[佐世保警備隊]大崎防空砲台)①発電所他

長崎県佐世保市針尾北町2157(大崎公園)

 

着工:昭和17年4月

竣工:昭和19年7月

備砲(終戦時):89式12.7センチ連装高角砲×3、25ミリ連装機銃×8、13ミリ単装機銃×11

 

佐世保市の案内

大崎高射砲台は来襲した敵機を迎撃する高射砲台として、昭和17年(1942)6月に着工された。89式12.7cm連装高角砲3基を装備する強力な砲台として計画されたが、翌年3月に川棚の三越高射砲台の建設を優先し中止された。その後昭和19年(1944)4月に工事が再開され、7月に完成した。周辺の海軍施設を空襲から守る役割があったと考えられる。

 

昭和20年(1945)6月の佐世保空襲の際は視界が効かない悪条件の下飛行機の音を頼りに反撃し113発を発砲している。その後も恵比寿湾(浦頭)に停泊する艦艇を狙った敵機に激しく応戦し、撃墜も記録するなど終戦まで奮戦した。

 

 

大崎防空砲台の配置図

(佐世保市の案内版に加筆)

 

引渡目録に記載された大崎(防空)砲台の配置図

(天地逆さま、思いつきで書いた?みたいな雑な図)

出典:アジア歴史センター(C08011163200)引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎の部(1)

 

現状

①②水源地(小規模のダム)と谷間にある発電所(案内版では弾薬庫)は現存

高角砲の3砲座は野球グランドに様変わり。

指揮所、兵舎は更地にして芝地になった。

練習用?機銃座群には展望台が建つ

弾薬庫は2ヶ所確認

弾薬庫付近の機銃座はなんとなく確認

雑品庫(地下壕)は出入口埋没

探照灯?とされる台座?の建屋はほぼ全壊

出典:アジア歴史センター(C08010924500)還納目録 佐世保海軍警備隊(1)

 

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海軍針尾無線電信所(針尾送信所)がある針尾島、佐世保湾に面した大崎山の山頂に大崎防空砲台がつくられた。大崎防空砲台からは針尾送信所は目視できないが、通りすがりだったので撮影(・∀・)

佐世保市は、昭和16年12月2日の真珠湾攻撃命令の暗号文『新高山登レ一ニ〇八』を針尾送信所が中継した、とあちらこちらで書きまくっているが・・・

 

「昭和16年12月2日の真珠湾攻撃命令の暗号文『新高山登レ一ニ〇八』は、大本営が択捉島の単冠湾から南下する空母機動部隊に向けて打電した。まず山口県岩国市柱島沖合にいる旗艦「長門」から有線で東京の東京通信隊に送信され、船橋(千葉県)から艦船向けに短波と中波が、依佐美(愛知県)から潜水艦向けに超長波が中継(送信)されたと考えられる。今日の研究では針尾無線電信所(針尾送信所)からの中継(送信)は否定されている。と、大人げなく書いておく( ̄^ ̄)ゞ

大崎防空砲台

1948/04/07(昭23年)、米軍撮影

出典:国土地理院 1948/04/07(昭23) USA-R244-96、抜粋

 

出典:国土地理院 1948/04/07(昭23) USA-R244-96、抜粋

 

大崎防空砲台の配置図

(加筆あり:数字は以後、各施設の紹介に)

 

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砲台にあがる手前、発電所①

(案内版では弾薬庫→食糧庫)の近くを通るので先に見ておく。大崎公園(砲台他)への舗装道(=軍道)から分かれて、未舗装の軍道を進んでいく。

 

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未舗装の軍道は川沿いに奥へ入っていく。

やや広めの平坦地に出たら・・・・

 

①発電所

案内版では弾薬庫→食糧庫。引渡目録の配置図から弾薬庫と書いたっぽい。だがこれは弾薬庫ではなく特徴的から発電所としてつくられた、と思われる。とはいえ庫内には発電機等を置く台座やアンカーボルト、天井の換気孔等が無い。壕の完成後、使用用途が変わったのかな?

 

 

前部にはダクトを通すと思われる穴も確認

 

入室(・∀・)

 

壕自体は幅3m弱×奥行4m弱程度で特徴的なモノはない。

 

謎の構造物がある。

竈っぽいが何時のモノかはわからない。

 

 

天井中央の縦線上に小さなフックが刺さっている

 

では、元の軍道(舗装路)に戻り砲台方面へ。

大きなカーブの辺りを見下ろすと貯水池のような小さなダムのようなものがある。ここが水源地と呼ばれるものらしい。

 

 

②水源地

引渡目録の設置図をみると、水源地近くに「発電所」があることになっている。設置図があまりにもアバウト過ぎて藪漕ぎも発見にいたらず。

 

 

 

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大崎公園の駐車場に付いた。

引渡目録の設置図では「小さな兵舎×3」が置かれていたことになっている。

 

 

 

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③練習用?機銃陣地

機銃座の指揮所と思われる所に展望台がつくられている。

 

