今回は嵯峨野トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)についてご紹介します。
(撮影日 2020.10.12)
★嵯峨野号
DE10 1104 機関車
SK100 SK200 SK300 客車
トロッコ嵐山〜トロッコ嵯峨にて
上記写真はトロッコ乗車後に撮影しました。
今回はトロッコ亀岡駅からトロッコ嵯峨駅間にて乗車しました。
トロッコ亀岡駅から乗車する場合はJR亀岡駅ではなく
JR馬堀駅が最寄駅なので注意が必要です。馬堀駅から徒歩10分もかからない距離です。
トロッコ亀岡駅に到着です。
駅構内には観光案内所やレストランなどがありました。
ここで嵯峨野トロッコ列車について詳しく紹介します。
1889年(明治32年)に京都鉄道により嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)〜園部間が開業します。
そして1906年(明治39年)に鉄道国有法が公布され、1907年(明治40年)に国有化されます。
1912年(明治45年)には現在の山陰線が全通して山陰線となります。
1987年(昭和62年)に国鉄分割民営化で西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されます。
1989年(平成元年)に山陰本線(嵯峨野線)の複線・電化対応化や高速化のために新線(現在の嵯峨野山陰線)に切り替えられ、一時は廃線となりました。
それから、JR西日本社内で旧山陰線復活チームが結成され1990年(平成2年)には嵯峨野観光鉄道株式会社が設立、鉄道事業免許も交付され翌年さ1991年(平成3年)に一時は廃線になった旧山陰線を嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線として現在のトロッコ嵯峨〜トロッコ亀岡間が日本初の観光専用鉄道として開業しました。
★ 田中源太郎翁
トロッコ亀岡駅構内には嵯峨野観光鉄道の生みの親である田中源太郎翁の絵画が飾られています。先程紹介した京都鉄道会社を設立しました。
記載の通り、保津川橋梁上で起きた脱線事故に巻き込まれ、保津川に転落して亡くなられたのです。
★トロッコ亀岡駅 ホーム
トロッコ亀岡駅では新旧山陰線(嵯峨野線)両方が見渡せます。
右側が新線(現在の嵯峨野山陰線)
左側が旧線(現在の嵯峨野観光線)
右側の新線は複線・電化対応化や高速化のために造られましたから、直線を走りトンネル・鉄橋・トンネル・鉄橋を繰り返し京都駅方面へ向かいます。
左側の旧線は保津川に沿って走り京都駅方面へ向かいます。
それでは乗車します。
★嵯峨野号(SK200 1)の車内
列車は貨車を改造した車両なんです。
ですから、走行時は貨物列車が走っているときに聞こえるガタンガタンという独特な音が聞こえます。
貨物列車の荷台に乗ってみたいと思われる方、当サイトをご覧の皆様の中にもおられるかもしれません。そんな方にもオススメです笑
★ 嵯峨野号(SK200 1)の運転台
トロッコ亀岡〜トロッコ嵯峨間を走行する際は機関車が前ですが、トロッコ嵯峨〜トロッコ亀岡間を運行するときは、機関車が後ろになり嵯峨野号(SK200 1)が前になるので、運転台があります。この運転台で後ろの機関車をコントロールすることができるそうです。
乗るのはトロッコ10号です。
乗車券はあらかじめ、e5489で購入してJR西日本のみどりの券売機で受け取りました。
座席は指定なのです。とても人気の列車なので行楽シーズンは立席券も発売されることがあります。
ですから、自分の席側の車窓しか普段は眺めることができませんが、この日は空いていたので、自由に座席移動をしていいとのことでしたので、この投稿では両側の景色をご紹介します。
トロッコ亀岡発の便ですと、途中の保津川鉄橋までは進行方向左側、保津川鉄橋より先は右側から保津川が見えます。
ということで中の人は左側に座ります。
トロッコ亀岡駅を出発してすぐ、保津川が見えしばらくすると、先程トロッコ亀岡駅で見れた嵯峨野山陰線の新線を潜ります。
保津川はクネクネと曲がってますから、ここだけでなく何回か見えます。
嵯峨野山陰線の新線を潜り抜け、しばらく保津川を沿って走ります。
ここで保津峡もうひとつの観光目的の交通手段?である保津川下りの船と遭遇しました。
昔から嵯峨野トロッコ列車と保津川下りと出会うと手を振り合う。これも恒例ですね。
よくテレビやパンフレットなどで見たことありますが、実際に見たのは初めてですね!
知らない人同士ですが、手を振り合うなんかいい光景です!
