4月の胃がん切除から8カ月経過の12月中旬、第11クールの化学治療の前に採血検査を実施腫瘍マーカーは正常値免疫も大丈夫だ、ただコリンエステラーゼなどの栄養状態が低値だ
「食欲が今一つで、体重がなかなか増えないんですよね」と主治医の先生に相談すると「きむきむさんくらいですよ、胃の手術の後、胃薬飲んでないのは」え~聞いてないよとは言えなくて「それじゃ胃薬の処方お願いします」とやんわりお願いするこれで体重増えるかな
11月の文化の日の三連休で甲府に前乗りして甲府の街をぶらぶらジョギングすることにしたスタート地点はもちろん甲府駅前の武田信玄公の銅像前総重量5トン制作者の宮地寅彦さんが渡された参考図より「もっと強そうに作りたい」と提案鋭い眼光に立派な口ひげを追加して完成して、1969年の除幕式の日の信玄公祭りには、県内外から15万人もの観光客が訪れた
現在の信玄公祭りは信玄公の命日の4月から秋に移され、第50回がちょうど1週間前に開催信玄公役は、ドラマ「大奥」で徳川吉宗を演じた、当たり役の冨永愛さんもちろん女性初イラストの作者はイラストアーティストの田村大さんったら、ワイドナショーに出てた人
その豪華キャストの甲斐あって、3日間の来場者数は23万5千人舞鶴城を出陣して駅前の平和通りを進む武者行列も、冨永さんの凛々しい信玄公を見ようと大変な人だかりだったみたいそれぞれの地域の特色を生かしたイベントで、地方をどんどん盛り上げていって欲しいですね
甲府駅北口から武田通りを北に向かって進みます全長2キロちょっとの緩い上りの道本当は前回上って下ってゴールの計画だったんだけど、甲府駅に着いた時点で限界だったので今回、前乗りして、武田氏の館である躑躅ヶ崎館、太宰治の旧宅、舞鶴城を訪ねることにした
ちょうど中間地点の山梨大学では梨甲祭2002年に山梨大と山梨医科大が統合して、現在、教育学部、医学部、工学部、生命環境学部の4学部ワイン醸造や原料のブドウの栽培・研究を行うワイン科学研究センターがあって、工学部のローソンで醸造されたワインが売られてる
2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智教授はここの学芸学部卒業現在の韮崎市の大農家の長男として生まれ、大学卒業後、墨田工業高校の夜間部の教師となり物理化学体育を教えながら、東京理科大学大学院に入学昼は大学院、夜は教師、土日は徹夜実験その後、米国留学を経て、北里研究所の抗生物質研究室の室長から北里大学薬学部教授に就任
大村教授のグループはこれまでに約200種類、成分にすると500近くの新規化合物を発見そのうち25種が医薬、動物薬、農薬、研究用試薬として実用化一例はプロテインキナーゼの特異的阻害剤スタウロスポリンプロテアソーム阻害剤ラクタシスチンやっぱり化学は嫌いだ
1974年、静岡県の土壌から新種の放線菌を発見この放線菌が作り出す成分を元にアベルメクチンとその化合物イベルメクチンを開発イベルメクチンは、熱帯の寄生虫感染症の治療薬として無償提供され、多くの人を熱帯病による失明から救いこの治療法の開発を評してノーベル賞が授与されたしかし、静岡の土の中の菌が作る物質が熱帯の寄生虫退治に効くってスゴイ
武田氏の躑躅ヶ崎館だった武田神社にやって来ると信玄公の名言「人は城、人は石垣、人は堀」「情けは味方、仇は敵なり」の幟だ現代の人材マネジメントでも良く引用され「立派な城があっても、人の力が無いと役に立たない、情けは人心を繋ぎ、恨みは身を滅ぼす」と解釈されるそれで、お城じゃなく屋敷に住んでたんだまさか、お城が無いことの言い訳じゃないよね
どれどれ、一問解いてみようn点の湖岸の船着場が湖周道路で結ばれて、連絡船も出てるm区間の道路が一方通行になった時、一筆書きで全ての点を巡れる経路は何通りか
