番場よしこ、です。
連休中はアクセスが少ないので
自分のことでも書きますね。笑
そういえば
前回の記事が
告知記事でもないのに
お役立ち記事でもないのに
複数のリブログをいただくという
予想外の展開になりました。
(あまりこういう展開にならないもので…
リブログしてくださった方、ありがとうございます)
まだ読んでないよ、という人はこちら↓
FACEBOOKのほうにも
コメントいただきまして
多かれ少なかれ
関心を持ってくれたり
以前から同じようなことで
思い悩んでいた人もいたんだと
改めて感じました。
この件に限らず
SNSやブログの
コメント欄のやり取りを見ていて
人によって捉え方は違い過ぎて
(自分の)理解の範疇を超えることがある
って思うことが
たまにあります。
あ、そこに
いいとか悪いとか
ジャッジはしないよ。
ただただ
「そうなんだー」って思うだけ。
人それぞれ持っている
生まれながらの特性とか
育ってきた環境によって
その人には
「物事の捉え方のフィルター」って言うのが
出来ているのね。
例えば
自分が気が付かないうちに
生まれ持った価値観や
育った環境
体験した出来事により
勝手に「調整」された
コンタクトレンズが目の中に入っていたとして。
そのレンズを通して
人は「知らないうちに」
物事を捉えているんだと
いうイメージで。
みんなそのフィルターを通して
物事を見たり聞いたりして
捉えているから
同じ空間を体験しても
同じSNSの記事を読んでも
人によって
感じ方も捉え方も違うんですよね。
(関連記事)
そんなことは分かってる
そんなことは分かってる…けど
理由は分からないけれど
ある出来事が引き金になって
うわああああああああああああああああああ
っていう感情が
抑えられないってことがあるんです。
それってなんでだと思う?
それって
過去に
悔しかったり
悲しかったり
辛かったり
分かってもらえなかったりしたことが
あったとして
その時の
マイナス感情に蓋をしてしまうと
自分が我慢すれば丸く収まる
というように
我慢してしまった
何もなかったかのように
振る舞ってしまった
など
そのタイミングで
マイナス感情を感じきれれば
消化(昇華)出来たのに
感情を感じ切れずに
蓋をして
無かったことにすると
表向きは
その感情はなかったことになる。
イメージとしては
箱の中にしまって鍵をかけて
無かったことにした感じ?
しかし
その時と
似たようなシチュエーションの
出来事が起こると
まるで
パンドラの箱を開けてしまったかのように
その時に感じ切れなかった感情が
プシャーと噴き出てしまうのだそう。
でも
(そのマイナス感情の引き金になる
出来事そのものは忘れてる事が多いので)
本人も周囲も
何でだかよく分からないけど
急に泣き出したり
急に怒り出したり
急に情緒不安定になったり
するんだそうです。
この話を聞いた時に
思い出したんですけど
私はある出来事がきっかけで
どうしても出来なくなってしまったことが
あるんですよ…
それは
他人に自分のことを
分かってもらおうと思うこと。
分かってもらおうと思うところに
労力を裂くくらいなら
1人でいいじゃん
って思ってる。
それはなんでだろうって
ここ数日考えてました。
続く。