】
というわけで、私は
「SNSに感情垂れ流しにする前に、1度手帳に書いてみたら?」ということを
オススメしています。
誰かに自分のネガティブな気持ちを聞いてもらう
(SNSに吐き出すことも含めて)というのは
その相手に、ネガティブな気持ちを渡すことによって
自分の荷が軽くなり、自分が楽になっている
ということなんですよね。
発するほうは「苦しい、楽になりたい」
「ほかにどうしたらいいのかわからない」のかもしれないけど
ネガティブなことを聞かされた(見せられた)側としたら
いやいや、ちょっと、こっちの心構えもなく
ネガティブなことを背負わされても困るんですけどw
という感じですよね。
一人で手帳に向かって自分の気持ちを書くことによって
自分の気持ちを見える化(=言語化)できるようになり
後から見返すことで、自分の当時の気持ちを俯瞰してみることもできるし
自他との境界線を引きやすくなる。
私は、この半年間
手帳があったからこそ自分を保つことができたと思っています。
手帳がなかったら
自他との境界線がない人に
自分の境界線を侵食され
自分で自分を保てなくなり
他責思考(あるいは極度な自責思考)が止められず
ストレス発散のために何かの物質に依存していても
おかしくないなぁと思っています。
自分1人で感情を消化できて
お金もさほどかからない
手帳、私はおすすめです。
【参考記事】
【手帳のはなし #24】その日のことは、その日のうちに!【夜の手帳タイム】