機銃座の遺構は無い。無いが、もしかしたら木が生えているところが機銃座ないし機銃座の交通壕のような気がする。

 

 

 

④探照灯座

引渡目録には記載が無い。

引渡目録の設置図には「探照灯」の記載がある。

かつて設置され、敗戦時には何処かに転出させていたのか、探照灯座だけつくり未配備なのか、定かではない。

 

大崎防空砲台の探照灯があるとすれば「建屋の屋上に設置」していた、かも。探照灯があるとされる尾根の標高が一番高い所に、該当する大きさ・形の建屋がある。だが普通の自然崩壊ではなく爆破された形跡あり。

探照灯の台座

探照灯用の建屋に固定式探照灯を設置した例。写真はラバウルのもの。

出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.29から抜粋

 

探照灯への道には煉瓦の破片など散見する。

 

探照灯の台座(建屋)と思われる遺構

この全壊した建物がある位置が、この尾根で最も高いところ。

 

探照灯の辺りには少し広めの平坦地がある。それらしき穴の痕跡などはないけど、ここいらに高射装置や測距儀が置かれていたのかもしれない。

 

練習用?機銃座群から探照灯があるとされる尾根、ここから指揮所〜高角砲台〜兵舎の外周に、交通壕が張り巡らされている。

 

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⑤戦闘指揮所

遺構の跡形もなく、現在、指揮所とされる場所に公衆トイレが建つ。

 

 

 

つづく

 

 

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佐世保海軍警備隊(防空砲台)

佐世保軍港防衛のために建設された海軍の砲台群。第一次世界大戦の勃発により初めて建設された。航空機や潜水艦の登場、火砲や聴音機やレーダーなど兵器類の著しい技術の進展に合わせてその装備も移り変わっていく。

 

佐世保海軍防備隊の防空砲台群と関連施設は48施設、と言われる。これらが資料に出てくるのは昭和16年12月頃〜昭和20年6月頃。砲台や電探などの詳細な資料はあまりなく、引渡目録や戦時日誌を読み込んで判断する。

 

出典:アジア歴史センター(C08030480600)佐世保海軍警備隊戦時日誌戦闘詳細報(5)

 

高射砲陣地と防空砲台、特設見張所や防備衛所といえば第一人者のファーザー氏

ファーザーのHP

以下ファーザー氏調べ佐世保海軍警備隊の防空砲台リスト

 

(1)田島岳防空砲台:長崎県佐世保市小野町(弓張岳)

(2)庵之浦防空砲台:佐世保市庵浦町(つくも苑の西?)

(3)猫山防空砲台:佐世保市黒髭町(猫山ダムの東?)

(4)高島番岳防空砲台:佐世保市高島町(高島)

(5)寄船防空砲台:琴平神社の周囲に在り

(6)大崎防空砲台:佐世保市針尾北町(大崎公園)

(7)盲目原防空砲台:佐世保市鹿町(目暗ヶ原遺跡付近?)

(8)虚空蔵山防空砲台:西海市西海町太田和郷(長崎県立西彼青年の家)

(9)石盛山防空砲台:佐世保市知見寺町(石盛山/佐世保カンツリー倶楽部?)

(10)前畑防空砲台:佐世保市前畑町

(11)八久保防空砲台

(12)八丈岳防空砲台

(13)天神岳防空砲台

(14)八天岳防空砲台:佐世保市里美町

(15)高岳防空砲台:佐世保市大潟町(陸上自衛隊相浦駐屯地の西隣)

(16)黒島番岳防空砲台・特設見張所:佐世保市黒島町(黒島)

(17)百合岳防空砲台:

(18)稲佐山防空砲台:廃止(痕跡無し)

(19)東ノ浦防空砲台:山ごと消滅(長崎県立大村養護学校付近)

(20)福重(今福)防空砲台:(大村基地から北へ4キロ)

(21)箕島防空砲台:長崎空港滑走路?

(22)諏訪防空砲台:上諏訪公民館の西側?

(23)瀬戸防空砲台:千綿宿の北東側の丘陵上?

(24)諫早防空砲台:消滅。諫早市立みはる台小学校の北西の尾根上?

(25)皆同防空砲台:大村基地から北北東へ4km程の位置にある皆同町の丘の上

(26)錐崎防空砲台:消滅?針尾ICの南東側に突き出た岬の西側

(27)古里防空砲台:消滅?針尾ICの南東側に突き出た岬の西側

(28)三越防空砲台:三越トンネルの真上付近

(29)川棚防空砲台:消滅?川棚駅北東の小山

(30)日野防空砲台:相浦にあった海兵団内?

(31)左石防空砲台:佐世保市街の北、詳細不明

(32)野口防空砲台:引渡目録には記載なし、未備砲?

 

資料が限られている中、ファーザー氏のHPは勉強にもなりますし、探索意欲が湧いてきます。勝手に慕っております(^o^)いつもありがとうございます!

 

 

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