努力ってものは、直接結果に結びつくものではない
分かってはいますが、実際にそうなったときには、どうしてもショックを受けてしまいますよね。
例えば、1番分かりやすいのは「志望校に合格できなかった」時ですね。
あとは、「あと一歩のところで大会出場を逃した」とか「取れそうな商談が取れなかった」とか
いろいろありますね。
まあ、今、私の周辺に、似たような事象が起きてまして。。。
さーて、気持ちをどうやって整理するか、そんなことを少し考えておりました。
選択理論では、行為と思考はコントロールできるけど、それに付随する感情と生理反応(身体症状みたいなものかな)はコントロールできないと言われています。
ただし、行為と思考で無理やり感情に蓋をする、というわけではなく、出てくる感情は感情でそれを受け止めて
それをどうやって出していくか
それをどうやって消化していくか
ひょっとしたら、そこが大切なのかな?と思うのでした。
努力した結果…この「結果」ってのは自分以外の人や組織が決めるものならば、それはもはや「コントロール不能」な領域なわけですよ。
そこに照準を合わせて努力するのも頑張るのも、きっと大切なことなんだろうけど、そこが達成されなかったからと言って、得られたものはきっと多いはず。
そこに着目して、今の自分には何が出来るかを考えてみると、けっこういろいろある感じ。
ただ、そこの「結果」にこだわってしまうと、コントロール不能なところに焦点を当てすぎちゃうと、思ったとおりの結果にならなかったときに、自分のコントロールを失ったり…例えば、他人のせいにしたり環境のせいにしたり自己否定に走ったりすることもあります。
ただ、そこで出てくる感情は、私個人的には、あえて抑えつけたり無理矢理整理しなくても、出すことが許される環境ならば出したほうが、早く整理してスッキリできる気もしますが…ケースバイケースかなと思うのですが、いかがでしょうか。
(にきびをそのままそっとしておいて治すか、針を刺してして膿を出すかの違いみたいなもんかな…)
それで、スッキリしてから、自分に出来ることを探す…てのはどうよ?