北国街道(信越)は軽井沢追分宿~上越の直江津走り切れば、中山道と奥の細道が繋がる
今回は信州上田から走り長野まで走り
その後の妙高高原越えは夏の楽しみに取っておこう
坂城町から千曲市に入る手前で、48キロ先の標高2900mの白馬連峰がかろうじて見えてる
この光景で直感的に思い出したのが、初代ウルトラマンの第25話に登場した冷凍怪獣ギガス
怪彗星ツイフォンの接近で日本アルプスから現れた雪男が進化したと考えられる怪獣だけど…スペック見ると、体長は40メートル
3000m近い日本アルプスの山々とは縮尺が違い過ぎる
このロケ地は霧ケ峰高原
今度聖地巡礼と実際の大きさの測定を兼ねて走りに行ってみよう
信州銘菓「おばすて伝説」昔々「60歳になった年寄りは山に捨てること」とお触れが出た
一人の男が
60歳の母
を背負い山道を登ったが、途中、母は木の枝を折り道に捨てていた。男が母を置いて帰る頃には真っ暗
になるが、母は言った
「折った枝を目印にお帰り」と
親心に触れた男は、お触れに背く覚悟を決め
母を家に連れ帰る
そして…美談だったんだ
千曲川の対岸に開湯120年を超える戸倉上山田温泉善光寺詣りの精進落としの湯(巡礼後の肉・酒などの再開
)として古くから親しまれ
源泉が多く湯量が豊富で
その泉質の良さから『美肌の湯』として知られ
30軒以上の旅館・ホテル
があり、あれ?山の上に何かある
城山には「戸倉上山田♨」のネオンサイン横に善光寺大本願別院
善光寺と善光寺大本願は「無事故(645)の世作り、大化の改新じゃなくて乙巳の変
」の頃の642年に創建され「参詣すれば、誰でも必ず極楽往生できる」という教義によって「一生に一度は参れ善光寺」となった
別院では御開帳の期間(4/3~6/29)は毎朝6:30から「お朝事」が行われ、お札が授与される
11/26千曲川ハーフマラソン9時に戸倉体育館をスタートし千曲川右岸を粟佐橋まで下り
折り返して左岸を遡上し
大正橋を渡り、戻ってくるコース
橋を通行止めにしてあみだくじみたく
橋をジグザグ走るのかなと思ったら、違ってた
風光明媚で面白いと思うんだけど
その復路で渡る大正橋から千曲川小石でゴツゴツした川底によって出来た細かい波面に陽
の光が乱反射して美しい
「千曲川」は日本一長い「信濃川」の信濃での呼び名だったんだ
越後に入った瞬間「信濃川」になるって
外に出ると純ドメでなくよそ行きになるパターン
佐良志奈神社から更級小学校横のとんかつあさひやさんを通り過ぎるとリンゴ
がたわわに実ってます
更級と言えば、芭蕉翁の「更科紀行」
「奥の細道」に向かう前年、姨捨山の名月
を見るため、岐阜から木曽路を経てここ更科の里へ
「奥の細道」の予行演習的な旅だ
そしてついに姨捨山への急坂に突入さっきの大正橋の標高370mに対して、姨捨駅は550m
180mの弾丸登山
泣きそうなんだけど、これを登り切らないと次には行けないと決心すれば
あとはどう楽しく登れるか
散歩のご夫婦に笑顔で挨拶しながら
坂を一心不乱に登ります
まずは姨捨の棚田に着いた 戦国時代終わりから開拓が始まり、江戸時代に入り、山上の高原に大池が整備され、田んぼに十分な用水が供給できるようになり、一気に棚田の開発が進んだ
このあたりで標高500mまだまだ急坂は続きます
しかしよくこんな斜面に棚田を造ろうと思ったねぇ
信州の人はホント真面目
だからこそ精密機械産業とかが発達したのだろう
逆に夏は千曲川が荒れ、冬は寒くて、そういう人でないと生き残れない環境だったのかもしれない
振り返ると、千曲川にかかる平和橋があり、向こうの山際にしなの鉄道の屋代駅があって、目印にホテルルートインコート千曲更埴
が見えてます
この後、あそこを通り、北の善光寺平に向かって進みます
ここで、上田駅から21キロでハーフの距離、気温も快適で気持ちいい
篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅に到着標高550mの山の中腹に位置する数少ないスイッチバック駅
日経アンケートで「足を延ばし訪れたい駅」や「お月見ポイント」で上位ランキング
そしてここを通る列車から見下ろす長野盆地は、根室本線の旧狩勝峠、肥薩線の矢岳、と並んで「日本三大車窓」の一つに数えられ夜景を見る「ナイトビュー姨捨」は
5月末から、土曜運行、長野18:47発で1時間夜景見て
長野に20:57に戻って来る
これは是非来てみたい
この写真は一昨年、中山道ジョギングで、長野から木曽路に向かう時に撮ったもの
役に立った
駅へは入構自由で陸橋を渡って、2番ホームの展望台に行くことが出来ます
2016年から、「TRAIN SUITE 四季島」運行開始に合わせて、待合室リニューアル、ホーム嵩上が行われた
これも乗ってみたいねぇ
リタイヤ後の楽しみにしておこう
1泊2日スイート2名で88万円
ホームから少し南側を見下ろすと…さっき登った棚田の先に、千曲川、そして千曲市の街並み旧北国街道やしなの鉄道は山際ギリギリを通り、北陸新幹線と上信越道はトンネルで山中通過
てことは、ハザードマップ見ると
千年に一度の豪雨でヤバイ
かもしれない準備が大事だ
スイッチバックの駅までの引上げ線は25 ‰(パーミル:千分率=1キロで何m高くなるか)駅ホームは水平、その奥に見える変電所の場所に66.7 ‰の急勾配がかつてあって、ブレーキが効かずオーバーランした車両を受止める避難線になってた
三浦綾子「塩狩峠」を思い出す
そして駅の北の踏切から下りてくと、篠ノ井線の本線これを真っ直ぐ行って、スイッチバックで引き返すと姨捨駅
長野と名古屋を結ぶ特急「しなの」はそのまま真っ直ぐ通過するんだ
四十八枚田「田毎の月」水が張られた水田の一枚一枚の水面に月が写る光景撮ってみたい
芭蕉翁も更科紀行から戻り、奥の細道に向かう前の元日に「元日は 田毎の日こそ 恋しけれ」と詠んでる
更科紀行と奥の細道を結びつける重要な句
ここでそぞろ神の誘惑を受けたんだ
姨捨山から降りて来ると「さまざまな時代を駆けぬけついに…」八幡小学校創立150周年
6年松組ってことは、竹組、梅組ってあるのかな
2年と3年は36名以上で竹組があるんだ
校歌2番は
「広やかな姨捨の 田毎に清く照る月に 思うは祖先のたゆまぬ力」
そうだよね
何代にもわたり急斜面を開墾して造り上げた棚田を思うと「自主の精神われらにたぎる」だね
というわけで、姨捨駅まで登り芭蕉翁も訪れた棚田とそこからの素晴らしい景色を満喫し
再び千曲川を、今度は平和橋で反対に渡るきむきむなのであった
この後は、善光寺平をひたすら北に長野駅に向かって進みます
そうそう、この日はあの行事が行われる日だったのです