嵐山・保津川散策をされる方は嵯峨嵐山駅(トロッコ嵯峨駅)からトロッコ亀岡駅で嵯峨野トロッコ列車に乗ってバスやタクシーで保津川乗船場所まで行って、保津峡下りで嵐山方面に戻るというのが、大半ではないでしょうか。ちなみに嵯峨嵐山駅(トロッコ嵯峨駅)には、保津峡下りの乗船券が販売されています。
今回、中の人は先程も記載した通り、トロッコ亀岡駅からトロッコ嵯峨駅まで乗車、行きはJR嵯峨野山陰線の普通列車に乗りました。
嵐山・保津川散策もいいですが、鉄道路線が新線に移設されると旧線は廃線になるのが普通ですが景色が良かったことなどから、復活した鉄道路線、鉄道の高速化を感じれるために新線に乗ってから旧線に乗るのもひとつでしょう。先程も記載しました。トロッコ亀岡駅発の便は機関車が前になりますから、出発時やトンネル進入時に機関車の汽笛が聞こえるのが、これまたいいんですよね!
話がかなり逸れました。
トロッコ列車は、まだまだ保津川を沿って走ります。
2018年(平成30年)は近畿地方、特に大阪は災害が多い年でした。大阪北部地震・西日本豪雨・台風21号と大きく3つあったかと思います。
嵯峨野トロッコ沿線にも2018年台風21号時の倒木が所々で見えました。関西国際空港が浸かったあの台風あれは本当にすごかったですよね。
保津川を沿って走っていると、JR嵯峨野山陰線(新線)が見えます。見た感じ橋ですが、駅でもあるんです。新線は馬堀駅を出ると嵯峨嵐山駅までトンネル・鉄橋が続き、平地がないため橋に駅があります。行ったことありますが、高所恐怖症の人が行くとかなり怖い駅ですね。
中の人が乗車したときは、この場所で運転士さんからの特別サービス停車があり20秒くらい停まりました。
この場所は金閣寺と関係していることがあります。
1950年(昭和25年)金閣寺放火事件をご存知でしょうか?
京都府舞鶴市出身の金閣寺子弟の見習い僧侶であった学生が放火し事件後、母親が京都市警による事情聴取のために京都に呼び出され、その帰り、列車に乗りこの地で列車から川に飛び込み自殺したとされています。
ここを通ると、トロッコ保津峡駅(旧線の保津峡駅)に到着します。
ちなみに現在のJR保津峡駅からトロッコ保津峡駅へは徒歩15分程かかるそうです。
トロッコ保津峡駅を出入りする唯一の道である、この吊り橋は映画のロケにも使われたそこそこ有名な橋だと車掌さんがお話しされていました。
トロッコ保津峡駅を出発して、初めて保津川を渡ります。新線は片道、保津川を5回渡りますが、旧線はここだけです。何度も言いますが、鉄道の高速化を感じることができます。
また、先程紹介した京都鉄道の設立者の田中源太郎氏はここ保津川橋梁上で起きた脱線事故に巻き込まれ、保津川に転落して亡くなられたのです。
保津川を渡ると、ここから保津川はトロッコ亀岡駅発ですと、進行方向左側から右側に変わります。
今回は座席移動をしても大丈夫と言ってくださったので、進行方向右側に移動します。
再び、保津川を沿って走ります。
ここで2回目のサービス停車です。
見えている建物は、星のや京都、星野リゾートが運営する旅館です。
星のや京都を過ぎるとずっと沿ってきた、保津川とはお別れ。トンネルを潜り抜けるとトロッコ嵐山駅に到着します。
トロッコ嵐山駅では後ろ2両、1.2号車はトンネル内で停まりドアは開きません。
なぜ後ろ2両は開かないのか?
理由はこの駅のホームすぐで現在のJR嵯峨野山陰線(新線)と合流するからです。
ここからは、嵯峨野トロッコ列車もJR嵯峨野山陰線の線路を走行し終点のトロッコ嵯峨駅(JR嵯峨嵐山駅)に到着します。
トロッコ嵯峨駅には、土産物売場・喫茶店のほかSLが展示されている19世記ホール・ジオラマ京都JAPANなど充実しており、列車旅が終わった後も楽しむことができます。
19世記ホームは以前にご紹介しました。
ぜひご覧ください。
いかがだったでしょうか?
今回は嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線を走る嵯峨野トロッコ列車についてご紹介しました。
景色がいいのはもちろん、鉄道の高速化を感じたり、歴史を学べたりいろいろ充実している路線でした。
トロッコ列車の車掌さんがたくさん案内してくださるので、全く周辺のことを知らなくても間違いなく楽しめます!
また、皆様歌もお上手です。私が乗車したときは、紅葉の歌を歌ってくださいました。
今年2020年、嵯峨野トロッコの前身、旧京都鉄道は設立から120年を迎えたそうです。
これからもたくさんの方の笑顔と感動を届けてくれることに期待です!
ご覧いただきありがとうございました。
いいね・フォロー・コメント
お待ちしております!