10月最後の週末、第8クールの抗がん剤治療がちょうど終わり体調良好チャンス到来
超駅チカの東横イン甲府駅南口Ⅱに前乗りし、甲府からの上り坂ジョギング当日に備えるちょうど翌週の水ダウ『東横インで寝てる間に別の東横インに飛ばされても気付かない説』で証明されたように、客室のレイアウトが全く同じで便利と言えば便利朝食バイキングはそれぞれの特色があってお気に入りだけど気を付けないと、走る前に食べ過ぎちゃうんですよね
山梨県の人口は79.5万人で、このうち甲府市の人口は18.7万人比率的に意外と少ないなぁと感じたので、山梨県の市町村地図(帝国書院HPより)に甲府盆地を赤枠で囲んでみると
荒川橋から富士山がぼんやり見えました富士川町高下の日出づる里では、元旦に初日の出のダイヤモンド富士が見られるみたいだベスポジ争いでカメラマンがごった返すだろうな
BYD AUTO山梨1995年に中国深圳で創業中国国内9年連続で電気自動車販売台数第1位2022年に世界No.1今年、日本進出を果たし10店舗をオープンこれまでの売上げ台数は…
今年合計で1200台くらいか補助金を使えば300万円を切る価格設定なんだけど、マンションに住んでたら、充電器はどうやって設置すればいいんだろう管理組合の承認とか大変そう
山梨県立文学館では「それぞれの源氏物語」特設展与謝野晶子、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴から山梨市出身の林真理子理事長まで、多くの作家が挑んだ現代語訳や創作小説を紹介してました来年の大河ドラマは吉高由里子さんが紫式部を演じる「光る君へ」興味のある時代だし、不振作の後ヒット作が出ることが多いので楽しみだ清少納言はウイカさん、適役な感じ
竜王駅南の交差点を過ぎ、中央線の踏切を渡ると赤坂の急坂赤坂台の頂まで標高差60mこれは序盤からなかなかの急坂40台の頃は「ダッシュで上るぜ」って感じだったけど、今は病み上がりということもあり、ちょっと無理ゼーゼー言いながらゆっくりと上ります
頭上に中部横断自動車道路新清水JCTから北上して佐久小諸JCTまでの132km八ヶ岳山麓40kmが未着工ここから清水までつながってるってスゴイ富士川下りジョギング80kmをジョギング候補リストに入れておこうこの南北の道、当然「縦貫道」と思ったら「横断道」命名ルールは『日本の中心線』を横切るのが『横断道』、中心線に沿うのが『縦貫道』なんだ
ヘリコプターの向こうの雲が晴れてうっすら甲斐駒ヶ岳が見えた標高2967mは全国24位①富士山②北岳【南】③奥穂高岳【北】④間ノ岳【南】⑤槍ヶ岳【北】⑥悪沢岳【南】って、富士山以降は南アルプスと北アルプスのたすき掛け山事だなんとも日本らしいランキング
奥秩父山塊が源流の塩川を渡ると韮崎市で、中央線沿いを韮崎駅に向けて進みます「韮崎」の地名の由来は①ニラの群生地だったから、②この先の七里岩の形がニラの葉に似ているからなど諸説ありまあ身近にニラが無いことには、②みたく例えられないので、①が順当なのかな
Nirasaki City Sports Groundこのままでも良かったんじゃないまあ市営の City が嫌なら Nirasaki Munucipal Sports Park とか昔、米人向けのプレゼン作ってて「日々の改善活動」を Everyday Improvement Activities と訳したら、先輩から「誰だ!こんな中学生みたいな訳をしたのは!Everyday Low Price みたいじゃないか」と怒られたContinual…だったかな少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草第52段)今はだいぶ上達したと思う
韮崎駅前に近づくと、山上に平和観音1961年に建立され高崎白衣観音、大船観音と共に、関東三観音の一つと言われてるちょうどここが釜無川と塩川で削られ出来た七里岩の先端その見晴らしが一番良い標高390mのポイントに観音様を建立するってナイスアイデアでした
にらさき文化村の前に阪急電車の創業者小林一三の生家跡鉄道を中心に不動産・流通・観光事業を一体的に進めて相乗効果を上げる私鉄経営モデルを独自に作り上げ後の大手私鉄の経営手法に大きな影響を与えた神戸から十三の大阪北予備校に通ってたので、阪急電車には大変お世話になりました彼が創設した宝塚歌劇団も旧来のシステムを刷新して再生して欲しいです
グエッ赤坂を登ったと思ったら、次は青坂ってこの後、黄坂、緑坂、白坂とか続くのかいやいや、ゴレンジャーだと、白坂じゃなくて桃坂だなどと、愚考しながら進んで行って…
八ヶ岳の噴火による岩屑なだれが形成した平坦地を、西と東に流れる釜無川と塩川が侵食して崖を形成したものなだれの土砂の体積は10 立方キロと推定され、日本最大規模で先端は、甲府盆地を突き進み、反対側の曽根丘陵まで達してるそんな時代に生きてなくて良かった
祖母石公民館まで来ると、七里岩の崖上との標高差は50m武田勝頼は長篠の戦いの敗北後、躑躅ヶ崎館を廃して、この七里岩の上に新府城を築城し、本拠地移転により領国維持を図るも織田信長の甲州征伐の際に、味方の裏切りに遭い、嫡男・信勝とともに天目山で自害これで平安時代から続いた戦国大名甲斐武田氏は滅亡したここに築城する気持ち、よく分かります
西側一番奥の山塊が南アルプスの鳳凰三山と呼ばれる薬師岳・観音岳・地蔵ヶ岳標高2800m前後で、比較的手軽に登れる爽快な縦走コースは、白根三山や富士山の壮麗な景観が楽しめて地蔵ヶ岳の山頂には高さ18mの大石柱があり、古くから信仰と伝説の山として崇められてる
下祖母石を過ぎると、旧甲州街道は、柳沢橋で釜無川右岸に移ります恐らく左岸の上祖母石は釜無川が崖の際まで暴れてて、街道を通せなかったんだな振り返ると、甲府盆地がかなり遠くに見えて、なかなかの達成感ですここまで約17キロで、残りは21キロあと少しで半分だ
上りジョギングと言ってたけど、あとは釜無川を遡って行くだけだし、そんな大したことないなと油断するきむきむなのであったこの後、どんな展開が待っているか、彼はまだ知らない