【解答】船着場が5点で、一方通行が無ければ、経路の数は、5!=5×4×3×2×1=120通り
1区間が一方通行になると24減って120-24=96通り24通りったら左の青の数字と一致するこの3点の関係式は全てのセルで成立しているので、5点と6点の経路数は以下のように表され、
一般式はこのように表される今井先生、正解者にきむきむ99号を入れてもらえますか
次の問題は、中央新幹線の駅の数をn+1として、上りの切符を全部買って重ねる時に券Aの乗車区間が券Bの区間全部を含んでいればAをBより上に置くとすると、重ねる順序は何通り名古屋~岐阜~長野~山梨~橋本~品川の6駅だと292,864通りもし静岡県の川勝知事が更にごねて静岡新駅が山中に出来たら7駅で1,100,742,656通り川勝知事、これ以上ごねないで
本殿に進むと、ちょうど七五三の家族連れも来ていて、多くの人が参拝中信玄公に家族の安全と健康と共に自分自身の病気の完治をお祈りしました何か、信玄公にお願いしたら聞き入れてくれそうな気がしたそういう頼りになるリーダーシップ、「将の器」って大事ですよね
武田通りを下り、梨大を過ぎた所で西に行くと、太宰治が1939年1月に石原美知子さんと結婚して8か月間住んだ僑居(仮住まい)跡「僑居」って「新婚の愛の巣」の意味と思ってたら完全に違ってたここで精力的に「富嶽百景」「黄金風景」「女生徒」などの創作に打ち込むたぶん高校2年で読んで以来、40年以上読んでないかもだいたいあらすじは分かるけど
こういう時の「ザ・太宰治」1999年に買って、引っ越しの淘汰で生き残った全作品153篇ってのが心強いあと「ザ・森鴎外」もある東京に越した時に「鴎外全集」「漱石全集」を処分したけど書棚の飾りと重しだったから悔い無し読みたいと思えばネットで読めるし
駅前まで下りて来ると甲州ほうとう「小作」甲府北口駅前店の前に、行きのお昼時にあった長い行列が無くなってるこれはチャンスと駆け込みますついにほうとうが食べられる
鴨肉ほうとう¥1800と生ビールメチャクチャ美味しく頂きましたかぼちゃがこんなに美味しいものだったとは小さい頃は、煮物とか、ちょっと嫌いだったけどねぇというわけで、
早速、スーパーで横内製麺の手もみほうとう味噌付きとかぼちゃ(硬くて切れない)を買って2人前を一度に完食プレーンとかぼちゃほうとう食べて、次は辛みそほうとうで3種制覇
甲府駅を通過し舞鶴城武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命で家康に対抗する拠点として築城され関ケ原以降、徳川体制になってからは、逆に西側への備えとしての重要拠点となった当初、将軍家一門が城主となる特別なお城だったが、綱吉の時代、側用人柳沢吉保が城主となり城下町とともに発展吉宗の時代、享保の改革で甲斐国は幕府直轄地となり甲府勤番が城を治めた
本丸跡の高台から富士山山頂がきれいに見えました最近のニュースは「弾丸登山」規制そして宝永噴火から316年溜まり続けてるマグマがいつ解放されるのか東日本大震災の直後に富士山直下の地震があった時は「ついに来たか」と思ったけど、何とか持ちこたえたみたい次の試練は南海トラフ地震お願いだから耐えてくれと山頂に向かい、祈りを捧げました
この後、東横イン甲府駅南口に泊まって近くの理容店「髦のこころあつしば」で、網走に続き2度目の剃髪をしてもらいながら、おばさんとのおしゃべりが盛り上がりました山梨県人の気質、甲府一高の「強行遠足」(甲府~小諸104キロ)、地元の無尽会、ほうとうの話と、とても楽しい時間を過ごせましたまた機会があれば、散髪してもらいたいなぁ来年の御坂峠ランの時に前乗りで今井先生宅とここに寄ることにしようと思うきむきむなのであった