日常生活が送れることは「当たり前」なのか? | 手帳を使って人生をデザインする★番場よしこ【東京・八王子】

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よく、子育ての本にもネット記事にも講演会でも


「子どものありのままを認める」


とか、言われるじゃないですか。


で、そのためには


まず、今の自分を認める とか 今の自分に「○」をつける


っていわれるじゃないですか…


そういわれてつけられるようでしたらとっくにつけてますってば!!


…って、ずっと思っていました


ただ、今になって思っているのは

これは、「○」をつけられないという思考(思い込み)を自分で選択している

ということなんですよね。


「○」つけられるようなこと、何もしてないって事はないんですよね。

細かいことでも拾い出してみれば、どこかしら「○」をつけるところはあるはず…なのです。


なんで、「○」をつけることには否定的で、そんなところで「×」つける必要ないのに~って(他人からみれば)思えることまで拾い上げて「×」をつけているのか…


もしかしたら、小さい頃から出来ないことばかり指摘されるとか…そういう風に育ってきているのかもしれません。


日常の忙しさで見逃してしまいそうな「○」を、1つでも2つでも拾い上げるように意識してみるといいのかなぁ。


日常生活が送れることって、「当たり前」じゃないんだよね。

今日、何事もなく日常生活が送れただけで「○」をつけてもいいと思う。


もう、そんなところからのスモールステップから始めてみてもいいのかもね。