[佐世保鎮守府]針尾送信所(佐世保無線電信所)①無線塔

長崎県佐世保市針尾中町382

 

大正7年(1918年)11月、佐世保鎮守府隷下の無線送信所として着工し、大正11年11月に竣工した。建築に関する資料は海軍が終戦時に焼却したため、現存せず。

 

昭和16年12月2日の真珠湾攻撃命令の暗号文『新高山登レ一ニ〇八』は、大本営が択捉島の単冠湾から南下する空母機動部隊に向けて打電した。中継(送信)したとされる送信所は諸説あり、針尾送信所もそのひとつ。

暗号文は山口県岩国市柱島沖合にいる旗艦「長門」から有線で東京の東京通信隊に送信され、船橋(千葉県)から艦船向けに短波と中波が、依佐美(愛知県)から潜水艦向けに超長波が中継(送信)されたと考えられる。今日の研究では針尾無線電信所(針尾送信所)からの中継(送信)は否定されている。

 

 

針尾送信所の3基の無線塔はいづれも円形平面の鉄筋コンクリート造で、電波塔の高さは約136メートル、塔基部の直径は約12メートル、厚さは76センチメートル。各約300メートル間隔の正三角形で配置され、運用時は塔頂部にある正三角形の鋼材を介して、塔と塔の間に4本のアンテナ(空中線)が張られていた。送信には長波が用いられていたためこのような大がかりな設備が必要だった。

 

1947/04/26(昭22年)、米軍撮影

出典:国土地理院 1947/04/26(昭22) USA-M279-80、抜粋

 

 

 

 

無線塔のうち、3号塔のみが内部公開されている

 

 

無線塔の基部をみると台座はなく、地面からいきなりニョキ〜っと立ち上がっている。針尾送信所の無線塔は今もひび割れや鉄筋の腐食がない。佐世保鎮守府は耐海水コンクリートを開発したことで、国内で初めての鉄筋コンクリート造りの煙突や建物を建てている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約300メートル間隔の正三角形で構成される電波塔の中心に、耐爆構造半地下式2階建の電信室がある。戦時中に無線の主流が中波や短波に移行したため、針尾送信所の大きな電信室は戦争末期には食料倉庫としても使われた。

 

戦後は米軍管理地になったが、昭和23年から第7管区海上保安本部佐世保海上保安部が所管し、海上自衛隊と共同で使用している。昭和24年にアンテナ(空中線)を撤去。針尾送信所の電波塔は、1997年に後継の無線施設が完成したため、電波塔としての役割は終えた。

 

非公開の鉄塔①

 

非公開の鉄塔②

 

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油庫

 

 

 

 

 

つづく

 

 

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