嘘ばかりは絶対につかない方が良い。 | 慶祐のつぶやき。

慶祐のつぶやき。

少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐


見栄を持つ人。嘘をつく人。

世の中には様々な人が本当にいらっしゃる。

私自身も全く完璧ではないのだから、それらを否定する気も批判する気も全くないが、ただし、その自分よがりの嘘や見栄により、犠牲になられる人がたくさんいる事も嘘や虚栄をつく側も考えないといけないように切実に思う。

見栄を張る人も自らの器量をよく知ってからするべき事も大切であるように思われる。

自分の実力や器量は自分自身がよくわかっているのだから、人を騙してまで自分を虚像で大きく見せなくてもいいように最初から大きく見られてしまえば、残念ながらそれ以上の実力が絶対的に見せられなくなるのだから、結局は自分が損して誰かを幻滅をさせてしまうのも自分になってしまうようにも思う。

それでも、虚栄は楽だからついついまた人は繰り返してやり続けてしまう。

その結果、最後は嘘つきだとバレて悪循環を生んで人のせいにしてしまう。

私もそんな所が昔はあったように、そんな嘘つきさんは自分は悪くないんだ‼︎と自分自身に言い聞かせてあげるのだが、蓋を開けたらただ単に人に妬みを持っていたり、勝ち負けにこだわっていたするだけだったりする。

それらの感情を隠す為に、また見栄を張る事に意識を向けては悪循環を繰り返してしまう。

他人に意識を向ける事でもなく、自分を含めて悪いのは自分自身なんだ。と、自らを認めて反省してからこそ、色々はじまりだすのに、なかなか自分自身では気づけなくなる事でまた自ら地獄の道を歩んでしまうように思われる。

そして、またその悪循環に自分では気づかなくなっては繰り返しては、また失敗をしてしまうように思われる。

苦しいなら苦しいと周囲に素直に言えばいいし、辛いなら辛いと正直に言えばいいのだが、私も含めて人は見栄ばかりを優先しては失敗をしてしまうように思われる。

虚栄、虚像、嘘をつく事で表向きは凄く人助けして善行を積んでるように見える人が大半だが、嘘をつき続けてるので、人の為は偽る人となり、結局は自分から人が離れていったら人から愛されてる人を妬み続けているし、中身がない事がバレてきたら周囲に言い訳と嘘をついてまわってしまう。

見栄で嘘を言わなくてはいけない理由は、実は内心は欲ばかりに染まっているからであり、お金を生む事ばかり考えているから、また失敗を繰り返してるだけのように思われる。

上手くいかない根本は結局は誰のせいでもないし自分自身が悪いのだから、嘘やら虚栄やらが一番の悪業を積み重ねている事に自分では気づけなくなれば、また自らを苦しみの底に落としてしまうのだ。

そこで、自分を苦しめてる要因や原因がわからなくなってしまうように思われる。

また、嘘がバレてなければいい‼︎というようなその感覚が自然に出てくる事により、また最悪なシナリオを作り続け、悪循環を生み続け、人の負の感情をもらい続けては結局は物事が長く続かなくなってしまう。

その嘘で無意識に人に期待をさせたり、悲しみを背負わせたりしてしまう事を避けなければ、また携わる人に苦しみが生まれ、因果応報のもと、仏さんから仏罰を受けてしまうように思われる。

他人の幸せを願ってるよ‼︎と自分で言いながらも、結局は内容や行動は自分の幸せしか考えていなかったりするし、お金の事しか考えていなかったりするようなものである。

人を心から思う事が出来たのなら、お互いに助けあえるようになるし、人の悲しみを背負う数が少なくなるように思う。

自身の幸福度や物事が栄えない要因は全て生き方や考え方だったりで、全て自身のせいだったりするのだ。

形で作るには限界があるし、地位で見栄を作っても限界がある。

虚像ばかりで心がなければ、その悪循環の世界を作り上げているのも本人であるのだから、全く他人のせいでもなく、結局は全ての責任は自分次第であったりする。

完璧な人なんかいないのだから、人に理想を押し付けては、人に完璧を求めない事であるし、ただ自分を見つめ直す事だけか大切であるように思われる。

自分の努力でどうにでもなるのにも関わらず、人を妬ましいと思い続け、嘘や虚栄を繰り返し続ける愚かな行為は一日でも早く辞めた方が何よりも自分の幸せの為になったりするように思われる。

大人になればなるほど、人は嘘ばかりついてしまう。

中身を開けたら、みんな一緒の人間である。

自分はその昔は見栄張りだったから、、、。
なんとなく見栄張る人の気持ちもわかるし、見栄や嘘を見破れてしまうのだ。

嘘をつかずに自分を知ることで大した事ない自分に気づけていけるので、大した事がないから、これからも黙々と努力を繰り返していけるようになれる事を自分で自分は信じている。

慶祐 九拝