オダイって何⁇ | 慶祐のつぶやき。

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少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐


私のような小僧が何も偉そうには"オダイ"の意味は説明できませんが、最近オダイとは何なのか⁇と聞かれる方が多くなりましたので、私なりの正しい見解をお答えさせていただきたいと思います。

オダイとは、、

お代、お台、とも書きます。

祖母もオダイの一面がありましたから、現代でいう「(ふげき)」的立場だと考えられたりするといいと思います。

巫覡(ふげき)の意味。

神に仕える人。"祝詞などを唱えて"神意をうかがい、それを人々に伝え、神と人間とのなかだちをする人。(辞典より引用)。

"オダイとは主にお稲荷様からしっかりした験力を授かり、神仏のお告げや意を汲み取り、正しく人にお伝えして人助けをする人の事をあらわします。"

主に○○がついてるよ。といったような怪しげなものではなく、いい加減な霊験とかお告げとかでもなく、見えるや聞こえるといった事だけでもなく、簡単に説明するならば無意識に神仏の意をしっかりと汲み取っては六波羅蜜に導き、神仏の望まれてるお話しを相手にしっかりお伝えする役割りがある方の事をあらわすように考えます。

オダイ=霊能者というイメージが強いが、全然違ったりいたします。

いかに神仏の意向を汲み取れているか?という事が正しいオダイのようです。

すなわち利他行を好み、誠の意味で自分が幸せになれる道を考えるべき立場がオダイといわれる方だと考えます。

大乗仏教でいう利他行をしながら、みんなと共に悟りを目指して邁進しようという部分は何にも変わらないように、永遠不滅の幸せとは何か?を結果的には目指している所はなんにも変わらなかったりするように思われます。

正しいオダイの方は全く怪しい者ではないのです。

祖母はとにかくオダイの一面が強かったわけなのですが、例えば、水神上げをする時は最後に○○と○○を入れなさい?と私に教えてくれたりしていたのですが、これらの内容は秘さないといけないのであります。

何故なら、直接的に神仏からお告げや計らいをいただく一面もあったりするからです。

これらは誠のオダイにしかできない事であったりします。

全く拝み屋ではありません。

オダイなのです。

拝み屋=オダイでは全くありませんので、注意くださいませ。

本当のオダイさんはしっかりした所作や作法も出来ていますし、内容が聖教で説かれている事と一致する事がかなり多いですし、また正しいオダイさんは、とにかく地位や名誉といった形には興味が全くない方が多く見受けられます。

ですから、形という名誉には捉われを起こしていない方が多い傾向に見られます。

誠のオダイは稲荷信仰や神仏はもちろん、さらには自然信仰もしていらっしゃられる方が多く見受けられますから、神仏からの正しい計らいやお導きをいただく事ができてきている方が多いように感じられますし、とにかく世間を気にせずにただ黙々とお稲荷様や宇賀神様、諸神仏と向き合っては人の幸せを願ってはお祈りを捧げていたりします。

神仏を通して人助けさせていただく事に喜びを感じていらっしゃる方が多いですから、自然と周りから押し上げられ、自然と大きくなっていく方が多くいらっしゃります。

誠の通力を持っていらっしゃるので、そのような事は自然と当たり前にどんどん起こり出してしまうわけなのです。

簡単に説明すると、誠のオダイさんは正しい智慧と慈悲を授かっているので、験力が極めて強いので神仏との御縁の繋ぎ役となる事が出来ているように考察いたします。

オダイをより簡単に説明するならば、
決して恐怖心を与えるのでもなく、
不安を与えるのでもなく、
何よりも神仏を通して、
様々な通力で携わる人を笑顔に幸せに出来る方こそが正しいオダイだと思ってくださったのならば、オダイの意味が分かっていくように思われます。

また、代表的にオダイになられていた方は

中井シゲノ師、砂澤たまゑ(え)師、などなど

主に有名なオダイ達は伏見稲荷様と御縁が深かったりいたします。

また、代表的なオダイといえば"砂澤たまゑ"師であります。

砂澤師は"霊能一代"という本を書かれて出版をなされているのですが、なんと今現在ではオークションでかなりの高値に跳ね上がってしまい、現在ではなかなか手に入らなくなっているようなのです。

ちなみに、私の場合は行者でもあるつもりですし、坊さんでもあり、僧侶の一面も持っていたりいたします。

自分は生粋(きっすい)のオダイということでもないです。

ちなみに私の先祖は祖母や先祖代々が脈々と密教の修法やオダイをやっていたり、神主をしていたりしていたようなのです。

だからこそ、自分は何にも染まらないオダイとしての一面性を持つことにしているわけなのであります。

かの参考程度になれば幸いに思います。

慶祐 九拝