[徳山海軍警備隊]向道(こうどう)照聴所(聴音照射所/特設見張所)①
竣工:昭和17年春頃?
備砲(向道防空機銃砲台):3年式機銃×1門(昭和20年1月の日誌)→13センチ単装機銃×1門(昭和20年3月以降の日誌)
設備:96式150cm探照灯(100V)×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1
防長百名山のひとつ、大高神山(標高647m)の8合目付近〜山頂付近に設置された向道(こうどう)照聴所/特設見張所。徳山警備隊戦時日誌をみると「向道防空機銃砲台」の記述も確認できる。
出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.48から抜粋
大道理集落(龍豊寺など/国道315号線)から県道新南陽日原線(県道3号線)を走ると、左手に大高神山の登山口がある。軍道が現在の登山道でもあるので傾斜が緩やか(往復4キロ前後)。8合目から遺構が現れ、ここから先の300メートルは少し傾斜がきつく九十九折りになる。山頂に指揮所や機銃砲台などがある。
スイカ先生のご案内で探索いたしました(・∀・)
ズンズン登っていく。
と、突然、スイカ先生がしゃがみ込み・・・発電所手前の登山道沿いに海軍標石4号!
海軍用地に入る
油脂庫
台座などの構造物は無し
ドラム缶?の輪っかの跡があるような・・・
発電所は基礎のみ
左手前の排水枡、右丸は貯水槽(小)
倒木の根元にも貯水槽(兵舎用?発電機用?)
1940(昭和15年)製の碍子?
おや?これは何でしょ?
*
左の赤丸が排水枡
右の大きな赤丸が発電所基礎
写真手前に地下貯水槽があり、近くに流れている(取水口?)
戦後、レンガ需要のため、発電所や貯水槽を破壊して持ち去ったらしい。
小川近く(沢)にある地下貯水槽
スイカ先生、何かを発見(・∀・)
おおお〜!
フランジ(配管の端部に取り付ける円形の板状部品)でした!
*
では兵舎跡に移動
基礎部のみ、ですネ
風呂場?烹炊所?
洗面所
便所
写真上の規則正しい穴、ひとつひとつに大便器があった
少し登ると兵舎用の貯水槽
では、山頂(観測所など)に向かいます!
観測所がみえた(・∀・)
つづく
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天然の良港でもあった徳山港
出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.1より抜粋
毛利氏の三白政策で商港が整備され、明治36年に徳山市に海軍煉炭製造所が設立された。ここは軍用炭の調査研究所で石炭低温乾溜実験などが行われたようだ。第一次世界大戦を於て研究が本格化、大正10年に煉炭製造所は海軍燃料廠へ改組され採炭部、練炭部、製油部、研究部が置かれた。 海軍の燃料需要が急激に増大し続け、この地に亜鉛製錬所や造船所など多くの企業が進出した。
大正11年に徳山港が開港、特別輸出入港に指定される。その後、日本石油(昭和5年)、東洋曹達工業(昭和10年)が進出。昭和13年4月1日に海軍要港に指定される(呉海軍港務部徳山支部の設立→徳山海軍港務部)。昭和15年に光に光海軍工廠が開庁した。
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』によれば、
昭和16年11月に呉海軍警備隊が発足し、徳山には呉海軍警備隊徳山支隊(徳山陸上防備部隊)が設立された。呉海軍警備隊から独立し「徳山海軍警備隊」となったのは昭和19年10月20日。完成した防空砲台が10ヶ所(未完2ヶ所)、聴測照射所(特設見張所)が6ヶ所、機銃砲台は詳細不明な程につくられたようだ。
(推定される)竣工順
水谷山砲台:8cm高角砲×2
永源山防空砲台:8cm高角砲×2
大津島防空砲台:8cm高角砲×2→12.7cm連装高角砲×2(換装)
東山防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
光防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
仙島防空砲台:12cm高角砲×4
虹ヶ浜防空砲台:12cm高角砲×4
北山防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
新宮防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
笠戸防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
太華山防空砲台:未装備(工事中)
杉ヶ峠防空砲台:工事中止
照聴所:向道、室積、野島、戸田、深浦、八代など
SpecialThanks
・スイカさんのブログ「戦争遺跡に行ってみた。〜砲台探訪と山口県の戦争遺跡〜」
・高射/高角砲台等と言えばのファーザーさんのブログ「戸田 特設見張所(聴音照射所)」
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