本日もご訪問をありがとうございます。
うつのことは思い出したくありませんが、
大昔の話でも何かお役に立てることがあればと
思って書いております。
またうつの話?と思われた方には
申し訳ありません![]()
遠い昔ですが、抑うつ状態で退職し、
治ってからしっかりうつ病にかかり、
7年ほどかかって治りました。その頃の話です。
入院初日の先生の言葉。
「なんでこんなところに来ちゃったの。
ここはうつ病の人が来るところじゃないよ。
(中略)
出来るだけ他の人と関わらないで、
休養することに専念してください。
とにかくゆっくりすることだけ
意識してください。いいですね。」
相部屋の病室でゆっくり過ごした後、
初日だけは他の人に絡まれずゆっくり過ごせました
食事は食堂のようなところでいただきます。
食欲があるのかないのか、きちんと食べたか、
どのくらい残したかを
確認されていたと思います。
その後一人ずつ薬を渡され、その場で飲み、
ちゃんと飲み込んだか口の中まで確認されます。
病気によっては勝手な断薬で
大変なことになるからです。
この後、部屋に戻ります。
こんな簡単な流れのことですが、
そこはもう、無法地帯というか、
人間の姿をした獣がいるというか、
一筋縄にはいきません。
「なんだよ!なんなんだよ!文句あんのかよ」
などと、視線が定まらない状態で、
一人で(相手はいません)怒鳴る男の人、
ずっと一人で文句を言い続けるおばあさん、
ずっと一人で何かを喋りながら、
ぼろぼろこぼしながら食べる人、
くちゃくちゃと、口を開けながら食べる人、
箸などの持ち方も![]()
食事のマナーなんてあったものではありません。
幼稚園児の方がよっぽどお行儀よく食べられます。
ずっと一人でぶつぶつ言っている人は
沢山いました。
誰かに絡んでいるわけではありません。
幻聴に返事をしているそうです。
トイレの便座にはいつも
がついていて、
不愉快極まりない![]()
本当に何もかも、全てが絶望的な光景でした。
皆さん病気ですから仕方のないことです。
でも、私も病気でした。
ストレスを排除しなければいけないうつ病でした。
ストレスから逃げたはずなのに、
家とは別の、とてつもないストレスが![]()
逃げ出した罰だったのでしょうか![]()
逃げ場がどこにもない…。
そんな絶望感だった気がします。
まだスマホのない時代。
ストレスの発散手段すらありませんでした。
私は必要のない薬を何種類も投薬されていたため、
減薬の必要がありました。
まだ減薬が進んでいない頃に、
新しい環境という緊張感と、
絶望的な環境に、常にイライラしていました。
そして、入院したことを酷く後悔しました。
※続きます
前回のお話です
過去に書いたうつの頃の話です
最後までお読みくださり
ありがとうございました。
数年ぶりにウォーキング始めました。
ジョギングしてた頃の必需品ですが、
これがあるのと無いのでは疲労感が全く違います。
歳をとると化粧崩れもなかなかのものですが、
これは汚くなりません。夕方の顔色も悪くないですよ。

